「tea time of happiness」
麗らかな風が吹く街、カラハ・シャール。 商業の中心地として名高い街は、行く人来る人が絶え間ない。 働く者の表情は明るく、客寄せのよく通る声と交渉の声が混じりあって心地よいノイズが行き交う。 大通りの一角にあるカフェテラスからその様子を眺めると、自分のいる場所だけ時間の流れがゆったりとしているようだ。 そんな錯覚を抱いてしまうのは、日ごろの自分が忙しなく仕事に追われているせいだろうか。 味わうためでもないのに勿体つけて飲んでるアイスコーヒーに再び口をつけ、アルヴィンは心ここにあらずで呟いた。 「最近、なーんか得体が知れなくて、落ち着かないんだよなー」 うっかり零した、という表現が嵌る独り言。 無防備にそんな独り言を呟くのも、テーブルを挟んで向かい側にいる話し相手がエリーゼだと認識しているからこそだった。 エリーゼ以外の仲間の前で、アルヴィンが無防備な独り言を零すことはあまりない。 その要因は、仲間相手でも気を遣ってしまうという一言に尽きる。 誇大表示で気取ってみたり、心配かけさせまいと気丈さを装ってみたり、高い意識を持ち続けていると自らに無理難題を押し付ける形で表明してみたりと、どうしてもいらぬところに力が入るのだ。 その点エリーゼ相手となると、子供相手の独り言と割り切るせいか、気取る必要も建前を振りかざして気遣う必要もないと楽観視できてしまうらしい。 もちろん、変革の日の前夜にあった過去の出来事も影響しているが、総じて彼女が話し相手となると、途端、アルヴィンの本音が出やすくなるのは常だった。 ジュードやレイアも子どもに分類できそうだが、既に社会の一部を担う立場になってしまった少年と、自分の夢を目指しながらも自営稼業を手伝っている少女を、子ども扱いにはしにくいものだ。 特にジュード相手では、独り言や弱音を零す前に察知されて暴かれるか、頭を撫でられ慰められるかのどちらかである。 アルヴィンとてそんな絵面を情けないとは思うが、それも悪くないなと思う自分も確かにいて、満たされた現状を実感すればするだけやはりどうにも落ち着かない。 そわそわと身体を小さく揺らしてみると、向かいでお行儀よく座っているエリーゼが小首を傾げた。 「私は、幸せそうに見えますけど?」 そういうエリーゼこそ、柄の長いスプーンを一生懸命繰りながらパフェのクリームを口いっぱいにしてとても幸せそうだ。 甘いアイスをぱくりと口にした瞬間のふんわりと幸せを味わうような笑顔を見せられてしまえば、無意識に釣られてしまうくらい幸せ気分を振りまいている。 にこりと笑う彼女は愛らしく、女の子はどんどん美人になるな、とアルヴィンは素直に感想を抱いた。 パフェに悪戦苦闘する少女を親心に似た感覚で愛でつつ、アイスコーヒーをひと口。 「そうかなー?」 「そうですよ。アルヴィンは幸せじゃないんですか?」 「んー、微妙」 「アルヴィンは贅沢です」 「贅沢かねぇ」 行儀悪く片肘ついて顎を支え、ぼんやりと間延びた返事を返すと、スプーンを振りかざしたエリーゼにすかさず怒られた。 宰相のローエンと領主であるドロッセルの教育の賜物か、エリーゼは同じ年の子より礼儀作法がしっかりと身についている。 追加で小言みたく叱ってくるのはローエンの影響だろう。 いい影響だけを受けてくれればいいのだが、彼女は師事する対象から与えられるものを素直に受け入れてしまう傾向があり、どこかの優等生も精霊王に憧れて一時似た道を辿っていただけに、同行していた彼女もそうなるのではと少しだけ懸念がよぎる。 「アルヴィン、幸せって、怖いものじゃないですよ」 水面下で気を揉むアルヴィンなどお構いなしに寄こされた一言に、アルヴィンは間抜けにも唖然とした。 見れば、エリーゼはスプーンを繰る手を休めてアルヴィンに笑いかけている。 まろやかな声音に不釣り合いな意志の強い瞳は誰譲りだろう。 あらぬ方向へ思考を飛ばしつつ、与えられた言葉を転がす。 真剣なまなざしに縫いとめられた身体を意識しながらも、エリーゼの一言に思考は目まぐるしく移ろった。 それもそのはず、彼女の指摘が、――真実――、自分の落ち着かなさの理由そのものだったからだ。 アルヴィンは幸せを求める反面、長らく触れてこなかったそれを持て余しているのだ。 だが、アルヴィンにとって、大人のぐだついた言い訳をすり抜けて指摘される真理は、すぐに認めるには少々抵抗があるものだった。 渋る気持ちが顔に出ていたのか、エリーゼはアルヴィンの顔を見咎めると、仕方がないと言わんばかりに鼻を鳴らして再びパフェへ視線を向けた。 「幸せは、そんなに簡単になくならない、です」 「……なくなるかも知れねーだろ」 ようやく出た声があまりにも歪に感じた。 大人げないのはわかっている。 しかし、アルヴィンが身をもって経験してきた過去たちが、素直に受け入れることを良しとしないのだ。 身を任せてしまえばいいと頭では思うものの、失った時のことを考えれば傾ぐ心にブレーキがかかる。 目先の暗闇にとらわれて、今いる場所が酷く不安定にすら感じるのだ。 見通せない未来がもどがしく、もっとしっかり対処できるように生きなければと急きすらする。 長年に亘って培われたこの癖ばかりは、いくら周りが言い聞かせても一朝一夕で直るものではない。 アルヴィンにとって最も影響力のあるジュードですら、変革の日以後もくさくさしていたアルヴィンを立て直すのに相当な時間を要したのだ。 ジュードとは別の意味で特別さを持つエリーゼから告げられたとしても、心がなかなか納得してくれない。 アイスコーヒーの中で沈む氷の涼しげな音すら、羨ましく聞こえるありさまだ。 意固地な自分に嫌気がさす。 項垂れるように視線を落としてみるも、小さなため息が耳に届けば少しばかり身がすくんだ。 「今から失くすことを考えるのって、寂しくないですか?」 「寂しいかもしれないが、失くなってからじゃ遅いだろ?」 「そうですね、その気持ちはわかります。でも、じゃぁアルヴィンは、『みんなで集まってこれからパーティーしましょう』ってなったときに、お別れのことを考えるんですか?」 見透かすように投げられた素朴な質問に、アルヴィンは思わずエリーゼを凝視した。 やや目を丸くして見つめた先に、同じように丸くなった瞳がこちらを見つめている。 結露した滴が指先を濡らす数秒に、問われたイメージが駆け巡り、僅かな空白を置いてアルヴィンは呟いた。 「……いや、考えない、かも」 「幸せだから、考えつかないんですよ」 気軽に放り投げるように飛んできた端的な解答は、不思議とアルヴィンの胸の内にすんなり収まった。 なるほど、それが普通の感覚で、それが自然なことなのかもしれない。 幸せの真っ只中にいながら、その幸せを実感し続ける人間なんて、世界中探しても微々たるものだろう。 幸せに気づくのは、いつも振り返った時だけ。 ほんのささやかなきっかけを通じて触れた瞬間のみ、人は我に返ったように幸せを実感するのだ。 反芻して納得を噛み締める傍ら、エリーゼの真理を突く問答にアルヴィンは素直に感心した。 初対面の頃から、5年も経てばいい線いくだろうと目算で想像していたが、予想を上回るほどとんでもなくいい女になりそうだ。 これは周囲の人間の害虫駆除が大変だろう。 遠くない未来で自分が一番熱心に害虫駆除に勤しむことになるなど露にも思わず、アルヴィンは他人事の感想を抱きながら、エリーゼに怒られない程度に頬杖をついて訊いてみた。 「エリーゼ姫は、今幸せ?」 「幸せですよ。お天気はいいし、パフェも美味しいし、ジュードに久しぶりに逢えるし、ついでにアルヴィンも来てくれました」 「俺はおまけかよ」 オーバーリアクションで肩を落とせば、跳ねるような可愛らしい笑い声が転がった。 彼女は色々なものを通じて、毎日幸せを実感しようとしている稀な人なのだろう。 その証拠に、彼女が見せる笑顔の明るさは、出会った頃にはなかったものだ。 暗がりの部屋で孤独にうつむいていた少女は、もう見る影もない。 出会いの頃を思い出して感慨深く夢想していると、ひとしきり笑ったエリーゼが可愛らしく小首を傾げた。 「アルヴィンは、幸せですか?」 数分前と酷似した問いかけ。 わざとかどうかはわからないが、彼女はアルヴィンから返ってくる答えが数分前と異なると、もうすでにわかっているらしい。 期待に満ちた瞳がきらきらと輝いて待っている。 そして彼女のご期待通り、アルヴィンは素直に応えた。 「まぁ……幸せ、かな」 ――――幸せすぎて怖いくらいには
* * * * 2013/10/20 (Sun) お姫様と傭兵の幸せ談義なティータイム *新月鏡* |