「spring scenery -1-」
願いを込めて織り続ける、神聖な祈り。 尽くす言葉以上の語り部。 緻密に織り上げられた、人の心を示す糸。
「僕の分も、よろしくね」 最初にそう言われたとき、全く意味がわからなかった。 近況報告に訪れたジュードとの謁見を終えた後、ローエンの計らいで私的にジュードと話す機会を得たのがきっかけだった。 少し話したいことがある。 自分に一時の甘えを許し、互いの立場を忘れ去った上で、俺は少しばかり個人的な話を持ちかけた。 唐突な俺の申し出に、ジュードはローエンの淹れた緑茶をゆっくり一口飲むと、ひとつ返事で聞き役を買って出てくれた。 自分でよければ何でも話してくれ、と盛大な安請け合いすら返って来れば、僅かに眉間に皺が寄った。 多少物怖じせずに言うようになってきたが、相変わらずお人好しな部分は直っていないらしい。 いつかこの甘さが命取りにならなければ良いが。 しかし、そう評価する反面、ジュードの色よい返事に不思議と安堵した。 茶請けとして出された名産品の饅頭を一口方張り、ひと心地つけて口を開く。 個人的な話とは、日課となってしまった贈り花のことだった。 何かしら花を見つけては、飽きもせずに特定の場所へ届けるという、見る者からすればただの奇行でしかない日課。 自分がそれを行い続けているという事実をジュードに話した理由は、特にない。 ただ、似た存在の隣に立ち、似た存在を手放したのが、今目の前で茶を飲む少年であったから、話してみようと思っただけのことだった。 深く考えずに話してみたが、おそらく『彼女』について、自分と最も感じ方が似ているに違いない、という期待は少なからずあったのかもしれない。 そういう思惑から、柄になく相談事めいた独り言を零してしまったのだが、話し終えた後に見たジュードの表情に、何となく話さなければよかったという気分に陥った。 にこにこと柔らかな笑みを向けられて、どうにも居心地が悪い。 これがいたたまれないというやつか。 僅かに顔をしかめて黙っていると、ジュードは穏やかな瞳のまま、にこりと笑みを深くして「そうなんだ」と言った。 そして、間髪いれず、その日課に変化を与えてみようか、と提案してきたから驚いた。 思わぬ展開に目を見開く俺を放ったまま、ジュードは視線を空へ投げて思案した後、最後に先のセリフを吐いて去ってしまった。 自分の分もよろしく、とはどういう意味なのか。 さっぱりわからないまま日は過ぎ去り、ささやかな動揺など遠く忘れ果ててしまった頃、突然その言葉が形を成して目の前に現れた。 「ガイアスさん、どうぞこれを」 日課をこなしに回廊へ向かおうとした矢先、行く先を遮るようにローエンが立ちはだかった。 恭しく両手で差し出してきたのは、2輪の花。 1輪は、黄金色の花弁を纏う大輪の花で、紫色の帯に青と白の糸が走るリボンが巻きつけられており、対してもう1輪は、涼やかな白百合の花で、黒地に紅と金の糸が絡むリボンがこれまた同じように丁寧に巻きつけられていた。 1輪だけでも見栄えのする花が2輪も揃えば、さすがに手元が華やいで仕方ない。 どうにも見慣れない手元の光景に眩しくなって目を細める。 一体これはどういうことか。 有無を言わさず手渡され、意図の読めない好々爺をじろりと見やる。 「本日は、そちらの花を添えられるのがよいでしょう」 「……何のつもりだ」 「ただの言伝ですよ。届くとよいですね」 皺を深く刻んで、ローエンは朗らかに笑う。 だが、こちらは寄こされた返答に、より一層怪訝さが増した。 「言伝?」 「おや、ジュードさんから頼まれていらっしゃるのでは?」 何故そこでジュードの名が出る、と突っかかりそうになるも、結局声は口の中から転がり出ることはなかった。 ここでようやく、意味深な言葉を残していったジュードを思い出したのだ。 何も告げずに去っていった笑顔を脳裏に描けば、視線は再び手元に落ちていく。 シンプルでいて煌びやかさも兼ね備えたさりげない装飾。 確かに今まで贈ってきた花とは大きく異なる。 さらに、ジュードが意図的に仕掛けたものだとしたら、この2輪の花は自分の日課を激変させる起爆剤も同然だ。 しかし、 「これが変化になるというのか?」 想像と実感に至らず首を捻る。 「些細な仕掛けが、意中の女性のハートを射止めることもありますよ」 素朴で率直な俺の感想に、ローエンがすかさず発破をかけてきた。 この宰相は、口八丁手八丁で何かと人を乗せるのが上手い。 今までに、城内の兵士がどれほどこの老人にいいように使われてきたことか。 途中までは感心しきっていたが、今ややりすぎるなよ、と制止をかけるに至っている程だ。 そんな自分とのやり取りすら、それを目撃する兵士への心理コントロールにと組み込まれているのだから頭が下がる。 ローエンが強行し、俺が止めるというバランスを見せることで、自分の王が思慮深く冷静であると印象付け、安心感を与えているのだ。 加えて、統一したとはいえ、未だわだかまりの残るリーゼ・マクシアで、ローエンは俺の盾として憎まれ役をあっさり買って出る。 その手腕でもって降り注ぐ憎悪も捌ききる姿は、さすが風霊盛節の奇跡を生んだ指揮者、といったところか。 だが、そんな類稀なる才能を持つ宰相も、この手の話にはただの世話焼きに変貌する。 「ローエン、アレは精霊だ。人間の感覚で考えるな」 「存じておりますとも。しかし女性は女性でしょう」 「……それに、意中の女などではない」 「真っ先にそこへ反論していただかないと、説得力に欠けますね」 「反論したところで、図星を当てたから真っ先に反論してきた、とでも言うのだろう?」 「わかりますか」 「当然だ」 悪びれた素振りも見せず朗らかに笑うローエンを睨みつけるが、どうにもこの策士には通じない。 相手にするだけローエンの思う壺に嵌るだけだ。 短い付き合いで学んだ引き際に、さっと会話を切り上げて再び手元へと視線を移す。 見るものを引きつけて止まない、花を彩る見事な紫と黒の帯。 織り込まれた紋様は、どこかでよく見ているような気がして、ひらめく帯端をつまみ上げる。 「……祈念布か?」 「さすがガイアスさん、ご明察です。よくおわかりになりましたね」 「まさかとは思うが……お前が織ったのか?」 「伝統工芸に触れるいい機会でしたので」 嬉しげに笑うローエンは軽く肯定してきたが、俺はその返答に目を丸くした。 祈念布一枚織り上げるには、とても長い時間と労力が必要になる。 願いにそった紋様選び、それを組み込むデザイン、配色、何百何千とある糸の中から目的に沿った糸の選定。 それが揃ってようやく織りにかかるのだ。 さらに、祈念布は、全て手作業で行わなければならない。 リボンへの応用とはいえ、それだけ緻密に織り上げなければならないものが、1節足らずでできるとは思わなかった。 目の前に佇む宰相にそんな暇などあるはずもないのに、いったいいつの間に織ったのか。 顔に出さない驚愕に、少しの畏怖を混ぜてローエンの評価を改める。 「何の紋様を織った」 「私チョイスでお2人の願いに添った紋様、とだけ言っておきましょう。ついでに、頼まれていた言伝を少々」 いたずらっぽく笑ったローエンは、片目を閉じてそう言った。 先ほどもくり返された『言伝』の言葉。 頭の隅に引っかかるキーワードに、指先に絡めたリボンをよくよく見つめる。 細やかに刻まれた古典紋様にまぎれて、ひっそりと配置された『言伝』。 その内容を読み解いて、苦笑が漏れた。 「……こんな小細工に気づくとも思えんがな」 「わかりませんよ?女性の目を侮ってはいけません」 「甘いな。アレがどれだけ斜め上の行動をするか、お前は知らぬのだろう」 「では、1輪残していきますか?」 そっと差し出される手のひら。 変化を望まないなら引き返せると言われている気がして、俺は自然と花を遠ざけるように半身を退けた。 自分の行動に、思考も身体も一拍停止し、そのまま誤魔化すように背を向ける。 「いや、これはこれでいい」 そう言って、そのまま真っ直ぐ回廊へ脚を進めると、見送りの代わりに背後で微かな笑い声がして、口の片端が下がる。 さらに、素直になればよろしいのに、と追撃が来れば、取って返して追い払ってやろうかと衝動が頭の隅で騒いだ。 しかし、それも耐えて回廊を進めば、徐々に心が凪いでいく。 進むにつれて深まる静寂。 佇む影は己のみ。 手にした花が風に囁けば、見上げた鈍色の空すらもひどく眩しく感じた。
変化を熱望するわけではない。 気づかぬなら気づかぬまま。 変わらぬ日々に時折、彼女の気配を感じられるなら、それはそれで構わない。 この気持ちは、仕掛けた少年も同じだろう。 それでもこうして変化を起こそうと試みるのは、少なからず想うゆえ。 限られた時間でも望めるなら。 僅かでも届くなら。 「お前は、どうするのだろうな?」 縁側に2輪の花を横たえて呟く。 予測不能な未来。 何故か心は穏やかだった。
* * * * 2013/03/12 (tue) ガイアスからのアプローチ。 *新月鏡* |