「hope and ideal」
『あーぁ、まただ』 さやさやと鳴る草木の声に、呆れた風が呟く。 「いいじゃないか。手伝ってやるといい」 そっと目を閉じてそう言ってやると、ぷくっと頬を膨らせて風は少しだけ口を尖らせた。 『もう何度目だと思ってるんだよ!いい加減、放っておくのはやめろよな!』 そういって腕を組んで視線で指し示す先には、人目を避けるようにこっそり動く人影。 木々の合間をそうっと、そうっと、慎重に抜けて、いつもの『秘密の隠れ家』に行くらしい。 さて、今日はどんな花が増えたことか。 徐々に、少しずつ華やかになる隠れ家を、誰にも気づかれていないと思っているのは本人だけだ。 まったく可愛らしいことである。 『無駄に手間のかかることして、何が楽しいんだか』 「ふふっ、そうは言ったってお前、どうせ自分から声をかけてやるんだろう?」 『……し、仕方なく、だよ!』 「そいういことにしておこう」 少しだけ声を上げて笑えば、爽やかな空気が髪を撫でる。 隣に佇む気まぐれな風-シルフ-は、実はウンディーネ以上の世話焼きだ。 視野や情報源が広い分、あらゆることに気がついてしまう気質のせいだろう。 だから、一番最初に『彼女の奇行』に気づいたのもシルフだ。 毎日、毎日、ふとした時には姿がなく、帰ってくるなり知らない場所へこっそり出歩くミュゼの様子に、シルフはある日ミュゼの後を追い、真実を知ったのだ。 一応すぐに報告は受けたが、彼女の気持ちを思えば何を止める必要があるのか。 そうして私が無関心を装っている間、気にしがちなシルフはついにミュゼと接触を図り、バレバレの共犯にまで至っている。 共犯、といっても、こっそり抜け出していることを秘密する、という可愛い約束だ。 しかし世話焼きのシルフはそれに留まらず、彼女が持ち帰ってくる花を、枯れる前に片っ端から乾燥させてドライフラワーにしたり、私が教えた押し花加工を率先してやってしまうのだ。 ぶつぶつと愚痴を零しはするが、結局、ミュゼが悲しむと思えば手を出してしまうのだろう。 一番最初にもらった花が枯れたときの彼女の落胆ぶりを目の当たりにして、見事に懐柔されてしまったらしい。 なんとも可愛い奴らだ。 『でも、こう頻繁となるとなぁ……ガイアス王、だっけ?あの人間も迷惑してんじゃないの?』 「そんなことはないさ」 『どうしてそう言いきれるんだよ?』 「どうしても何も、ガイアスにとってミュゼは心地よい存在だろう?なら迷惑する理由がない」 『人間って、そういうもんなの?』 「そういうものさ。私とジュードがそうだったようにな」 にっこりと微笑んでシルフを見やれば、腑に落ちない様子のシルフは腕を組んで唸り声を上げた。 精霊であるシルフが納得いかないというのは、致し方ないことなので、頭を捻り続ける姿に小さく苦笑する。 この感覚を理解してもらうのは、なかなか難しいことだ。 私がガイアスの心情を断言して言ってのけることができるのも、立場が酷似していたからに他ならない。 近しい感覚であれば想像が容易い、というのは常だ。 ガイアスも私も、ミュゼやジュードが向けてくる『理想』を、心地よく感じている。 だからこそ、傍に置いておきたいと願い、叶わないとわかった上でせめてもの思いを馳せているのだ。 ガイアスは王として、私はマクスウェルとして。 数多くの人間から、その役目に見合う『期待と理想』を向けられてきた。 だが、ミュゼとジュードが向ける『期待と理想』はそれらと決定的に異なるのだ。 それは、『個人』と認識した上での『期待と理想』。 人格や性格、性質をわかった上で、戴く冠に見合う理想を望まれることは、とても心地よく、自分の支えにもなるのだ。 傍から見れば、綺麗事で無茶に見える理想だろう。 だが、『私』を知らぬ人間がマクスウェルに抱く理想の方が、私には遥かに横暴で無茶なのだ。 人の理想は、時として驕り、身勝手ともいえる暴力になる。 手の届かない、見たこともない存在なら尚のこと。 その暴力的なまでの理想を向けられる側は、身に余る期待を与えられれば押し潰されてしまう。 それはガイアスや私とて例外ではないのだ。 だから、 「私には、ジュードの理想が『ちょうどよかった』んだ。ガイアスもまた、ミュゼの抱く理想が『ちょうどいい』のさ。あいつは私によく似てるからな」 過不足なく、『ちょうどいい』理想。 そういう存在が傍にいると、常に少し先の『理想の自分』を与えられている状態になるのだ。 ジュードの瞳が閉ざされない限り、私はマクスウェルとして正しく行動できているのだろう。 そして、ミュゼがガイアスの傍から離れない限り、あいつは人と精霊を生かす王として正しく行動できているのだ。 これほどはっきりとした『道しるべ』もあるまい。 それを心地いいと言わずしてなんというのか。 『じゃぁ、ミュゼに、会いに行ってもいいって言ってやれば?』 「ミュゼが会おうとしないのは、ミュゼ自身がそう決めているからだ。何を思って決めたかは知らないが、それには相応の理由があるだろう。それに、距離をとるもの大事なことだ。近すぎるまま長く共にいれば歪んでしまう。今はこれでちょうどいい時期なんだろう」 『ミラも?』 「あぁ、私もだ」 世界の隔たりがあろうとも、互いに抱く理想は輝かしいままそこにある。 「本当に必要なときは、必ず廻り逢うようにできているしな」 だが、もしそういう導きがないなら、私から逢いに行けばいい。 ――――そうだろう、ジュード? 眩しく輝く空を見上げて、自然と唇が弧を描く。 愛しい、愛しい……『私』の理想の啓示者。 思い馳せれば、温かな気持ちに彩られ、見える景色に輝きが増したような気がした。 本当に……どうして君はこんなにも温かいのか。 記憶だけでも胸いっぱいの幸福感に満たされる。 降り注ぐ陽光にうっとりとしてしまうのは、彼の笑顔を思い出したせいか。 そうして思い出に浸っていると、まだまだ納得いかない様子のシルフが口を開いた。 『でも、僕はいい加減面倒くさく感じるんだけど』 「まぁ、じれったくはなるだろうな」 『じゃぁもういいだろー?』 「まだもう少し待たないか?あと1年もすれば、何かしら変化は出るさ。急ぐ必要もないだろう?」 確証のない確信が囁く。 『変化が出なかったら?』 「そうだな……そのときは私たちで背中を押してやればいい」 『ちぇー、じゃぁあと1年だけだからな!』 「あぁ。あと1年、ミュゼとの共犯、頼んだぞ」 朗らかに笑って背中を叩いてやれば、シルフは吐き出しきれない不満をぶつくさ呟きながら、ミュゼのいる『秘密の隠れ家』へ飛んでいった。 まったく、まんざらでもないくせに、口の減らない奴め。 そんな後姿を見送った後、再び晴れ渡った空を見上げる。 あと1年。 そのときには、私はジュードの描く理想に近づけているのだろうか。 「いや……、近づいてみせるさ」 小さく零した決意の音は揺るぎない。 あぁ、そうだ。 私の愛しい理想のために、私は常に前を向こう。 そうあることが正しく。 そうあることが自然なのだ。 そうだろう?
「私は、『精霊の主-マクスウェル-』なのだから」
* * * * 2012/09/14 (Fri) ミラジュとガイミュゼの共通点の話。 相手の理想を重く感じる場合、己のキャパに見合ってない理想と期待を抱かれてて、自分で無理ってわかってるからつらいし重く感じる。 相手が自分に描く理想を心地よく感じる場合、その理想は、何より自分の成長を加速させる促進力となる。 だから、そういう人たちは、一緒にいると自然に見えるし、輝いて見えるね。 *新月鏡* |