V
今小夜がこの部屋にいるのは、リクが言ったから。
小夜は、あの時聴こえるはずのない歌を聴こえると言ったリクただ一人を信用しているようだった。
『ハジをちゃんとした場所で寝かせてあげなきゃ』
そう言って小夜を諭したのだ。
そういわれた瞬間、苦しげな表情になったものの、小夜は頷いてそれに従った。
ただ、片時も彼から離れようとはせず、リクやカイしか近くに寄せ付けなかったため、細身とはいえ長身であるハジを3人がかりでこの部屋まで移したのだ。
そして現在に至る。
誰にも彼と小夜自身に触れさせることもなく、会話もろくにしない。
痺れを切らしてカイはいったん冷め切った食事を持って部屋を出ると、迷わずリクの元へと足を向けた。
このままでは小夜自身の身体がもたない。
たとえ彼女の中で自分の存在が変化したとしても、カイにとっては何より大切な『家族』でしかありえないのだから、そう思うことは当たり前だった。
「リク、小夜に一度ちゃんと食事摂って、寝るように言ってくれ」
別の部屋ですることもなく外を見ていたリクが、カイの言葉を聞いて顔を上げる。
「うん!やっぱりそう言った方がいいよね!!」
リクも同じことを考えていたらしく、カイに同意されて嬉しそうに顔を輝かせる。
そんな弟の行動にカイはずっと救われている気がした。
自分のとっている行動に迷いがなくなっていくように、自身を支える力が強くなる。
「じゃぁ、小夜姉ちゃんに言ってくるね」
「おう、頼んだぞ」
軽く会話して別れる。
自分の言葉で小夜が聞くならとっくに言い聞かせていたはずなのに、なんとも歯がゆい思いをする。
たった一ヶ月程前までは何も変わらず、平凡な日常を過ごしていたと思うと、めまぐるしいほどの事態の変化にカイは身震いした。
――――あいつを遠くから見ることになるなんて・・・
血の繋がりはないけれど手のかかる妹で、ありえないくらい大喰らいで、笑うと周りの雰囲気まで明るくなって、それから・・・。
戦いに巻き込まれても自分の中の恐怖心と必死に向き合って、前へ進もうとしていた。
小夜の思いを考えると、彼女がとてつもなく大きな何かと対峙しているのが今ならはっきりとわかる。
傍にいるとか、家族だ、とか子供じみた言葉しか言ってやれない自分が悔しい。
今となってはそんな言葉すら彼女には届かない。
カイと小夜の間には気付けばひどく大きな隔たりが存在していた。
近づくことすらできなくて、ただじっと遠くから見ているしかない。
考えていると頭の隅に何かがちらつく。
一度気にしだすとそれが思考を支配する。
むしゃくしゃして苛立っていると、視界の端に小夜とリクが部屋の前を通り過ぎるのが見えた。
小夜の足取りは重く、半分リクに支えられながらゆっくりと歩いて行く。
その姿を見た瞬間カイは何を思ったのか、小夜が完全に去ってから立ち上がり、小夜のいなくなった部屋へと向かった。
静寂が支配する白の部屋。
ベッド脇に設置された簡易な椅子は、机と共に部屋の隅に寂しげにある。
白の中に立て掛けられた大きなチェロケースだけが、どこか異色の存在のようだ。
窓はベッドの側にひとつある限りでその他にめぼしい物は何もなかった。
風に揺らぐカーテンの裾が柔らかな日差しを受け止める。
どこか寂しく、穏やかな雰囲気であった。
ベッドには柔らかな光に包まれ眠り続ける彼がいた。
青白い頬にかかる闇色の髪が、彼の肌の色をより鮮明にさせる。
彼の眠る姿を見たことは全くなかったため、まじまじとその顔を見る。
近づいても起きる気配はなく、思い切って小夜がいつも座っているベッド脇の椅子に腰掛ける。
そのまま何もすることもなく、ただ彼を見続け静かな雰囲気に我が身を預ける。
「なんで・・・お前なんだよ・・・」
静寂の中、不意に言葉が音になる。
カイは言葉にできないものをここでなら、彼の前でなら不思議と言える気がしていた。
たぶん起きていたとしても彼は言葉を返してはくれないだろう。
たとえそうであっても、今のように静かに聴いてくれる、そうカイには思えた。
いつも彼に反発し、遠ざけていたはずなのに。
「・・・小夜が遠い・・・。あいつを『今』から助けてやれるのは、お前なんだ・・・。俺じゃ、だめなんだ。
俺、どこかでわかってた・・・ただ、認めたくなかったんだ・・・俺が、護ってやりたくて。・・・やっとわかったのに・・・」
自分の言葉に唇を噛む。
「っ・・・!!なんでお前は目を覚まさねえんだよっ!!あいつ、ずっと泣いてんだぞ!!」
立ち上がり叫んだ。
どうしようもなかった。
自分ではもう抑えられなかった。
心の底にあったものを全部吐いてしまいたかった。
彼に対してこの怒りをぶつけるのはきっとお門違いだ。
わかっていても止めれられない。言わなければ収まらない。
「お前がいきなり現れてから、全部変わっちまった!!途中でいなくなるなんて反則だ!!最後まで責任持てよっ!!あいつのこと、もっとちゃんと護ってやれよっ!!」
怒りで目頭が熱くなり、溢れてくる感情に急かされて声は悲鳴にも似た音を作る。
横たわる彼の胸倉をつかみ、強く言葉を叫ぶ。
身体が震えて頭が麻痺しても、カイは全てを彼にぶつけた。
自分の不甲斐なさも無力さも、憤りの渦の中に消え失せて、自身を叱責する言葉と彼を叱責する言葉が混ざり合う。
「やめて!!」
憤りの空気の中、静止の音が波紋を作った。
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