-ゆりかごのしんそう- ED後 A*J 珍しいこともあるもので、飲み物を取りにリビングを通ると、ジュードが窓際でぼんやりしていた。 最初は何か目的があって座り込んでいるのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。 何秒経とうが何分経とうが、微動だにしないのだ。 しかも、外を眺めるポーズが、逆に疲れたりしないのかと思うくらい綺麗な体育座り。 じっと見つめ続けていると、だんだんその座り方が可愛く見えてきて、思わずにやけてしまった口元を片手で覆い隠す。 誰に見咎められるということでもないが、いきなり振り返ったジュードに見つからないとも限らない。 だが、何度見てもぴくりとも動かない小さな背中が愛らしすぎる。 再びにやけそうになる自分が、あまりにもジュードに傾倒しすぎていて、さらに笑えてくるからたまらない。 (可愛いよなー) うっかり口から転がり落ちそうな感想を飲み込んで、目的だったドリンク補給のために台所へ向かう。 空っぽのグラスに氷を数個放り込み、冷蔵庫から取り出したアイスコーヒーを9分目まで注いで少し飲む。 よし、これで8分目。 冷蔵庫に再びアイスコーヒーのボトルを戻し、からんからんと涼しげな音を立ててリビングへ向かい、先ほどと同じ場所で再び足を止める。 柱に背を預け、ちびちびとグラスを煽りながら、一方通行の視線を送って観察開始。 飽きもせず外を眺めるばかりのジュードは、まるでこちらの世界と別の世界にいるようだ。 あれだけやかましくアイスコーヒーを淹れ直したというのに、その物音にすら少しも反応しないところを見ると、こちらの物音は完全にシャットアウトされているのだろう。 集中しすぎると陥るジュードの癖だが、さすがに今日は長すぎる。 柱に寄りかかりながら観察を始めて5分を過ぎた頃、俺は預けていた身体を正した。 中身が半分まで減ったグラスをリビングのローテーブルに置いて、そのまますたすたと一直線に微動だにしない背中へ向かう。 ぴたりと背後まで距離を詰めても、別世界に囚われたジュードは反応しない。 無視を決め込まれている可能性もなくはないが、それならそれなりの空気や気配があるはずで、今日のジュードからは抜け殻じみたものしか感じなかった。 試しにそっと抱き寄せてみるも、ジュードが振り向くことはない。 いつもなら何かしら応えてくれるのだが、欠片も動く気配のないジュードに、どうしたことかと首を捻っていると、腕の中の重みがじんわりと増した。 (あれ?……もしかして……) 憶測から生まれた可能性に思い当たれば、自然と笑みがこぼれてしまって。 首筋にかかった息に首をすくめる仕草を返されれば、可愛らしさのあまり心くすぐられて仕方ない。 まったく、優等生は何年経っても手の抜き方を知らないらしい。 ジュードはいつも、身体の悲鳴を無視してしまう。 心が悲鳴を上げたときは、もうジュードひとりでは立て直せないところまできているというのに、何度言えば頼りに来てくれるのだろうか。 それに、成長期とはいえ、身体に見合わない疲労は猛毒だ。 なかなか自分から誰かに頼ろうとしないジュードにとって、溜まった心の疲労のリセットは難しいものだっただろう。 常に傍にいてやれないなら、もう少しきちんと見ていてやるべきだった。 「おつかれ」 艶やかな黒髪をそっと掻き上げ、耳朶をなぞるように囁いて頬にキスを落とす。 ゆるりと揺れた蜜色がゆっくりと目蓋の裏に消えて、ふぅっと小さな呼吸が応えて返してきた。 それから互いに少しも動かないまま、数分。 しっかりと腕に重みを感じる頃には、規則正しい穏やかな寝息が耳に届いて。 安心しきった寝顔に、自然と表情が崩れて溶けてしまいそうだ。 可愛すぎる寝顔を見つめながら、起こさないように抱き上げると、そのまま寝室へ足を向ける。 たまには一緒に昼寝も悪くないだろう。 閉じたドアの向こうから、からん、と小さな音がした。
-sign for you- A*J 意識改善、挑戦、色んな『新しさ』を自分自身に望むとき、その勝手のわからなさに酷く心細くなる。 たとえそれが後ろめたさや後悔から来るものだったとしても、僕たちへ近づこうと決意した変化なら、背中を押したくなるのは当然だ。 アルヴィンは、戻ってきてからずっと自分自身の行動と言動に注意を払い続けている。 そして、測りかねた距離にふらふらとして、寂しそうに目を伏せる。 そんな彼のことを一番気にかけ、率先してその手を引こうとするのはエリーゼだった。 彼女もまた、似た寂しさを知る故に、彼の決意を幼いながらに後押ししているのだ。 ミラやローエンは見守る姿勢を取り続けるし、僕とレイアは彼にとって一番大きな傷となった存在で、未だにぎこちなさが残っているため、自然とエリーゼが間を取り持つ形になっている。 だが、いつも彼女がアルヴィンの傍にいるわけではない。 当然、レイアやミラ、ローエンたちと会話もするし行動もする。 そうなってくると、取り残された彼は所在なさげにふらふらと視線を彷徨わせて、一生懸命に悩むのだ。 声をかけるかかけまいか。 触れようか触れまいか。 近寄ろうか近寄るまいか。 今はエリーゼとローエンの間に入ろうかどうかと悩んでいるらしい。 まだ声をかけやすい組み合わせのはずなのだが、どうにも踏ん切りがつかずにそのまま途方にくれ、挙句の果てに視線が落ちた。 (今回は諦めちゃったか) 諦めを示したその横顔に、僕は小さくため息をつくと、両手を組んで上に掲げ、大きくひとつ伸びをした。 すると、視界の端に引っかかった僕の動作に、アルヴィンの視線がこちらへ向けられる。 彼の視線が僕を捕らえたことを確認した後、伸びの体制から組んだ手を解き、ゆっくりと、だが引き寄せるように手を翻した。 ひらりと舞う指先を追って、軌道をなぞるようにアルヴィンの視線もゆっくりと落ちる。 完全に僕の動作を追う彼を眺めながら、僕は下ろした指先で、座っていたソファーを、とんとん、数回軽くノックした。 その所作に、アルヴィンの目が丸く見開かれる。 だが、僕はそれを見ないフリして、テーブルに置かれている読みかけの医学書を取り上げ開いた。 小さな文字を目で追いつつ、割いた意識で気配を追うが、佇む気配に動きはない。 しかし、十数秒もすれば、躊躇いがちな気配がゆっくりと焦れるほどの緩やかさで近づいてくる。 ぽすん、と隣のソファーが沈み、ふぅっと細い呼吸が吐き出された。 「おたく、ホントに本好きだな」 「ミラほどじゃないよ」 「ミラ様は、読む類の本が偏りすぎてるだろ」 「確かに。本の選択基準は予想できないよね」 緊張を孕んだ声音は少し硬い。 きっと、頭の中では、何が差し障りない言葉で、どうすれば傷つけずに済んで、何を話せば距離を縮められるのか、を必死に計算しているのだろう。 この身が大事に扱われているのはよくわかるが、そんなに緊張していては縮まる距離も縮まらないだろうに。 「ねぇ、アルヴィン」 ちらりとアルヴィンの目元を横目で見やり、確認した後再び文字の海へと視線を落とす。 意味ありげな一瞥に、アルヴィンの喉がこくりと鳴った。 「なんだよ」 「肩、使っていいよ」 眠いんでしょ?と投げかければ、呆然と口を半開きにしたアルヴィンが、ぱちぱちとまばたく。 「…………知ってたのか?」 「見てたから」 ここ最近、日中ずっと神経を使いながら過ごしているのに、彼はほとんど眠らない。 眠れない夜を過ごしていた僕だからこそ、彼がどれほど睡眠を犠牲にしているのかを知っている。 足の運びが僅かに重く見えることも、眼球が赤みを帯びていることも、肌の下に熱が篭っていることも。 十分な睡眠を取らないと、身体は常に臨戦態勢に追い込まれ、精神すらささくれ立つ。 荒い言動や、突発的な感情に怒りっぽくなったりするはずのものを、彼が懸命に抑え続けているのも知っている。 馬鹿なアルヴィン。 今更本音全開で荒れたって、誰も見放しやしないのに。 「今日の当番はローエンだし、夕飯ができあがるまで少し眠りなよ。横になっても、眠れないんでしょう?」 「…………重いぞ」 「今更。いつも勝手にのしかかってくるくせに、変なところで遠慮しないでよ」 「……じゃ、お言葉に甘えて」 失礼します、なんて呟きに、思わず噴き出しそうになる。 まったく、アレだけ容赦なく斬りかかってきた上に罵っておいて、今更他人行儀とは。 ずっしりとかかる重みに加え、一回り以上大きな身体に寄りかかられると、肩だけで支えるのはなかなか難しい。 安定する支え方を試行錯誤していると、そんな僕の落ち着かなさに、アルヴィンが座る位置を変えた。 深く腰かけ、ぴたりと僕にくっつくような位置に移動したかと思うと、背中から肩にかけての半身に、預けるように寄りかかってくる。 いつものように肩に手を回してくるのと同じような感覚で、ずっしりと背中に密着された。 だが、その体制は読書の害にならず、肩のみから身体全体への負荷に変わったことで、重みが減った気がする。 「今日はずいぶん甘えたさんだね」 「お言葉に甘える、って言っただろ」 「ふふっ、そうだったね」 くすぐったさに笑えば、すりっと肩口に頬擦りされた。 なるほど、行き場のなさに相当寂しい思いをしていたらしい。 所在のなさは酷く心を軋ませるから、その感覚はよくわかる。 しかし、こんな図体のでかい大人の相手は、エリーゼ一人では対処できないだろうな、と思いながら、穏やかになり始めた背後の呼吸にそっと視線をやる。 どうやら待っているだけじゃダメみたいだ。 「おやすみ、アルヴィン」 「…………ん、おやすみ……ジュード」 むにゃむにゃと歯切れの悪い旅立ちの声に、僕は口元に薄く笑みを刷いて読書を開始した。
-眠りの守- J+E 「アルヴィンばっかりずるいです」 つんと唇を尖らせた少女は、開口一番僕にそう言った。 ぎゅうっと腕の中のティポを抱きしめて、恨めしげに下から見上げられれば、何の後ろめたさもないはずなのに、何故か胸に手を当ててしまう。 「な、何がずるいって?」 『アルヴィンばっかり、ジュードにくっついてるのはフコーヘーだー!』 「です!」 力いっぱいの抗議の声に、思わず批難対象をそろり肩越しに見やる。 エリーゼが批難する件のずるい男は、僕の背中に寄りかかって今なお爆睡中だ。 すぅすぅと、それはもう穏やかな寝息と寝顔で眠っている。 「……えっーと……じゃぁ、どうすれば公平になるのかな?」 よろよろと視線をふらつかせながら僕は作り笑顔をエリーゼに向け、声を潜めて問いかけた。 彼女のお怒りの理由がよくわからないため、何が地雷なのかもわからない。 その探りのための質問だったのだが、返ってきたのは返答ではなく、結論だった。 「私も、ジュードにくっつきます」 「え?」 「ダメですか?」 うるっと、大きな瞳が悲しげに歪み、僕はうっと喉を詰まらせた。 何故かさっきから罪悪感にぎりぎりと胸が締め付けられる。 だが、切々と願う綺麗な瞳を、どうして翳らせることができるのか。 「だ、ダメじゃ、ないけど……」 『わーい!くっつき放題ー!』 「くっつき放だ、もがっ!?」 全ての驚愕を音にする前に、視界がブラックアウトする。 ティポ、それはくっつき放題というより吸い付き放題だよ、なんて突っ込むことすらできやしない。 とりあえずアルヴィンを起こさないように、みょんみょんと伸ばしながらティポを剥がそうと試みていると、膝上に置いてあった本の重みが消え、代わりに柔らかな感触が温かさを与えてきた。 視界が奪われた状態での突然の変化に、僕は慌ててすぽんとティポを引っぺがし見下ろす。 「エリーゼ……」 ぽつりと驚きに零す僕の膝上に、嬉しそうなエリーゼの顔があった。 いわゆる膝枕状態で、身体を丸めるようにエリーゼが擦り寄る。 「ジュード、撫でてくれますか?」 そろりと窺うように見上げてくるエリーゼが、切望するような期待の目で僕を見る。 その瞳に、僕はようやくエリーゼの言葉の意味を理解した。 ――――『アルヴィンばっかりずるいです』 なるほど、確かにその通りだ。 エリーゼは、誰よりアルヴィンの寂しさに近しい存在だ。 だからこそ、仲間にわだかまりを抱き続けるアルヴィンの傍にいようとする。 痛みを知るからこそ、似た痛みに苦しむ彼を放っておけず、できる限り寄り添おうと奮闘するのだ。 だが、そんな彼女とて、アルヴィンを気遣うほどの寂しい過去を抱いているのだから、彼ばかりが満たされていては拗ねたくもなるだろう。 年齢を考えれば、アルヴィンこそが遠慮して然るべきとなればなおさらだ。 そこまで考えが行き着けば、もうエリーゼに対して戸惑いなどありはしなかった。 望まれるだけ与えよう。 そればかりが心に満ちて、癖毛でふわふわの髪を引き寄せられるようにそっと撫でる。 「ジュードの手、優しくて好きです」 「まめだらけなんだけど、そう言ってくれると嬉しいよ」 「あの……もう少しだけ、撫でててくれますか?」 「いいよ。エリーゼが起きるまでこうしててあげる」 単調なリズムで髪を撫でてやれば、とろとろとエリーゼにまどろみが押し寄せ始める。 周囲を飛び回っていたティポも、眠りの前兆を感じたのか、エリーゼの手元へふらふらと下りてきた。 手繰り寄せるように懐に抱きしめて、エリーゼはうつらうつらと閉じかかった目蓋を懸命に押し上げる。 「ジュー、ド……」 「おやすみ、エリーゼ」 「……おやすみ、なさ……」 呼吸にか細く溶ける声に、僕は自然と笑みがこぼれた。 背中の重みと、膝上の重み。 どちらも眠りに攫われる直前まで、言葉を交わそうとしてくれことに、嬉しさがこみ上げて仕方ない。 そっとエリーゼの髪を撫で続けながら、肩に寄りかかるアルヴィンに頬を寄せる。 「よい夢を、2人とも」 囁くようにそう呟いて、僕は2人の眠りを守るために、望まれた大役を続行し続けた。
* * * * 2012/09/20 (Thu) *新月鏡*
|