X
「彼は貴女のせいでここまで無力に成り下がったのよ」
ソロモンに支えられつつぐったりとしたままのハジを見て少女は悔しげに唇を噛み、憎悪にも似た感情で小夜を睨む。
その視線に晒されつつ、小夜の意識は突きつけられた言葉に捕らわれていた。
「・・・小夜、惑わされては、いけない」
ハジが振り絞るように言葉を投げかけるが、今の小夜には届かない。
少女に魅入られたかのように、指先ひとつ動かさずただ少女を凝視し続ける。
「ずっと夢の中で貴女を見続けてきたわ。カールが執着するあのベトナム戦争があった夜。あの日、深手を負った私たちは貴女たちが共に消息知れずになったと知って、
行動には出さず力を温存することに決めたの。・・・貴女は『赤い盾』に回収されそのまま眠りについた・・・全てを忘れて」
真実を述べる少女は過去を眺めやるように虚空を見つめる。
彼女の声はやはり澄んでいて、その澄み切った声がもたらす重々しい実話が、彼女の憎悪をより鮮明にさせる。
「その間、彼はどうしていたと思う?眠り続け、目覚めれば別の場所で幸福そうに生きてきた貴女にわかるの?」
彼女は問う。
小夜は理解しているのか、と。
記憶がないという言葉だけでは逃れられない現実に、いったいどうするのか、と。
言葉の刃が光を帯びて小夜を責める。
「貴女が『家族』などという狂気にひったっている間、彼はずっと探し続けていたのよ。気の遠くなるような時間を、たった独りで。・・・サヤ、
貴女は彼に会ったとき何をしたか覚えてる?自分だけが傷ついたような眼で彼を責めたりしなかった?何気ない言葉で彼を非難したりしなかった?・・・貴女独り、幸福な狂気に還りたいなどと言わなかった?」
その言葉を聴いたとたん、小夜は硬直状態から開放され、それと引き換えに眼に見えない咎めの重力が一気に小夜に押しかかる。
震える我が身を抱きかかえ、見開いた瞳孔には恐怖の念が渦巻く。
考えたこともなかった、小夜は自身のことで精一杯だったため、まわりを考える余裕が全くなかったのだ。
しかし、少女に言わせるとそれは逃げる口実にも何にもなりはしない。
咽喉元に突きつけられた言葉の刃は、小夜の精神を大きく揺さぶり、闘争心から引き離してゆく。
戦意を喪失し恐怖に囚われた小夜の瞳は深紅の色を失い、いまやただの少女に成り代わっていた。
「サヤ、貴女はわかっていない。彼がどれほど価値のあるものなのか。そして私たちが彼らなしには生きられないということが」
「・・・え・・・?」
「彼を傷つける貴女に、彼の主たる資格などないわ」
言い切ると少女はきびすを返し、再び歌をつむぎだす。
小夜は突きつけられた言葉を深くかみ締め、彼女が言ったハジの価値を考えた。
だが、今の小夜にはあまりにも情報が少なく、考えるきっかけすらつかめない。
「・・・価値って、何・・・?」
思わず口に出た言葉に、少女ではない声が答えを返す。
「彼の力は主の力に反映するんです」
暖かな声色で聞こえるソロモンの言葉は、小夜に面を上げさせる。
ソロモンはかすかに微笑みながら、けれどもハジを捕らえる力は緩むことなく、穏やかに小夜を見つめていた。
小夜が呆けていると、ソロモンは言葉を継いだ。
「ディーヴァもああ言っていたことですし、確かに知っていたほうがいいでしょう。」
そう言って彼は小夜に語って聞かせる。
ディーヴァとそれを護るシュヴァリエには個々に能力があり、その中でも少女と小夜とハジは特殊だということを。
少女は自分の血を媒介に新たな命を生み出し、長い眠りと引き換えに、主から心離れた従者を己がものにする能力。
自分の血を媒介に、一族の血を引く全ての生命を絶つ小夜の能力。
そして、自分の主となる者の力量で己の力も左右されるハジの能力。
以前の小夜が行ってきた戦いは全て小夜の能力を恐れて招いた出来事でもあり、長くにわたるディーヴァとの戦いだと彼は言う。
穏やかに語られる事実に小夜はただ驚愕するだけだった。
そして、頭の隅に引っかかっていたことが鮮明に理解され、それが嫌な予感を引き起こす。
――――・・・彼は今、彼女が眠りと引き換えに何を得ると言っていた?
一気に血の気が引く。あの警鐘はコレだったのだと。
「だめ、ハジ!!」
苦しみに息も絶え絶えに小さく呻くハジは、その声を耳にすると定まらない視界に小夜を求める。
苦痛にゆがんだ瞳の色を眼にした途端、小夜は駆け出す。
唐突に行動する小夜にカイが追いすがり、その反動でそのまま地に倒れる。
何故邪魔するのかと叫び、カイの手から逃れようと必死で抵抗するが、カイのほうも今にも意識を失ってしまいそうなほど大量に出血している小夜を見ては無意識に体が動いてしまう。
懸命に手を伸ばす小夜を澄んだ蒼が虚ろに眺める。
閉じそうになる瞼を押しとどめ、ただ何かを思うように見つめる。
その眼は悲しげで、小夜は胸が締め付けられる。
彼女の歌が白い霧の中に高らかに歌い上げられてゆき、フィナーレを迎える瞬間、小夜を見つめ続けるハジは、微かに唇を動かしゆっくりと眼を閉じて地に伏した。
わずかに静寂が辺りを支配し、梢の微かなざわめきが少女を褒め称える。
彼女は横たわるハジにゆっくりとした仕草で近寄り、何事かつぶやくとしばらくじっとその場に立ち止まり、酷く切なげな表情でソロモンに身体を預ける。
「サヤが『家族』と呼ぶ人の子、貴方も彼を理解してもいいと思うわ。きっと今回のことでそのことを嫌というほど思い知るはず・・・」
ふいに小夜を捕らえたままのカイに少女は話しかけ、そしてそのままゆっくりと瞼を閉じた。
話しかけられたカイは驚き、とっさに身構える。
しかし、カイをどうこうするでもなく、すでに眠りについた華奢な少女の身体をソロモンは優しく抱きかかえると、見守っていたカールに声をかけ、白い霧に包まれたコンテナへと歩いてゆく。
小夜は混乱していた。
みすみす敵を逃がしているにもかかわらず、身体が反応しない。
ただゆっくりと上体を起こして自分の従者に歩み寄る。
その行動と雰囲気に、カイはこれ以上追いすがることができなかった。
眠ったように静かな従者の傍らに小夜は座り込み、小さく彼の名を呼ぶ。
何度も何度も呼び続けるうちに、小夜の視界は涙で歪み、呼ぶ声すら嗚咽に変わる。
そして嗚咽はさらに心の悲鳴につながり、わけもわからず泣き叫んだ。
遠くで銃声が響き、誰かが小夜を叱責するが、小夜にはそれすらもう認識することができず、意識も朧になる。
ただ悲しくて、苦しかった。
――――私たちは彼らなしには生きられない
彼女の言った言葉の意味が、失ってはならないものを失って初めて小夜は理解した。
* * * *
2006/01/18 (Wed.)
やっと終わったよぅ!えぇ〜、長かった。こんな長い小説(しかも完結)初めて★!!
そして、お詫びを一言。ありきたりですみません・・・。
さて、気を取り直して。
当初こんなに長くなる予定は全くなかったんです。ただハジが本編で全く報われていなくて、それが悲しくて、悲しくて仕方なかったんですよ。
んで、小夜に無意識にでも報われていたらいいな、って感じで書いたんですよ。ディーヴァがその代役、みたいな?うん、なんかソロモンとかだいぶ出張ってたけど気にしない。
あ、最後の銃声とか叱責とかは全部デヴィッドですから(笑)。
そしてそして、コレで終わりかと思ったらまだあります。この話の補助的なものを書こうと思ってます。
誰かさんの心情やら、この話のその後とか。ハジも死んでるわけではないので、悲しまないで下さいね。
ハッピーエンドにしようと思えばできますから、これから。乞うご期待!!
新月鏡
|