「PILLOW DREAM」
響く靴音。 広い廊下の角を曲がると、暗がりの中に小さな人影を見る。 小柄な少年が背を向けたまま立っていた。 背中まで届くみつあみに結われた黒髪が小夜の靴音に反応して小さく揺れる。 「・・・どうしたの?」 ただその場に佇む少年に小夜は思わず声をかけた。 ゆっくりと振り返る少年の瞳は何かに怯えたように見えて、足早に距離をつめる。 「小夜・・・また長い間、眠ってしまうというのは本当ですか?」 「え?」 悲しげに伏せられた瞳に、発せられた言葉に、小夜は思わず歩みを止めた。 小夜が眠りにつくのは確かに周期的に起こりやすい時期に来ているが、そのことをこの少年に話したこともない。 まして、彼の目の前で長い眠りに落ちる姿もみせたことがない。 小夜がそういう種族だということも彼はきっと知らないのだと思っていた。 何故それを? 「・・・小夜・・・」 小さく掛けられる声に我に返る。 眼に映るのは自分の投げかけた言葉の真意を待っている少年。 信じたくないという気持ちでいるのだろう。 思いに縛られて動けないでいる少年を小夜はそっと抱きしめた。 「ハジ、誰にそれを聴いたのかは知らないけれど、悲しむことなどないわ」 ハジと呼ばれた少年は、小夜からの思わぬ抱擁に瞬間あせっていたが、耳に届く声の柔らかさに抵抗を失った。 訊きたいことさえ小夜の言葉に霧散してゆく。 「長いといっても人より少しだけ。そうね、ハジのチェロが上達するより早いかもしれないわよ?」 その言葉にハジは一気に赤面した。 最近小夜に教えられて始めたチェロ。 ちゃんとした音階すら小夜に納得してもらえるほどの滑らかな旋律が出ない。 本当に始めたばかりだったので、からかわれても何も言えなかった。 「だったら小夜が眠ってる間にたくさん練習して、貴女を驚かせてみせます!!」 抱かれた腕の中、勢いよく宣言するハジに小夜は自然と微笑む。 耳元に唇を寄せて『期待してるわ』と囁くと、小夜の腕の中の少年はより朱を差して返事をする声すら揺らいでしまっている。 その変化すらかわいらしく見えて、小夜は再び抱きしめた。
数時間後、小夜はハジの言うとおり、強い眠りに引き込まれた。 ベッドの上に横たわったときには抵抗する意思さえ弱まってしまう。 「小夜」 呼びかける人の声すらもう判断がつかないほどに意識が急速に薄らいでゆく。 去ってゆく現実を繋ぎ止めるのは、微かに聴こえるまだ幼い子供の声。 眠りに落ちて次に目覚めたときも、この少年は変わらずにいるだろうか? 何より、彼が生きている間に再び目覚めることができるかどうかさえ危うい。 こうやって眠りにつくことを思うたび、人の命と自分の命の長さを思い知る。 目覚めたときにはもう失われていた人たち。 出会うことに恐怖を抱くのは、きっとその現実を知ることが怖いから。 彼もそうならないとは限らない。 「・・・ハジ・・・お願い・・・待ってて・・・」 音となって伝わったかどうかわからないほどの微かな声で願いを口にして、小夜は静かに眠りについた。
「・・・小夜」 規則正しく上下する胸元で組まれた少女の両手に自分の手を重ねる。 彼女が最後に自分に向けて言った言葉を心に反芻しながら、伏せがちに眼を細めて名を呼んだ。 その声に目覚める気配はなく、ただ静寂があるだけだった。 「やっぱり眠ってしまったのね」 不意に現れた声に驚いて振り返ると、ドアの側に二人の人物が立っていた。 ドアの開く音すら全くなく、始めからそこにいたかのように。 一人は小夜と瓜二つの少女。 もう一人は存在感のある威厳を形にしたような、ハジからしてみれば叔父と同じくらいの年齢の男性だった。 「ディーヴァ」 「ね、言ったとおりでしょう?小夜は眠りをコントロールできないから、誰かが見てないといきなり倒れてしまうのよ」 心配そうに横たわり眠り続ける小夜に近づいた後、その傍らに佇むハジに独り言のように話しかけた。 この小夜と瓜二つの少女はディーヴァと呼ばれ、小夜の妹に当たる人物であり、遠く離れた場所に住む小夜を心配して来たのだと言っていた。 小夜にそっくりなので偽っていると思うこともなく、ハジは彼女から小夜が近々眠るということを聴いてあの日、本人に訊ねたのだ。 「しばらく寂しくなるわね」 気遣うように声を掛けられてハジは反射的に頭を振った。 「いいえ、小夜と約束したので・・・」 何を?と問うディーヴァにハジは少し恥ずかしそうにその内容を話した。 ――――小夜が目覚めるまでにチェロを上手くなる そして小夜を驚かすのだ、と言うハジにディーヴァは笑って『そうね』と返した。
純粋なまでにまっすぐなその想いに、心の中に小さく何かが芽生えるのをディーヴァは感じる。 恋愛感情ではない、もっと黒い想い。 残虐な本性を持つ彼女が抱く感情。 「小夜も無事だとわかったから帰るわね」 それを上手く隠してディーヴァは微笑みそう言うと、ハジは頷いて見送りについてゆく。 長い廊下を他愛もない会話を連れて歩く。 玄関先まで着き、馬車に乗り込む寸前に彼女は振り向きハジに向かって笑って言った。 「あと7・8年したらまた会いに来るわ・・・貴方に」 思わぬ彼女の言葉にハジは驚き、その意味が読み取れずに困ったように笑うしかない。 しかしディーヴァは気にした風もなく、その意味深な言葉を残してハジの視界から消え、彼女を乗せた馬車はゆっくりと去っていった。 ハジはそれを不思議な気持ちで見送った。 その馬車の中でディーヴァが織り上げる思いを知らぬまま。
『アンシェル・・・私、彼を私のものにするわ』 ――――小夜はどんな表情をするかしら?
穏やかな日差し。 緩やかな風の流れに促されて長い眠りは終わりを告げる。 覚醒へと導かれるように穏やかな光が身体に降り注いでいた。 目覚めた視界に映るのはあの日と変わらぬ部屋の天井。 身を沈めたベッドの柔らかさにしばらくまどろみを味わい、寝返りをうつ。 鳥のさえずる音と鮮やかな木々の緑が窓の縁から映し出されて、心が安らぐのを感じる。 ――――どれほど眠っていたのだろう? まどろみが再び眠りを呼ぶ気配はなく、小夜は静かに寝台から抜け出した。 時がどれほど過ぎたのかわからず、変わらない時を刻む秒針の音だけが響く。 まだはっきりと機能しない思考に無意識が働きかけて、ふらふらとした足取りで部屋をあとにする。 広く長い廊下には誰かがいる気配もない。 しんと静まった屋敷に不安を覚える。 「まぁ、小夜様!!」 突然の背後からの声に驚いて慌てて振り向くと、使用人らしき人物がそちらも驚いたように口元に手を当てて立っていた。 取り落としそうになった水差しをしっかりと抱えなおして、恐る恐る歩み寄ってくる。 「お目覚めになられたのですね・・・。あ、こうしてはいられないわ!!」 小夜を幻ではないと確認したあと、使用人の女性はくるっと踵を返して足早に去っていった。 おそらく誰かに知らせに行ったのだろう。 あまりの行動の早さにあれからどれほど経ったのかを訊き忘れてしまった。 そのままその場に立ってるわけにもいかず、これといった当てもないが、足が自然と向くに任せて静かな屋敷の中を歩く。 しばらくすると中庭へと続く廊下に行き当たり、その中庭から密かに人の声が複数聴こえてきたため、引き寄せられるようにその声のする方へと進む。 角を曲がればその先には、柱に隠れるようにして身を寄せ合っている使用人の女性たち。 時折小さくきゃあきゃあ言い合っては黙って前方を眺める、を繰り返している。 何があるのかと不思議に思って小夜がその集団へと少しずつ近づいて行くと、彼女たちの視線の先に一人の青年の姿を見る。 その青年は執事と何事かを話し合っているようだった。 この場に彼女たちがいることなど、きっと欠片も気付いていないのだろう。 よくよく見れば確かに整った顔立ちだろうと感じさせ、纏う黒を基調とした服が色の白い肌に良く似合う。 こちらにやや背を向けた形で立っていたため小夜にはそれ以上の容姿はわからなかった。 肩まで伸ばされた黒い髪が吹きつける風にふわりと揺れ、その風に乱された髪を整える指先の流れの優雅さに、影で熱い視線を送る彼女たちはさらに声を上げる。 先ほどよりやや甲高く発せられた彼女たちの声にさすがに気付いたのか、見れば驚いたような表情で青年は呆気にとられている。 使用人の女たちは彼の目線がこちら側に向いたことに騒ぎ立てて小突き合う。 小夜はそんな光景に興味を失って、音もなく踵を返すともと来た道を戻り始めた。 鮮やかな中庭を背に暗がりの廊下を目指して。 まだ耳に届く明るい声が一際鮮明に聴こえた時。 「小夜!!目覚めたんですね!!」 背後から掛かる低い声に、掴まれた腕に、小夜は驚いて振り返る。 振り返った視線の先には先ほどの青年。 知らない声。 知らない人。 屋敷にはたくさんの使用人がいるため、その中の誰かかと思ったが、そうだとするなら小夜を呼び捨てにして声をかけてくることはありえない。 「・・・誰?」 訝しげに小さく問い、逃げるように腕を振り解こうと引くが、青年は離してくれる気が全くない。 小夜の小さな問いに青年は少し戸惑ったような表情をし、怯えたように構える小夜に柔らかく笑ってみせた。 「あれから7年・・・わからないのも無理はありません」 懐かしむように、愛おしむように細められた眼に小夜は不思議とその青年から離れる意思を失っていた。 「小夜、覚えてますか?貴女が眠りにつく前に残した言葉を・・・」 戸惑う小夜に出来るだけ優しい声色で届けられる言葉。 記憶にはない声色。 けれどもそれは決して小夜を不快にさせることはなく、むしろ穏やかにさせる。 ――――眠りに落ちるその前に口にした言葉? 眠りの中に忘れてきた記憶を可能な限りの速さで引き戻す。 「ずっと貴女を待っていた・・・小夜・・・」 その言葉を聴いた瞬間、小夜の中で何かが弾けたように急激に記憶が舞い戻る。 眠りにつく自身。 その両手に重ねられたまだ幼い手。 薄れる意識から傍らの存在に紡ぐ儚い願い。
『・・・お願い・・・待ってて・・・』
――――私が目覚めるまで・・・
「・・・ハジ・・・?」 瞬間的に鮮明になった記憶と今ある現実に半信半疑で問いかける。 信じられない気持ちでいっぱいだった。 そんな小夜の消え入りそうな声が口にする音に、自分を捕らえる青年は華やかに微笑む。 その笑顔が何より真実で、小夜は思わず口元を覆って泣き出しそうになる自分を押さえ込んだ。 幼い面影はもう見えず、眼に映るのはすっかり男性となってしまった人。 耳に響く声色は低く、口調や動作が紳士的になって、背の高さもとうに小夜を追い越して。 周りの女性たちから誘われていたとしてもおかしくはないほどに見違える姿。 『ずっと貴女を待っていた』 変わらないのは言葉に込められた想いとそのまっすぐな心だけ。 空白の7年が築き上げた時軸の違い。 「泣かないで、小夜。貴女を泣かせたくて待っていたのではないのだから」 その声に小夜は初めて自分が泣いていることに気付いた。 頬に添えられた指先に伝う涙。 ためらいがちに抱きしめられて、心につかえていたものが溢れ出す。 堰を切ったように流れ出す涙は止まらなくて、悲しさで泣くのかそうでないのかさえわからない。 「小夜・・・どうかもう泣かないで・・・」 困惑した声と共に優しく目元を唇で拭われて、小夜は思わず眼を閉じた。 それが何かの儀式のように繰り返されると、あの感情の荒波が嘘のように次第に涙は消えてゆく。 「・・・ごめんなさい・・・」 頬に朱を差してうつむいたまま小夜は小さく謝罪の言葉を口にした。 冷静を得た意識が先ほどまでの行動に対して責め立てていたため、無意識からの言葉だった。 小夜のそんな言動にハジは微かに微笑んで改めて腕の中の少女を抱きしめる。 決して小夜を傷つけることのない優しい抱擁。 擦り寄るように頬を寄せて、耳元で囁かれるハジの声に小夜は一気に赤面した。 「っ・・・ハジ!!」 思わず声を荒げて距離を取る。 いったいどこでそんなセリフを覚えてきたのか、と熱を帯びる頬に手を当てて身を構えた。 耳まで赤く染まってしまっているのではないだろうか。 ハジの表情はからかっている風にも取れなくて、小夜は目線すら合わせられなくなっていた。 自分が眠っている間に成長してしまった自分の知らない彼が掴めなくて、彼の行動から言動全てにおいて驚かずにはいられない。 「私が眠ってる間に、ハジって私の知らない人になってしまったのね」 やけになって小さな抵抗を試みる。 ひねくれたように告げられた言葉にハジは笑って軽やかに返す。 「では、この7年間の私を今からゆっくりと知ってください」 次の眠りまでは時間がある。 きっとそれは7年なんて時間の距離など小さなものに思えるほどに。 差し出された手をとればその先には柔らかな微笑み。 小夜は誘われるように引き寄せられ、改めて自分の想いに気付く。 ――――『待ってて・・・』、そう言ったのはこうなるとわかっていたから? ハジに気付かれないように自らを問う。 問うたところで答えが出るはずもなく、小夜はその問いを振り切るように傍らの存在を見上げる。 視線が合えば自然と笑みがこぼれた。 耳元で囁かれた彼の声が、言葉が全て偽りのない真実に思えて。 胸の内に暖かな気持ちが溢れ、小夜は軽い足取りで中庭へと歩みを進めた。
その後、二人のやり取りを全て見ていた使用人の女性たちが騒ぎ立てて、屋敷内に知れ渡ることになるのだが二人が知る由もなく。 また、ディーヴァの来訪により穏やかなこのときが束の間のものになることも、そう遠くはない出来事だった。
『・・・ごめんなさい・・・』
――――構いません、貴女なら・・・全てが愛しいものに想えるのだから・・・
* * * * 2006/03/11 (Sat) えぇっと、辰砂さん、初キリリクありがとうございました〜☆!!! キーワードは『子ハジ』と『ディーヴァ』ってことでこんなのになりました。 風邪引きさんな子供ハジとか色々あったのですが、あのなんともいえない予告が頭から離れずこんなことに・・・orz ラストの締めがこんなぐだぐだで申し訳ない。 この後、ディーヴァによって『わすれな草の伝説』編に突入です。 書きませんけど、伝わってると信じてます★!! それよりも、えらいぎこちないハジ小夜ですみません。 もう新月いっぱいいっぱいなんです!! そんなにラブいの書いたことないんで・・・。 こんなのでよろしければもらってやってください。 あとちょっとしたおまけみたいなのあります。よければどうぞ →☆ 返品可です!!書き直せとかでもOKです!! 全て、貴女の望むがままに。 By どっかの誰かさんっぽく。 新月鏡
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