「Diva」

 

 

     T

 

「小夜!!」

 

突然聞こえた親しい人の声に小夜は我に返った。
ふらつく足とまだはっきりしない頭を引きずって辺りを見回す。

「・・・カ、イ・・・」

目に留めた人の名は、痞(つか)える咽喉(のど)を通って切れ切れに吐き出された。
呼ばれた相手が恐怖、困惑、安堵とさまざまな感情の色を混ぜ合わせたような表情をしていたため、嫌な予感が頭をよぎる。
それが当たるであろうことも心のどこかでわかっていた。
下ろす視線の先には血に染まり鈍く光る重い刃先。その刃をつなぐ柄も鍔も、それを握る自身の手も、どす黒く変色した血の蛇が体中を這い回ったような跡がこびりついていた。

「・・・わたし・・・」

正気に戻った喜びは一切なく、「家族」と呼び合う大事な人の前で、またしてもこの姿を晒すことに震えを覚える。

『小夜は俺たちとは違う・・・』

いつか聞いたあの言葉が脳裏によみがえる。
あの言葉を聴いたとき、小夜は身体がすくみ、その場から動けなくなった。
「家族」と信じて疑わなかった人からの離別の言葉にも聞き取れて、深く心に傷跡を残したあの言葉。
根本的な何かが違うとカイにもわかっていたのだろう。
それでも変わらず小夜を家族だとカイが言い続けてくれることに、小夜自身救われていた。
だから「護る」と覚悟を決めていたはずだった。

 

しかし、実際の戦闘でその覚悟すら吹き飛ばす圧倒的な恐怖に、体は強張り、震え、声すら自分の意思には従わせることができなかった。
耳に届く女性の歌に反応して、フラッシュバックしそうになる自分を必死に抑えるだけで精一杯だったからだ。
迫る翼手から視線を逸らすこともできず、ただ怯えていた。
ハジが翼手の頭部を無表情に殴り捨て、我が身にかかる血飛沫を見たのが最後。
小夜の意識は吹き飛んだ。

 

「小夜・・・、正気に戻ったんだな?」

安堵に満ちたカイの声が小夜の耳に届く。本当に心配してくれる大事な人。
カイの言葉に頷きを返して、小夜はふいに泣き出しそうになる自分を押さえ込んだ。
ここで泣いてしまうと、もう自分の足では立っていられないだろうと思ったからだ。

「カイ・・・ありがと・・・」

一拍おいて小さく礼を述べ、緩んだ気持ちを引き締める。

 

辺りはまだ翼手との戦闘が続いており、悲惨なまでの光景が目の前に広がっている。

「私が、やらなきゃ・・・」

フラッシュバックを呼び起こすあの歌はいつの間にか止んでいて、心は自然と戦いへ赴く。
襲い掛かる翼手を踏み出した勢いでなぎ払い、そのまま目に留まる翼手を次々と倒し、戦う術を持たないカイを護るべく、小夜は血のにおい漂う戦場へ我が身を躍らせる。
あざやかに閃く切っ先が血飛沫を切り裂いて視界を開いてゆくさまは、まるで戦の女神のようで、その戦いぶりにカイはただ目が離せなかった。

 

 

 

「貴方の話では目覚めてはいないはずなのに、見事ですね」

巨大なコンテナの傍に佇む柔和な雰囲気を持つ青年は、そんな小夜の姿を見て感心したようにつぶやいた。

「だが、まだだ。・・・まだ足りない」

青年の数歩前に立ち、同じように小夜を眺める男が言った。
同じように眺めていても、見開いた両目に映る小夜を憎しみと失望の色を込めたまなざしで捉え続けている点で、後ろに佇む青年とは異なっていた。
彼は皮膚に爪を食い込ませたまま拳を握りしめ、その傷から血が流れていることを気にも留めず、銃声響く戦乱の中の少女を凝視している。

 

「そういえばカール、彼女はひとりなのですか?」

ふと思い出したように青年は問いかけた。
カールと呼ばれた人物は、その問いを聞いて少し眉根をよせたが、しばらくしてゆるりと右手で前方を指した。
その指が示すのは先ほど話題に挙がっていた小夜だった。
青年はいぶかしげな顔をして再びカールに目をやる。

「カール、私の話を聞いていましたか?」
「・・・ソロモン、あれだ。あれがサヤのシュヴァリエだ」

カールの指が示すのが小夜であることには変わらず、不思議に思いながらもう一度その指が示す先を眺める。
刀を振るい、襲い掛かる翼手を一刀両断してゆく小夜。
だがその傍には先ほどまで存在していなかった人物がいた。
黒を基調とした服をまとい、異形の右手で小夜が取り逃した翼手を倒してゆくひとりの青年。
その顔に表情は見られず、ただ影のように小夜の動きを妨げることなく補助している。

「あぁ、彼か。だが・・・なんだか以前より・・・」
「そう、目に見えて力が弱くなっている。あのときの圧倒的な力は今の奴には存在しない」
「そういえば、たった一人で我々と対等にやりやっていましたね、彼は」

ソロモンは柔らかな笑みを浮かべて、懐かしむように眺めやる。

 

「そろそろ、参加してみるか」

そう言ってカールは一点を見つめたまま歩き始めた。
狂喜のときを期待して、ひそかに昂ぶる気をまとい戦場へと歩みを進める。
その背を追って気遣いの言葉が送られたが、カールの耳には届かず霧散してしまった。

「・・・まったく、本当に仕様のない人ですね・・・」

戦いに魅せられた背中を見送って、ため息混じりにソロモンは言葉を残し、うっすらと蒼白い光を帯び始めたコンテナにそっと手を当てた。