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沈む日を追い、すぐそこに潜む夜の闇に追われるように流れる空は、赤と橙を差した鮮やかな色。
木々の合間から頬を照らす光でさえ、熱を帯びて暑くさえ感じる。
夕暮れに迎えられた少女と童子は麓付近まで来ており、すでに上杜の家は見えていた。

 

「私、赤い色って嫌いだわ」

ふと少女が口にする。
名残惜しそうに最後まで色を与え続ける太陽をじっと見つめたまま、中身が空っぽのような言葉を呟く。
少女の言葉に視線を投げるものの、童子は少女の言った意味が汲み取れなかった。
思い出すようにまっすぐ空を見つめ、感情全てを失ってしまった顔はどこか悲しげで、少女のそんな表情に振り切ったはずの嘆きの声が再び思い出される。
きっと少女とあの声の主は関係しているのだろう、漠然と思う。
だったらなおさらここに留まるわけにはいかないと、視線を振り解き上杜の家へと向き直ったとき、ひとつの影をちらりと視界に捉える。

「あっ!」

少女の驚きの声が瞬間聴こえた気がしたが、もはやそんなことなど童子には考えられなかった。

 

「爺さん!!」

思わず駆け出して叫ぶ。
その声に人影がゆるりと振り返ったとき、童子はその影に飛びついた。
会えたことが嬉しくて、ぎゅっと衣を掴んで擦り寄ると、優しい手の平が頭を撫でてくれる。

「あぁ、よかった無事に帰ってきてくれたね。お前さん、何処へ行ってたんだい?心配したんだよ?」

聴きなれた穏やかな声が頭の上から降ってくることにひどく泣きそうになる。
まるで自分ひとり別の時間へ放り込まれていたようだ。
しかしそんな長い長い孤独な時間すら老人の許へ戻ってしまえば一瞬の夢幻だと感じてしまう。
帰りたかった人の許へ戻ってきたことに安心して、今まで押しとどめていた不安や疑問がつい口から零れてしまった。

「爺さん・・・俺ね、知らないうちに森の中にいたんだ。誰かの手が爺さんみたく俺の頭撫でて、声が聴こえて・・・。でも眼が覚めたら誰もいなくて・・・」

しっかり衣を握りこんだままうつむいて、噛み締めるように言葉を選んで童子は老人に打ち明ける。
少女には言えなかったことを老人には全部話しておきたかったのだ。
嘆く声も、少女から聴いたことも、それらから自分がどう思っているのかも、全てを話した。
その間老人は、話の合間に何度も相槌を打って先を促し、途中で言葉を差し入れるわけでもなくただ静かに童子が言わんとすることを聴いていた。

 

童子が全てを話し終えたとき、老人は一呼吸置いて「なるほど」と落とし、童子に向かって一言告げた。

「・・・お前さん、森神に呼ばれたね?」

認めたくない事実をぴしゃりと指摘された童子は、眉根を寄せてしぶしぶといった形で頷く。


森神に必要とされている、と少女は言った。
気を失った状態で出歩けるはずもない童子が森の奥にいたということは、森神が自らそこへ導いたとしか結論が出せない。
倒れた直後、老人は慌てて上杜の家から童子を運び出し、木陰へ横たわらせると薬道具を取りに一度家の中へ戻ったらしい。
薬箱を担いで戻ってきたときにはすでに童子の姿がなかったことから、その離れた僅かな時間に、童子は森神に連れ去られたということになる。
何故そうしたのかは定かではないが、森神が童子に何か伝えたいことがあるのは確かだろう。

 

もともと霊的な力が強い童子は、何かと行く先々でいろいろなものと引き合ってしまう。
その度に童子は老人に助けられ、守られてきた。
気の弱りそうなときは強く諭され、引き込まれないようにとたくさんのことを教えてもらった。
それでも時折こういう厄介なものに遭遇してしまう。

老人に迷惑をかけたくないという思いが童子自身を責め続け、思わず沈んだ表情になる。

 

「これ、しっかり気をお持ち。そんなに沈んでおると、今に連れて行かれるよ」
「・・・うん・・・」

ぽんと頭を軽く叩いて注意する老人を、童子は不安そうに見上げながら頷いた。

「大丈夫、心配しなくていい。もう帰るつもりだから」

優しくなだめるように告げられた言葉を聴いて、童子はほっとしたように息をついた。
大丈夫、もう森神には関わらなくていい、そう思うと重かった気分が晴れてゆく。

 

「あら?もう帰ってしまうの?」

残念、とすねるように口を尖らせて童子の後から少女がやってくる。
老人は少女に眼をやると、あぁ、とひとつ納得したように頷き、柔らかく笑って口を開いた。

「真名さんだね。すまないが、この子をここに長居させるわけにはいかん。・・・後ろの御使いよ、お前もわかっておくれだね?」
「え?」

童子と真名は老人の言葉に驚き振り返る。
童子のいる場所から十数歩離れた場所にいるのは真名。
さらにその向こうには暗く茂る木々があり、その合間から金色の眼が一対、じっとこちらを見つめていた。

 

熊のように大きな身体を影と同化するように沈め、いつでも飛びかかれるように構えられた四肢。
小さな茂みでは隠しきれない白銀の身体を木漏れ日から降る夕日が照りつける。
柔らかな銀糸は朱に染まり白銀が朱銀へと変化するさまは美しかったが、息を潜め見つめ続ける鋭い眼は逸らされることなく瞬きひとつしない。
しかもそれは童子の方は見ず、その上方、老人へと焦点が当てられていた。
探るように射るように向けられた獣の眼を老人も静かに受けてはいたが、その眼はいつもの穏やかさを失い、相手を威圧するほどの光を秘めている。

御使いと呼ばれた獣は老人と暫し視線を合わせた後、諦めたように踵を返すと小さな葉擦れの音を残して童子の視界から煙のように消え失せた。

 

「・・・あれ、何?」

視線を獣が去った場所に引きつけられたまま、思わず童子は老人に訊ねていた。

「あれは森神の眷属、狼さ」
「狼?!あんなに大きいのが?」

今度は真名が声を上げる。
確かに普通の狼にしてはあまりに大きく、煙のように掻き消えた去り際の様子は狐に化かされているのではないかと思うほどだった。

「はは、あれほど大きな狼を見たのは初めてだったかい?まぁあれは特別だからね。お前さんを森神の許へ連れて行ったのもあの大きな狼だろう」

眼を丸くして見上げている童子に朗らかな笑みを向けながら老人は言う。
老人の眼にはもう威圧を起こす光はなく、慈しみに溢れた穏やかな眼に変わっていることに童子はほっと息をついた。

 

「さて、薬箱を持ってきて帰るとするかね」
「うん」

差し出される手を握り返して嬉しそうに老人を振り仰ぎ歩く。
いつもの調子が戻ってきた童子を見て老人はひとつ笑うと、今度は振り向き真名を呼んで手を差し出す。
真名は急に差し出された手に驚いたように硬直するものの、ふっと大輪の花が咲くような微笑を見せると童子と同じように手を握り返した。

老人を真ん中に並んで歩く三つの影。
あと少し上杜の家につくまでの間、三人は楽しげに話しながら軽い足取りで森を下っていった。

 

 

 

その後姿を先程の眼が、静かに見守り続けていることに気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * * *

毎度お待たせいたして申し訳ないです。

また上杜の家に帰れなかった・・・orz
おかしいな、こんなはずじゃなかったんだけど。
予想以上に進行具合がおっそい!!!

森神の眷属・狼・・・出しちゃった★
あの子は『もののけ姫』のモロ様イメージです!!
でっかいわんこ!!!
根は優しくて、素敵な狼Vvv

さて、さっさと森神が出て来てくれりゃいいな。
あとどれくらいで終わるのかな〜?


新月鏡