「spring scenery -2-」

 

 

 

自分のサイクルに溶け込んだ日課。
それが、突然変化を見せた。

いつもの場所で、いつものように拾い上げた花。
通常1輪のはずが2輪だっただけでも十分な変化だというのに、見事に咲き誇った2種類の花には、美麗な細工の施されたリボンがそれぞれにかけられていた。
太陽みたいに輝く黄色い花には紫と青のリボン。
月みたいにほっそりとした白い花には黒と赤のリボン。
1輪挿しでも見栄えのする花を選び、なおかつそれに装飾を加えてくるなんて、今までになかったことだ。
これまで贈られてきた花は、その日摘んだ野の花や、手折った季節の花など、日常にほんのり色を添える可憐さが立つ花が多く、たまに豪奢な花が贈られたとしても、今日ほどの華やかさなどなかった。
こちらとしても、花の美しさを選り好みして喜んだことはないため、どんな花でも構わなかった。
今まで贈られた花全て、彼の目に止まったものであるからこそ、そのひとつひとつが愛しく嬉しかったのだから。
小さく素朴な花であっても、その花を通して贈り人を身近に感じていられる。
何より確かな喜びを、可憐な花は隔たりを越えて運んでくれる。
それだけで、十分すぎるほど贅沢な幸せに酔いしれていられた。
それが今日の花はどうだ。
特別仕様だと視界にめいっぱい訴えるほど華やいでいる。
何かメッセージが込められているのかしら?
意味深な変化に小首を傾げつつ、ためつすがめつ見つめてみる。
指先を捻ってゆるく回転を加えれば、ひらひらと揺らめく2種類のリボンが絡むように翻った。

まぁ、綺麗!

うっとりと優美な花とリボンのダンスに機嫌をよくしながら、それでも拭えぬ違和感が心に靄をかけていく。
これはいったいどういう心境の変化なのかしら。
レディの扱いにめっぽう疎そうな強面の彼が、こんなに可愛らしいアイディアを思いつくなんて思えない。
考えられるとすれば、知識や経験の豊富なローエンの入れ知恵くらいなものだ。
ロマンチストと饒舌さを兼ね備えているあの老人なら、確かにこれくらいのサプライズとプレゼントは朝飯前なのかもしれない。
今は宰相として彼を傍で支える立場。
こんな提案をするくらいいつでもできるのだろう。
ただ、それでも、彼がローエンの提案を実行した、ということに強く引っかかりを覚える。
理想を真っ直ぐ見つめているガイアスが、飽きもせず花を贈り続けてくれているということだけでも、とても特別なことなのだ。
限られた時間の中、描く理想に対してこなせることは少ないと、誰より彼自身が実感していればこそ、些細なことに気を割いている暇などない。
エレンピオスを相手取る、対等とはとても言えない国の王ならばなおさらだ。
その事実を知っていれば、多忙さを退けてでも贈られてくる花は、たった1輪でその特別さを十二分に物語る。
なのに、ただでさえ異例な日課と化している花贈りの境界線を、誰かに背中押されたとはいえ、彼の意思で踏み越えきたのだ。
しかも見事な装飾までわざわざ施して。
これほどまでに異例すぎる豪奢な花は、ただの気まぐれと流していい花ではない。
何かしら意図があるに違いない。
これは、明らかに異質であり、大きな変化を呼ぶ兆しに等しいのだから。

「一体どういうつもりなのかしら?」
『珍しく悩んでるな』

自分の膝を台に片肘をついて考え込んでいると、聞き捨てならない小憎らしい声が迫る。
半身を少し捻って見上げた先、突風のようにシルフがこちらへ向かって飛んできた。
速度を落とさず急接近。
ほんの数メートルのところで、空中を強く踏むように両足でブレーキをかける。
相殺し切れなかった速度を逃がすため、くるりと伸びるように軽やかに一度ターンをして、先ほどの猛スピードが嘘のように完璧な制止をしてみせた。
そのシルフの見事な振る舞いは、何度見ても綺麗だと思う。
シルフの動作に合わせて、止まり損ねた微風がふわりと舞い上がり、柔らかな風が髪を撫でていけば、不思議と心地よさに包まれる。
だが、

「珍しいとは失礼ね。私だって、色々考えることが多くて大変なのよ?」
『そうは見えないけどな』
「何か言った?」
『別にー』

綺麗な動作とは裏腹に、この憎まれ口はどうにかならないものかしら。
心地よい気分も軽く打ち消す言動に、両頬を摘まんで捻ってやりたくなる。
そんな魂胆など知るよしもないシルフは、空中で寝そべるように頭の後ろに両手をやった。

『それより、その花もいつもみたいにするんだろ?』

当然のように訊ねられて、少し言葉に詰まる。
シルフの言う『いつもみたいに』とは、ドライフラワーという花を加工する技法のことだ。
聞き慣れない技法だったが、以前シルフが話してくれた説明によると、花から水分をほぼ抜き取り、乾燥させて保存する方法らしい。
色もやや褪せて形も多少崩れてしまうが、完全に枯れてしまうよりずっといい。
そんな思いから、ある日をきっかけに、毎日シルフにドライフラワーの加工をしてもらっていた。
花を拾うのが自分の日課なら、拾った花を加工するのがシルフの日課だ。
今日もその日課をこなすためにシルフはわざわざ自分を訪ねてくれたのだが、その優しさを知りながら、いつものように二つ返事でお願いすることなどできそうになかった。

「この花、なんだかいつもと少し違うの。だから、今日は保留にしてくれないかしら?」
『いつもと違う?』
「えぇ、ほら見て。花もすっごく綺麗で、リボンまでしてあるのよ。こんなこと初めてだわ」
『確かに……って、それ、何か書いてないか?』

シルフに向かって2輪の花を掲げれば、紫色のリボンの端を摘んだシルフがそう指摘してきた。
言われて初めて気づき、慌てて黒色のリボンの端を掬い上げる。

「これ、模様じゃないの?」
『よく見てみろよ、文字っぽいだろ』

そう言われるとそれっぽく見えてくる。
角ばった線がいくつも走り、時折模様1つ分の隙間を空けて再び綴られているようだ。
だが、何が書いてあるのかわからない。

「なんだか、私の知ってる文字とは違うみたい」
『ミラに訊いてみれば?人間の本たくさん読んだって言ってたし、何か知ってるかも』
「え!?」

シルフの何気ない提案に、思わず声が跳び上がる。

「ダメよ!これはものすごく重要な機密事項なのよ?ミラにバレたら怒られちゃうじゃない!」
『えー……』

反射的に突っぱねれば、シルフは不満げに口端を曲げた。
しかし、ここは譲れない。
ミラの知識がいかに魅力的であろうとも、こっそり人間界に行っていたとバレてしまえば、このささやかな秘密のやり取りはなくなってしまうのだ。
精霊界から人と精霊を見守るのがミラと自分の今の使命であり、その使命から逸脱する行為は、世界のバランスを守るために慎まなければならない。
それは重々承知している。
自分がその禁を犯していることも。
だが、日課になるほど浸透した行動を、急に止めろと言われるのは苦痛だ。
花を胸に抱きしめながら、リボンに刻まれた文字の意味を知りたいと思う気持ちと、日課を失いたくないという気持ちに心が揺れる。
むむむ、と唸りつつ難しい顔をして俯いていると、シルフは宙に視線を彷徨わせて呟いた。

『じゃぁ、偶然拾ったってことにしとくってのは?』

放り投げるように差し出された提案に、私ははっと顔を上げて立ち上がる。

「それよ!」

歓喜に満ちた声ではしゃぎ、びしっとシルフを指差す。
どうして考えつかなかったのかしら。
別に全部打ち明ける必要なんてない。
要は、人間界に行ってガイアスから花をもらってるとバレなければいいだけだ。
なんだ、簡単なことじゃない!
飛び跳ねたくなる心を押さえ込んで、素敵な提案をしてくれたシルフに満面の笑みを向ける。

「シルフ、あなた偏屈でわがままで口うるさいけど、たまにはマシなことも言うのね」
『喧嘩売ってるよな、それ』
「褒めてるのよ?」
『さっきの全部、褒め言葉じゃないからな!』
「あら、そうなの?褒めるって難しいのね」

ぱちりと大きく瞬きをして小首を傾げてみせると、シルフはやや半目でこちらを見つめ返し、

『あー……うん、なんかもういいや……』

と、長く重たいため息を吐きながら肩を落とした。
どうやら、めいっぱい感謝を込めた賛美を贈ったつもりが失敗し、シルフを傷つけてしまったらしい。
誰かとの会話が楽しくて、思うままにたくさん話してしまうのだが、たまにこうして失敗する。
怒らせたり、傷つけたり、悲しい顔などさせたくないのに、どうにも言葉を操るのは難しい。

『ミュゼ、僕は気にしてないから、そんな顔するなよ』
「シルフ……」
『僕の提案にミュゼが本当に喜んでくれたってのは、ちゃんとわかってる』

しょんぼり肩を落とした私を見かねて、シルフが腰に手を当てて苦笑交じりに笑う。
気まぐれと謳われる風の大精霊は誰より心の機微に敏感で、私の視線が少しでも下がれば、その度に優しい言葉をかけてくれるのだ。
たおやかで厳しいウンディーネとは違った気遣いが心地よくて、自然と口端が弧を描く。
優しい風の声は、わだかまる心の内側を不思議と透いていくようだ。

「ありがとう、シルフ」
『そうそう、ミュゼは笑ってる方がいいよ』
「私も、笑ってるシルフが好きよ」

温まる胸のうちにくすぐったさを感じ、声を立てて笑う。
そんな私を見たシルフは、少しだけ目を丸くして驚いた後、はにかみながら唇を尖らせてそっぽを向いた。
あら、これは俗に言う『照れ隠し』というやつね。
可愛らしい、と口にはせずに微笑んでシルフを見つめていると、視線に耐え切れなくなったシルフが騒ぎ出す。

『あーもう!やること決まったんだから、さっさとミラのところ行ってこいよ!』

ぶっきらぼうにそう言って、ぷいっと背を向けられてしまえば、あまりにおかしくて再び声が零れる。
「行ってこい」と言いながら、ゆっくりと去る背中は、私をミラの元へさりげなく先導しようとしてくれるのだから、心くすぐられて仕方ない。
偉大で気ままな優しい風は、素直な讃美と感謝にずいぶん弱いらしい。
先行くシルフの背を追いながら、私はころころと転がる笑い声を引き連れて空を泳ぐ。


――――あなたたちは、彼のどんな意図を隠しているのかしら?


物言わぬ花に視線を落とし、胸の内で問いかける。
腕にそっと抱え込んだ2輪の花は、心地よさそうにただ揺れていた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2013/04/11 (thu)

『hope and ideal』の流れも汲んでみた。
ミュゼ様とシルフの会話は、やっぱり可愛いね!


*新月鏡*