V

 

「かわいそうな人」

 

歌うようにその声は響く。
不意にコンテナの扉が開かれ、蒼い光が強さを増す。
面を上げたカールが歓喜に満ちた表情でうっとりと見つめているその先には、細くしなやかな少女の腕がコンテナの扉を押し開けている光景があった。
その扉から光の祝福を受けて現れた少女は、風に長く艶やかな黒髪を遊ばせ、音もなく地に降り立つ。
黒と紺を基調としたドレスの胸元には誇らしげに咲く一輪の蒼いバラが飾られていた。

「・・・うそだろ・・・」

すぐ傍でカイが驚愕に満ちた声でつぶやくのを小夜は意識の片隅で聞いた気がしたが、そんなことは気にしていられなかった。
ドレスをまとう少女を目の当たりにして、霧の中の戦場は時という言葉を忘れたかのように止まって見え、彼女だけがその場で自由に振舞えるような気さえする。
しかしそんな幻想すら吹き飛ばすほど心に衝撃を受け、小夜は我が目を疑わずにはいられなかった。


ありえない、嘘だ。


カイと似たようなセリフを何度も心の中で繰り返したが、現実は冷たく突きつけられる。
声・姿かたち全てが変わらず、髪が長いことを除けば本人だと言われても疑いようがないほど、そのコンテナから現れた少女は小夜に瓜二つだったのだ。
だがその少女は自分そっくりな小夜には目もくれず、別の方に関心を寄せているようであった。

 

哀れみと喜びが彼女を彩り、懐かしむように、また愛しげにその瞳を向ける。
その表情はとても艶やかで、小夜の持つ雰囲気とはまた異なった印象を与える。
そんな彼女の柔らかなその目線の先には、表情なく佇む小夜の従者が存在していた。
その隣にいるカールには一瞥すら与えず、ひたすらにハジだけを少女は見つめ続ける。

 

「・・・かわいそうな黒のシュヴァリエ・・・。あの時の貴方は失われてしまった」

 

カールが小夜に言うように、少女はハジに言葉をつむぐ。


以前とは違うのだと。


彼女は悲しげにささやいた。
ハジはその言葉にも反応はせず、無言でその少女を見やる。
その視線には少女のような懐かしさや愛しさなどの感情は伴わず、冷たい感情だけが含まれていた。
そしてその視線を今度は小夜に向ける。
少女に向けるものとは違い、いつものように命じられるのを待っているような眼差しで、小夜はこれからどうするのだとその眼は問う。
彼は主の行動に添うつもりでいるようだった。

 

しかし、小夜は突然現れた自分に酷似している少女に対して、どうすればいいかわからなかった。
敵として現れたことに間違いはないのだが、彼女が自分にとってどんな存在であったかが気にかかって戦意がそがれていたし、何より傷は完治したものの、何故か体の痛みがまだ取れていなかったのである。

「ディーヴァ、・・・」

ソロモンが少女の耳に唇を寄せて何事かをささやく。
それに対して少女も答えているようだった。
そして青年は少女に向かってうなずき返すと、戦意喪失気味な小夜を見据えてはっきりと言う。

「サヤ、私たちはそろそろおいとましたいのですが、黙って見逃してくれる気はありませんか?」
言葉尻柔らかく、穏やかな声は相変わらずで、小夜はその雰囲気に呑まれてうなずきそうになるのを押しとどめる。
ディーヴァを捕らえれば全てが終わる、そうデヴィッドは言っていた。
全てが終わればあの暖かな日常に戻れるのだと。
そう思い起こせばここでディーヴァを逃がす気は小夜にはあるはずもない。
選ぶ選択の答えは「No」以外にありえなかった。

「それは、できないわ。」
頑として引きはしない強いまなざしをもって返された短いその答えに、ソロモンは仕方ないという表情でさらに言葉を付け加えた。

「では、この場にいる貴女と従者以外の全員の命と貴女の従者、どちらを犠牲にしたいですか?」
「・・・え・・・?」

小夜は問われた意味を理解できなかった。
全員の命とハジ、それをどうして犠牲の選択肢にされるのか、ソロモンの意図がまったくわからずにただ黙って見つめ返す。

「貴女が黙って見逃してくださるなら、誰も犠牲になどならなくて済むんですけどね」

そう言って彼は小夜に三択を迫る。
見過ごして誰一人傷つかずに済む選択・全員を犠牲にして倒せるかどうかわからない敵と対峙する選択・一人を除いて助かる選択。
突きつけられた選択肢に小夜は戸惑いを隠せなかった。

 

一つ目を選べば誰一人命を落とすことはないが、この戦いは終わらない。
二つ目を選べば大事な人たちの命は確実に失われてしまうし、戦いが終わったとしても誰もいなくなる。
選べない、この二つは対極にあるからだ。


では、三つ目の選択肢は?


小夜には何故その三つ目が存在するのかがわからなかった。
ハジは確かに過去に深く関わっているだろうコトは明らかなのが、彼一人とここに存在する全ての人々と、彼らはどう天秤にかけたのだろう。
命の重さは等しいとどこかで聞いたことがあるが、この選択はその主張を打ち破る結果である。

 

そこが腑に落ちなくて黙ったままだった小夜に、少女は初めて目を向ける。
ハジに向けるまなざしとは全く違う、射抜くような鋭さで小夜を視界にとどめる。

「サヤ・・・長らく会わないうちに貴女はとても残酷な人になったのね」

鳥が歌うような声であるのにその言葉には威圧感があり、小夜は気圧されてしまいそうになったが、非難されたことに苛立ちを覚えて切り返す。
「どうして貴女にそんなこと言われなきゃならないの?」

腹立たしさと共に睨み返すその先には、同じく不快だというような表情で立っている少女がいる。
まるで鏡を見据えて自分に言葉を返したような気がして、さらに不快感が募る。

「残酷、それ以外になんと言えるの?ソロモン、サヤに選ばせる必要などないわ。・・・かわいそうな黒のシュヴァリエ・・・今のサヤに彼はふさわしくない。彼の力を滅ぼすだけ・・・」
「貴女、さっきからどうしてハジをそう呼ぶの?ハジの力って何なの?!」

涼しげに立つ少女に抱いていた疑問があふれ出る。
自分に何故似ているのか、何故人を翼手化するのか、その目的は?
何故敵対するのか、自分がどういう存在でどう関係しているのか。
全て吐き出したい気持ちでいっぱいだった。
だが何より疑問を抱いたのは、自分に付き従う者に対して、彼女が必要以上に執着していることであり、そのことが小夜を一番苛立たせていた。

 

『彼女が知っていて、私が知らない私の従者。そう、私のものなのに・・・』

 

小夜は自分の中の感情が溢れ、氾濫し自分を見失いそうになるその怒りを相手にたたきつけようと地を蹴った。
痛みの治癒はまだ完全とは言えなかったが、怒りが全てをうやむやにしてゆく。
痛みも疲労感も苛立ちも全てひとつの意思を持って刀に宿り、それは目の前に佇む少女への殺意を込めた一撃となるはずだった。
だが、小夜の刀はカールの異形の腕にまたも遮られ、体勢を崩した小夜は肩を貫かれそのまま投げ飛ばされる。

 

地面が容赦なく傷口をたたき、投げ飛ばされた反動で数回横転を繰り返す。
痛みに呻き声を発し肩をつかんで、めまいと吐き気に襲われる不快感に必死で耐えようとする。
いつもなら傍には補助してくれるはずの人物が存在するのだが、今の小夜の傍らにはカイしかいなかった。
誰よりも早く小夜の異変に気付き、支えているはずの存在がいない、そのことに小夜は精神が大きくぐらつくのを感じた。