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日が落ち、闇夜が巡り来る頃、ようやく上杜の屋敷へと戻った三人は、さらにやつれてしまった重久に迎えられた。
重久は童子がいなくなったことで、6年前と同じように二度と帰ってこないのではと、ひどくうろたえていたのだ。
急かすように中へ入ることを勧め、三人に温かいお茶を差し出せば、気も落ち着いたのだろう、先刻より穏やかな眼で三人に何があったのかを訊ねる。
話したいことが山ほどあると言わんばかりに、真名が一気に話し出してしまうと、重久はひとつ大きなため息をついて、身体の力が抜けてしまったようにその場にへたり込んだ。

 

「あぁ、よかった、本当に無事で何よりだ。そちらの子が消えてしまったときは、血の気が失せてしまったよ。稽古帰りに行方知れずになった私の娘のように、その子も行方知れずになっていたらと思うと・・・。薬屋の・・・本当にすまぬ」
「済んだことをとやかく言うつもりはないさ。皆無事だった、それで良いじゃないかね」

低く頭を垂れて謝罪の意を述べる重久に、老人は柔らかな声で重久を包み込む。
そんな二人のやり取りを見て、真名はすっくと立って重久を叱咤しにかかった。
まったくこれだからおじい様は。もっと強気でいなくてどうするの?!と苛立つままに声を強めて言い放つ。
およそ孫が祖父に言うセリフではなく、まるで母親が子供を叱るような言い回しで真名が重久を叱咤する様は、その気迫に驚いて童子が老人の背中へと隠れてしまうほどだった。

「まぁまぁ、真名さんや、その辺で良いんじゃないかね?重久殿もわかってはいるだろうさ」

そう言って老人は苛立っている真名を鎮め、さて、と一言置くと、傍らに置いてあった薬箱を背負う。
老人が立つのに合わせて童子も立つと、着たままであった老人の上着がひらりとはためいた。

「それじゃぁ重久殿、ここらで帰るとするよ」
「夕飯も済まさず行くのか、薬屋の?」

そのまま今日は泊まるのだと思い込んでいた重久は、老人の言葉に驚いた。
あまりの重久の驚きように少々悪い気はしたが、傍らに立つ童子を思うと、区切りをつけるように深く瞬きをひとつする。

 

 

「あぁ、すまないね。しかしあまり長居はでき・・・」
「おい!上杜重久!!」

老人が柔らかに、それでもしっかりと言い切る前に、突然けたたましい声と共に扉が開かれた。
凄まじい勢いで開かれた扉は軋む音を伴って溝から逸れてしまい、砂埃を撒き散らしながら手前に倒れてしまった。
視界を奪う砂埃がまだ治まらぬうちに、複数の影はその砂埃を切るように姿を現し、重久を見つけるなりきつく睨みつける。
見るからに柄の悪そうな男たちは無遠慮に上がりこみ、重久の胸倉を掴み上げると、鼓膜が破れそうなほどの大きな怒声を浴びせかけた。

「いい加減逆らうんじゃねぇ!!いちいちここになんざ来たくねぇんだよ!!さっさと諦めた方が身のためだってわかんねぇのか、あぁ?!」

投げ捨てるように重久を壁へ打ち付け、掴んだままの手を引き寄せて、空いている片腕を振り上げる。

「やめて!!」

重久を殴りつけようと振り上げられた腕に真名がしがみ付いて押し留めるが、乱暴に振り回されて敢え無く引き剥がされる。
放り出された勢いで床にしたたかに打ち付けられると、真名はぐったりとしたまま気絶してしまった。
慌てたように気絶してしまった孫の名を苦しげに呼び続ける重久を煩わしげに見下ろすと、男は苛立ちを隠さぬままに拳を重久の頬へと叩き込む。
一瞬視界が真っ白になるほどの威力で殴られた重久は、その衝撃のあまりの強さに眩暈を起こし、対抗する気力など起きるはずなく吐き気を耐えるだけで精一杯だった。
ぜいぜいとのどを鳴らし、空気を求めるように呼吸を繰り返すその姿すら男の神経を逆撫でするのか、先ほどよりさらに顔を歪ませて再び勢いよく拳を振り下ろす。
その迫る拳に、重久はぎゅっと目を瞑り、起こるであろう痛みを思って歯を喰いしばる。

 

が、その拳は目的の対象に届く前に、ぱしんという音を立てて別の掌に包まれ遮られた。

「だっ・・・誰だ?!役人の邪魔するとどうなるかわかってんのか?!!」

男は自分の目的を阻止した人物へ、驚きを隠すように慌ててドスの効いた声を上げて睨みつける。
その視線の先は老人が男の暴言など気にも留めず穏やかに佇み、柔和な面持ちでいとも容易く屈強な男の拳をとめて見せていた。
呆気にとられていた男に、老人はここぞとばかりに瞬間的に手に力を込める。
ぼきりと鳴る嫌な音と、老人の体からは想像も出来ないほどの力に、ぎゃぁ、とわめく情けない声が交じり合う。

 

「もうそれで止めておかれるがよろしかろう」
「へぇ・・・」

柔らかにそれでも芯の通った声で老人が告げると、殴りつけようとしていた男は怒りに目をむき出し、きつく歯をかみ合わせ睨みつけてきた。
しかしその者が老人に目標を切り替える前に、別の役人の男が、入ってきた玄関口から吟味するように笑った。

「見たところあんた、そいつと仲がよさそうだが・・・どういった関係だい?」

片手を懐に突っ込んだまま、口元に嫌な笑みを浮かべてふらりふらりと歩み寄る。
そこらでわめき続ける男とは頭の出来が違うらしく、重久を庇う老人に何らかしらの関係性を見出したようだ。

「いやぁ、この御方はただのお客様ですよ。いつもご贔屓にしていただいて・・・今日も同じ肩こり・腰痛に効く薬を、と呼ばれましてね」

探るような視線をさらりと受けながら、『大事なお客様に怪我をさせられちゃぁ、商売上がったりですよ』と、老人はおっとりした口調のまま答えて返し、昏倒させられた真名をちらりと盗み見る。
浅く聴こえる呼吸に命の心配はないと踏み、視線を玄関先の役人へと向けて変わらぬ穏やかな顔をしてのける。

 

この場にはあまりにもそぐわぬ表情に、役人はへへっと下卑た笑いを一つ落とすと、何を思ったか話を切り替えてきた。

「そんなにご愛用だったら、その薬、俺の主にも売ってやってくれ。最近、どこぞの老いぼれのせいで大層疲れていらっしゃるようだからな」

いまだ息を整えきれずに床に伏している重久をまるでゴミでも見るかのように、横目でちらりと見やる。

「こりゃぁありがたい。暫しお待ちを・・・」
「いや、屋敷まで来てくれ。直に売ってもらいたい」

かたん、と薬箱を床に置き、中から薬を取り出そうとする老人を引きとめ、企みを含んだ眼で老人を見る。

 

「・・・左様で、では早速参りましょうか?」

一方老人は思ってもみない申し出に、内心くすりと笑みを漏らした。


重久との縁で巻き込まれたこの一件。
避けることはもう出来そうにない、と役人たちが乗り込んで来た瞬間に悟り、毒を喰らわば皿までとばかりに、こうなればとことん巻き込まれてみようかと思っていた矢先の出来事だった。

 

「おい、お前ら!何してやがる、さっさと帰るぞ!」
「へい!」

老人の物分りの良い返答ににやりと笑い、呻いたまま床に転がっているの男を蹴りつけ、壊れた玄関の戸を踏みつけてぞろぞろと出て行く。
蹴られた男は、老人を憎々しげに睨みつけ、腹を抱えるようにしてよろよろと後に続いて行った。
完全に役人たちが家の外に出たことを確認すると、老人は苦しげにしている重久の傍らにすばやく走り寄り、そっとその背を撫でてやる。
いまだのどを荒く鳴らしているところを見ると、殴られた衝撃は体に相当の負担をかけたらしい。
それでも懸命に吐き気に耐えながら自分より孫の真名を心配する重久に、老人はお前さんより大丈夫だと笑って応えた。

 

 

 

だんだん落ち着き痛みも引き始めた頃、老人は薬箱から一つの薬袋を取り出し重久に手渡す。

「重久殿、これを肌身離さず持っていてくだされ」
「っ・・・これ、は・・・?」

手渡された薬袋は、よく売られている薬の包みと全く同じ形状をしているが、ところどころに絵や文字のようなものが薄っすらと見え隠れしている。
黄色い地に黒の流麗な模様が散らばり、毒々しい色合い、それでいて心を強く支えるような印象を与える。
異質ながらも綺麗に折りたたまれたそれは、静かに重久の手の中に納まった。

「これは保険のようなものですよ。使う必要がなければよいが・・・」

ふわりと笑い、まるで茶化すように軽い口調で老人は言うが、その眼がその軽さを殺していた。
ここではない何処か別のものを見定めるような、鋭い眼で視線を流す老人を目の当たりにした重久は、ぞくりと背中を駆ける寒気に身震いする。

 

「では、これで失礼致しますよ・・・真名さんをしっかり見ていておやりなさい」
「薬屋の・・・」

とっさに言葉に詰まって声が出ない重久に、心配そうに翳る笑みを向けて老人が再度言葉を投げる。

「重ね重ね申し上げるが、それは決して手放されるな」
「あぁ、心得た」

離れてゆく手に、一抹の不安を抱きながら、それでも重久は固く頷き返す。
無力な自分が老人の足かせとなると分かっているなら尚のこと、無理をしている風に見えても、弱音を吐くわけにはいかなかった。
老人が望まぬ事態に巻き込まれ、それでも自分たちを助けようとしていることが、胸痛むほどに分かるからだ。

 

「気をつけて」

振り絞って声を出す。
唯一見送る言葉としてかけた声。
柔らかな笑顔で応えてくれる老人に、重久はどうしようもないほど申し訳なく感じて目頭が熱くなる。

「そちらもな」

穏やかな声色はいつもと変わらず飄々として、気遣う言葉を返してくれる。
玄関口に消えてゆく二つの後姿に、重久はひっそりと涙を落とした。

 

 

 

 

 

 

-続-

 

 

 

* * * *

06.4.29 (Sat)〜06.12.28 (Thu) 現在

 

ほとんど6ヶ月ぶりですみません・・・orz

完全に凍結状態でした
言い訳はしません、これから頑張ります!!

何だか今回のこの話は書きづらくて仕方なかったです (はっ煤I!言い訳だ!)
役人らがウザ過ぎて、暴走しすぎて・・・ってか暴力シーンは表現が難しい
さらに薬売りの幼少の頃の話・・・なはずが、ご老人の友情劇になってしまった・・・ははは(苦笑)
爺さん好きです!ごめんなさい!!

これから色々散りばめて、ちらりちらりと謎解きできたらいいなと思います
まだ謎すら出てないしな!
あ、出たか・・・真名さんが
とりあえず最低でも月1回は更新していく所存です
鈍足・気まぐれ全開ですが、気長にお付き合いくださると嬉しく思います


新月鏡