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異形の手が小夜の衣服を掠めて空を切り裂く。
その腕はハジのものとは形状がまったく異なり、体に不釣合いなまでの青く変色した巨大な腕で、小夜が『ファントム』と呼び、ソロモンが『カール』と呼ぶ人物の左腕に連結されていた。
カールはその腕を振るい、狂気に満ちた笑みを浮かべながらさらに攻撃を加えてくる。
小夜は突如目の前に出現したカールの攻撃を完璧に避けきることができず、皮膚を切り裂かれてしまった。
その攻撃を受けた反動で数歩後方によろめくが、踏みとどまった足で地面を蹴りつけ、威勢よく声を上げて反撃しにかかる。
敵を倒すために振り下ろされた刃は、異形の腕に遮られ、また軌道を逸らされて致命的な傷を負わせることができなかった。
まだ振りなれていない刀には大きな隙があり、そのために敵に良いようにあしらわれてしまっているのだ。
その大きな隙をつかれて逆に多く傷を負わされる。
ときに掠めるように、または抉るように鋭くとがった翼手の腕は小夜に朱を与えてゆく。
「さぁ、サヤ・・・あの夜のダンスの続きを!」
カールの見開かれた瞳は小夜を捉え続け、内に秘めた殺意を言葉に代えて突きつける。
その狂気に翻弄され、まだ覚醒もおぼつかない小夜は、ただの少女のようにその力の前に言葉通り踊らされていた。
朱にまみれた体は慣れない傷に悲鳴を上げ、痛みに崩れそうになる自分自身を必死の思いで支え立つ。
『私が』やらなければ大切なものは護れない。
その意思のみで迎え撃つ小夜をカールは憎らしげに、また苛立たしいと言わんばかりの力でなぎ倒す。
その一撃に足は地を離れ、体は意に背いて空中に投げ出されてしまい、速度を落とすことなく後方へと吹き飛ばされた。
「小夜っ!!」
背後の大木に強打するかと思われた少女の体を少年が受けとめる。
だがその勢いは多少殺されたものの、二人まとめて後方へとなだれ込み地に伏した。
すさまじい衝撃が二人を強打し、地面が我が身を削る。大木への強打は免れたものの、与えられたダメージは相当なものだった。
「さ、小夜・・・大丈夫か?」
痛みをこらえながらカイは気遣わしげに小夜に声をかける。
触れようと指を伸ばすものの、傷だらけであることを見て指を引いてしまった。
「・・・う、ん・・・。平気・・・」
そうは言うが実際小夜は息をつくのもやっとのことで、とにかく上体を起こそうと地面に手を突く。
地につけた手の平から赤い血が染み出して色を塗り替えてゆく。
その痛みにバランスを崩して再び地に体を預けてしまった。
体が思うように動かない。
そのことが何より悔しく苛立たしかった。
カイの腕に支えられてとりあえず上体は起こせたものの立ち上がるにはまだ遠かった。
辺りを見回そうとしたとき、すっと視界の端に黒い影がひらめいた。
敵が襲ってきたのかと一瞬身を強張らせたが、予想していた攻撃はなく、代わりに甲高く弾き合う音が響いてくる。
音がしたほうへ目線を向けると、黒の影が二つ、互いに相手を制圧しようと激しい攻防を繰り返していた。
ひとつは敵であるカールのもの。
そしてもう片方は小夜の従者であるハジのもの。
すぐには動けないであろう小夜たちの代わりに、ハジは盾となりカールと対峙したのである。
両者の戦闘はあざやかで、翻る裾の流れや攻撃をかわす身のこなし、適度な間合いで行われる全てを、その中に割って入ることできない小夜とカイはただ眺めているしかなかった。
『まるで本当に踊ってるみたい』
あらかじめ決められていたかのような攻防に、どちらかの命を削る争いにおいて不釣合いな印象を小夜は受けた。
しかし、いつまでも続くと思われたその円舞は、突如発生した辺りを柔らかな蒼に染め上げる閃光に続行という選択を奪われた。
蒼白い光を浴びたカールはぴたりと攻撃の手を止めて後退り、光の発せられる方向へ跪く。
そんなカールにハジも追撃することはなく、ただ静かに佇み光を見つめていた。
静まった辺りに柔らかな青年の声が響く。
「もうそろそろ終わりにしましょう。ディーヴァもこれでは退屈でしょうから」
小夜はその声の主に息を呑んだ。
その声の主は先日リセでダンスの相手をしていた人物だったのだ。
柔和な表情は相変わらずで、敵として現れたことに信じられないという面持ちで小夜はソロモンを見た。
あの夜、多少心惹かれていたのは確かであり、まさか正反対の立場で対面するとは思いもよらなかったのである。
ソロモンはそんな戸惑う小夜を目に留めて、少し悲しげに微笑む。
しかしその時は長くは続かず、すっと視線を逸らし彼はコンテナに目を向ける。
扉の合間から蒼白い光を放つコンテナは、不気味でありまた神々しいとさえ思われた。
静まり返った霧の中の広場に、鈴を転がすような澄んだ声が辺りに響いた。
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