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ドアの影から少女は飛び出し、彼に掴みかかっているカイを押しのけ、彼とカイの狭間に割り込んだ。
どれだけ叫ばれても反応ひとつ示さない彼に覆いかぶさるように庇う。
「やめて・・・もう、やめてよ!!」
小夜は苦しげに、また泣きそうな声で言った。
そんな小夜の姿を見たとき、不意にカイの脳裏にデジャヴが引き起こる。
前にもどこかで聴いた小夜の言葉。
突然の乱入に今までわだかまりを作っていた憤りが霧散し、現在状況の把握と感じるデジャヴに混乱する。
思考がついていかず、何もできず、言う言葉すらなくて立ちすくんだ。
――――『貴女の・・・』
ふと声が蘇る。いつか聞いた声。
あれは・・・?
そう、あれはハジの声だ。
細波にかき消されそうなほど低い声で、小夜に向かって何事かを言っていた。
あの時の彼の表情はどこか悲しげだった気がする。
『貴女の今のそれを望むなら・・・』
彼はそう言ってあの時小夜たちの前から忽然と姿を消したのだ。
そしてそのとき庇われていたのはまぎれもなくカイ自身だった。
しかし、カイは彼のように静かに立ち退くことなどできずにいる。
きつくカイを見上げ、涙をこらえる小夜を見返すしかできない。
すると小夜はベッドと机の間に立てかけてあった刀に手を伸ばし、それを一気に引き抜くとぴたりとカイの首筋に刃を添わせる。
「カイ、お願い。・・・私に斬らせないで・・・」
苦渋に満ちた小夜の声と首筋にある刃が、カイを硬直させた。
「小夜・・・俺は・・・」
言葉は続かなかった。
いったい何が言えるというのだろう。
小夜が彼に対して強い絆を確信して以来、遠く離れてしまったような感覚を抱くほど彼女がわからなくなっているというのに。
あれほど近い存在だったのに、今は近づくことすらできない。
改めて思い知る距離。
「カイ、ごめんね。でもこれだけは許せない。言わなかった私も悪いのは確かだけど・・・」
「何か、あるのか?」
多少落ち着いてきてはいるものの、固く握り締められた刀は微動だにせず、今もしっかりとカイを静止に追いやる。
「眠りは記憶や意識の再構築なの。だから、途中で眠りを妨げると・・・ハジ、どうなっちゃうのかわからないの・・・。私みたいに、記憶、失くしてしまったら・・・っ・・・」
小夜の眼からこらえきれない涙があふれる。
言葉は消え失せ、嘆く声は押さえ込まれても漏れ出てしまう。
頬を伝う涙を拭うこともせず、目の前に立ちすくむカイから眼を離さないまま、小夜はただ泣き続ける。
「・・・わかったから、落ち着け。何もしない」
なだめるように声をかけ、ゆっくりと後退する。
刃は首筋から遠退き、背後に開けられたままの扉がそれと入れ替わるように近づいてくる。
小夜と目線を合わせたまま、カイは静かに廊下へ出て扉を閉めた。
扉の閉じる音に重い金属音が重なって、しばらくカイの頭に響き続けた。
手にかかる重みを解放したあと、一拍遅れて響く金属音。
一度は反発し合い、二度目は引き合って、次第に穏やかに、また速くなる動作に瞬きを忘れる。
鈍い響きを伴って冷たい床に横たわる自分の『爪』をしばらく眺め、ゆっくり瞼を閉じた。
閉じられる扉の音を聞いて冷めた心に痛みが走る。
止まることのない涙に、いったいどれだけ泣けばいいのかわからなくなる。
もう、涸れ果ててもいいと思うのに、一向に治まる気配はない。
リクに促されて部屋を出た後、小夜は調理場へと足を進めて席に着いた。
消化にいい食事を作るからと一人残されて。
しかしなんともいえない不安に駆られて、いても立ってもいられなくて、こっそり来た道を戻った。
そう、だから部屋から聞こえてくるカイの叫び声にすぐさま気付き、小夜はひどく焦ったのだ。
自分の戒めとして口を閉じ、食事を断ち、眠りさえしなかったのに、そのことが彼を危険にさせたのだ。
もっと早く話していればよかったと悔しさでいっぱいになる。
「っ・・・ハジ・・・」
――――記憶がなくなってたら、私、どうすればいいの?私自身の記憶さえ完全に戻ってはいないのに・・・。
ベッドに座って、乱れた布団を掛けなおす。
彼の髪を梳き、頬に触れても、小夜には目覚めの兆候は見つけられない。
涙で歪む視界に耐え切れずぎゅっと眼を瞑ると、不意に身体が傾いでしまい彼の上に倒れこむ。
睡眠をとらず、エネルギーとなるものは何ひとつ口にしていない上に、泣くというかなりの体力を消耗することを続けていたため、身体を支えることさえできなくなっていた。
慌てて腕で支えようにも支えられず、先ほど刀を振り上げた腕と同じとは思えなかった。
しばらく足掻いたものの、どうにもできないと小夜は諦め、彼を見る。
――――重いと思わないのかな?
落ち着いてきた心に、普段と変わらない思考が少しずつ戻ったようだ。
倒れたままの姿勢で彼の髪に触れ、しばらく時をまどろんでいると次第に重くなる瞼に意識が霞む。
そんな小夜の髪を誰かが優しく撫でる。
その感触に眠りに落ちかけていた意識がうっすらと舞い戻った。
ゆるりと瞼を押し開けると小夜に向けられる柔らかな眼差しと淡い微笑みが映し出される。
ただそれだけでたとえようもない嬉しさに満たされる。
しかし泣き疲れ、一度落ち始めた意識はそれ以上留めておけず、もっと見ていたい思いとは裏腹に小夜は静かに瞼を閉じた。
微かに残る意識から伝わるのは、あの日、紅に染まった地の上で小夜がしたような優しい接吻と自分の名を呼ぶ声の心地よさだった。
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