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にぎやかな町並みを見渡せば、自然と心も活気付く。
八百屋や呉服屋、その他色々な店の呼び込む声はよく透り、今日のお目当てを買い求める者と商人の交渉があちらこちらで飛び交う。
行きかう人々はひっきりなしで目の回るような人ごみの中、不思議と眼を引く独特な装飾を施された木箱が単調な拍で上下していた。
木箱を担いでいるのは老人で、歩く足取りに歳を感じさせるものはなく、その柔和な面持ちから人のよさそうな人柄と窺える。

 

「おう、薬屋の爺ちゃん、久しぶりじゃねぇか。これから仕事かい?」

歩く老人にふと明るい声がかかる。
若いながらも立派にこの街で医者をやっている者で、医者と薬屋という関係上よくよく面識のある青年だった。
医者としての腕はこの街随一と謳われているが、彼の父親から言わせてみればまだまだだと、彼の家へ招かれる度に聞かされていた。

「あぁ、これから町外れの“上杜”って家まで行くんだよ」

何気ない軽い挨拶を交わしているはずだったが、青年は老人の言葉を聴いて小さく眉根を寄せ、苦い表情を見せる。

 

「爺ちゃん、厄介な時期に来たなぁ・・・」
「あそこの者とはちょっとした縁でな、仕方ない。なぁに、すぐ済むさ」

青年の言わんとしていることを遮り、老人は朗らかに笑って返す。

 

 

 

知らないわけではなかった。

 

この町のお役人たちと常に対立しあっているという話はよく耳にしていて、最近“上杜”側が不利な状況へと追い込まれているということも、事の発端が『今』と『昔』の思考の差より生じてしまっていることもよくわかっている。
“上杜”の者には昔から古い言い伝えがあり、それを護り続けるのが役目なのだと“上杜”の知人は言う。
何を護り続けるのか、どういった言い伝えなのかは知らないが、それが町の役人たちとの対立の原因であることは明白であった。
しかし老人が“上杜”と関係のない以上、それは特に口を挟むことでもない。

 

いつものように飄々とした態度で笑う老人に、青年は余計なことだったと苦笑交じりに笑い返す。

 

 

 

「爺さん!!」

ざわめく人々の雑音の中、まだ幼い声が老人を呼ぶ。
振り返る視線の先、雑踏を縫うように駆け寄ってくる子供の姿が飛び込んでくると、次の瞬間には軽い衝撃と共に小柄な身体が老人の足にぶち当たった。
とっさに差し出される手に支えられながら、手に持った籠から零れ落ちそうになる草や根を慌てて抑える。

「爺さん、これでよかった?」

傾いでいた身体を起こした童子は籠を差し出し、老人を仰ぎ見るとおもむろに問うた。

「おぉ、よぅよぅ採って来たのう。どれも正解だ」

問いかける童子に老人は笑って、小さな頭を軽く撫でる。
老人の褒める声と撫でられる手の心地よさに童子も小さく笑い、得意げに籠を抱えなおした。

 

二人の和やかな雰囲気の中に、今度は青年が疑問を抱いて老人に問う。

「爺ちゃんって、孫とかいたっけか?」

そう、青年が抱いた疑問とは突如雑踏から現れた童子と薬売りの老人との関係だった。
今までこの老人が訪れるときは必ず一人であったし、親戚等の話も聴いたことがなく、まして目の前に孫のように扱う童子を見ては疑問を抱かずにはいられない。
さらにその童子は老人と外見的な類似などなく、孫だと言われても信じられないくらいだった。

 

「この子は3年前に引き取ったんだ。今では孫同然に思うておるよ」
「つまり孤児ってヤツかぃ?」

青年の言葉を聴いた瞬間、老人は耐え切れなくなったように笑い、頭を振ってみせる。

「この子はな、神風の子なのさ。神風に護られて儂のトコまで連れてこられたんだ」
「・・・また爺ちゃんの空言が始まった・・・」
「そう思うなら思うておればいい。儂には曲げようのない真実としか言いようがない」

 

この老人が語ることを大抵の人間は『気が狂った』『空言』『虚言』など、さまざまな言い方で聴こうとしなかった。
老人が説く言葉は誰にも届かず、こうしてあしらわれるしかない。
古き事柄を受け入れ、それがいかに重要なことであったかと話しても、聴く側が聴こうとしないのではそれは意味のなさないことである。

「で?どうして『神風』なんてまた、たいそうな言い回しを思いついたんだぃ?」

そんな者たちの中、からかうように訊ねはするが、この青年は他の者より多少身を入れて聴いてくる。
あらゆることに視野を広げたいのだと彼は語り、老人の話を聴くことも何かと役に立つのではと考えているかららしい。
そんな青年の態度に、聴くものあれば答えるが道理、と言わんばかりに老人も青年に話しをし始めた。

 

「風のないはずの夜明けにな、扉をひどく風が叩くので思い切って開けてみれば、そこにこの子がおったのさ。その晩の嵐は凄まじかったんだ、童一人が出歩けるものではない。衰弱してはいたものの、何かに護られていたとしか考えられんよ」

慈しむように視線を投げ、童子の頭においたままの手で再び髪をなでる。
老人が撫でるたびに視界の端で揺れる自身のくすんだ金糸の髪に、童子は嬉しそうに笑い満足げな様子だった。
老人の語る事柄を素直に受け入れることは出来なくとも、老人が童子を本当の孫のように可愛がっていること、また童子が老人を祖父のように慕っていることも、青年は自然と見ていて感じ取れる。

 

 

「爺ちゃんは俺に見えていないものを見てるんだな」

そう言葉を音に落として青年は微笑み、納得したように何度も頷く。
しかし手に持っていた本へと視線が行くと、不意に用事を思い出したのか「話の続きはまた」と言って慌てたように仕事場へと帰って行った。
そんな青年を童子が傍らで不思議そうな顔をして見ていたが、老人は青年の去った後を柔らかに見つめていた。

 

 

 

「爺さん、俺たちもさっさと仕事終わらせて帰ろう?」

童子が裾を引き、ぼうっとしている老人を促す。


「そうだねぇ」

先ほどと変わらぬ微笑を浮かべて、老人は再び童子の頭をひと撫ですると、町の外れを目指して歩き始めた。