「Difference」

 

 

 

むせ返るほどに満ちている血の臭い。
視界は常に死を映し、張り詰めた意識に合わせてどくどくと心音が脈を打つ。
怒声、悲鳴、悲嘆、苦痛、恐怖、生きたいと願う声。
重苦しくまとわりつく雨に打たれながら、自分の守るべき命のために他の命を葬る。
戦場ってのは、好きじゃない。
目の前で大勢死んでいく様は、見れば見るほど感覚が麻痺して頭がおかしくなりそうになる。
荒く息をつきながら、今しがた決着をつけた四象刃の3人を眺めた。
3人相手に6人がかりとはいえ、ア・ジュール最強と謳われた四象刃なだけあって、さすがにきつい。
ローエンがウィンガルに話しかけているところを見ると、もうこの3人に戦う気力はないようだが、こんな戦い二度と勘弁してもらいたいところだ。
やや後方ではジュードが厳しい顔つきで応急処置に勤しんでいるし、エリーゼも相当参ってるようで顔色が悪い。
年少組にこんな戦場、教育上よろしくないしな。
周囲を軽く確認した後、雨に濡れて垂れ下がった前髪を掻き揚げ、眼前で倒れ伏しているプレザを見下ろす。
視線に気づいたプレザは、戦意の衰えない目でこちらを忌々しげに睨んだ。
ホント、強い女だよお前は。

「悪い。遺言訊くつもりないから」

撃鉄を起こして、躊躇いなく狙いを定める。
だが、俺のそんな行動も予想の範囲内なのか、プレザは顔色一つ変えない。
可愛くないことこの上ないが、彼女らしいと言えば彼女らしい。
この場面で『このまま俺の手で一思いに殺してやるのも、俺なりの優しさなんだぜ?』とか言ったら、きっと鼻で笑うだろうな。

「アルヴィン!」

ぱしゃっと水を蹴り上げる慌しい足音と共に、制止の声が叫ぶ。
柔らかく少し高い声音は、ジュードの声。
甘く幼い、どこまでも慈悲に満ちたお人好し。

「もう決着はついてるじゃない!」

ほら、想像通りの展開だ。
決着がついてるなら殺さなくてもいい?
戦場でそんな角砂糖みたいな甘さは命取りだってわかって言ってんのか?
今勝てたから次も勝てる、なんて保障何処にもない。
殺れるときに殺る。
摘み取れる不穏分子は根こそぎ摘み取っておく。
これが生き残るための絶対条件だ。
お人好し青少年は、こんな考えなど持たずに制止をかけたに違いない。
それどころか、ミラに憧れる医大生だけに『人の命は等しく尊い』なんて説きかねないのがジュードだ。
わかってはいたが、ホントこいつは長生きする気全くないな。
だが、この機会を利用する手もなくはない。
失った信頼を少しでも修復しておく、ってのもいいだろう。
プレザ一人なら、殺ろうと思えば機会はいくらでも作れる。

「わーったよ」

少しの思案の後、俺は諸手を上げて構えを解いた。

「お前が言うなら、そうするよ」

一言強調するように添えれば、背後にいるジュードからほっとしたような気配が漂う。
こんなことで信頼関係が多少なりとも回復するなら安いものだろう。
それくらい、俺がこいつらから失った信頼はでかい。
やれやれと思いながら一息つくと、

「怖い怖い。そうやって、生きてくのよね」

低く唸るような声で、プレザは息も絶え絶えに恨み言を吐いた。
遠い記憶を重ねるように細められる双眸は、どろどろとした感情がちらつく。
どんな過去に思いを馳せたかは、すぐにわかった。
プレザが四象刃になる前、彼女がプレザである前のそもそもの元凶。
引きずり出される過去に軽く苛立ちが募る。
俺が切り捨てた過去の犠牲者、とでも言えば満足か?
女々しい恨み言は聞き飽きたんだ。
すでに汚いことは山ほどやったし、裏切った数も数え切れない。
気が済むまでいくらでも罵ればいい、今のお前にはそれくらいしかできないだろう。
心の奥底でぐらぐらと暗い感情を抱きながら、冷徹な視線で見下ろすが、俺の予想とは裏腹にプレザの視線は後方へ投げられる。

「ボーヤ、そうやって弄ばれて、いつかは捨てられるのよ」

その一言にはっとする。


――――……重ねたのは、お前自身か


真っ直ぐ投げかけられる言葉の矛先は、ジュードだった。
プレザが過去の自分をジュードに重ね、蔑みとも憎しみともとれる声音で謳う。
その遠まわしな恨みつらみに歯噛みするも、とっさに言い返す言葉が見当たらずに焦る。
プレザの言い分に嘘はなく、何と言って誤魔化すかも思いつかない。
どうしたものかと思案をめぐらせていると、さく、と水の含んだ草が背後で鳴った。
ゆっくりと近づく足音に、ひんやりと心の奥底が冷える。
その冷えた感覚を把握するより先に、気づけばジュードは俺の隣に立っていて。

「けど、アルヴィンは僕の気持ち、わかってくれてると思う」

強張った声でプレザに答えるジュードを、思わずを振り返った。
一体何を言い出すんだと、聞き間違いじゃないのかと自分の耳を疑った。
だが、返された視線に偽りはないと気づかされる。

「……ジュード」

呆然と名を呼べば、柔らかく微笑までくれて、ぎくりとする。
そんな俺の心を読んだのか、プレザは憐れみに近い眼差しでジュードを見やった。

「ふふふ……甘いわね、ボーヤ。その男はね、人の甘さや優しさにつけこんで裏切るのが常套手段なのよ?今みたいに、既知の人間すら何の躊躇いもなく殺す男なの」
「……そうかな?」

ジュードは右手の人差し指でこめかみをとん、と突いて小首を傾げる。

「本当にアルヴィンがあなたを殺す気なら、あなたはとっくに殺されてると思うけど?」
「……え?」

驚愕に目を見開くプレザに、ジュードは酷く冷静な声で断定した。

「たぶん無意識の行動なんだろうけど、アルヴィンはあなたを殺す気なんてなかったんだ」
「おいおい馬鹿いうなよ、俺は本気で」
「だったら、どうして『遺言訊くつもりない』なんて言ったの?」

意思の強い瞳が俺を見上げて問う。
暗い景色に甘い輝きがちらつく瞳は、どこまでも俺の心を見透かすようで居心地が悪い。
逸らすことなく見つめてくるジュードに、気づきたくない何かを突きつけられた気がして、ただ戸惑う。
『何故』と訊かれても困るんだ。
俺はそれに返す答えを持ち合わせてない。
ただ何となく、別れの一場面のセリフとして、俺はそれを言ったに過ぎないのだ。

「アルヴィンは、僕が声の聞こえる範囲にいること知ってて、撃つ宣言をした。僕が気づけば絶対止めるってわかってるはずだよね?」

確認するように一言一言をゆっくり重ねる声は、何処までも穏やかで揺るぎない。
まるで、逃げ道を塞がれていくようだ。
否定しても、逸らしても……きっと……。

「ジュード、違う。俺は……」
「違わない。アルヴィンは、全部わかった上で僕を口実にしてる」

やはり言葉巧みにジュードは詰め寄る。
たじろぐ俺の腕に手を添えて、自然な動作で縮まった距離に息が詰まりそうだ。
俺がジュードを口実に、プレザを生かそうとしている?
そんな馬鹿な話があるものか。
実際俺はプレザを殺そうと構えていて、プレザもその意思を感じ取ったからあの会話が成り立ったんだ。
だが、真逆の結果を導き出したジュードの瞳は、この場にいる誰より確信に満ちている。
その差異に困惑していれば、ジュードは俺を見上げたまま俺の疑問に解を与えた。

「アルヴィンなら、僕やレイア、エリーゼの前で絶対そんな光景見せない。たとえ僕たちと一緒にいるときにやらなくちゃいけない時が来ても、その時は僕らが気づく前に相手を殺してる」

そうでしょう?と同意を求めるように瞳が揺れる。
言葉の先から否定しようにも、俺にはそれを否定するだけの理由が見当たらなかった。
一体何を見てそう判断したのかはわからないが、現に俺は一言も話せないほど動揺してる。
ジュードがすらすらと澱みなく述べた言葉は、予言に近しい予測。
確信……?いや、これは。

「僕の言ったこと、覚えてる?」


――――『その言葉を……信じて、いい?』


それはたった一度の譲歩。

ジュードが俺を信じていて、どう思っているのかも知っている、そう告げて線引きした時の言葉だ。
知っている、でも期待に応えることはない、あの時俺はそう言った。
そしてジュードは、あるがままを受け入れ、その言葉を信じると言った。
俺がジュードの気持ちをわかっている、そのことだけは信じていると。

「……あぁ」

だからこその、セリフだったのか。


――――『アルヴィンは僕の気持ち、わかってくれてると思う』


プレザの忠告に応えて返した『核心』はコレで、プレザを生かす理由の『確信』もコレなのだ。
あのたった一度のやり取りで、ジュードは俺の『心』を信じてる。
嘘だ、と叫んでしまいたかった。
ジュードの言葉も、自分の気持ちも、何もかも。
ありえない。
今この状況で、どうしてこんなにも胸の奥が温かく感じる?

「アルヴィン、無意識ってね、本人が自覚してない本音のことなんだって」

動揺を隠せずにいる俺に、教師が教え子を諭すような優しい声音で、ジュードは言う。
本当に、プレザを殺したくなかったんだと。
状況や経験がそれを許さず、自分では止められないから……だから俺はジュードを口実にしたんだと。

「それが、アルヴィンの本音」

じっと見つめ返す蜜色の瞳が肯定する。

「……ジュード」
「僕だって、わかることくらいあるんだよ?」

雨が染み入るように冷たく感じるのに、ジュードが触れる腕はぼんやりと温かくて。
少し困ったように笑う声も、戦場には不釣合いな穏やかさで。
ぼうっと見惚れるように見下ろしていると、そんな意識を吹き飛ばすミラの声が飛んできた。

「みな、思うところもあるだろうが、先へ行かせてくれ」

硬く強張った声音に、今どんな場所に立っているのかを思い出す。
ジュードが俺に混乱を招くからすっかり忘れそうになったが、実際俺たちはこんなところでぐだぐだしている場合ではない。
まだこの先に残されているクルスニクの槍の元まで、駆けて行かなければならないのだ。
一拍遅れで意識を改めると、すっと隣から黒い影が走り出す。
ミラの声に急かされて駆け寄るジュードの背中が目に映る。

 

瞬間、衝動に駆られた。

 

この手に触れていたはずの、溶け込むようなぬくもりをもう一度感じたい。

そう願うままに、遠のく背中を引き止め、手を取り、抱き寄せ、そして……。


そこまで考えて我に返る。
今うっかり、あの青少年に対して不純な想像をしなかっただろうか。
あまりに不毛な思考回路に、小さく頭を振って雑念を払う。
こんな状況でなく、ミラが声をかけなければ、俺はジュードをこの腕に捕らえていたかもしれない。
焦がれてる自覚はしてるんだ。
強く求めてしまうほど、自分にとって先ほどのやり取りは衝撃的であり、あの時同様、この心にささやかな歓喜を呼び込んだ。
そうだ、ジュードはとっくに『俺の気持ち』を信じてる。
言葉や行動ではなく、この心を信じてる。
あぁ、どうして……俺は、それが何より嬉しい。

 

「行こう、アルヴィン!」
「あ、あぁ」

雨で靄がかる視界の中で、ジュードが俺を次なる戦場へ招く。
振り返る瞳に誘われるまま、足早にプレザの側を通りかかると、

「これが、私とボーヤの違いなのね……」

雨音に掻き消えそうなプレザの声が耳に届いた。
その声がやけに心細げに聞こえるから、僅かに後ろ髪引かれそうになる。
強い女が見せる弱さってのは、なかなか心に来るもんだ。
彼女の性格を近くで見てきただけに、何を期待されているのかわかってしまう。

何を求めているのかも。

何を願われているのかも。

それが、俺には容易く叶えてやれることも。

だが、結局俺は振り返ることなく彼女の側を通り過ぎた。
きっと足を止めて振り返ったところで、俺は彼女に何もしてやれない。
望まれたことを返したとして、それが俺とプレザにとっていいことだとは思えない。
どう考えても、傷を舐めあうどころか、抉り合って傷だらけにするばかりだ。
不毛すぎるやり取りは、もういらない。


――――『私もそうやって信じていられたら、何か変わったのかしら』


風にまぎれて届いた最後の嘆きに、俺の中の悲哀が共鳴する。

悪い、プレザ。
俺たちは、もう出会ってしまったし別たれてしまった。
それが事実で、現実で、どうしたって変えようがない。

俺がほしいと望んだぬくもりは、不幸なことにお前じゃなかった。

本当に……ただそれだけなんだ。

 

振り切るように面を上げた先。

 

俺はたったひとつの夜を望んだ。

 

 

 

 

 

* * * *

2011/11/08(Tue)

前回の、『I know...but』から発展、すさまじくアル→→→ジュ状態。
我が家のアルジュ組はこんな心境ですが、ファイザバード沼野のあのやり取りは、受け取り方次第で色々印象変わるなぁと思ってたんですよね。
アルヴィンにしても、ジュードにしても。
いやしかし、シャン・ドゥの流れを思い出して見ると、ホントどこの修羅場wwwwとか思いますよね。
動画で元カノ・今カノのコメ見て噴きました。


*新月鏡*