「A*J×ICO -7-」
滝のなくなったつり橋まで戻ってくると、水はすっかり姿を消し、湿気た地面だけになっていた。 あの大量の水はどこかへ排出されたらしく、僅かに残る水溜りだけが、見るものを魅了するほどの滝がここにあったのだと知らしめる。 一番最下層までジュードの手を引き、石像の扉の奥へと進んでいく。 その先は暗い崖が続いており、覆いかぶさるように重なる岩に、洞窟に似た印象を抱いた。 どうやら、城の内部にできた擬似的な洞窟のようだ。 断崖絶壁に変わりなく、一度足を踏み外せば死は免れないだろう。 ただ、アルヴィンはそんな恐怖よりも、異質なものに目を奪われていた。 排出された水が海に還る、その流れの上に佇む、幾重にも組み重ねられた大きな歯車。 ごとごと、がたがた、重く軋む音は単調に、洞窟の中に木霊する。 「またか……」 人の影もない城の中で、ひっそりと動き続ける歯車の不気味さは、水門で見た水車に似ている。 だが、よく思い出せば不気味なものはこの2つに留まらず、そこらかしこに転がっていたことにアルヴィンは気づいた。 一番はっきりしているのが、簡易のエレベーターや丸い扉だ。 当然のようにレバーを引いたり、ボタンを押したりしてきたが、電気を通すための電線など見たことがない。 連結しているはずのものを見たことがないのだ。 時忘れの城では、城内のいたるところにある装置の原動力として、電線の代わりに歯車を回し続けているとでもいうのか。 それとも、何か別の目的のために動き続けているのか。 「それか……捨てられたまま、止まることなく動いているか、だな」 無人になったことを知らぬまま、止めるものもいない城は、静かに鼓動を刻み続けているのかもしれない。 そんな想像をしてしまうと、不気味な城もどこか寂しげに見える。 「Alvin」 「ん、そうだな」 触れる指先に僅かに込められた力が、自分の芯を引っ叩く。 不気味で正体不明なものは、想像が加担して何処までも恐ろしいものへと変化する。 だが、そんなものに怯んでいては、脱出はおろか、ジュードを守ることもできはしない。 アルヴィンは歯車から視線を逸らし、己を叱咤して、ジュードが示す道に足を踏み出す。 洞窟から出ると、開けた視界にも断崖絶壁がひたすら続いていた。 どうやら城の外側を歩いていたらしく、吹き付ける強い風に時折足を止めながら、慎重に進むことを余儀なくされる。 手動のゴンドラに乗り込み、さらに上の階層へ移動し、しばらく道なりに歩いていくと、今度は寂れた給水塔らしき場所へと出た。 こちらは歯車と違って、本当に機能を停止しているらしく、鳥のさえずりと風の声だけが耳をくすぐる。 腐って脆くなった床板に気をつけて進みつつ、周囲観察もしてみるが、やはり相当な年数放置されているらしく、何処もかしこも古めかしい。 水車と歯車は機能していながら、一番人の存在を示すはずの給水塔が沈黙を守り続けるという違和感に、アルヴィンは得体の知れない気味の悪さを感じていた。 ジュードを黒い檻に閉じ込めていた奴がいる。 自分を生贄に求めた奴がいる。 だが、果たしてそれは『人』なのだろうか。 黒い影や人外の女のこともあり、モンスターの根城とも呼んで差し支えないのではないかと思い始めた頃。 何度目になるとも判らない石像の扉を開いた先に、求めていた場所が姿を現し、些細な疑問が吹っ飛んだ。 「Alvin, icxk!」 「おう、あとちょっとだな!」 はしゃぐジュードが踊るように踏み出した先には、忌々しいほど何度も見た城門と城壁。 長く遠回りをしながら、どうやら無事に反対側の城壁へたどり着けたらしい。 まだ踏み入れたことのない崖の上の孤立した建物。 そこにある固く閉じられた丸い扉を、反対側の建物のように開放できれば、後は城門へ戻るばかりだ。 城のつくりが線対称なことを考えれば、丸扉の開錠方法は判明しているも同然で、攻略方法さえわかっていれば、自然と恐怖より期待の方が上回る。 懸念すべきは影の存在のみだ。 2人仲良く期待に胸を躍らせつつ、警戒を怠るまいと目を凝らしながら、城壁から続く未攻略の建物へと歩みを進める。 崖の上にある建物の前には、やはり向かいの建物同様、立ち入ることを拒むように石像の扉が鎮座していた。 それをジュードに解いてもらって中に入ると、これまた前回と同じように、重たい石の扉が出入り口を塞いでしまった。 ここまで全く同じ展開が続けば、楽勝以外の何物でもない。 アルヴィンはひとつ呼吸を整えると、一番奥の部屋へ真っ先に飛び込んだ。 こちら側の建物は、すぐに2階へ続く梯子があり、その上にあるレバーを引くと、簡単に真ん中の丸扉を開くことができた。 続いて次の扉も開けてしまおうと、アルヴィンは1階へ戻り、最奥の丸扉の下に設置されているレバーを引く。 すると、こちらもやはり、背後にあった扉が重苦しい音を立ててゆっくりと開き始めた。 途端、 「Alvin!」 ジュードの悲鳴が鼓膜をつんざく。 何事かと、とっさに掴んだジュードの手を握りこめば、徐々に開く扉の隙間から、黒いものが蠢いているのが見えた。 見間違えるはずのない、黒い影。 「っ……ジュード、離れるなよ!」 背にジュードを庇い、アルヴィンは素早く帯刀していた剣を抜き放つ。 ひらりと剣先を翻し、襲い掛かってきた影を一刀両断して構えた。 行動の先回りをして、背後からの奇襲とはやってくれる。 ジュードを中心につかず離れずの距離で影を斬り伏せ、体勢を低くしたまま下から上へと斬り上げた後にさらに追撃を放てば、一際大きな影がどさりと音を立てて地に落ちた。 ふっ、と短く息を吐き、次の敵へと視線をめぐらせていると、 「yh!」 背後から上がるジュードの悲鳴にすぐさま振り向く。 いつの間にか、ジュードが影に背後から羽交い絞めにされていた。 ひらひらと巧みに逃げ回っていたが、大柄な影3体に囲まれれば、やはり多勢に無勢。 もみ合う力もない小柄な身体は、あっさり影に担ぎ上げられてしまう。 「Alvin!」 「ジュードを離せっ!」 体当たりに近い勢いで影へ突っ込み、そのまま大きく剣を振り切る。 それでも治まらない衝動に、倒れこみかけた影に連戟を叩き込み、押し切るように吹き飛ばした後、すぐさまへたり込んでしまったジュードを引き起こす。 その間、アルヴィンの勢いに体勢を崩した影はあっさり後方へ倒れ込み、そのままさらさらと霧散した。 「こっちだ、ジュード」 ぐいっと強引に手を引いて、黒い巣から極力距離をとる。 当然黒い影が追ってくるが、巣から距離が開いた分、影3体に囲まれるなんてことはなくなった。 1体ずつ下りてくるたびに、襲ってくるたびに、的確にダメージを与えていけば、それほど苦戦することもなく倒すことができた。 油断大敵、そう判っていたはずなのに、やはり希望が隙を生むようだ。 頭の片隅で反省しつつ、完全に巣が消滅するまで影を葬り続けること数分。 ようやく静寂が戻ったことを確認して、アルヴィンはふぅっと息を吐いた。 「悪ぃ、油断した。大丈夫か?」 くしゃくしゃになった黒髪を指で丁寧に梳きながらそう問いかければ、ジュードはぎゅうっと腕にしがみついてきた。 身体の震えは見当たらないが、体温を探るように密着してくる姿に、安心感を求められているのだと気づいて、アルヴィンはしがみつく手に自分の手をそっと重ねた。 ずいぶん慣れてしまったとはいえ、影に対する恐怖が完全に消えたわけではないのだ。 「もう平気だ。油断もしない。……誓うよ」 できるだけ優しく聞こえるように願いながら囁けば、固く目を閉じていたジュードがゆっくりとアルヴィンを見上げてきた。 何を言うでもなく、ただひたすらじっと見つめてくる蜜色の瞳を、同じように見つめ返す。 そのまま数秒黙っていると、落ち着いたのか、ジュードの手が腕から指先へとするりと移動してきた。 一つ頷いて手を繋げば、ジュードもこくりと頷いてくれる。 大丈夫、傍にいる。 言葉なく互いに伝わる想いは、とても温かく心強い。 「あと1つ、それで終わりだ」 ぽっかりと開いた丸い扉へ視線を移し、そう口にすれば、心にやる気が湧き起こった。 ジュードの手を引き、対称になっている建物同様、大きな鏡の場所まで出て2階へ梯子で移動する。 一度ジュードのみを残し、垂れ下がった鎖でさらに上の階まで上ると、そこは反対側の建物にあったものと同じように、橋が折りたたまれていた。 階段を上りながら、橋の止め具となっているロープを断ち切り、最上階にある隣の部屋へ迷うことなく足を進める。 そっくり綺麗に線対称に作られた建物は、やはり構造もそのままで、坂に流れる水を止める装置があった。 きっちり水を止め、再びジュードの元まで戻ると、アルヴィンは最後の丸い扉のある部屋まで戻り、坂道のあるほうへ移動する。 水の止まった坂を上り、架けた橋を渡り、ジュードの力で出現する床を難なく渡っていけば、あっさり最後の扉のレバーへたどり着いた。 躊躇いなくレバーを引き、ごぉんと音を立てて扉が開くうちに、簡易エレベーターへ乗り込む。 階下へ辿りつく頃には、最奥の鏡から発生した光の帯が真っ直ぐ丸い扉を射抜いていた。 「……これで、両方開いたはずだよな」 開通した丸い扉をよじ登りながら、ぽつりと零すものの、光の道の先にあるオーナメントが光り輝いているのを見れば、じわじわと実感がこみ上げる。 湧き起こる歓喜に、アルヴィンはジュードの手をとり、長い城壁を駆け抜け、跳ね橋を通り、まっすぐ城門へと走り出した。 長らく閉じ込められていた不気味な城から、ジュードと2人で出ることができる。 これほど嬉しいことがあるだろうか。 迷いなく駆け続けるアルヴィンの行く手を、影が阻んだりしたが、それも振り切り、撃退し、ただ走る。 城門の佇む庭へ辿りつく頃には、アルヴィンもジュードも少々息が上がってしまっていたが、それでもお互いの顔を見れば笑い合えるほど、心の中は晴れ渡っていた。 アルヴィンは、ゆっくりとした歩みに変え、乱れた呼吸を整えながら、真っ白に輝く城門を見上げる。 鍵は解かれた。 あとは、この門を押し開き、脱出するだけだ。 感慨深いものに、じんとしてまうが、慌てて頭を振ってぴしゃりと頬を叩く。 この喜びと感動は、ジュードと脱出してから分かち合おう。 そう意識を引き締めて、そびえ立つほど大きな城門の前に立ち、扉を押す。 「んっ……あ、あれ?開かねぇ!?」 鍵は開いたはずなのに、何故か門はぴくりとも動いてくれない。 体重をかけるように押してみるが微動だにせず、蹴飛ばしてみても何も変わらず、城門はただ静かに佇むばかりだ。 「は……?なんでだ?」 「Alvin」 「え?あ、ジュー……うわっ!」 ジュード、とその名を呼ぶ直前で、突如発生した風圧と衝撃に、アルヴィンの身体が後方へ吹き飛んだ。 地面に強かに身体を打ちつけ、痛みに耐えつつ慌てて起き上がると、城門から発生した大量の閃光が1点に集中して光の渦を作っていた。 いったいどうしたというのか。 困惑する意識を叱咤して目を凝らしてみると、光の渦の中央に、いてはいけない人影。 「ジュード!」 とっさに手をかざして掴もうとするが、ジュードを覆い隠すように絡みつく閃光は、静電気のように指先を弾く。 バリバリ、バチバチと激しい音を立てて、扉から稲光のような無数の光があふれ出し、ジュードに呼応するように絡んで離れない。 圧倒される光の洪水に、アルヴィンは動くことも、助け出すこともできなかった。 ただ、呆然と見ているしかできなくて、何が起こっているのかも全くわからない。 「……u,……h……」 「っ!?」 苦しそうに息を吐き、ふらつくジュードに、アルヴィンはようやくまともな思考が舞い戻る。 それと同時に、ジュードに絡み付いていた閃光も解け、ごごご、と大きな地響きを立てながら城門がゆっくりと開き始めた。 城門が開くにつれ、収納されていた石の道が城と対岸からそれぞれ伸び出て中央でぶつかり合い、巨大な橋を形成する。 橋の向こう岸には、石像がずらっと並んでおり、あの石像の扉を潜り抜ければ、望んだ故郷へ戻れるようだ。 城門が開ききり、橋の架かる音に気をとられていると、どさり、と受身を取ることもなくジュードが倒れ伏した。 「ジュード!」 「……yd,sksum……」 力なく倒れこんだジュードに駆け寄り、抱き起こすと、吐息にまぎれた頼りない声が何かを呟いた。 何を言いたいのか、どうしてもアルヴィンにはわからない。 だが、そんなアルヴィンを安心させるように、ジュードはやんわりと微笑んだ。 その見慣れたはずの微笑を眩しく感じて、アルヴィンは思わず顔をしかめる。 何かが違う。 何かが、変わってしまった。 何が…… 「……おい、どうしたんだよ……この髪……」 感じた違和感を探って数秒観察した後、その違和感の正体に行き当たって衝撃を受けた。 青ざめたジュードの頬を撫でるアルヴィンの指に、そっと絡む滑らかな白。 そう、露に濡れたような見事な黒髪が色を失い、陶磁器のような白い肌によく似た白銀に変化していたのだ。 ぐったりともたれかかったまま動こうとしない様子も相まって、ただでさえ白く眩しいジュードの印象が、より一層儚く掻き消えそうなものになってしまった。 未だ整わぬ呼吸も、城門に至るまでの道のりが駆け足だったとはいえ、ジュードがあまりに疲弊しすぎている。 まるで、あの城門を開くために、扉に力を全て奪い去られてしまったような……。 「まさか、お前……こうなるって、わかってて……」 無意識に肩を抱く手に力が篭る。 自分が目の当たりにしてきた光景を思い出せば、この展開こそ簡単に考えられる可能性だったはずだ。 城の中に点在していた石像の扉。 それを開くために、たびたびジュードが起こした光の奇跡。 大きな城門から放たれた閃光はそんなものの比ではなかったが、似通いすぎたシチュエーションと閃光に、何故気づかなかったのか。 固く閉ざされた城の中の扉。 その全ては、ジュードの力で開くのだと、自然とわかっていたことではないか。 そしてまた、ジュードも城門を開けばどうなるか、わかっていたはずだ。 この出口を示したのは、他の誰でもない、ジュード自身なのだから。 「……Al,vin……」 ぎゅっと唇を噛み締めて、己の不甲斐なさに打ちのめされていると、不意にジュードがアルヴィンを呼んだ。 アルヴィンにほとんどの力を預けながら、懸命に上体を起こすものの、見るからに体調が芳しくない。 支えて立ち上がらせてみても、身体をしっかり支えるだけの力もないらしく、すぐにふらつき足元が覚束ない状態だ。 だが、ジュードは大丈夫だと訴えるように、支えるアルヴィンの腕にしがみつき、ちらちらと橋の向こう岸へ視線を送る。 こんな状態になってなお、ジュードはアルヴィンを外の世界へ導こうとしているのだ。 「っ……ジュード」 あまりにも捨て身すぎる献身に、アルヴィンは思わず折れそうな細い身体を抱きしめた。 荒れ狂う感情の波を、どう鎮めればいいだろう。 喉元まで競りあがった感情を、押し留めるだけで精一杯だ。 心配と、不安と、憤怒と、悲嘆と、まだまだ表し切れない感情が、混乱した意識の端で暴れまわる。 「Alvin……」 そっと抱き返される力ない手の感触に、胸を締め付けられてしかたない。 ジュードがこんな状態になると知っていたなら、この方法で脱出しようなどと絶対に思わなかったのに。 言葉が通じていれば。 自分がもっと深く考えて行動していれば。 後を絶たない後悔に、ジュードを導いていると勘違いしていた自分を殴りつけてやりたかった。 だが、アルヴィンは、後悔した全てを過去に実行できたとしても、この結末が変わらなかったのではないかとも漠然と感じていた。 どうあっても、ジュードは自分にこの道を示し、ここから脱出させるために、その身を犠牲にしただろう。 優しすぎるジュードの在り方を思えば、己の無力さに奥歯を噛むしかできない。 だが、どれだけ後悔しても、もはや道は開かれてしまった。 取り返しなどつかない。 そう、アルヴィンに残された選択は、ジュードが示してくれた道を進む以外にないのだ。 「……わかった、行こう」 ジュードがくれた出口を無駄にするわけには行かない。 一度だけ強く抱きしめなおしてから手を繋げば、ジュードもその意図を理解したのか、こくりと小さく頷いた。 ここまでくれば、あとは一直線に対岸を目指すだけでいい。 だが、無理はさせられない。 すぐにでも倒れてしまいかねないジュードの様子に、アルヴィンはゆっくりと歩くことにした。 後ろを歩くジュードに気をつけながら、冷たい石橋を、こつ、こつ、と靴底で音を立てて進む。 心配しすぎるアルヴィンの行動は、ジュードには不服らしく、歩調を速めようと何度か奮闘してきた。 だが、その度にバランスを崩して倒れ込み、アルヴィンに支えられる羽目になれば、さすがに諦めたようだ。 ひゅうひゅうと吹きつける風を受けながら、慎重に歩みを進め、長い長い時間をかけて橋を渡る。 そして、ようやく橋の半ばまでたどり着く、そう思った瞬間、鋭い稲妻のような閃光が、背後から2人に襲い掛かった。 「うわぁっ!」 「ah……!」 城のオーナメントから発生した光の槍に、繋いでいた手は引き剥がされ、アルヴィンは前のめりに倒れこむように吹き飛ばされる。 だが、それで光が消失するわけではなかった。 まるで確固たる意思を持つようにジュードに絡みつき、引き止めていたのだ。 背後で起こる光景に、顔だけを振り向けたままはっと息を呑んでいると、バチッと激しい炸裂音が響いた後、閃光を浴びたジュードが再び力を失ったように崩れ落ちた。 「ジュード!」 慌てて起き上がり、叫ぶ。 すると、声に呼応するように、倒れたままのジュードがぎゅっと身体を縮込め、小さく呻いた。 もはやジュードには、すぐに上体を起こすだけの力もないようだ。 「くそっ、ここまで来て……!」 すぐさま踵を返し、ジュードの元へ駆けつけようとした矢先、今度は大きな地響きが足元で騒ぎ立て、ジュードとアルヴィンを分け隔てるように繋がっていたはずの橋が中央から途切れ始めてしまった。 どうやら、ジュードとアルヴィンの逃走を快く思わないものが、対岸と城、それぞれに橋を収納し、2人の脱出を阻止しようとしているらしい。 大きな力に抗うこともできないアルヴィンは、下から突き上げる衝撃にぐらつく身体を支えきれず、バランスを崩して転げ落ちる。 二の腕を床に打ちつけ、さらに止まらぬ勢いに、橋からあっさり投げ出された。 慌てて左手で石橋の端を掴み持ちこたえるが、足が振られて思うように這い上がれない。 「く……」 両手に力を込め、懸命に橋の上へと戻りつつ、ゆっくりと引き離されるジュードの姿を探し出す。 そして、遠のく橋の先端に、緩慢な動きで揺らめく白い姿を見つけ、アルヴィンは急きたてられるような衝動に任せて、一気に橋の上へ這い登った。 荒く息を吐き捨て、きつく見据えるように鋭く視線を振る。 すると、驚くことに、ジュードがこちらへ向かって精一杯手を伸ばしていた。 眉を寄せて、苦痛に耐えながら、それでもアルヴィンを救おうと差し出される優しい手。 ジュードが差し出す手のひらを見たアルヴィンは、何のためらいもなくジュードの元へ飛んだ。 だが、離れすぎた距離に、決死の覚悟の跳躍が届かない。 落ちる。 そう思った瞬間、アルヴィンの右手が強い力で引きとめられた。 落下の重力に反して身体が振られ、冷たい橋の側面に叩きつけられる。 「いっ、て!」 思わず呻いてしまうが、落下を免れただけずいぶん救われたものだった。 その事実を示すように、橋の側面に衝突した際にベルトから抜け落ちた剣が、遥か下方に揺れる水面へと落ちていく。 着水までのタイムラグと小さな飛沫に、その距離がどれほどのものかを知れば、背筋を冷たいものが駆け上った。 だが、悠長に下方を眺めているわけにもいかない。 「……ジュード……」 「k……u……」 細く白い指先が、アルヴィンを落下から救い上げてくれている。 必死に引き上げようと、疲弊しきった身体を酷使するジュードの姿に、アルヴィンも懸命に端の縁へと手を伸ばす。 だが、ジュードの腕の長さの分だけ手が届かず、縁を掴みきれない手が宙を掻くばかりだ。 「……n,」 アルヴィンの足掻く姿に、もはや腕の力のみでどうにかする力はないと判断したのか、ジュードは上体を反らすように起こして引き上げる方法に変えた。 しかし、それでもまだ足りない。 あと少しなのに、そのあと少しが遠すぎる。 意に添わない現状に、焦りと苛立ちばかりが激化して、アルヴィンは小さく呻いた。 早く橋の上に這い上がらないと、これ以上はジュードの体力がもたない。 そう思い始めたとき、不意に新しい音が耳に届いた。 パキパキと、薄いガラスを割るような音が2人のいる方へゆっくりと近づいてくる。 いったい何の音だ? 冷静さを欠いた頭の中を冷やす音は絶え間なく、じわり、じわりと大きくなる。 得体の知れなさに、アルヴィンが嫌な予感を抱いたとき、その予感は最悪の形で姿を表した。 空間を一刀両断する亀裂。 ふわりとなびく長い髪。 「お、前……の仕業、か」 忌々しげに視線を送る先、ジュードの背後に、優美にして冷徹な瞳をした人外の女が立っていた。 こんな状況でなくとも、未知数の力を持つこの女からジュードを守ることはおそらく難しい。 それがよりにもよって、自分の命がジュードの腕一本で支えられている状況と来れば、相手の手に己の心臓を差し出したようなものだ。 まずい、とさらに加速する焦燥感に奥歯を噛む。 だが、何故か女は微動だにせず、数秒経ってもただ静かにジュードの傍らに佇んでいるだけで、ジュードを無理やり連れ戻したり、何かしら攻撃をしてくるわけでもない。 おかしい、そうアルヴィンが気づいたときには、さらに状況は悪いものへと変わっていた。 あの『音』が、アルヴィンの目の前に姿を現したのだ。 パキパキ、ペキペキ、侵食するように迫る音とともに、黒い影の幕が迫り、橋の色が薄黒く変色し、そして、 「……h,u……」 「ジュード、身体が……!」 影の幕に足元から侵食されたジュードの身体が、何故か結晶化し始めていた。 もう既に腰から下は澄んだ藍色の結晶に包まれてしまっていて、這い登る薄暗い影のベールを追うように、さらに結晶化の侵食がジュードを蝕む。 何故、いったいどうして。 驚愕に目を見開き、混乱に思考が空回る。 だがその間も、範囲を広げてくる影のベールはじわじわとゆっくりジュードの身体を這い回り、アルヴィンを支える腕にまで迫る。 肩、腕、手首、そして手の甲まで薄黒い影に覆われたとき、 「Alvin……」 吐息にまぎれた声がアルヴィンを呼んだ。 密に絡む視線の先に、苦痛に堪える潤んだ瞳を見つけて息が詰まる。 泣くな、必ず、助けてやるから。 そう告げようと口を開きかけるが、黒いベールがアルヴィンの手にかかる寸前、ジュードの指先から一気に力が抜け落ちた。 「っ!」 思い出したようにまっすぐ水面へ連れ去る重力に、アルヴィンはジュードを見つめたまま、もがくように宙を掻いて落下する。 抵抗など一つもできず、急激に遠のくジュードの泣きそうな微笑が目に焼きついて。 「ジュードぉ!」 力の限り叫ぶ声も、荒れ狂う風に掻き消える。 落下する速度に、唯一残った疲弊しきった意識さえ、アルヴィンから奪い去られようとしたとき、 「nono……mori……」 甘く儚い声が、聞こえた気がした。
* * * * 2012/06/10 (Sun) ノノモリ…………(号泣 意味を知ったとき泣いたわ。 正門イベントが1回目、2回目とも神がかりすぎてつらい。 *新月鏡* |