「the twilight world」

 

 

 

今、私の両手に二つの事実がある。
ひとつは、私がマクスウェルとして、命を投げ打ってでも果たすべき使命があるということ。
もうひとつは、マクスウェルの命が尽きれば守るべき世界が壊れてしまうということ。
生じた矛盾は沈黙を保ったまま、じわりじわりと這い寄るだけで、私に何一つ明確な真実を与えない。
流されるままに矛盾を受け入れることはできず、私は2つの事実からひとつの答えを導き出した。
それは、可能性の域を出ないものの、異様な実感を持って私の中に落ち着いた。
認めたくないと思う気持ちとは裏腹に、この答えが真実であれば、私の中に生じた矛盾に納得がいく。
全て丸く収まる。
ただ、矛盾の解決が済んだはずのこの胸に、未だわだかまる気持ちはなんだろうか。
拒絶や悲哀、憐憫、色々当てはめようとしたが、どれも違う。
一番近いものは『恐怖』という感情なのかも知れない。
だが、なにかが違う。

 

「こんなところにいたんだね、捜したよ」

穏やかな声が優しく耳に届く。
巻き上げる風になびく髪を押さえて振り向けば、ジュードがほっとしたような表情で佇んでいた。

「僕も一緒にいい?」
「…………あぁ」

今更何を気を遣うことがあるのだろうか。
そういえば、振り返る先にジュードがいることが、ずいぶん当たり前になってしまっている。
そんなに長くもないと思っていたが、記憶を逡巡すれば『思い出』は尽きることなく再生されて止めどない。
思うよりずっと長く共にいたのだな。
ぼんやりそんなことを思いながらジュードの瞳を見つめていると、自然とささくれ立った心が落ち着いてくる。
静かに凪いだ気持ちで目の前に広がる雲海を見れば、懐かしいような温かさに包まれた。

「妙なものだ。この光景を見ることは、以前の私にとって難しいことではなかった。だが、今になってみると、世界が改めてすばらしいものだと実感できる」

そう、人が呼吸をするように、私はこの光景を当たり前のように目にしていた。
そんな『当たり前なこと』を長らく失い、ようやく再会した景色に、私は初めてシルフに見せてもらった感動を思い出す。
いつの時も、この世界は美しく視界を彩る。
風の気まぐれさを、炎の温かさを、水の穏やかさを、大地の優しさを。
無性に感傷的になるのは、同じ景色を見ているのに寄り添う彼らがいないせい。
失った四大を思い出せば、どうしたって心が痛む。
口うるさくやかましい精霊たちだが、おそらく『家族』に近しい存在だ。
そんな彼らが捕らわれている兵器を、私は今から破壊しに行くのだ。
覚悟はしているものの、失わなくて済むのならそれに越したことはない。

「ミラ……あのさ……」

遠く想いを馳せるように眺めて、どれくらい経っただろうか。
タイミングを推し量るように躊躇いがちにジュードが呼んだ。
少し俯き加減で話し出そうとするのは、彼のちょっとした悪い癖だな。

「前にも話したけど……この旅が終わったら……」
「……あぁ」

言われてカラハ・シャールでの出来事を思い出す。
忘れるはずがない。
ジュードから、この上ない優しさに溢れた言葉をもらった日だ。

私の意思に報いるように。

私の想いに寄り添うように。

まだ幼いなりに、ジュードは人と精霊を守りたいと、私と共に在ろうとしてくれて。
分かち合おうと歩み寄ってくれる存在が、これほど心強く、温かなものだとは思わなかった。
得体の知れない不安に揺らいでいた心を溶かすような思い出に浸りながら、私はただ静かにジュードの言葉を待つ。
旅が終わった後の話は、あれから一度もしていない。
何かしら妙策でも浮かんだのだろうか。
じっと見つめていると、

「ううん、やっぱりなんでもない」

開きかけた唇を再び閉じて、ジュードはまた視線を落としてしまった。
「そうか」と返したものの、少々がっかりしている自分に気づいて困る。
無意識にジュードに何かを期待してしまうらしい。
その『何か』は未だに正体が掴めていないが、その感覚を自覚すれば少しばかりの不安がこみ上げる。
漂う沈黙と沸き起こる不安を振り払うように、私はとっさに口を開いた。

「ジュード、私からも話しておきたいことがあるんだ」

一瞬、多少の躊躇いが顔を出したが、口にした以上もう止めようがない。

「私の身に関わることだ」
「ミラの?」

心配げに覗き込んでくるジュードと視線が合えば、途端胸の奥が悲鳴を上げる。
喉が引きつったように締め上げられて息苦しい。
不確定でありながら有力な可能性。
『マクスウェルである私』を一心に追ってきてくれたジュードはどう思うだろうか。
ぞっとするような暗闇が、私の言葉を思い浮かぶ端から喰らっていく。
この感覚は、何だ……?

「君をだますつもりはなかったが、結果的にウソを……」

導き出した可能性は、私にとってもジュードにとっても残酷なものだ。
純粋な輝きを宿した真っ直ぐな瞳が、険しく揺らぐ。

「ミラ?ウソって何?」

ジュードがそう詰め寄ると同時に、遠くけたたましいアグリアの声が飛んできた。
後退りかけた展開に、思わぬ救いの手がきたものだ。
ちらっと後方を見やって促すものの、ジュードの視線が私から逸れることはない。


――――……本当に君は……


ジュードの真摯な瞳に、苦笑が漏れる。
向けられる純粋な感情が嬉しい反面、どうしようもない現実がこんなにも哀しい。

「呼んでいるぞ、行ったほうがいい。話ならいつでもできる」
「う、うん……」

話は終わりだと背を向ければ、渋々ながらもジュードの気配が遠のいた。
きっとジュードに余計な不安を与えたに違いない。
悪いことをしたと後ろめたく思いながら、心のどこかでほっとしている自分に気づく。
確証を与えるように、あれだけ鈍い痛みを放っていた胸の奥は静まり返っている。

「ジュードに真実を知られるのを、私は恐れているというのか……」

だが、それも少し違うような気がする。
限りなく近く、だが決定的に違う。
かすかな期待に縋るように、空に手をかざして大きく印を描くが、応える気配も感じられない。
来てくれるはずがない。
わかっている。
ただ、四大ならわかるかもしれないのに、という歯がゆさだけがこの胸に残った。

 

だが、現実は揺れる心を整理させるつもりはないらしい。
眼前に迫る光景は自然の美しさを失い、戦艦が集結する海上は爆音にまみれ、戦火はみるみるうちに燃え広がった。
優先順位を切り替えて、私は成さねばならない使命を振りかざし、ジルニトラへと躍り出る。
アルクノアの残党やエレンピオスの軍勢との交戦は激化し、終わりの見えない混戦状態の中をひたすら駆けた。
その間、焦るばかりの気持ちに小さなミスが続いたが、そのミスに苛立つたびに、ジュードはそっと寄り添い、私の中の闇を拭い去った。
荒い言動を投げれば、心配そうな瞳が私を冷静にさせ、どれだけ小さな傷を負ったとしても、すぐに駆け寄り温かな精霊術で私を生かす。
そうして支えられ助けられながら、首謀者であるジランドの野望を討ち払い、ようやく私はこの場所へ戻ってきた。
クルスニクの槍の元へと。
この凶悪な威力を保持する黒匣を巡って、人と精霊がどれほど血を流したことだろう。
解放した四大精霊と共に、この場で悲劇の根源を絶つ。
そう構えたところで、突如、膨大なエネルギーを孕んだ重圧が降り注ぐ。
全てをねじ伏せるような圧倒的な重力は、その場にいた人間を無慈悲に押し潰すまで消えることはないだろう。
この力の源は、気配から察するにおそらくミュゼ。
彼女が何故こんなことをするのかまではわからないが、このままでは全員の命が危うい。
何か策はないかと思案していれば、

「そうだ。クルスニクの槍を使うんだよ。あれは術を打ち消す装置なんだっ!」

後ろから苦しげなジュードの声が叫ぶ。

「槍、か……」

まさか、自ら黒匣を使う日が来るとは。
これを発動させれば、おそらくミュゼの強制命令に従う微精霊たちの多くが死んでいく。
さらに悪いことに、この場にいる人間を殺すほどの大量のマナを、この兵器は必要とする。
このままではどちらも死ぬ。
だが、これを使う以外に救う手立ても見つからない。
降り注ぐ重圧に命を落とすか、可能性に賭けて槍を使うか。

「ア、アハハ!あれに自分から力をあげるって?」
「命懸けか……」
「だが、やらねば……いずれにせよ終わりだ」

そう、このままでは死しかない。
ぐっと意を決して重力に逆らい身を起こし、身体ごと押しやるように一歩、また一歩とクルスニクの槍へ向ける。
生半可な術ではないようで、僅かでも動くたびに身体のあちこちがみしみしと悲鳴を上げたが、この場で槍を起動できるのは私のみ。
早く、一刻も早く装置の元へと急く背中を、苦痛に満ちた各々の声が後押しする。
起動台を支えにしながら近づけば、クルスニクの槍はあの時と変わらず無機質なまま、命の源を待っていた。
悲劇を生み出す黒匣に触れ、私は告げる。

「わざわざ、みなが死ぬ危険を冒す必要はない」
「ミラ?」


――――……ジュード


君に名を呼ばれると、自然と君の名を思い出す。
戸惑いに困惑を重ねた声に僅かに振り返れば、想像通りの表情をしたジュードがいた。
慈しみ、命を尊ぶ、そんな彼の心優しさを思い出して小さく微笑む。
きっとこれから私がなそうとすることは、君を悲しませるに違いない。
わかっていながら、それを選ぶ私を許してくれ。

「ダメだ……ダメだよ、ミラ!」

なおも装置へ向けて歩みを進めれば、意図に気づいたジュードが叫んだ。
私の心を引きとめようと、必死に私の名を呼ぶ。
だが、それでも止まらぬこの足に、今度は別の声が耳に届いた。

「なぜだ。あんたはその手で世界を……人々を守るんじゃないのか?まだなすべきことってのが残ってるだろ!」

辿りついた装置に手をかけた私を、引き止めるように問いかけるアルヴィンに苦笑する。
断界殻を消すために私の命を狙っていた奴のセリフとは、到底思えないじゃないか。

「断界殻が消えれば……アルクノアの計画は完全に潰える。そうだろう?」

今まで争い、命を狙い続けてきたアルクノアの目的は、エレンピオスとリーゼ・マクシアを隔てる断界殻を消滅させることだったが、ジランドによって歪められた計画は、私の消滅を求めていなかった。
断界殻に閉ざされたリーゼ・マクシアを燃料として確保するために、断界殻は必要。
ならば、その計画の要である断界殻が消滅すれば、この計画は破綻する。
ただ、ひとつ懸念するべきは、私に生じた矛盾だ。
もしあの矛盾が肯定される事実なら、アルヴィンを現在限定で押さえ込むための建前に成り下がる。
そうすれば、アルヴィンを期待させるだけさせて絶望させる最悪の結果を招くのかもしれないが、今はこの道以外を選ぶ気はない。

「お前……」

アルヴィンの目的など、とうにわかっていた。
許せ、とは言わない。
できることなら、ジュードたちと共にこの世界を愛してくれればいいと願うばかりだ。
アルヴィンに向けていた視線をさらに振って、懸念すべきもう一人を一瞥する。
孤高の覇王、ガイアス。
心根の真っ直ぐな力ある男だが、その野望や理想はどこか危うく感じられる。
この男を抑えることのできる人間がいない、そればかりが気がかりでならない。
私がそうしてやれればよかったのだが、もはやここまで。
せめて、ジュードたちが引き継ぐ私の意思に気づいてくれればいいのだが、そんな思惑を刹那の一瞥に込めることは難しい。
残す者たちへの名残惜しい気持ちを引き剥がすように逸らし、クルスニクの槍を改めて見上げる。
いよいよ起動しようと手を伸ばせば、未だ寄り添う気配に驚いた。

「お前たち……ジュードたちと共に去れと言ったろう?」

四方を取り囲むように佇むのは、今しがたクルスニクの槍から解放した四大精霊。
順に見回せば、視線が合うたびに微笑まれ、意思の固い視線が返される。
最後まで、傍にいてくれるつもりなのか。
私のわがままで、お前たちも命を落とすかもしれないというのに。

「すまない……巻き込んでしまったな」

それでも、こうして四大精霊が傍にいてくれるだけで迷いは消える。
僅かに残っていた躊躇いすら、今はもうない。
私のなそうとしていることが許されることではないとわかっているからこそ、留まり助力を与えてくれる存在が心強い。
薄く笑みを浮かべて前を向けば、四大精霊は各々に口を開いた。

 

『あなた、何か変わりましたね』

「私はマクスウェルとして生きたいだけだ」

そう、何も変わらない。
たとえ偽りだとしても、私は『マクスウェル』として生きていたい。

 

『それで自分から死のうっての?』

「矛盾しているのはわかっているよ」

気づいてからずっと抱えてきた矛盾だ。
今更そんなことで躊躇う気はない。

 

『だたら止めるでしよ』

「……ジュードを、失望させてしまう。ジュードの前ではこのままで……」

きっと、ここで私の意思を折ることは、『マクスウェルとして生きたい』と願う私の気持ちに反する。
それに、誰より私を『マクスウェル』として見てくれている彼の気持ちも踏みにじるに違いない。

 

「ジュードが好きでいてくれる、マクスウェルとしての私でありたい」

 

彼と共に生きてきた『私』を、失いたくない。

 

 

『マクスウェルが何を恐れる?』


――――あぁ…あの時の答えは、これだったのか。

 

あの飛空艇で考えていた可能性は、正しくこの身に降りかかった。
矛盾から導き出した自分の答えも、私の心のわだかまりを四大が解いたということも。
死を前にして、私は確かに恐れていた。
ただ、それは私が『偽り』かもしれないという可能性を知られることではなかった。
死ぬことで、使命を果たせなくなるということでもなかった。

「そうか……私は恐れたのか。……失うことを……」

そう、私は『私』を失うことを何より恐れた。
ジュードという、たった一人の人間が描き追い求めた偶像の『私』を。
共に過ごす中で差し出され続けた愛しい偶像を、私は自然と受け取り、そうあろうとしてきた。
与えられた偽りの使命を、私の使命として確立させたのも彼の存在があったおかげだ。
何一つ自分のものになりえない生の中で、ジュードが私に見た偶像の姿こそが偽りのない『私』であり、自分が誇れるただひとつの真実だった。

 

「ダメだよ……」

恐れに揺れた細い声。

「ミラがいなくなったら……僕は……!」

ただ一人、私を『私』に成した愛しい存在。

 

「そんな顔をするな……」

君のおかげで、私は『私』として生きられた。
そのことが、私は何より誇らしい。
可能性がこの存在を否定したとしても、私は確かに『マクスウェル』だったのだから。

「さらばだ、ジュード」

そっと目蓋を閉じて、全てのマナを注ぎ込む。
貪欲な黒匣に根こそぎ持っていかれる感覚が、私の意識を引き裂いていく。

 

 

ジュード……


君に、私の命を背負わせることを許してほしい

 

願うことなら

 

 

どうか、君が幸せであるように……

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/11/13 (Sun)

ミラ様が悩んで恋して死んだ辺りの話。
「貴方の使命であったが、同時に私の使命でもあった」を自覚できたのは、きっとジュードがいたからなんだろうなって思って。
うん、ミラ様がジュードを好きすぎだということだけが、これ書いててはっきりとしたw
追記:ジュード視点『polar night』へ地味に続く。


*新月鏡*