「his cruelty」
誰かが笑えば、相槌を打って笑い。 誰かが顔を暗くすれば、眉根を寄せて視線を下げる。 相手の欲しがる言葉を言えば、必要としてくれる。 適切な言葉が見当たらないときは、とりあえず笑って頷くだけでいい。 だけど、僕を好きだという彼は、そんな僕を嫌いだと叫ぶ。
「だから、迎えに来なくていいよって言ったのに」 そう零せば、態度が見るからに不機嫌になった。 あぁ、やってしまった。 じろりと睨んでくるアルヴィンの機嫌は急降下の一途で、最悪、大事な研究所の前で暴走しかねない。 僕よりずっと大人な生き方を知ってるはずの彼は、拠り所となる仲間を得て以来、仲間限定で子供に戻る。 それを宥めるのも、もう何度目になるだろう。 「アルヴィン」 「わかってる。けど、むしゃくしゃするもんはするんだよ」 たん、たん、と足で拍子をとり続ける彼の苛立ちはピークのようだ。 そんな彼の怒りに触れて、どうしたものかと途方に暮れていると、いきなり両頬をがっしりつかまれ視線を上げさせられた。 「う、ぁ?」 「ジュード君、俺の顔色なんて窺っても意味ないんだけど?俺は今、むかつくって口に出して言ってんの。わかってる?」 至近距離の怒りの形相に、ひやりと背筋に寒気が伝う。 「で、でも仕方ないじゃないか!この場を穏便にやり過ごすとしたら、さっきみたいに」 「ストーップ、それじゃない」 困りきった末に、子供の反発じみた声を上げかける。 だが、それも大きな手のひらで遮られてしまえば、尻すぼみに消えていった。 それじゃないって、じゃぁ何だろう。 アルヴィンが示そうとしているものがわからなくて、眉根を寄せたままちらりと見上げると、ぎらついた視線が鋭く突き刺さる。 「迎えに来なくていい?馬鹿言え、来て正解だ!こんな環境だって知ってるのと知らないのとじゃ、フォローの仕方が変わってくんだよ!」 「……え?」 ぱちりと瞬いて、覗き込むように怒りに染まった瞳を見つめる。 「馬鹿にすんじゃねーよ。おたくにやっかんでくる奴なんてごまんといるってことぐらい、俺だって知ってる。そんな奴らにいちいち腹立ててたら、そのうち俺の方がストレスで死ぬぜ」 「禿げるのが先じゃ」 「あぁん?ジュード君、今何つった?おたくも可能性大なこと棚に上げてんじゃねーよ」 「いっ、痛い!なんだアルヴィン自覚してって痛いっ!ちょ、やめてよアルヴィン!」 首をがっちりホールドして、わしゃわしゃと乱暴に髪をかき回された。 アルヴィンは気づかれていないと思っていたらしいが、鏡の前で髪をセットする時、生え際に異常なまでの注意を払っていることを、僕はちゃんと知っている。 気にしてるなら、髪を上げなきゃいいのにと思うのだが、気にしてる上にそんな忠告をされれば傷つくだろうと、今の今まで黙っていたのだ。 ついうっかりぽろっと言ってしまったが。 一方的におもちゃにされ続けて、抵抗するにもそろそろ疲れてきた頃、ぐしゃぐしゃになった髪の毛を存分に楽しんだのか、アルヴィンはそっと僕の拘束を解いた。 その扱いはあまりにも労わりに満ちた丁寧さで、先ほどの乱雑なスキンシップとのギャップに戸惑いすら感じる。 こういう切り替え方は卑怯だ。 ぐらりと揺れる心を必死に押し込めていると、ふわりと右手が肩に置かれ、左手がごく自然に頬を滑って顎を掬う。 絡まる視線に、目が逸らせない。 「あんね、俺はおたくが大事で仕方ないの。わかってる?」 「……一応」 「一応、ね……まぁいいか」 苦笑交じりに笑わないでほしい。 そんな、優しい目で見ないでほしい。 嫌な感覚が胸の奥底で蠢いて、愛しむように注がれる眼差しの心地よさと交じり合う。 なんとなく、この会話はまずい気がしてならない。 だが、奇妙な感覚の融合に気が気じゃない僕を置いて、アルヴィンはひたすら真剣に僕への想いを吐露し続ける。 「俺が大事に大事にしてんのに、おたくが自分を蔑ろにするから俺は気が気じゃないんだけど、それもわかってるってことだよな?」 「蔑ろにしてる気は」 「ないとは言わせねーぜ」 ぎろりと睨まれて身がすくむ。 本気で怒ってるアルヴィンは、やはり怖い。 普段の人好きのする表情を思えば、今の彼にお近づきになりたいという奇特な人間はいないだろう。 それくらい、彼の纏う空気が豹変しているのだ。 肌を刺す雰囲気は、とてもじゃないが友好的から程遠く、あまりの近寄りがたさに僅かに身を引いてしまった。 その小さな動作を目ざとく見止めた彼は、はっとしたように身体を強張らせる。 物言いたげな眼差しで僕を数秒見下ろし、目を伏せて小さく息を吐いた。 すると、ぴりぴりとした気配がやんわりと和らぐ。 同時に、僕の肩からも力が抜けた。 どうやら、自分で自覚している以上にプレッシャーを感じていたらしい。 「悪ぃ」 「うぅん……平気、大丈夫」 「……その、なんだ……俺の機嫌が悪くなることで、気ぃ遣わせてる部分があるのは理解してる。ちょっとずつ直すから待ってくれ」 「うん」 「あと、お前が死んだら俺も道連れになる可能性大だから、肝に銘じとけな」 「うん……ん?え、ま」 「待たない。さっき「うん」っつった」 とっさに見上げた先には、そ知らぬ顔の聞く耳持ちそうにないアルヴィンがいて、僕は前言撤回の機会を完全に奪われてしまった。 そんな勝手な、と困った顔で見上げていると、殊更柔らかな笑みを刷いた彼が愛しげに僕を見つめてきて息が詰まる。 ――――あぁ、本当に……なんて酷い人だ ぎゅっと縮こまる胸中が痛みを訴えて息苦しい。 こんな残酷なことがあってたまるものか。 両肩に手を添えて僕を逃がすまいとするアルヴィンは、きっと自分が言った先のことになど気づかない。 「俺、長生きする予定から、俺のために自分のこと大事にしてくれよ」 「……そうだね、癪だけど、アルヴィンのために努力はするよ」 「癪ってどういうこと?」 「可愛い愛情表現だと思っておきなよ、その方が幸せでしょう?」 「言うようになってきたねぇ、ジュード君」 僕のささやかな反撃を、進言どおり幸せそうに受けるアルヴィンを見ていられなくて、僕はぎゅっと思いっきり目を瞑った。 喉が締め上がって、渦巻く悲鳴すら出ない。 「……馬鹿だな、アルヴィン」 なけなしの抵抗で絞り出した声も、きっと彼には聞こえない。 少しだけ弱気になった自分が嫌で、僕は逃げ込むようにアルヴィンの胸に顔を埋める。 僕の突然の行動に驚く彼は、最初こそ硬直していたものの僕への怒りは何処へやら。 そわそわと忙しなく揺れ動き、ついには躊躇いがちに抱きしめてきた。 嬉しそうな気配も漂ってくれば、彼の能天気さに腹立たしささえ感じてしまいそうだ。 だって、嫌なことに気づかされてしまった。 アルヴィンは、失う前に自分から手放す人。 だったら、どんなに願っても、どんなに泣き叫んでも、僕が脅威に倒れて絶命するとき、彼はもう既に僕の傍にはいないのだろう。 こんな酷い憶測すら容易く導き出せてしまう。 そんな自分が、一番嫌だった。
* * * * 2012/09/06 (Thu) 痴話げんかと思わせといて相当ほの暗い話。 たぶん意味不明なので、ぐだっと語っておく。 さらっと読むと、あたかもアルヴィンがまた捨てるフラグ!と読めそうなんですが、実はアルヴィンが傍にいて、事故や自然死以外でジュードが死ぬことはないっていう話だったりする。 脅威にさらされた時、まず間違いなく、アルヴィンが身を呈して庇って死ぬと思うんですよね。 そんな奴に見えなさそうなんですが、そうでもない。 今まで身を呈して庇わなかったから、大事なものがなくなってったので、たぶん、ED後の彼はそれをしない。 二度と、同じ間違いはしないと誓って、自己満足で死ぬ。 これは、リクエスト小説の「protection for egotism」に通じるものがある。 そして、「最低だ!最悪だ!でも、そうさせた自分が一番嫌いだ……!」と言って、ジュードはきっと泣くのだと思う。 そんな話。 *新月鏡* |