「rain cage」
自分の無力さに打ちひしがれるのは何度目だろう。 多くのものを犠牲にして、自分なりに取捨択一して、手にしてきたものはいったいなんだったのか。 こういう場面に遭遇するたび、もっと違うものを選べばよかったと後悔する。
事の発端は、日の入り間近のソグド湿道で、身体に武器を生やした魔装獣に出くわしたことから始まる。 どっしりとした巨躯を持ちながら、想像を上回る速度で駆ける魔装獣ガットレガ。 一撃一撃が鋭く重いため、かすっただけでも致命傷に陥りかねない強敵だ。 さらに、視界を奪う雨が降り注ぎ、水気を含んだ足の取られやすいフィールドとくれば、苦戦を強いられるのも当然だった。 最悪のコンディションで開始した戦闘だったが、アイテムを湯水のごとく使いながら、どうにか倒せるかもしれないところまで魔装獣を追い詰める。 そこまでは、よかった。 あと少し、気の弛んだまさにその瞬間、戦況は一転する。 四方を取り囲まれた窮地の獣が、命を削ぐように吼え、その大音量の咆哮に呼応して、大きな地響きが襲い掛かる。 「うわっ!」 「っ、ジュード!」 大地を揺るがす衝撃に、崖の端にいたジュードの声が上がり、僅かに遅れてエリーゼの悲鳴が届く。 途切れる共鳴に嫌な予感を感じて素早く視線を振れば、バランスを崩したジュードがぬかるみに足を滑らせ、無防備に崖から放り出される姿が飛び込んできた。 共鳴していたはずのパートナーの突然の消失に、即座に踵を返して銃を放り捨てる。 「よせ、アルヴィン!」 ミラの鋭い制止を振り切り、俺は当然のように宙へ身を投げた。 僅かに遅れて落ちてきた俺を見たジュードが驚愕した表情で見てきたが、それを無視して落下する身体を引き寄せ力いっぱい抱きしめる。 「アル、」 抗議の声が上がったが、必死にジュードの頭を抱きこんで封じ込め、垂直にそびえる岩肌に大剣を突き立て落下速度を落とす。 「くっ……!」 がりがりと荒く岩を削り落としながら速度を殺し続けるが、削る衝撃の大きさと纏わり尽く水気に、柄から指先が滑り落ちる。 再び始まる自然落下に、2人もつれ合ったまま崖下にあった木々に突っ込んだ。 べきべき、ばきばき、騒がしい音を立てて落下するが、それでも落下と衝撃が収まらない。 頼りない木々の枝葉を一直線にへし折り、ジュードを抱え込んだまま、湿った地面に思いっきり背中を打ちつけた。 肺を押し上げる衝撃に呼吸が詰まり、眼球の奥でハレーションが起こる。 「う、……」 ごろりと大の字で仰向けに寝転がると、じわりと吹き出る嫌な汗と雨粒が混じる。 水気を多く含んだ土と草に触れる背中が、じんわりと濡れそぼって冷たい。 どうやらぬかるんだ柔らかな地面のおかげで、一命は取り留めたらしい。 だが、起きる気力も体力も失った俺は、腕に抱いた身体の感触を確かめたのを最後に、あっさりと意識を手放してしまった。
それからどれくらい時間が経ったのか。 容赦なく打ち付ける冷たい豪雨に、強制的に叩き起こされたときには、空は暗闇に染まっていた。 身体を起こし、ずり落ちたジュードを肩にもたせかけて首をめぐらす。 強い雨脚に、辺り一帯見回しても魔物や獣の姿は見当たらない。 へし折れた枝葉を惜しむように項垂れる木の根元、俺とジュードだけがぽつんと取り残されている状態だった。 不幸中の幸い、というべきだろうか。 無防備にぶっ倒れていたことを思えば、魔物に襲われない状況に感謝するべきかもしれない。 それがこの雨脚のおかげなのか、それとも崖の上にいる人工魔物の威圧のせいなのかはわからないが、とにかく助かったことに、俺は一息ついた。 さぁ、今後のことを考えなければ。 周囲の観察と分析をあらまし済ましてしまった今、残る問題はこれからどう動くかだ。 いくら夜盗や魔物が横行していないとはいえ、暗い夜にむやみに歩き回るのは得策ではない。 夜目の利かない人間がうろつけば、襲ってくれと言っているようなものだ。 ミラたちが自分たちを探しに来ないところを見ると、ローエンが似たような危険性を指摘してこの場を離れている可能性が高い。 だが、一度日が昇れば、おそらくミラたちは真っ先にこの場所へ探しに来るだろう。 そこまで滑らかに推測が運べば、この場所からあまり遠くない安全な場所で身を潜めておくのが最良の行動だろう。 きょろきょろと辺りを見回し、見通しのよくない視界で崖下の岩肌をなぞっていくと、そう離れていない場所にぽっかりと空いてる穴を見つけた。 人ひとりがしゃがんでようやく通れるくらいの横穴。 間違いない、よくレイアがアイテムを拾ってくる小さな洞窟だ。 好条件の潜伏場所を見つけた俺は、ジュードに視線をやり、そこでようやく異変に気づいた。 「……おい、ジュード」 そう、今の今まで、ジュードが身じろぎ一つしていなかったのだ。 微動だにしない身体がやけに熱を帯びているような気がして、俺は左手のグローブを外し、恐る恐る直にジュードの首筋に触れる。 体温を奪うはずの雨の檻の中で、どくどくと脈打つ熱い血の流れ。 冷え切った指先と相反する脈動に、ぎくりと身体が強張った。 か細く吐き出される呼気の熱。 未だ固く閉ざされた目蓋、僅かに震える身体。 何故、気づかなかったのか。 こんな雨の中、目を覚まさない方がおかしいのだ。 それにジュードなら、俺より先に目を覚まし、機転のよさを活かしてとっくに何かしら対処できているはずなのだ。 それが行われていない異常さを、どうして見落としてしまっていたんだ。 明らかな異常事態に、俺は考えることをやめてジュードを抱き上げ、見つけた小さな横穴へ向かって駆け出した。 しゃがんでぎりぎり通れる場所へ、這うように身体を滑り込ませ、地面からジュードを庇いながら奥へと進む。 小さな洞窟は、行き当たった奥が広々と空けており、そこまでたどり着けば雨の冷たさも遠のいた。 入り口から遠ざかれば、むしろ僅かな温かささえ感じるくらいだ。 一番奥の風に当たらない場所にコートを脱ぎ捨て、その上にジュードをいったん横たえる。 雨にぐっしょりと濡れた上着を脱がし、今度は火付けのために、洞窟内に僅かに散らばる枯れ葉や乾燥した枝をかき集める。 湿地帯の洞窟とはいえ、はぐれた葉や枝を運ぶ程度に風の吹き込む場所だ。 雨から逃れ、長く溜まり積もれば、火付けの種としてそこそこ役に立つものだ。 そうしてある程度枯れ葉を集めたところで、ふと我に返った。 きょろきょろと見回す中、自分が愛用している銃がない。 ついでに、左手のグローブもなければ、存在感たっぷりの大剣すらない。 銃を手放した記憶はあれど、グローブと剣は完全に意識から抜け落ちていた。 いったい何処で置き去りにしてしまったのか。 そろりと記憶を辿っていくと、どう考えても落下した場所で雨風に晒されていることに行き当たって、がっくりと首から頭が落ちそうになる。 パニックになりすぎて、大変大きな忘れ物をしてきたらしい。 「あー、やっちまった」 どかりとジュードの隣へ座り込み、額に手を当てて項垂れる。 これで本当に、自分は何の役にも立たなくなった。 種火の起爆剤となる火薬は弾薬から取り出せば何とかなるが、そもそも火種を生み出すものがなければ小さな焚き火すら起こせない。 うっかりどころか大ミスだ。 はぁ、と小さくため息をつくと、隣の気配が小さく動いた。 「……アル、ヴィン?」 頼りない、弱々しい声に思いっきり心臓が跳ね上がる。 相当体温と体力を奪われているのだろう、僅かに起き上がるにも気だるげだ。 その弱りきった姿に、寝かしこむために差し出した手で思わず抱き起こしてしまった。 「ありがと……、それ、火、つければいい?」 「え、いや、……これは、」 現状把握の早すぎるジュードに虚を突かれ、どう答えるべきかとしどろもどろになっていると、答えを待たずにジュードが枯れ枝の山に手をかざした。 ジュードの手のひらにふわりと小さな光が宿り、こんもりとかき集められた枯れ枝と葉の山がぱちっと音を立てて赤く色づく。 途端、ジュードが芯を失ったようにくったりと倒れこんできて、俺は慌ててジュードを抱えなおした。 「お、おい!」 「っ、ごめん……足手まとい、だね……」 「違う、役に立ってないのは俺の方だ!」 きつく言い返した声に、悲しげな表情をしたジュードが薄く唇を開いたが、ジュードから反論が返ってくることはなかった。 懸命に訴えるようにまばたきをくり返す様子から、言い返す力どころか身体を動かす力すら、あまり残っていないらしいことに気づく。 これは本格的にまずい。 ただでさえ弱りきっているというのに、先ほどジュードは精霊術を使ったのだ。 一般人より霊力野が劣ると言われているジュードにとって、マナの捻出がどれほど負担をかけただろうか。 想像でしか推し量れないが、それでも間違いなく軽んじていいことではない。 しかもこの場所は湿地帯だ。 火の精霊の加護から一番縁遠い地ということも考えれば、火の精霊術の使用は通常よりハードルが高くなる。 「ごめんな、ジュード」 とうとう目すら開けていられなくなったジュードを抱きかかえ、俺は酷く泣きたくなった。 負担をかけるつもりなどなかった。 だが、この身が精霊術を使えないばかりに、身体が無事であっても、何もできないのだ。 魔法のようなその力を、厭いこそすれ望んだことなどなかったが、この時ばかりはどれほど欲したかわからない。 自分の無力さが、身に沁みて悔しい。 苛む後悔に奥歯を噛み締めつつ、せめて何かジュードのために使えるものはないかと、ポケットを探るが、体力回復のためのアイテムは、先の戦闘で使い果たしたに近く、手持ちの道具もまた役には立ちそうになかった。 唯一転がり出てきたアップルグミをジュードの口の中へ押し込み、できる限り焚き火の近くへと移動する。 力なくやわやわと咀嚼を繰り返すジュードの様子に、不安がこみ上げて仕方ない。 弱りきった大切な人の姿は、自分の中に残る嫌なイメージを呼び覚ます。 最期を看取ることのなかった母の姿がジュードに重なれば、俺の中の恐怖が再びぞわりと蠢いた。 このまま夜明けを待つこともなく、この腕の中の少年が二度と目を覚まさない、なんてことならないだろうか。 ちらっと想像しただけでも、はっきりとわかるくらいさぁっと血の気が引いていく。 ジュードがこんな形で死んでしまえば、俺はきっと自分を憎み、自分に失望し続けるだろう。 ようやく気づいて還って来れた俺の居場所に、ジュードは絶対に必要な人間なのだ。 喪うわけにはいかない。 喪ってはいけない。 ジュードがいなくなったら、俺は、……! 「……アルヴィン」 「、っ……ジュー、ド」 思考の落ちた俺を、ひどく優しい眼差しが見上げてくる。 「ひとりに、しないよ……大、丈夫……だから、泣かないで」 そろりと伸ばされた指先が、労わるように、慰めるように頬をなぞる。 ジュードの予想外の行動に、俺は呆気に取られて凝視してしまう。 そんな俺を見て、ジュードが小さく笑ったかと思うと、すぐさま顔をしかめてしまい、頬に触れていた指先が膝上に落ちた。 事切れるような力の抜け方に、背筋が一気に凍りつく。 「ジュード、いい、わかった……今は自分のことだけ考えろ」 そっと耳元に囁いて抱きしめ、ジュードの両目を左手で覆い隠す。 あぁ、なんて馬鹿なことをした。 今の俺は、絶対に弱音を吐いてはいけないのだ。 俺が弱っているのを見せれば、ジュードに無理をさせてしまう。 今のジュードにとって、笑いかける行為すら苦痛しか与えないならば、どんな些細な行動も必ず痛みを伴うはずなのだ。 自分にできる最良の行動は、仲間と合流できる夜明けまで、ジュードの命を守り抜くこと。 尽きかかった体力を、俺なんかのために失うわけにはいかない。 ぎゅっと唇を引き結び、体温を分けるようにより一層身体を寄せれば、ジュードも大人しく目を閉じて眠りへ向かう。 どうか、早く夜が明けますように。 とく、とく、と静かに刻まれる拍動に、俺は柄にもなく祈り続けた。
ぱちっとはじけ飛ぶ小さな音に、がくんと頭が落ちかかって目が覚める。 しまった、意識が飛んでいた。 ぼんやりとした頭で辺りに変化がないかを確かめ、次いで腕に抱いたままのジュードに目を向ける。 相変わらず熱にうなされているのか、時折小さく呻く声に思わず壁に預けていた背が浮いた。 「ジュード」 そっと呼びかけても返事はない。 この腕の中にぐったりと沈む姿に、どうにも嫌な感じが消え去らなくて、じわじわと心が急いていく。 どうにかしてやりたくても、どうすれば苛む苦痛を和らげてやれるのかがわからない。 必死に記憶を引っ張り出すが、何処を探しても、自分の経験に熱の緩和を促すだけの知識はなかった。 当然だ。 自分が取り続けてきた対処法が、愚直なまでに安易なものでしかないからだ。 まともな薬なんて手に入らなかったし、医者に見せることもほとんどなければ、弱った姿を見せればすぐに喉元を狙われるような生活をおくってきたのだ。 ひと気のない場所で極力体力を温存する、という自然治癒任せな方法以外を取ったことがない。 そういう生き方をしてきたから、残念なことに、この年になっても正確な対処法など知らないのだ。 幼い頃の記憶から想像で思い描いたことはあった。 だが、それはいつだって優しい母の手が熱の篭った肌を優しく撫でるだけのもので、具体的にどうだったかなど覚えてはいない。 与えられた薬が何処から来るのか。 何をどうすれば熱を下げられるのか。 傭兵稼業をしてればわかってくるものじゃないのかと思われがちだが、あいにく自分が担ってきた仕事の役割はその類と少し違う。 年中戦場に駆り出されるようなむさい仕事など断り続けていたし、諜報員まがいの仕事が中心であれば、薬物の知識など頻繁にお世話になるようなものでもなかった。 劇薬の効能くらいなら、多少は勉強はしたが、暗殺の仕事は愛用の銃ひとつで事足りるので、実際に使用したこともない。 そして、そんなくだらない知識が、今この場で成果を発揮するわけもない。 「っ、……」 「ジュード、……」 僅かな変化を感じてすぐさま腕の中へ視線を戻せば、荒い呼吸で病魔と闘うジュードが、薄く目蓋を押し上げてゆるゆると見上げてきた。 頬に張り付く濡れた髪を掻き揚げてやり、物言いたげな瞳を覗き込めば、熱を帯びた蜜色が悩ましげに揺らめく。 どうやら、かなり熱が上がっているらしい。 「……ごめ、……ね」 「いい、喋るな。お前が気に病むことなんて、ひとつもない」 「で、も」 「いいから寝てろ。もうすぐ夜明けだ。そしたらミラたちが来てくれる……もう少しだからな、ジュード」 息苦しそうに顔を歪めて話すジュードに、できるだけ穏やかな低い声で宥める。 大丈夫だと、記憶の中の母が自分にしたように、何度も何度も静かに囁き続けて、抱きしめる腕に力を込めた。 何も心配要らないと、心が実感すれば、ジュードもこんなにうなされることもないのかもしれない。 そんな思いつきの行動だったが、それは意外に功を奏したのか、次第にジュードの呼吸が落ち着き始めた。 それと同時に、幸運をもたらすように洞窟の入り口が僅かに白みを帯び、夜明けが近いことを告げる。 雨音も止み、視界の暗さに光が差したことで、心の内側に巣食っていた不安も徐々に払拭されていくようだ。 周囲の状況確認も兼ねて外を見てみようかと思い立ち、抱きかかえていたジュードを自分のコートの上にそっと横たえる。 緩やかな呼吸で眠るジュードを一瞥し、俺は外の様子を窺うべく洞窟の外へと足を向けた。 夜明け特有の得体の知れない暗闇と、雨上がりの静謐さに、まだ魔物も獣も姿を見せない。 一度洞窟から出て背伸びをし、縮こまった身体を解放する。 ぱきぱきと小気味よく鳴れば、気分もいくらか軽くなるような気がした。 柔軟と気分転換を兼ねた周囲の観察も済み、ふぅっと一息つくと、再び洞窟へと踵を返す。 すると、 「、け……て……」 「……ジュード?」 洞窟の奥から小さなすすり泣きが聞こえてきて、俺は慌ててジュードの元へと駆け寄った。 震えて縮こまる肩をやんわりとゆすり、意識の浮上を促すも、悪夢に囚われたままのジュードは、ぼろぼろと涙を零して泣き続ける。 「……ご、め……、い……」 「どうしたんだよ、おい!?」 幾分大きな声で問い詰めれば、うっすらと開かれた目蓋の奥に、涙に溺れた蜜色の瞳が揺らめく。 ようやく見つけた色にほっとしたのもつかの間、ジュードは逆に俺から逃れるように身体を丸めて目を瞑ってしまった。 ひどく怯えた様子に、俺は何がなんだかわからなくて言葉に詰まる。 何故こうまで閉じこもるように身を固くするのか。 何に怯えているのか。 掴んだ肩から手を外せないまま途方に暮れていると、不意にジュードが口を開いた。 「め、いわ、く……かけて、ご、め……な、さ……」 しゃくりあげながら零される声に、俺ははっと目が覚める。 あぁ、どんなときでも、ジュードはジュードなのだ。 生きてきた過程の色濃く残る傷跡を垣間見て、俺は自分がどれほどジュードに甘えていたのかを思い知る。 ミラの背を追い、ガイアスに啖呵を切り、俺を救い上げるほどの心を持っていたとしても、ジュードはたった15の少年なのだ。 どれほど大人びた思考をしようと、どれほど先陣を切って戦いに臨もうと、大人の庇護下にあるべき年齢の少年に違いない。 そして、まだ幼さの残る身体が弱り、追い討ちをかけるように心も弱れば、子供がどうなるかなど明らかだ。 だが、俺の目の前で怯えるジュードはきっと、そんな甘えさえ自分に許さず、他者を想うゆえに今までずっと切り捨ててきたのだろう。 それこそ、与えられて当然の親の労わりさえ、後ろめたさを感じるほどに、ジュードの中の『当然』は失われているのだ。 建前と理性で、自分に与えられる優しさをかわし、なんでもない風を装って他人のために笑ってきたのだろう。 心分け与えるように人を愛するなら、その孤独はどれほど寂しかったことか。 「ジュード」 「ごめ、……なさ、い……」 「ジュード、謝るな。誰も怒ったりしない。迷惑なんて思ってない。今はお前が一番つらいんだ、誰もお前を責めたりしない」 掴んだ肩を引き寄せて、再び腕の中に掻き抱く。 孤独の『寂しさ』を知るからこそ、何が一番利き、何を一番求められるのかを知っている。 皮肉にも、こんな形で役に立つとは思わなかったが。 「っ、……」 「いい、言え。何だ、どうしてほしい?」 急に与えられた他人の体温にジュードがさらに身を固くするが、宥めるように肩をなぞり、そっと囁いて本音を促す。 じっと見つめる甘やかな瞳の色は、涙の海と病魔の熱に溶けそうだ。 「言っていいんだ、ジュード」 逃さないように視線を絡めて、殊更優しく促せば、一際大きな涙の粒が白い肌を滑る。 「……か、な……で……」 ――――『いかないで』 ぎゅっと目を閉じて、苦しげに告げられた切なる願いに、「やっぱり」と思うと同時に、「そうか」と納得する。 ――――『ひとりに、しないよ……大、丈夫』 あの言葉は、俺に向けられていたのと同時に、ジュード自身にも向けられていたのだ。 自分で、心の弱った自分を励まし、大丈夫だと宥めすかして押し込めてきた過去。 それがあるから、ジュードは病に伏しながらも、俺に笑って『大丈夫だ』と言ってのけたのだ。 まったく、俺含めて周りは馬鹿ばっかりだな。 気づけばいいのに。 気づくべきなのに。 こんなにも必死に助けてくれと叫んでいたのに、誰ひとり気づいてやれてなかったなんて。 切なさに自然と眉根を寄せて、熱の篭った雫がぼろぼろと零れる目じりをやんわりとなぞる。 「あぁ、わかった……何処にも行かない」 こつん、と額を寄せて目を閉じれば、ジュードの熱がじわりと肌を伝う。 ジュードを苛むこの熱すら、半分でも引き受けてやれたらよかったのに。 そっと吐息に混ぜてひとつ囁くと、呼気の荒さと涙の雨が止むまで、俺はひたすらジュードを抱きしめ続けていた。
それから数鐘後、俺とジュードは、ミラたちに無事に発見された。 ミラたちは、俺の読みどおり、ローエンの指示で夜明けを待っていたらしく、夜明けと共にこの場所へ戻ってきたという。 ちなみに、俺の大きな忘れ物と、途中で落とした左手のグローブが、広すぎる湿原での早期の発見に一役買ったらしい。 パニックになった情けなさも、ある意味役立ったということか。 そうして予想以上に早い段階で救出された俺たちは、レイアとローエンが手配してくれていた病院へすぐさま駆け込み、ジュードを医者に診せることになった。 ジュードの診察を進めている間、俺はミラに渡された真新しい服に着替え、エリーゼが持ってきてくれた軽食のサンドウィッチを胃の中に詰めこむ作業に勤しむ。 ジュードの安否が判明するまで診察室前から梃子でも動かぬつもりだったが、濡れ鼠のような見た目も相まって、女性陣からの盛大なブーングを投げられ追い立てられたのだ。 全員顔色悪いくせに。 そんな文句をサンドウィッチと共に嚥下し、ふぅっと一息ついた頃には、不安と心配と焦燥も和らいで、幾分正常な思考回路が戻ってきた。 ジュードが気がかりすぎてせっかくのサンドウィッチの味を覚えていなかったが、あまりにも至れり尽くせりな事の運びように、準備を進言したローエンをちらりと仰ぎ見る。 だが、にこりと笑みを返されただけで、この老人の喰えなさを実感するばかりだった。 そうこうしているうちに、ジュードの診察も終わり、病室へと促される。 神妙な面持ちをした医者に診断結果を聞いたところ、疲労と豪雨による風邪の発症以外に、足を負傷していたことが判明した。 骨折まではしていないが、酷く捻ったらしく、数日安静にしておくようにときつく言い渡される。 なるほど、どうりで2人まとめて湿原で雨ざらしになっていたわけだ。 足が動かなければ、移動のしようもなく、ジュードはなす術なく雨に体温と体力を奪われ続け、疲労も祟ってあれほど弱ってしまったのか。 俺が気絶なんてしていなければ、きっとこんなことになりはしなかっただろう。 そうして医者の診断に頷いていれば、何故か俺まで診断を受ける手はずになっていたらしく、今度は俺が消毒液の匂いが充満した診察室へ放り込まれた。 だが、ものの数分で出てきた俺に下された診断結果は、多少の疲労のみというお粗末なものだった。 「心配して損しました」 なんて、つんと唇を尖らせたお姫様のすげない文句すら、今は笑って歓迎してしまえる。 腕に噛み付くティポを遊び半分で引き伸ばしつつ、やっと還って来れたと息をつく。 すると、ふと頭の中で何かが引っかかった。 違和感。 いや、確信に至りそうで至らないもどかしさ。 何だ?と頭を捻りつつ、ジュードの青ざめた寝顔を見つめた途端、その違和感の正体を知る。 「…………そういうことか」 何故、ジュードがあれほどまでに疲弊していたのか。 その解答は自分にこそあったのだ。 長時間の過激な戦闘から始まり、崖から落下した際の腕への負担、背中の強打、さらに長時間雨ざらしで体温を奪われ続けた身体が、少しの疲労で済むわけがない。 おそらく、先に目覚めたジュードは、的確に状況を把握したのだろう。 ジュードの性格を考えれば当然で、己の負傷より、俺の負傷が大きいと判断して、全ての治癒力を俺に与えたのだ。 自己管理を徹底しているジュードが、自分の回復すら疎かにしなければならないほど、俺は死に瀕していたということか。 ミラの制止を振り切ってまで後追いしたわりに、事態を悪化させただけの結果に項垂れる。 結局、助けるべき人に救われている自分が情けない。 いつだって、俺は守られてばかりだ。 「ごめんな……」 青白い頬を手の甲でゆっくりとなぞり、届かない懺悔を謳う。 俺は、あと何度ジュードに救われればいいのだろう。 いつになれば、この優しさに報いることができるだろう。 悔しさばかりが行き交って、何一つ助けになれない自分が腹立たしかった。
そうして一人悔やみ続けて1日が経ち、仲間が俺の陰鬱とした空気に慰めをかけることすら諦め始めた頃、ようやくジュードが目を覚ました。 だが、 「助けてくれてありがとう、アルヴィン。迷惑かけちゃってごめんね、次はもっとちゃんと自己管理して、戦闘も気をつけるから」 ジュードが昏々と続く眠りから目覚めて、俺に最初に言った言葉がコレだった。 己の情けなさを散々責め切った俺には、衝撃的過ぎる一言だ。 しかし、その一言がジュードらしくもあって苦笑する。 それから、現状説明も兼ねていくらか遭難当時の話をしたが、どうやらジュードの記憶は途切れ途切れになっているらしかった。 その事実を少し残念に感じてしまって、肩を落とした俺に切々と謝り倒してくるジュードを、上手くあしらえたかどうかわからない。 少しだけ、期待したんだ。 雨の檻に囚われた時間の中で、たった一言。 自分に許した本音の声を覚えていてくれてるんじゃないかって。 だが、そんな甘い願望も、高熱に溺れかけていた意識では、記憶に刻むには至らなかったらしい。 あぁ本当に、なんて残念な結果だろう。 思春期の少年にとっては忘れてしまった方がいいのかもしれないが、俺にとっては、覚えててくれた方がよかったのだから。
――――『ずっと、お前の傍にいる』
そんな、ある意味盛大な告白を、優しく微笑むジュードは見事に覚えていなかった。
* * * * 2012/07/12 (Thu) 心が弱ったときこそ、『独り』は身に沁みて寂しいもので。 その『寂しさ』をよく知る故に、自分は寄り添ってあげたいと、めいっぱいの心を分ける。 そんな優しい君の心には、誰が寄り添ってくれるのだろうか。 それが気がかりでならない。 というわけで、大変お待たせいたしました! 『本編終盤くらいのアルジュで、風邪でぱったりジュード君が倒れちゃって、卑屈になったり不安になったりしながら看病してくれるアルヴィンさん』のお話でした。 最終決戦前なので、全力でアル→ジュな上に、やたらめったら長ったらしくて申し訳ない。 そして卑屈……というより、ただひたすらにテンパってぐだぐだしてるだけのアルヴィンで申し訳ない。 しかしこの男、どさくさにまぎれて本心駄々漏れであるwwww 蓮様へ 大変お待たせいたしました。 加えて、想像を絶するほど長くなったかと思います、本当にごめんなさい。 リクエストにお応えできたかどうか、長すぎて書いた張本人のくせに実感できておりませんが、楽しんでいただければ幸いです。 よ、読むの大変ですよね、本当に申し訳ない;; 私は、書いてる最中とても楽しませていただいたんですが、逆に長文を返すという非道なことをしてしまったですね;; うぅぅ、ごめんなさい。 でも楽しかったです!← 素敵なリクエストをありがとうございました! *新月鏡* |