「a spotted rose -2-」

 

 

 

ガイアスが立ち去って数鐘、アルヴィンは枕に顔を埋めながら沈黙し続けていた。
レイアが戻り、グラスにたっぷり注がれた冷たい水を飲み干しても、焦燥と不安に駆られた気持ちを嚥下することはできなかった。
考えるべきことを一気に抱え込んだせいか、うまく思考がまとまらない。
頭の中に手を突っ込んで引っ掻き回されているようだ。
眠りに落ちて一時でも全部忘れてしまえないかとも思ったが、五感を一つ閉じるだけで、渦巻く懸念が鮮明になってささくれ立つ。
王都イル・ファンの研究所にいる青年――ジュード・マティスに、スヴェント家の魔の手は伸びていないか。
その一点だけが強く気がかりで、他のことを考えてようとしても引きずられる。
ジュードが、アルヴィンの心に深く根差した存在であり、またアルヴィンが最も心寄せる人物なのだから、当然と言えば当然のことだった。
縁遠くなっていた『愛し愛される関係』をアルヴィンの根幹に浸透させ、くさくさした性根を叩き直したジュード。
そんな青年の隣で優しい日常をおくることだけをアルヴィンは願っていた。
だが、他者の介在を許さない平凡な関係が成立するには、あまりにも世界が不安定であり、かつアルヴィンとジュードそれぞれに大きな課題を抱いていた。
その一つが、ガイアスの警告にもあったスヴェント家の存在だった。
スヴェント家はエレンピオスに広く名の知れた名門貴族で、その権力はエレンピオス国家を二分するとまで言われている。
しかし、当主の不在が20年続いていた過去があり、その間の長期的な主権争いに血なまぐさい噂が絶えなかった。
もちろん家名は負の印象が強く、世間ではあまりいいイメージは抱かれていない。
そんなスヴェント家当主の直系血族が、何の不幸かアルヴィンであり、さらに一族の象徴である金色の銃を持つというだけで、スヴェント家はアルヴィンのささやかな日常に影を落としたのである。
伸びる影の中、アルヴィンは近い未来に起こりうる危機を指摘された日から、ジュードとの関係を守るために一つの誓いを立てていた。
襲い来る脅威から自分の持てる全てでジュードを守る。
ただそれだけのために打てる布石は打ち、準備できるものは用意して今日まで生きてきた。
だが、現状はどうだ。
この手で守ると誓った相手の安否すら、今のアルヴィンに確かめる術はない。
何のための誓いだったのか。
心配に混じる無力さを感じれば、誰構わず当り散らしそうになる。
身を突く衝動を慌てて沈めにかかること数回、コントロール不能な自身への自己嫌悪は増すばかりだ。
今にもシーツを頭から被って引きこもってしまいそうなアルヴィンを見かねたレイアは、小さくため息をついた。

「もう、いつまでそうしてるつもり?言っとくけど、ジュードなら心配ないからね。アルヴィンが気にしてるようなことになってないんだから」

見透かしたレイアの呆れ混じりの声に、アルヴィンは痛みも忘れて跳ね起き、目を丸くして驚くレイアに詰め寄る。

「本当か?何を根拠に言ってる」
「わわっ、ちょ、落ち着いてよ!ちゃんと話すから」

至近距離に詰め寄ってきたアルヴィンをひっくり返すほどの勢いで突き飛ばし、レイアは背後で上がる悲鳴のようなうめき声を無視してサイドテーブルから何枚かの用紙を持ってきた。
トレイに置いてあったところを見ると、水と一緒に持ってきたものらしい。
そう結論が行き着いたとき、最初からレイアは自分に話す気だったのだと気づき、アルヴィンは遅れてやってくる激痛と戦いながら短慮な自分を恥じた。
レイアは言わないが、おそらくアルヴィンがきちんと聞く状態であったなら、戻ってすぐに話してくれたことだろう。
ガイアスが指摘したように、まだアルヴィンには冷静に受け止められる心が伴っていないとレイアにすら判断されたのだ。
悔しさに小さく唇を噛むと、エリーゼが気遣わしげに手を取った。
荒んだ気持ちを元気づけるように彼女は握る手にそっと力を込める。
じっと繋がれた手を見つめるアルヴィンに、レイアは手にした紙束の一部を差し出した。

「それがわたしの根拠。プランさんからの報告だから間違いないって」

断言して指を2本立てて笑うレイアに、アルヴィンは口を開けて驚いた。
レイアの言うプランとは、ジュードと同じくイル・ファンの医療機関で働く看護師のことで、諸事情によりガイアスに協力していた元諜報員だ。
ガイアスに仕えていた直属の主を失ったことで、彼女は看護師として生きることを選んでいたはずだった。
その事情を知るだけに、まさかここでプランの名前が出てくるとは思わなかったが、レイアとプランの関係を考えればなくもない線だった。
自分とあまり接点がないだけによく忘れるが、彼女たちの関係は亡くなったプランの主を介してかなり良好に築かれている。
ガイアスやローエンあたりからジュードの身の危険を知らされている上に、『ジュード大好き!』なレイアが遠く離れた幼馴染の状況を気にしないわけがなく、ジュードと密接な関係にある職場で働くプランに何かと連絡を取っていたのだろう。
おそらく今回だけでなく、ジュード本人に聞いてもはぐらかされる情報は、秘密裏に飛び交う手紙にしたためられているに違いない。
ジュードを泣かせたらブチのめされる側にいるアルヴィンには、身の凍るような話である。

「そういやお前ら友達だったな」

ちょっとした動揺を押し隠して、レイアから受け取った手紙に素早く目を通す。

「でもいつの時点の報告だ?」
「今朝だよ。アルヴィンがガイアスのところに運び込まれた日から朝と夜の2回必ず届くの。ジュードの周囲に異変があればどんなに些細なことでも教えてって言ってあるから、ジュードの無事は間違いないって約束できる」

レイアの報告を聴きながら読み進める手紙には、プランが接点のある時間にジュードの周囲で起こった出来事とそれについてのプランの見解が端的に記載されていた。
ジュードの簡易スケジュール表と化している報告書は丁寧かつ細やかで、伝えるべき情報の装飾を理解できる最低限まで削ぎ落としている。
情報の取得速度が物事を左右すると知っているプランだからこその気遣いだろう。

「よくプランに頼もうって気づいたな」

めくる手紙に感嘆しつつ、アルヴィンはレイアの行動にも大きな評価を下した。
だが、

「え、違うよ?わたしがプランさんに頼まれたんだよ」

褒められたレイアはきょとんとした表情で即座に否定した。
まさか否定されるとは思っていなかったアルヴィンも、思わずレイアを見上げて凝視する。

「どういうことだ」
「わたしがアルヴィンの状態に気づいたのは、プランさんが知らせてくれたからだよ。これ読んで」

そう言って追加で渡された手紙は、先に寄こされた報告書の形式と異なる書き方で始まっており、文字通り親しい人へ向けた手紙だった。
いつもこうして文通を交わしているのだろう、そう感じさせる文字並びは慌てて書いたと言わんばかりに踊っていた。
内容は、今すぐカン・バルクへ向かってほしいということ。
理由は、アルヴィンの身が危険であり詳細は話せないが緊急事態であるということ。
そして要望は、ガイアスに添付してある手紙を届け、アルヴィンの助けになってやってほしいということ。
この3点のみが明記され、ジュードについての書き込みはなかった。
ジュードの安否に懸念を寄せすぎたアルヴィンのために、レイアがこの手紙を後回しにしてくれたようだ。

「あの時は驚いたんだから。よくわかんないけどとにかく行かなきゃって、真っ先にカラハ・シャール行の船でル・ロンドを発ったの。エリーゼにすぐ手紙を飛ばして、一緒に来てもらおうって思って、ね」

レイアはちらっと視線を下げてエリーゼと視線を合わせると、言葉尻で頷き合う。
仲の良い姉妹のような仕草は微笑ましかったが、アルヴィンの感想はそればかりではなかった。

「エリーゼの学校のことは考えなかったのかよ」

鋭く落とした声にレイアとエリーゼから微笑みが消える。
エリーゼは自営稼業を手伝っているレイアと異なり、学業に専念すべき学生だ。
それも、今まで人の生業から遠ざけられていたエリーゼには、初めて触れる小さな社会の縮図である。
養子として受け入れているシャール家のおかげで、エリーゼは後ろ盾を得て学校に行くことができているのだ。
大きな恩恵で成り立つ貴重なその場所は、不明確な自分の危機を理由に疎かにしていいものではない。
そう噛みつきかけたとき、握った手を離さないままのエリーゼが、アルヴィンとレイアの間に割って入った。

「レイアを怒らないでください、アルヴィン。実際、私には学校より大事なことだったんです」
「それは結果論だ。これがかすり傷程度だったらどうしたんだよ。お前にとって学校ってのは、あっさり投げ捨てていいものじゃないだろ」
「でも、私はレイアに来なくてもいいって言われても、知ったら絶対来ちゃいます。友達が大変な時に、待ってるだけは嫌です。たとえかすり傷だったとしても、確かめるまで心配します!」

キッと向けられた眼差しと断言する声は強い。
だが、毅然と立ち向かってくるエリーゼの眦には零れんばかりの涙が溜まっていた。
溢れる感情を必死に堪えているのだろう、言葉にし損ねた必死さが伝わってくる。
それほどまでに心配されていることを、嬉しくないと言えば嘘になる。
エリーゼとて、アルヴィンと引き換えに捨ててきたものが、どれほど多くの人の優しさの上に成り立つものなのかをきちんと理解しているのだ。
それでも譲れないと訴える声には、彼女のわがままというより、アルヴィンを戒める意味合いの方が強く響く。
己の優先順位を低く見積もりがちなアルヴィンに、仲間たちはいつも先を見越して釘を刺すのだ。
少女の必死な訴えの裏に、独りで抱え込まないでほしいという声を聴いた気がして、アルヴィンはどうにもこちらが大人げないことを言ったような気分に陥った。

「……言いすぎた。でも、俺が言いたいこともわかってくれ」
「はい。アルヴィンが私のことを心配してくれてるんだってこと、ちゃんと、わかってます」
「ならいい。俺も、心配をかけて悪かった」
「そうそう、もとはと言えばアルヴィンが大怪我するから悪いんだよ」
「レイア!」

茶化すレイアに噛みつくと、面白おかしそうに笑った彼女がくるりと身を翻す。
手の届きそうで届かない位置でひらひらと翻弄するレイアを捕えようと、アルヴィンが痛みと格闘しつつ躍起になっていれば、いつの間にか神妙な面持ちだったエリーゼに笑顔が咲く。
知らずにこちらも笑っていれば、レイアの場を明るくする魔法のような振る舞いはだんだん腹が立つよりむしろ心地よくなってきた。
気遣い合う上で起こった緊迫感もどこへやら、穏やかな笑い声がそこらかしこで沸き起こってしまって、うじうじと悩んでいた気分も嘘のように軽くなっている。
2人の少女に救われた心は不思議と凪いで、そのおかげか絡まった思考もゆるゆるとほどけていくようだ。
今なら、レイアの持ってきた情報から何らかの情報がつかめるかもしれない。
弾けるように思考が切り替われば、平常時の自分が顔を覗かせる。

「しっかし、結局2人はさっきガイアスが言ったこと以外何も知らないんだな」
「ごめんなさい、です」
「いや、謝ることはないんだがな」
「そうだねぇ、わたしたちはアルヴィンの怪我を治すことに集中してたしねー。あ、でもアルヴィンならこれで何かわかるかも!ガイアスもこれ読んでいきなりテキパキ動き出したから」

最後の一枚、と言ってレイアが手渡してきたのは、プランが最初に寄こした手紙に添付されていた手紙だという。
一枚だけ質感の違う用紙にアルヴィンは少々首を傾げたが、文末によく知る人物の名前を見つけて驚いた。
その名は、決して積極的に表立って動くはずのない従兄の名前だった。
6年前、自分に忠告をくれた従兄――バランが動いたという紛れもない証拠だと認識した途端、どくりと心音が大きく跳ねて血の気が引いていく。
レイアの魔法のおかげで、ガイアスから告げられた衝撃より幾分まともに受け止めることができたが、これはいよいよ重たい実感を伴ってきたようだ。
喉を鳴らして呼吸を整えると、恐る恐るバランの手紙を読み進める。
それは、『親愛なるプランへ』と、ありきたりな出だしから始まった。

 

 

親愛なるプランへ

やぁ、プラン。
元気にしているかい?
こっちは順調だよ。
源霊匣の研究が飛躍的に成果を上げているのは、こっちにはない概念をリーゼ・マクシアがもたらしてくれたおかげかな。
これも二国間の協力あってこそだろう。嬉しいよ。
なんて言ったって、僕は君にも出会えたしね。
研究一筋で生きてきたはずなのに、研究成果と同じくらいこの出会いを喜ばしいことだと思うよ。
君は知的な女性だから話していて本当に楽しいし、共通の話題が尽きないというのはまったく素晴らしい。
と、すまないね、つい本筋から逸れてしまう。
逸れるついでに話してしまうが、君に贈った凝晶の指輪は誰にも咎められなかったかい?
もし何か言われたら、婚約指輪だとでも言っておいてくれ。
もちろん、君が嫌ではないならね。
リーゼ・マクシアもそうだが、エレンピオスですらあまり出回る水晶じゃないから、見る人が見れば物珍しさに盗んでいく輩も出てくるかもしれない。
そんな奴に容赦することはないよ。
がつんと叩きのめしてやるといい。
君はたおやかに見えて意外と芯のある強い女性だからね。
おっと、褒め言葉じゃないって怒ったかな。
失礼、何度やっても女性を褒めるのは難しいな……。
なんせ俺は頭でっかちで非力な研究者だから、そういう方面での語彙力がどうも足りないらしい。
言い訳だって?まったくもってその通り。
謝るから怒らないでくれよ。
看護師としてわがままな患者相手に日々対応している君には、一生かけても口げんかで勝てそうにないなぁ。
プラン、誠実な君が毎日仕事に勤しんでいることは重々承知している。
だからこそ、無理をしているんじゃないかって心配になるよ。
君にしてみれば、俺の方が不摂生してるんじゃないか心配だ、って言うんだろうけどね。
大丈夫、一応仮眠はこまめにとるようになったんだ。
立ったまま寝てる、なんてこともずいぶん減ったよ。
昨今の栄養ドリンクはバカにできないね。
あ、怒らない怒らない、スマイルスマイル。
手紙でまで君に怒られたら、会いに行ったらどんなに叱られるかと想像するだけで心拍数が上がってしまうよ。

さて、前置きはこのくらいにして、本題を簡潔に話そうか。
プラン、よく聞いてくれ。
これはちょっとした提案なんだが、文通はしばらくやめにしよう。
いきなり何を言い出すんだ、って言いそうだね。
俺だって、君とこうして手紙を出し合うことができなくなるのは残念なんだ。
文明の利器が溢れかえるエレンピオスでは、誰かのために手紙を書くという行為は稀な経験なんだから。
文通相手が君なら、なおさら残念で仕方ないよ。
でも、それもこれも君のいるリーゼ・マクシアと俺のいるエレンピオスとを繋いでくれるシルフモドキのためなんだ。
気づいているかな、あの子は羽に怪我を負っている。
飛べなくはないが、しばらくケージに入れて安静にさせる方がいいだろう。
ついでに、暴れて怪我をしないように、羽を固定しておくといい。
きっと不安がるだろうから、仲間を傍に置いてやるのもいいかもしれない。
シルフモドキの中でも群を抜いて孤独を嫌う子だからさ。
俺も最初は気づいてやれなくてね。
苦しそうにうずくまるあの子を見て、これはまずいと思ったよ。
なんせ長距離を飛んでくるんだ、無理をさせすぎたかもしれない。
というわけで、文通の再開はシルフモドキの翼が治るまでおあずけだね。
寂しくなるよ、プラン。
でも、会いたい気持ちはお互い様さ。
必ずまた会いに行くから、それまで大人しく待っているんだよ。
変節風の吹く時期だ、患者が増える頃だろう。
君も体調には十分気を付けてくれ。
暁の堅牢なる景勝に託す。

愛をこめて、バラン

 

 

「密偵同士のパイプラインか……」

一気に読み終えたアルヴィンは、気の抜けた感想を零しつつ息を吐き出した。
思う以上に緊張していたらしく、強張った筋肉から余計な力が抜けていく。
アルヴィンがしっかり読み終えたことを確認したレイアは、何故かアルヴィンと同じように気の抜けたため息を吐き出していた。
雰囲気に感化されて、息が止まるほど固唾をのんで見守っていたらしい。

「あの2人、いつからそんな仲になってたんだよ」
「ずいぶん前からみたい。わたしも何度かバランさんとの手紙を見せてもらってたはずなんだけど、全然知らなかったよ。友情と恋愛の間みたいな仲なのかなって思ってたくらい。しかも、この手紙読んだだけでガイアスが絡んでるなんて思わなかったし。この手紙とセットで『アルヴィンさんを助けてあげて』とか言われても、最初何のことかさっぱりわからなかったんだから」
「でも、レイアはすぐに動いてくれました。きっとプランさんもレイアならそうするって知ってたんですね」
「エリーゼも、ね」
「はい」

嬉しそうに笑顔を向け合う2人に苦笑しつつ、アルヴィンは再び手紙へ視線を戻す。
ぱっと見るだけなら、レイアの言うように意中の相手への手紙としても読み取れるが、これはれっきとした依頼書だ。
負傷したシルフモドキはアルヴィンを、凝晶の指輪はジュードを指す。
シルフモドキと揶揄されるのは、アルヴィンが世界中を飛び回っているのに加え、実際に文通の仲介者として鳥を使用しているからだからだろう。
プランとバランを繋ぐ鳥の存在は事実であるため、彼女がガイアスと繋がっていることやアルヴィンと面識があるなどの諸事情を知る人間が読まない限り、ここでアルヴィンの名前が結びつくことはない。
同じように、この手紙でジュードについて読み取れる人間もまた限られてくる。
バランの言う凝晶とは、装飾品の一つとして人気なライトグリーン色の凝核より不純物が少ない水晶のことで、透明度が高く緑より白に近い色を持つ。
エレンピオスでは貴重な水晶の一つでそれなりに値の張る代物だ。
源霊匣研究でも貴重な鉱石として精霊の化石を用いるため同じ鉱石つながりで選んだか、凝核の色つながりでジュードの名の響きと似た異名を持つ翡翠≪ジェイド≫の意味合いを含んだ表現か、そのどちらかだろう。
しかしバランのことだ、ジュードに関しても事実になるよう実際に凝晶の指輪をプランへ贈っている可能性がある。
従兄はやると決めたらとことんやってしまうため、密偵同士の関係設定とはいえ、どこまで本気か計り知れない。

「うーん、この内容を読むだけだと、ジュードを狙う輩に気をつけろってことと俺を軟禁状態にしろってこと、連絡するまでしばらくこっちに何のアクションもしてくるなってことくらいしかわかんねーな。バランの奴、相当ヤバいことになってんじゃないだろうな」
「え、そんなことどこにも書いてないけど?」
「あれま、わかんなかったか。子供だましもいいところな内容なんだがな」

『友情と恋愛の間』などと零していたので、そういう方面に花が咲いているのかと思っていたがどうやら的中したらしい。
文章を疑うことなくそのまま受け取るレイアの純粋さは羨ましいほど眩しいが、敵がそんな純粋さを持ち合わせているとも思えない。
設定したプランとの関係を踏まえて要件を告げてくるのはさすがだが、バランにしてみれば相当焦って書き記したのだろう。
ガイアスも即座に行動に移したのだから、読む人間が読めばわかってしまう端的さだ。
しかもそんな状況へ陥った経緯や原因が一切省かれている。
敵の手に渡った場合の情報漏えいへの懸念か、それとも書き込むだけの時間も惜しかったのか。
もしくは、

「バラン本人も経緯を知らないか、だな」
「でも、緊急事態だって言ってきたのはバランさんが最初なんでしょ?」
「あぁ、だから余計にその線が濃い」

文中に出てくる『気づいてやれなかった』の一言に、アルヴィンは従兄なりの自責の念を感じ取っていた。
バランが気づいたときにはもう、スヴェント家の包囲網はそれなりに狭まっていたのだろう。
アルヴィンが大きな負傷を抱えていることはもちろん考慮されているだろうが、バランの手紙が告げる一番の要求は『暁の堅牢なる景勝に託す』――つまり、スヴェント家の魔手から最も遠いガイアスの元で保護し、決してそこからアルヴィンを動かすなということだ。
バランがそこまで要求してくるのだ、今アルヴィンがエレンピオスに戻ればどうなるかわからない。
事態がどうなっているのか、それは自分を逃がしたバランとて把握しきれていないのだろう。
いうなれば、この手紙は『不明確な状態で物事を動かすな、ちょっと調べてくるから連絡を入れるまで大人しくしてろ』という従兄のありがたい忠告なのだ。
この不利な状況下で唯一目に見えて明らかなのは、スヴェント家の者にアルヴィンが見つかれば、逃走不可能な坩堝に巻き込まれ抵抗など無意味と嘲笑うように望まぬ場所へ引きずり込まれるということだけだ。
従兄の忠告通り、今は下手に動かない方が懸命なのだろう。
そう結論をはじき出すことに成功したが、アルヴィンには別の懸念が生まれてしまった。
バランのとっさの判断が自分を救った可能性は大いにあるが、その代償にバラン自身が火種の渦中に取り残された状態なのだ。
ジュードのように誰かを介して無事を確かめることもできなければ、ズタボロの身体でこの城から出ることも叶わない。
「俺の心配より自分の心配したら?」とヘラヘラ笑うバランの顔が脳裏をよぎれば、「うるさい、お前の笑顔はいちいち胡散臭いんだよ!」と詰ってやりたくもなる。

「アルヴィン」

呼ばれて我に返れば、相当暗い顔で沈んでいたのだろう、2対の瞳が眉根を寄せてこちらを窺っていた。

「あ、悪い」
「ううん、仕方ないよ、従兄なんだし」
「バランさん、心配ですね」
「あぁ」

優しい労りに寄り添われれば、少しは気持ちが楽になる。
従兄の安否を気にかけているのは自分一人でない。
彼女たちは感情から気にかけてくれるが、レイアが言ったように、バランと接点を持っていたガイアスがこの手紙を読んで無力なアルヴィンのように動かないはずがないのだ。
当面のどうにもならない状況は、一番活動的でいられるガイアスに押し付けておけばいい。
アルヴィンは怪我の回復を優先し、その間自分にできる最良を見極め、実行し、考えられる未来を予測し対処法を考えることに集中していればいいのだ。
ただし、その予測を立てるためには、必要な情報がまだ揃っていない。
まず己に冷静さを取り戻し、欠如した情報を得るためにガイアスに話の席についてもらわなければならない。
何がわかって、何がわかっていないのか。
それが判明してからが本当の闘いだ。
ぎゅっと唇を噛み締めて決意を固め、レイアに呼びかけようとしたとき、重厚な扉が静かに押し開かれる。

「頭は冷えたか」

再び姿を現した覇王を前に、アルヴィンは口端を持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2013/11/27 (Wed)

彼女たちがいた理由。


*新月鏡*