「spring scenery -4-」
永遠に続く銀世界。 その世界にも、薄らとした季節はある。 移ろう季節に太陽のぬくもりが届けば、厳しいばかりの雪景色にも暖かさが灯る。 風霊終節≪カルム≫ともなれば、水場≪ウンディス≫の足音が間近に迫る季節。 年中雪に覆われているとはいえ、地場≪ラノーム≫から風場≪ラシルフ≫にかけての身を刺すほどの冷気を知っている者は、日和のいい今日をとても優しい顔をしていると言うだろう。 たとえ今が月の上る時分だとしても、この時期から向こうの夜は徐々に穏やかになってくる。 日中であれば、よりその変化ははっきりと見えるだろう。 はらはらと降る結晶も、太陽の光に透けてずいぶん儚く輝いて見えるものだ。 日々の目まぐるしさを忘れさせてくれるような景色に思いを馳せつつ、雪に沈む足跡を残して歩みを進める。 いつもの場所から見上げているのに、昼と夜ではずいぶん印象が違うようだ。 人々が寝静まった深夜。 しんと静まり返った夜のとばりに聞こえるのは風の声だけで、自分以外の気配はどこにもない。 だが、心を落ち着かせるような不思議な空間がここにはあった。 王として慣れ親しんだ場所だからか、それとも彼女のせいで思い入れの強い場所になったからか。 そろりと縁側へ視線を移して思い耽る。 今日は、変化の結果が姿を現す約束の日だった。 この日を、待ちわびていたという気持ちはなかったが、周囲を探るように観察していると気づけば、少しの変化も見逃すまいとしているようで苦笑する。 だが、そんな気持ちで真っ白な庭の中、微動だにせず待ち続けていても、変化が現れる兆候は一向になかった。 しばらく佇み続けていたが、さすがに足先に少しの冷えを感じれば、長く留まりすぎたかと時間の経過を思い知る。 いくら履いているものが厚手のブーツだとしても、長時間雪の中に埋もれていることを推奨する靴ではない。 鐘1つ分留まり続けることも難しいか。 見切りをつけるように、月を仰ぐ。 やはり、来るわけがない。 そう自分の中で結論付けたとき、思いのほか己が落胆していることに驚いた。 彼女が姿を見せないことは何となく察しはしていたのに、思わぬ変化の働きかけと、けしかけた人物の前向きな言葉に、少なからず期待を抱いたのだと気づく。 その期待の分だけ、現実の結果に一陣の冷風が胸を吹き抜ける。 最初から、この再会は成立しないと頭ではわかっていたはずだ。 しきりに自分に言い聞かせる。 こんな再会が叶うなら、それはとうに実現されているはずなのだと。 花を贈り、その花が消えていくたびに、確かに自分と彼女のつながりは示されていた。 にもかかわらず、人間よりよほど寂しがりな彼女が、示されたつながりを強めようとする行動をとってこなかった。 こちらから手出しする術がなくとも、次元を行き交う能力を身に宿す彼女なら、当然こちらへの干渉など呼吸をするほど容易いものだ。 しかし、花を贈り始め、日課となっても、それは一度としてなされていない。 おそらく、それが彼女の導き出した明確な境界線なのだろう。 姿を現さないことには彼女なりの意味があるのだと、花を媒介に彼女の存在を知った当初も考えたことだ。 だから、今日の一方的な約束事も、おそらく破綻すると思っていた。 彼女の意思もあるが、ローエンの仕込んだメッセージに気づくかどうかも怪しければ、待ちぼうけを喰らう確率の方がよほど高い。 ただ、そうとわかっていながら雪の敷き詰められた庭に佇み続けるのは、意地半分、自己満足も含まれていた。 こうして雪降る景色に一人身を浸していると、自然と頭の中の澱みが薄れて冷えてくるのだ。 余計な雑念が振り払われて、物事の単純で重要な一点のみがクリアになれば、押し込めてきた自分の本心が目を覚ます。 人は役割を演じてばかりでは生きられない。 本心を見失えば、己の正体を見失い、結局目的も何もかも見失ってしまう。 忘れてはいけない自分の本心。 それを彼女との時間に見出し、『ガイアス』ではない自分を感じていられる気がして、花贈りの習慣がここまで興じてしまった。 彼女への想いと、自分のための時間は、とても心地よく日常に溶ける。 できることなら失いたくないと思うほど、もはや身に沁みてしまっている。 変化を促した後でも、変わらず彼女は花を受け取ってくれるだろうか。 うたかたのように浮上した疑問に、視線が雪の結晶を追って落ちる。 その時、純白に染まるばかりの視界に異色の欠片がよぎった。 ゆるりと弧を描き、風に踊り、戯れるように翻る。 唯一異なる色の欠片を追い、無意識に手を差し出せば、無骨な己の手のひらに舞い落ちる薄桃色の花弁。 ひとたび風が吹けば、あっという間に攫われそうな儚さに、とっさに指先で包み込む。 柔らかく握り込み、しかし逃がすまいと隙間を閉ざして引き寄せる。 閉じ込めてしまえば、どこにも去っては行けないだろう。 短絡的にそんなことを考えた瞬間、下から突き上げるように風が吹いた。 とっさに目を瞑ってやり過ごし、治まった頃合を見て風の行く先を追って面を上げる。 途端、見上げる自分の頬に、するりと何かが滑り落ちた。 優しく撫でるように去っていったその正体を追いかけようとしたが、それより先に夜空の異常さに気づき、目を見開く。 遮るもののない広い空から、無数の花弁が降り注ぐ。 さきほどの突風で巻き上げられたとでもいうのだろうか、舞い降りてくる花びらは次から次へと絶え間ない。 はらはら、ひらひら。 見上げた空から、雪に混じって舞う花弁。 何処からともなく現れて、優しい雨のようにこの身に降る。 自分のいる、この場所、ただ一点にのみ降る花の雨。 奇怪な出来事でしかない現象も、それを起こしているだろう人物に思い至れば胸を打つ。 まさかこんな芸当を仕掛けてくるなど、誰が予測できただろう。 本当に、予想の斜め上の行動をしてくれる。 だが、この目を彩る雪と花弁の美しい共演は、現実が霞むほど自分を魅了してやまない。 人ではなせない演出に、不思議と自分が贈り物をされているような気分に陥る。 再会のメッセージに気づいたはいいが、ただの再会で終わらせるのは面白くないとでも考えたか。 趣向を凝らそうと、懸命に考えてくれたのだろう。 彼女があれこれ悩んだ上で、精霊らしい優美な花を贈ってくれたのだと思えば、胸の内に灯る温かさが増した。 こんこんと降る花の雨に打たれながら、そっと目を閉じて彼女の気配を探る。 しかし、先ほど一人で佇んでいた時と何ら変わらず、どこにも自分以外の気配がなかった。 花の雨だけが俺に彼女の存在を伝えるのみ。 ならば、と無駄な詮索を中断してひとつ決意をした後、やや見上げる形で握り締めた拳を何もない暗い夜空に向かって掲げる。 先ほど閉じ込めた花弁を解き放つように、そっと指先を解いて差し伸べる。 すると、少しの沈黙を置いて、少しの重さが添えられた。 瞬きの僅かな空白に、花弁の代わりに突如現れた一枝の花。 与えられた花枝を引き寄せて、じっと見つめる。 それが全ての答えだった。 「息災で何よりだ」 花の雨の中、己の声がしんと静まる雪に溶ける。 堅苦しい再会の言葉に、再び風が巻き起こり、さらなる変化を目の前に差し出した。 真っ白な雪の絨毯に、薄桃色の文字が浮かび上がる。 ――――『あなたも』 そのたった4つの文字に、俺はようやく安堵した。 彼女は約束通りに会いに来たのだ。 自分の定めた境界線を守りつつ、無数の花を代弁者にして『ここにいる』と伝えに来たのだ。 目に見ること叶わぬ彼女だが、自分の身近な場所にいることは間違いない。 そのことに、なるほどミュゼらしい、と口端が少し上がる。 「よく気づいたな」 『当然よ』 「変わりなさそうだな」 『いいえ、私だって変わるわ。誰もが同じではいられない』 「変わる、か。確かにあの日からずいぶん変わったものだ。世界も俺も」 『毎日忙しそうだものね』 「やはり見ていたか」 『えぇ、もちろん。でも、休めるときはちゃんと休んでちょうだい』 「仕方ないだろう。俺にはやるべきことがある」 『知ってるわ。だからこそ、休息を疎かにしてはダメ』 「お前からそんな言葉を聞くことになるとはな」 『言わせたのはあなたよ』 ぽつり、ぽつり、ゆっくりと交わされる会話は、まるで秘め事のようだ。 一瞬で掻き消え、次の文字を描き出す花弁の動きは、いつまでたっても見飽きることがない。 それが彼女らしい返答を表すのだから、より一層貴重なものを見ているような気分だった。 ひとつ会話をするごとに、彼女の返答は懐かしさと真新しさを匂わせる。 そのどれもが沁み入るように自分に溶けて、彼女の存在が傍にあるのだと知らしめる。 なかなか味わうことのない感覚に、月が傾いていることにも気づかず話し込む。 途中から、突っ立ってないで座れと言われ、風邪をひくから何か羽織れと言われ、小姑めいた小言がたびたび飛んできて、自分の知る彼女の姿を重ねるとおかしかった。 本人の言う通り、彼女は見ない間にずいぶん変わったのだろう。 だが、彼女本来の気性が垣間見えて、微笑ましくさえ思えるのだから喜ばしいことだ。 涙にふさぎ込むイメージが強い分だけ、彼女の変化が心をくすぐる。 その変化を直に見ることができないことだけが、少しだけ残念ではあったが、その想いは胸の内にしまっておくべきことだろう。 僅かな感慨に揺れている間も、彼女は留まる事を知らぬように文字を綴る。 贈った花の行方、日頃の行動、カン・バルクで見た朝焼けの色、イル・ファンで見た夕暮れの片鱗、エレンピオスの芽吹き。 この目に映ることのない景色を、彼女は詩人のように語り続ける。 加えて、その日一日あったことをあまりにも細かく話すから、時間がいくらあっても足りる気がしない。 必然的に相槌や端的な疑問を返すばかりになってしまったが、それでも途切れることのない言葉のやり取りは心地よかった。 それからどれくい時間が経ったのか。 数を数えるのも億劫になるくらいの言葉を交し合った後、ふと思い出したように沈黙が降りてきた。 話が尽きたわけではない。 おそらく、 『ごめんなさい、時間だわ』 そう表れた文字を見て、こんな時ばかりは予想通りに動くのだな、と思った。 幾分小さめに綴られた文章に、しゅんと縮こまって俯いていたりするのだろうか、と彼女の姿を思い描いて苦笑する。 彼女のしおれた姿を思い出してしまうと、どうにも「平気だ、気にしていない」と言ってやらなければならないような気がしてしまう。 変わったと宣言した彼女だが、変わらないところは色濃く残っているのだろう。 寂しがりの大精霊。 秘めた力に不釣り合いなほど純粋な感情を持つ彼女は、あの時と変わらずそのままそこにいるのだ。 「ミュゼ」 胸の内に強く根づいてしまった名を口にして、ぎゅっと口端を引き締める。 すると、再び風が吹く。 そっと羽が舞い降りるような柔らかさで、別れの言葉ではなく、再会を願う文字が表れる。 その文字に、肩の力を抜いて口端を引き上げる。 珍しいことに、どうやらこちらの意図が通じたようだ。 願われる、再会の約束。 それは、明日からまた始まる日課ではなく、筆談を通して交わす秘め事でもない。 互いの目に互いを映す再会。 いつ叶うともわからない再会。 ――――『いつか、また会いましょう』 だから、予測不能な未来に、『いつか』の約束を交し合う。
「あぁ、いずれ……な」
ゆっくりと頷いて約束を結ぶ返答を告げた途端、再び突風が下から突き上げ、花弁を攫う。 薄桃色の欠片を巻き上げて、月夜へ去る花嵐。 夢見るように束の間許された逢瀬も、あっけないほどあっさりと掻き消える。 彼女は、どんな表情をしていたのだろうか。 想い馳せ、遠く視界から消え去る花嵐を見つめる眼差しに少しの名残惜しさがあったなど、見送る俺には気づくことができなかった。
* * * * 2013/06/03 (Mon) ガイミュゼ再会の結末。 ミラジュとは違った遠恋で、ガイミュゼはなんか糖度と寂寞感が割り増しな気がする。 あとちょっと小話ネタあるけど、それは気が向いたときに。 *新月鏡* |