-身から出た錆- ED後 A*J 親友に晩ご飯を誘われた日。 スプーンで、ジュードお手製のマーボーカレーを一口頬張ったら、何故か急展開に陥った。 「すみませんでしたっ!」 床に這いつくばるように綺麗な土下座をしてのけた人物に、俺は自分の目を疑う。 なぜなら、平伏ポーズをぴしりと決めた人が、俺の尊敬して止まない師匠だったからだ。 喉につっかえそうになったご飯を、慌ててごくりと飲み下す。 「し……師匠?」 恐る恐る呼びかけても、ぴくりとも動かない。 大きな音を立てて慌しく入ってきたかと思えば、この不動の土下座である。 意味がわからない。 突然我が身を襲った混乱に呆然としていると、一緒に卓を囲んでいたジュードがため息をついた。 その瞬間、びくりと不動の姿勢が揺れ動く。 「ジュード?」 「……ねぇ、ノーヴェ……彼女のいる君なら、どう思うかなぁ?」 「は?……え、いや、それより師匠どうにかし」 「例えばなんだけどね」 「………」 ダメだ、何故かよくわからないが、ジュードが師匠の行動に全くといっていいほど干渉しようとしない。 いいのか?師匠このままでいいのか? なんか小刻みに震えてる気がするけど、放置しっぱなしでいいのかマジで!? 困惑気味にジュードを窺うと、ジュードは師匠とは真逆の方向にある窓をぼんやりと眺めていた。 うわぁ、『アウトオブ眼中』、まさにそれ。 「心に決めた人がいるのに、他の誰かを口説いたりする?」 「……彼女がいるのに、他所の女をナンパして浮気するってことか?」 「まぁ、そんなところ」 何の脈絡もない会話の内容だが、問われたことには思わず眉根を寄せてしまう。 「俺はないなー……さすがに彼女いる身でそれはないわー……」 ごく自然に零した感想に、視界の端で師匠の背中が揺れた気がした。 だが、それを確認するより先に、ジュードがにっこりと微笑んで口を開く。 「ノーヴェは彼女にベタ惚れだもんね」 「むちゃくちゃ可愛いからなー!それに、俺、あれだけ苦労して彼女になってもらったわけだし、他所の女相手にする時間あるなら、俺は彼女に時間を割くぜ」 「そういう誠実なところがいいって、この前惚気られたよ。貴女の前でだけだよ、って言っておいたけど」 「あっ、ちょ、それはねーだろジュード!」 「あははっ、大丈夫だって。ちゃんとフォローしてあるから」 とんでもない裏話に、思わず立ち上がってしまった俺を見上げて、ジュードはくすぐったそうに笑った。 俺が彼女にどれだけ格好つけて、どれだけ真剣に付き合ってるかを知っているジュードが、俺の不利になることをするはずがないのはわかっている。 だが、それでも印象を悪くされてはたまらない。 彼女が俺に見てくれるイメージは、他の男よりずっと格好いいまま維持しなければならないのだ。 高嶺の花と言っていいほど、俺にはもったいない女の子なのだから、掻っ攫われるのは一瞬。 それがわかってるなら、俺の心構えは当然のことだろう。 そんなことを悶々と考えていると、ひとしきり笑ったジュードが、すっと笑みを収めた。 「というわけだから……アルヴィン」 「っ……!」 びくり、と今度は明らかに跳ね上がる師匠の背中。 だが、ジュードは相変わらず師匠の方を見ることはなく、やはり師匠とは真逆の窓へ視線を流す。 何が、『というわけだから』なんだ? やや困惑に落ちかかっていると、右斜め下から俺の思考を吹き飛ばすような声が飛ぶ。 「ジュードっ!」 「この前、『甘やかしちゃダメだからね』ってレイアに怒られたんだよね。これってすごくいい機会だと思うんだけど……どう思う、アルヴィン?」 「全くこれっぽっちもよくない!」 「そっかー、やっぱりちょうどいいよね」 「お願い聞いてジュード君っ!」 え、何、何の話? 断片的に与えられた情報から推測すると、師匠が浮気したって聞こえるんだが。 いや、もしかしなくてもそうかもしれない。 きっと師匠の本命はジュードの知ってる人で、2人の関係もわかっているから、不誠実さに怒ってるのか。 「……師匠、何したんすか。ジュードを怒らせると大変なんですよ?まさか……マジで奥さんに内緒で浮気とか」 「するか!つか、俺まだ未婚!いや、実質的な嫁はいるんだが……」 大音量で高速の返答を寄こした後、ぶつくさと口の中で歯切れの悪い言葉を呟く師匠。 浮気もしてないなら、なんでこんな話になってるんだ、と首を傾げた瞬間、 「いや、とにかく全部お前のせいだ、ノーヴェ!」 師匠にがっと音が鳴るんじゃないかというほど勢いよく両肩を鷲掴みにされた。 だが、 「因果応報、自業自得」 ぽつりと落ちた声に、殴りかからんばかりの剣幕で掴みかかった師匠の動きが、がちりと止まる。 「『……おっしゃるとおり』だったけ?懐かしいね……ローエン今頃何してるかなぁー」 しみじみと呟くジュードとは裏腹に、師匠の顔がどんどん青ざめて。 がくがく震えるせいで師匠の指が俺の肩に食い込み、俺まで若干青ざめる。 傭兵稼業をしてた師匠に、学者のへなちょこな身体が勝てるはずがない。 そう思った矢先、眼前の長身が消えた。 「あれ、……師匠!?」 受身を取らずに顔面から倒れた師匠を前に、俺は呆然と立ちつくすしかなくて。 もう何がなんだかわからない。 師匠にトドメを刺したであろうジュードは小さくため息をつくばかりで、ぶっ倒れた師匠のことなどお構いなしだし。 師匠は師匠で倒れたまま微動だにしないし。 いったい何だこの展開!? 俺にどうしろって言うんだよ! 「ちょ、しっかり、師匠!師匠ぉぉぉ――――!」 混乱の極みに呑まれたまま、俺はとりあえず、死んだような目をした師匠を揺さぶり続けた。
-不規則呼吸- M*J なんだかよくわからないけれど、僕は彼女の隣に立っているとおかしくなる。 頻繁に起こるわけでもなく、時折思い出したように『僕』という実体が溶けて崩れてしまうような感覚を味わうのだ。 一度、いったい何が原因なのかと探ってみたことがある。 でも、具体的な因果関係などこれっぽっちも見当たらない。 アルヴィンなら、それは憧れだというだろうか。 レイアなら、恋だというだろうか。 ローエンに相談してみようかとも思ったが、不可解なこの現象をうまく説明できそうにない。 自分なりに答えを探ってみる日々の中、それは何となく形を得始める。 あえて原因を挙げるとするなら、ミラの意思を肯定した時から、『僕』が彼女に溶けてしまっているということだろう。 彼女の意思を、まるで自分のことのように抱え込んでしまった今、どれだけ違うと叫んでも、無意識は常に彼女と共にある。 自覚はしているのだ。 あまりに鮮烈な意思に、自分を見失いさえした。 安定した今ですら、ほら。 「君の傍は居心地がいいな」 彼女のほっとした吐息に、制御不能のこの身体は自然と狂いだして。 僅かに息苦しさを感じて、同じくほうっと息を吐く僕の肩に、ミラがそっと頭を寄せる。 普段、こんなスキンシップなどしてこないはずなのに、今日のミラはえらく弱っているらしい。 意識しないと呼吸できなくなっている僕には気づかず、ミラは気持ちよさそうに身体を預けてくる。 柔らかくて、優しいにおいがして、頬を撫でる髪がふわふわと触れてくすぐったい。 「ジュード」 澄んだ声音が僕を呼ぶ。 芯が通っているのに、どこかまろみを帯びた音。 その音に、やんわりと口端が弧を描く。 あぁ、息苦しい。 だけど…… 「……ミラの声って、なんだか安心しちゃうね」 そんな甘えた声とは裏腹に、僕は忘れた呼吸を取り戻す方法を考えていた。
-かいなのゆりかご- ED後 A*J 時折、いろんなことに疲れてしまう。 少しのことで苛立ったり、些細なことで落胆したり。 心の中がぐちゃぐちゃで、重たくて、泥沼に嵌ったような感覚。 それがもっと悪化すると、段々自分が分離していくような感覚に変化する。 そこまでくると、さすがの僕でも自分が相当疲れているのだと自覚せざるをえない。 だが、そこまでいくと、自分ひとりで元の僕に戻すのは至難の業で。 どうしたものかと心ここにあらずで考えながら、ぼんやりと窓の景色を眺め続ける。 こうしていると、自然と落ち着いてきて、いつの間にか元に戻っていることが多いから、今日もそれで何とかなると思っていた。 だけど、いつまで経っても身体から感じる感覚は他人事のままで、なかなかしっくりこない。 床に座り込んでから元の僕に戻るには十分すぎる時間が経ったと思うのだが、どうやらまだ足りないようだ。 今日の僕はずいぶん疲れきっているらしい。 そんなことをぽつぽつ考えていると、不意に背後で気配がして、あっという間に力強い腕が僕を囲って引き寄せる。 誰の仕業なんて考えるまでもないのだけれど、感覚が置き去り状態の今の僕は、突然の抱擁にぽかんとしてしまった。 だが、後ろを振り返って確認するのも億劫な気がするし、わざわざ確認する必要もないのは頭でわかっている。 この腕の中にいれば、誰も僕を害することはできないのだから、何を心配して確認する必要があるというのか。 そう結論けると、僕は背中から抱きしめる腕に身体を預けることにした。 吐息で笑うかすれた声がくすぐったくて、思わず首をすくめれば、他人事だったはずの身体が『僕』に溶ける。 「おつかれ」 労わる甘い声と優しさに満ちたキスが、やんわりと肌を撫でて心地いい。 ふぅ、と薄く息を吐き出して、目を閉じれば、もうそこはまどろみの世界。 やっぱり、ここは気持ちいい。 穏やかな眠りへ旅立つ間際に振り返れば、心がずいぶん軽くなった気がした。
* * * * 2012/09/20 (Thu) *新月鏡*
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