誰もいない部屋の中。
僕は最大の難問に悩まされていた。
テーブルには小さな包みが一つ。
可愛らしいラッピングがされていて、ハートマークのシールに流麗な英文が綴られている。

――――“St. Valentine’s Day”

それが僕を悩ますことになるなんて、それを手にしたときには欠片も思わなかった。

 

 

 

「贈る気持ち」

 

 

 

小さな箱とにらみ合いを続けること、かれこれ数時間。
帰宅してからずっとこうしている気がする。

 

朝はいつもどおりカルマンに起こしてもらって、寝ぼけ眼でルルゥの後姿を見送った。
そしていつもどおり朝食を摂り、会話をして、互いに家を後にした。
ルルゥは楽しそうに予備校に通い、4月から始まる小学校の始業式に向けて猛勉強中。
カルマンはというと、現在カイの経営している『OMORO』で働いている。

そして僕は真央の父親が経営しているという不動産会社で働かせてもらっている。
柄の悪そうな体格の良い男たちが裏でいろいろやっているようだが、僕に与えられた役職は事務的なものだったので案外普通だった。
それに同僚の奴らが一見柄が悪そうだといっても、結構いい人たちだったりするから驚いたものだ。
加えて入社の際真央が色々手配してくれたのか、一般社員と比べて格段に優遇され、大概5時過ぎには帰宅させてくれる。
居残る同僚たちには悪いと思うのだが、まだ慣れていないので手伝えることも少なかったので、契約どおり5時に帰宅の用意をし始めた。

 

そんな時だ。
真央がこそこそとこっちへやってきたかと思えば、急に人攫いさながらの鮮やかな身のこなしで僕を個室へ引き込んだ。


「な、何だ?」
「モーゼス、あんた今日って何の日か知ってる?」
「・・・いや、何か・・・大事な日だったか?」


ものすごい剣幕(脅迫まがいに僕の胸倉を掴んでいる状態)で、真央は僕にそう訊いた。
僕には真央の意図がさっぱりわからなくて、何かあっただろうかと必死で思考をめぐらせた。


誰かの誕生日・・・でもないし、何かの記念日・・・でもない。


途方に暮れたようにう〜んと唸っていると、やっぱりね、と真央が小さく零した。


「もしかして、と思って声をかけて正解だったわけね」
「・・・何のことだ?」
「今日は2月14日なの」
「あぁ、2月14日だ・・・それがどうした?」
「バレンタインよ、バレンタイン!あんた、周りがそんな雰囲気なのわからないの?」


きょとんとしたように小首を傾げる僕に、真央はげんなりといった様子ではぁっと重いため息をついた。

 

「バレンタイン・・・?あぁ、女の子がチョコレートをあげる日のことか」
「そ、好きな人にチョコレート渡して告白する日よ」


互いのバレンタインデーの認識が正しいかわからないが、ようやく理解を示した僕に、真央は気を取り直したように腕を組んで仁王立ちになる。
血筋のせいか彼女はものすごく威圧感を伴うので、はっきり言って怖い。

 

「で、あんたはあの赤メガネに何か用意してんの?」
「赤・・・何故そこでカルマンが出て来るんだ」
「だって、あんたら付き合ってるんでしょ?小夜から聴いたわ」
「・・・へ?」
「あ、気にしないで、私そういうのむしろ応援してるから」
「っちょ・・・ちょっと待ってくれ!何でそれとバレンタインが関係あるんだ?」


一方的に話す真央を片手を挙げて止めると、僕は混乱する頭を冷やそうと慌てた。
真央の『むしろ応援してる』というセリフに違和感を感じながらも、とりあえず話の整理を試みる。

 

「だから、好きなんでしょ?恋人ならチョコのひとつやふたつ用意してあげるってのが普通じゃない?」
「・・・それは、あいつじゃなくて僕が用意するべきなのか?」
「うん、私にはそう見えるんだけど」


『恋人』という単語に何故か熱が駆けて、仄かに頬に朱が奔る。
その熱を手の甲で拭い隠しながら、会話の流れを読み取っていく。
まだ完全に真央がそう言う理由がわからないが、とりあえずバレンタインというイベントをこなさなければいけないらしい。

 

そうか、と呟きながら首を捻っていると、ずいっと眼前に紙袋が寄こされる。


「・・・これは?」
「用意してないんじゃないかと思って、私が用意してあげたチョコよ」


準備が良いな、と寄こされるままに受け取ってしみじみと思う。
面倒見がいいというか、世話焼きというか。


「それ渡してやれば喜ぶんじゃない?あの赤メガネって単純そうだもん」
「そう、かな・・・」


確かに単純なのだが、こうもすっぱり言われると何だか可哀想に思えてくる。
その一方、カルマンに対する真央の認識が何となくわかって、思わず笑ってしまった。

 

「わかった、とりあえず渡せばいいんだな」
「あ、それだけじゃダメだからね」
「?」


もらった紙袋を片手に踵を返し、ドアを開けようとノブに手をかけると、後ろから鋭い声が僕を止めた。
不思議そうに振り返れば、楽しそうな明るい笑顔とかち合って。

 

「バレンタインデーは、告白あってのイベントなんだから」


そう言って不敵な笑みで釘を刺す真央に、僕はやはり恐怖を覚えた。

 

 

 

 

 

そして冒頭に舞い戻る。

まだ誰も帰ってない部屋で、早々に帰宅した僕はたったひとり、眼の前にちょこんと置かれている小さな箱と対峙していた。
渡すだけなら簡単。

だが、


『バレンタインデーは、告白あってのイベントなんだから』


真央のあの最後の言葉に、僕はどれだけ沈んだことだろう。


「告白って言ったって、なんて言えばいいんだ・・・」


そう、そればかりが僕を悩ませ続けていた。
たった一言にどう気持ちを込めて贈ればいいだろう。

 

1. 好きだよ
2. いつもありがとう
3. ・・・愛して、る?

いや、3は言いすぎじゃないだろうか
ドラマの見すぎなのかもしれない
というより言わなきゃならない僕自身が気恥ずかしい
選ぶなら2が自然か・・・いや・・・告白なら1・・・か?

 

そうやって浮かべる言葉に片っ端からうんうん唸って、ぐらぐらと思考を煮えたぎらせる。
2人が帰ってくるまであと1時間もない。
いまだ決まらない告白に、僕は心の底から泣きそうになった。
いつもならいろんな言葉が出てくるのに、こんなときに限って欠片すら掴めない。
ありきたりな表現以外に何か、と必死で考え続けるものの、やっぱりそれ以外出てこなくて。


「どうすれば・・・」


気付けば頭を抱えて完全に半泣き状態に入り、ぐすぐすとぐずっていた。
人間、本気で困ると泣いてしまうのだろうか。
冷静に観察する自分がいながら、当事者である僕は情けないほど弱り果てていて。
想いばかりが形にならずふわりふわりと浮いているだけだった。


「カルマン・・・」
「ん、どうした?」
「あぁ、聴いてく・・・」


――――・・・は?


「・・・モーゼス?」


おーい、と僕の眼前で手をひらひらさせ覗き込むのは紛れもない想い人。
あまりに自然な流れで会話が成立してしまって、何故彼がここにいるのか理解できず言葉が消失し、その突然さに僕は硬直してしまった。

 

「・・・お」
「お?」
「・・・おかえり」
「おぅ、ただいま」


凍りついた口からぎくしゃくとした挨拶がころりと零れ落ちた。
だが、僕の小さな声に耳をそばだてて聴いていたカルマンは、そんな僕の変化など気にせず、にっこり笑って返してくれた。
それだけで凍りついた身体が溶け始めて、胸いっぱいに暖かな気持ちが溢れ返る。
そうして心地よい感覚に眼を細めていると、その目尻をすっと優しい指先がなぞり上げた。


「お前、泣いてたのか?」
「っ・・・馬鹿を、言え!泣くわけ・・・ないだろう」
「ん〜、そうか?まぁそれならいいんだけどな」


『無理するなよ』と頭を撫でられてしまえば、僕はもう自分を戒めるなんて出来なかった。

 

優しいこの手が好き

まっすぐなこの言葉が好き

彼なりに気付こうとしてくれる、その眼差しが好き


それ以外想うことなんて何一つなかった。

 

キッチンへさっさと消えてしまった姿を追って、勢いよく立ち上がれば、がたんと盛大な音を立てて椅子が非難の声をあげる。


「うわっ」


倒れそうになる椅子を慌てて支えて、同じく脚に引っかかって倒れそうな体勢の立て直しを試みる。
が、しかし、身体の方は間に合わず、ぐらっと揺れる視界。
半拍遅れて訪れる衝撃に息がつまりそうになって、床に打ちつけた背中がじんじんと痛みを訴えてきた。
さらに上から顔めがけて小さな箱が降ってきて、こつんと僕にぶち当たると見事な宙返りを見せて床の上に鎮座する。


「ったぁ〜・・・」
「お前っ、何やってんだ!」


慌しい物音にキッチンへ姿を消してたカルマンが、血相変えて飛んできた。
抱き上げるように起こされて、赤くなっている額を何度も撫でられる。
『平気だ』と返したいのは山々だったのだが、どうもその手と腕の中が居心地が良くて離れられない。


「・・・モーゼス、お前・・・今日変だぞ?」


気遣わしげな視線にぐっと胸を締め付けられて、僕は再び熱くなる目頭をぎゅっと瞑った。
そして傍らに転げ落ちてきた小さな箱を手に取り、ぐいっと押し出すような形で差し出す。

 

「これ、カルマンにあげる」
「何だよ急に・・・」
「いいから、何も言わずに貰ってほしい」
「?・・・わかった」


納得いかないのだろう、カルマンは小さく小首を傾げながら片手で僕を支えたまま、それでも僕が押し付けた包みを手に取ってくれた。
一方僕はというと、支えられていることをいいことに、ぎゅっと縋りつくように抱きついてみた。
すると僕の唐突な行動に、彼は片手に箱を持ったまま硬直してしまって。
そんな彼を見ているとくすぐったい感情に囚われて、頬を彩る淡い紅色を隠すため胸に耳を押し付ければ、一定の拍動が音になって僕の中を駆け巡る。


「カルマンの心臓、ドキドキしてる」
「・・・いきなり抱きついてくるからだろうが!」
「温かい・・・」
「お前も温かいだろ」
「うん・・・」


照れ隠しにそっぽを向いてしまっても、抱きとめてくれてる手は離れることはなくて。
暖かな空気だけが僕らを包んでくれているよう。

 

早鳴りの心音が心地よくて
触れた場所から混じり合う体温が愛しくて


――――・・・あぁ、やっぱり僕は・・・


「好きだよ、カルマン」


穏やかな気持ちのまま、口から出た言葉は甘く囁くような声色。
そっと見上げてみれば、顔を真っ赤にして驚く彼の表情。
可愛いなぁと思いながらくすっと小さく微笑むと、さらに想いが溢れて。


「お前に逢えてよかった」


贈る言葉と共にぎゅっとより一層抱きしめる。
この温かな熱が、僕の中に溶けてしまえばいいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆おまけなSS◆

 

 

 

 

* * * *

2007/02/14 (Wed)


バレンタイン小説を書いてみました。
ものすごくべたべたに甘ったるいカルモゼ目指して・・・自ら頭を打ち付けたくなりますね。
見事なバカップルに成り上がりましたとさ★
カルモゼ大好きVv


*新月鏡*