「A*J×ICO -6-」

 

 

 

真っ直ぐ走り続ける光の道は絶え間なく、まるで行く先を示すように揺るぎない。
丸い扉から脱出する際、その光が一番奥にあった鏡から放たれているのを垣間見る。
一体どうやってこれだけ大量の光を集めて放出しているのか。
太陽光をエネルギーに転換する最先端の黒匣を持ってしても、ここまで長時間、高エネルギーを生み出し続けるのは無理がある。
しかも、この場所は時忘れの城。
時折目の見張るような温かな景色に出会いはするが、それ以外のほとんどは、たち込める霧と鈍色の雲に覆われた場所だ。
いくら城中に降り注ぐ太陽光を集めたとしても、途切れることなく膨大なエネルギーを放出し続けられるものなのだろうか。
城の仕掛けは予測や憶測を立てるにはあまりにも常識はずれで、アルヴィンの中の知識をことごとく切り崩す。
たまにサボったりしていたものの、そこまで勉学を疎かにした記憶もない。
だが、アルヴィンには、名の知れた学者や天才がいくら現れたとしても、この城の仕組みはわからないのではないだろうかと思えた。
それほどまでに、この時忘れの城は、全く別次元の理論で構成されている場所なのだ。
そう思った途端、ふと冷たい微笑と甘い声が脳裏によぎる。


――――『住む世界が違うのよ』


長い髪を風になびかせ、人外の美女が言い放った一言が、今になってじわじわと現実味を帯びていく。
最初からわかっていたはずなのに、この手に触れたジュードもまた、自分とは相容れない存在なのかもしれないと思うと、心臓がどくりと大きく脈打った。
これだけ触れ、抱きしめてなお、ジュードが離れてしまいそうで不安になる。
ジュードは、アルヴィンにできないことができてしまう。
この城と同じように、アルヴィンの中にある既存の理論を完全に無視した不可思議な力で、非力な少年の力では開けられるはずのない石像の扉を開き、何もない場所から床を出現させる。
あの時は声を失うほど驚いてしまっていたが、今にして思えば、あの床も全てジュードに反応して現れていたのだ。
アルヴィンでは太刀打ちできない城の構造全てが、ジュードにはすんなりと道を指し示す。
それは、この城とジュードが密接な関係にあるからではないのだろうか。

「Alvin?」

不意にジュードが声をかけてくる。
どうやら、無意識にジュードの手を握りこんでしまったらしく、それに反応したようだ。
窺うように首を傾げるジュードは、アルヴィンの表情から不安を読み取ったのか、僅かに開いた距離をやんわりと歩み寄って縮めてきた。
肩触れ合うほどの至近距離で、見上げてくる大きな蜜色の瞳を見つめ返し、アルヴィンはぎゅっと眉根を寄せた。
マクスウェルの後継者と言っていたが、どう見ても同じ人間にしか見えないジュードと自分の何が違うのか。
わけのわからない不安に、アルヴィンは思わず口を開く。

「……お前は、俺と……ずっと、一緒だよな?」

返す声はない。
当然だ。
言葉など通じるはずがないのだから、問いかけた意味をジュードが知るはずがない。
そうとわかっていながら、アルヴィンは肯定する声が返ってこないことに胸突かれるほど切なくなった。
一緒だと、傍にいると、そう一言でも返してくれたなら、こんな不安など二度と抱かないというのに。
届かない言葉は地に落ちて風に消える。
きっと、こんなところにいるから余計なことを考えてしまうのだ。
アルヴィンは無理やりそう割り切って、侵蝕し続ける不安を追い払うように頭を振る。
その揺れる視界の端、見たくもないものが残像を帯びて引っかかり、ぎくりと身体が強張った。
素早く視線をめぐらせれば、遠い城壁の向こう、進行方向の奥から突如現れた黒い影が、ばさばさと羽音を立てながらゆっくりとこちらに向かってくるではないか。
よりにもよって、人が3人並べばすぐに窮屈になるような幅しかない場所での襲撃に、アルヴィンは小さくした打ちした。
黒い影も多少は学習するらしい。
全く歓迎できない展開にやや焦りつつ、影から隠すようにジュードを自分の背後へ押しやる。
閉じ込められた経験があるので、意味深な建物に引き返すわけにもいかない。
こうなれば突っ切るしかないと覚悟を決め、剣の感触を確かめるようにくるりと手の内で一度回転させ、軽く振り下ろす。
大丈夫、まだ手に馴染みはしていないが、一般的な形のおかげでうまく扱える。

「Alvin……」
「任せろ、あんなのすぐに消してやる」

ぎゅっとジュードの白い手を握り締め、アルヴィンは一気に駆け出す。
空から狭い城壁の上へ降り立った瞬間を狙って斬り込み、怯む暇すら与えずにさらに斬り上げる。
無防備にたたらを踏む影に一拍の間をあけて、一閃、また一閃と畳み掛けるように薙ぎ払えば、影に反撃の余地などない。
真正面の敵を片っ端から霧散させつつ、駆ける足を止めることなく走り続ける。
たとえ、眼前の影を囮に背後に別の影が降り立とうとも、連携でいうならこちらの方が何枚も上手だ。
機転を利かせたジュードがアルヴィンの脇をすり抜け、それに合わせて身を捻ったアルヴィンの剣戟に大きな影が巻き込まれ後方へ吹っ飛ぶ。
ひらひらとアルヴィンの周囲で影を翻弄するジュードの姿は、この場に置いて一段と異質で神秘的に見えた。
まるで、宣託を受けたあの日に見た白い蝶が、再び目の前で踊っているようだ。
だが、そんな光景に見とれている余裕もなく、アルヴィンは降り立つ影を葬る作業にすぐさま戻る。
城壁での戦闘は、自分たちにとって不利な状況での襲撃と思われたが、どうやらそれは、相手にも同等のデメリットを与えていたらしい。
順繰りに襲撃しては来るが、場所が狭すぎて一斉に襲いかかってこれないのだ。
さらに、棒切れからまともな武器に替わったおかげか、影1体を倒す時間が極端に短くなっていた。
さすがの影も、木の棒で殴られるより剣で斬られる方がダメージが大きいようだ。
自分の有利な点に気がつけば、ジュードを庇いながらとはいえ鼻で笑える余裕さえできてしまい、アルヴィンはいとも容易く影を殲滅してゆく。
立て続けに5,6体葬り、影の姿が見えなくなった頃には、城壁の折り返し地点にある地球儀に似たオーナメントの場所までたどり着いていた。
前後左右、影が沸いてきた場所に巣がないことを確認して、アルヴィンはようやく構えを解いた。

「終わりか?……なんか、あっけなかったな」

狭い城壁での戦闘にひやひやしたが、思いのほかあっさり終わってしまったことにやや拍子抜けした。
本当ならよかったと安心し、喜ぶべき事なのだろうが、黒い影に襲われ続けたせいで通常の感覚がずいぶん麻痺してしまっているらしい。
いつの間にか、影が出ても「あぁ、またか」程度の危機感に成り下がってしまっている。
弛んでしまった緊張感を取り戻すべく、アルヴィンは剣を収めた後に両手で頬をぱちんと叩いた。
自分がしっかり危機感を持っていなければ、ジュードはより危険な目に遭うのだ。
それだけは、何としても避けなければ。
意識も新たに決意を示していると、かすかに何かが擦れる音が耳に届いた。
一番最初に城壁へ訪れたときには聞かなかった音に首を傾げつつ、音の正体を辿って視線をめぐらす。
首が痛くなるほど見上げると、大きな地球儀のオーナメントが、崖の上の建物から差し込む光を受けて輝き、静かに回転していた。
さらに城壁から身を乗り出して覗き込めば、階下の城門の左側だけが白く光を帯びている。

「あー……なるほどな、そういうことか」

アルヴィンが城壁へ訪れた当初に感じていたことは、正しく的を射ていたのだ。
城門とオーナメントと崖の上の建物。
それらは一つの装置として連動し、機能ししてるのだ。
収縮して走る光の帯にオーナメントは起動し、オーナメントが回転することで、城門の鍵は解かれる仕組みなのだろう。
そういうことなら、城門を中心に線対称に設置されている理由も納得できる。
おそらく、城門を挟んだ向こう側に佇む崖の建物にも同じ装置があり、それを起動すれば門の鍵は完全に解除されるのだ。
ジュードが指し示してくれた出口はこれだったのか。
城の構造を解き明かし、希望に満ちた歓喜に振り返る。

「ジュード」

自分が何に喜び、何のために呼んだのか見当がついているのだろう。
陽だまりに溶けるような優しい微笑でこちらを見つめているジュードに、アルヴィンはたまらなく胸締め付けられるような気持ちになった。
感謝や歓喜、そういったものを表す方法が見当たらなくて、無意識に手を差し出す。
羽根が撫でるような軽やかさで触れた指先を絡めとって、ゆっくりと感触を刻むように握り締める。

「ありがと、な」

道を示してくれて。
笑ってくれて。
傍に、いてくれて。
喉が詰まったように声が震えて、上手く笑えているのかも怪しいが、ジュードがこくりと頷いてくれたので気にすることもなかった。

「んじゃ、あとは向かいの扉開けて、外に出るだけだな」

無理やり声を跳ね上げ、自分を奮い起こす。
まだ助かったわけじゃない。
この時忘れの城からジュードと出ることができて、ようやく手放しで喜んでいいのだ。
油断は禁物。
希望が見えたときこそ隙ができる、そう教わったことを思い出し、再び気を引き締める。
ジュードの手を引いて、変わり映えなく誰一人いない景色を眺めつつ、城内へ続くもと来た道を歩いていく。
その途中、当初見落としていた長い梯子をジュードが見つけた。
しらみつぶしに探り回った城内へ戻ったところで、他に何か変わったことが起こるわけでもないので、アルヴィンは迷うことなく長い梯子に手をかける。
この先が別の道に続いていればいいと願いながら駆け上り、たどり着いた先で扉の向こうの様子を窺いつつ、ジュードの到着を待った。
相変わらず、ジュードは梯子を一段ずつ丁寧に上ってくる。
ちまちまと動くその姿が一生懸命に見えて、連れまわしている距離を思い出せば、罪悪感が心をつつく。
僅かに息を乱しながら上りきったジュードを見たとき、それはさらに形を与えるようにのしかかった。
自分の感覚で連れまわしすぎたと少し反省し、歩く速度をやや落として先へ進む。
その変化に、ジュードはことりと首を傾げたが、アルヴィンは、わからないならそれでいいと考えていた。
母がよく言っていた。
相手に気づかれない優しさを、思いやりと呼ぶのだと。
そして、もし自分がその思いやりに気づいたときには、素直に感謝すればいいのだと。
もうずいぶん見ることもなくなってしまった母の面影を思い出しながら、ちらっと後ろをついて歩くジュードを盗み見る。
あたりをきょろきょろと見回しながらついてくる表情に、濃い疲労の色は見えない。
ジュードが無理なく笑って傍にいてくれる。
それを守るために、自分がいる。
そう考えれば、どんなことでもしてやりたくなるから不思議だ。

「Alvin?」
「ん?あぁ、なんでもない」

気づけば、がっつり穴が開くほど見つめていたようで、疑問符を頭に浮かべたジュードが首を傾げる。
見つめ返される視線に苦笑を返しつつ、アルヴィンはすぐに前を向いて歩き出した。
梯子の先、扉の向こうには、2本の跳ね橋がかかっており、下を見下ろせば、見たことのありすぎる敷地が広がっていた。
そう、城門に辿りつく前、影に散々追い回されたあの広い敷地だ。
苦い記憶に口端を歪めながら跳ね橋を渡り、さらに先へ進んでいくと、今度は轟音まがいな水音が響く場所へ出た。
頼りないつり橋と、水口から溢れる滝、そして。

「Alvin, icxk!」
「おぉ……すげぇ……!」

滝を跨ぐようにうっすらと架かる7つの色彩。
くいくいと手を引いてはしゃぐジュードにつられて、アルヴィンも魅入られたように虹を眺める。
こんな場所で、見事なアーチを築く虹にお目にかかれるとは、思ってもみなかった。
つり橋の中央へ移動し、さらに間近で見れば、よりその美しさに見とれてしまう。
おどろおどろしい城内にあるというだけに、それは宝石のように輝かしく印象に残るようだ。
見飽きることがないほど見事なものだったが、いつまでもこうして2人仲良くぼうっと虹鑑賞をしているわけにもいかないと、アルヴィンは思い出したように周辺観察を開始した。
水飛沫が激しいおかげで、観察するにも一苦労だが、なんとか目を凝らして場所の詳細を把握する。
すると、アルヴィンの視界に見慣れたものがよぎった。
白い霧が充満し、階下の様子が靄がかって窺いづらいが、滝の奥に石像の扉らしきものが垣間見える。
どうやらあそこへ向かえば、新たな道が開けるようだ。
ただ、そこへたどり着くためには、大量の水と滝を越えていかなければならない。
はたしてジュードが泳いでいけるのだろうか。
湧き出た疑問にちらりと様子を窺えば、ジュードは未だに虹に見とれていた。
差し込む陽光を受けて輝く虹と、より白く映えるジュードの肌。
すらりと伸びる細い腕と足。
虹に心底はしゃぎ、魅入られてるあたり、黒い檻に囚われていたジュードが、外を駆け回るほど自由を与えられているようには思えない。
ということは、

「もちろん、泳いだこともねぇよな……」
「?」
「いや、こっちの話」

声を発したことで、逸れていた視線が戻る。
ジュードの眼差しを受けて安心する気持ち半分、苦笑半分で笑ってみせ、見上げてくる頭をくしゃりと撫でた。

「ここは保留だな。進めるだけ進んでから考えよう」

わしゃわしゃと髪を掻き乱されて、くすぐったそうに笑うジュードをつれて、アルヴィンはさらに道なりに進んでいくことにした。
まだ行き詰っているわけではないし、この先に別の道があるかもしれない。
それに、極力ジュードに負担になるようなことは避けたかった。
アルヴィンは、できるだけ歩きやすい道を選び、名残惜しげに虹に向かって手を振るジュードを促し、先を歩く。
虹が手を振り返してくれるわけでもないのに、満足げな表情を見ると、つい顔が綻んでしまう。
微笑ましいやりとりをかわしつつ、2人はつり橋を渡り、さらに道なりに奥へ奥へと進めるだけ進んでいった。
移動しながら様子を見る限り、どうやら外壁に近い場所を歩いているらしく、常に惜しみない陽光が降り注ぐ。
先ほどまで石畳のような場所ばかり通ってきたが、足元には草花が生い茂り、さわさわと涼しげな音を立てて肌を撫でる。
ジュードが草で足を切らないか心配しつつ、緩やかな速度で歩き続けること十数分。
行き当たりまで来てしまった部屋の外で、からから、ざばざば、からから、ざばざば、と、なんとも耳に騒がしい音が聞こえてきた。

「……何の音だ?」

部屋の外へと繋がる階段を下り、ひんやりと心地のよい風を感じながら、その音に引き寄せられるように近づいてく。
すると、緑生い茂る傍ら、大きな水路の真ん中で、からからと回り続ける水車を発見した。
重たそうにゆっくりと回転し続ける水車の奥には水門があり、大量の水が止めどなく流れ続ける。
その水量に、ぱっと見ただけでは、水門の奥がどんなつくりなのかを知ることはできなかった。
しゃがんで様子を見てみるも、やっぱりよく見えない。
見えないものは仕方ないと諦めて立ち上がると、不意にアルヴィンの背後で何かが羽ばたく音が聞こえてきた。

「a,……!」
「ん?」

2人して振り返ると、白い鳥が数羽、どこからともなくやってきて、草花の間をちょこちょこと動き回っていた。
ここは木々もあるため、木の実や食べ物を求めて鳥がやってくるのかもしれない。
そんなことを考えていると、隣の立っているジュードが、意味深な瞳でじっと見つめてきた。
何事かと思って見つめ返すも、そわそわと忙しない様子にピンとくる。
どうやらあの白い鳥に構いたいらしい。

「……いいぜ。ただし、あんま遠くに行くなよ」

煌々と日差しの満ちており、見通しがいいこの場所だ。
ここら一帯で影が現れようものなら、多少離れていてもすぐに気づいて駆けつけてやれるだろう。
あたりを見渡しながら判断し、ジュードの頭をひと撫でしてから、アルヴィンはそっと手を解いた。
戸惑うように見つめてくる瞳に微笑みかければ、その意図に気づいたのか、ジュードはぱっと嬉しそうに笑って駆け出していってしまった。
その姿に小さく苦笑し、アルヴィンは自分のすべきことへと意識を切り替える。
水の流れを追って見てみると、壁で区切られた先に水路はなく、流れ続ける水が轟音を立てて穴から落ちるばかりのようだ。
ということは、つり橋のあった場所で見た滝の出所がココなのだろう。
歩いてきた経路や高さも考えれば、妥当な位置だ。
ならば、この水門を閉じてしまえば、水がせき止められ、滝も消える。
そうなれば、あの滝を越えた先にある石造の扉にジュードと2人でたどり着けるのではないか。
あまりに安直な考えではあったが、物は試しと水門の上にある滑車を目指して梯子を上る。
長年誰も使っていないのか、さび付いて固まっている滑車をめいっぱい押しやった。
途端、ざりざりと凝り固まった錆が、ノイズを撒き散らしながら騒ぎ出す。
時間をかけてきっちり2周ほど滑車を回し続けると、がちりと大きな音を立てて行き当たる。
水門を完全に閉じることができたようだ。
あまりに重労働だったため、アルヴィンはすっかり息が上がってしまい、その場にへたりと座り込んでしまうほどの疲労感に苛まれる。
片膝を軽く立てて座り込みながら水門を見下ろすと、水路の水位が緩やかに失われ、大量にあった水がその姿を消していた。
それに伴い、鳴り響いていた轟音もぴたりと止んでしまえば、やたら染み入る静けさだけが鼓膜を揺らす。
急激に訪れた静寂に引き寄せられるように、アルヴィンの脳裏に冷静な疑問が浮上した。
この城はどこから水を引いて、誰が何のために使用しているのだろう。
『時忘れの城』の名を冠するこの場所において、最も生活や生命を感じさせる水の存在は、アルヴィンの目にとても異質に映っていた。
草木のため、というにはあまりにも量が多すぎる。
だが、あれだけ歩き回った城の中には、ジュードと謎の女以外の人物がいるようには思えない。
さらに、あの謎の女が、人間と同じように水を必要とするのだろうかと考えれば、必要なさそうな気もしてくるのだ。
ならば、ジュードを生かすためだけに、この大掛かりな水路は作られたというのだろうか。
何か、違う。
この城の在り方が不可解すぎる。
誰が、何のために、どういう目的でこの城を作り上げたのか。
そもそも、この城はいつから存在しているんだ。
頭の中の記憶を引っ張り出し、懸命に物語を探っていくものの、枕元で聞かされてきた話の始まりは、いつだって『遠い昔、』から始まっていて、何の助言もしてくれない。
錆びついた滑車の軋みだけが、アルヴィンに年月を教えてくれているようだ。

「わっかんねー……」

ささやかな疑問に引きずられ、この城で抱いた疑問が次から次へと湧いてくる。
この城の意味、ジュードの存在、自分が贄にされる理由。
大まかに考えても、どれ一つとして答えが出ない。
わかることは、ここからジュードを連れ出して、一緒に母の待つ家へ帰ることくらいだ。
そこまで考えた瞬間、静寂の中にまぎれた軽やかな笑い声が耳に響いた。
身体を起こして見下ろせば、白い鳥と戯れるように駆け回るジュードの姿。
緑に囲まれ、日差しを受けて白く輝く肌は眩しく、透けるように裾がはためく。
自分のいないその空間は、周囲にあるもの全てを神聖なものに魅せるようだ。
魅入られたようにぼんやりと眺めていると、ふと、このままジュードをつれて帰っていいのだろうか、という自分に対しての疑問が生まれた。
想像すれば違和感しかないのだ。
自分の故郷である機械化の進んだ街・トリグラフに、ジュードが立っているということが。
その瞬間、己を突き動かす理由を根幹から崩す疑問に、アルヴィンは気づいてしまった。
人工物で作り上げられた街に、ジュードがいていいのかと。
豊かな自然に溶け込む姿に、微笑むジュードの神聖さに、あまりにも自分の帰ろうとしている場所は不似合いなのではないのかと。
時忘れの城にいたって、また影に襲われ、黒い檻に閉じ込められ、ジュードの表情が曇るのはわかっている。
だが、連れ出したところで、ジュードに居場所はあるのだろうか。
本当に、このままで……。

「Alvin!」
「っ!」

落ちかかった思考を吹き飛ばすような明るい声に、アルヴィンはびくりと身体を揺らし、慌てて声の主へと視線を向けた。
定まった焦点の先で、ジュードが花の綻ぶような笑顔を向けて見上げてくる。
どうやら今まで鳥に夢中でアルヴィンを見失っていたらしく、目と目が合った瞬間、ジュードに柔和な笑みが広がった。
梯子の下、アルヴィンの姿が見えるぎりぎりの場所まで駆けて来て、首が痛くなるんじゃないかと思うほどまっすぐ見上げてくる。
アルヴィンを目指して、アルヴィンだけを見つめて、嬉しげに。

「……あぁ、そうか……」

僅かに震える指先を握りこんで隠し、纏わりつく疑問を無理やり追い払うように大きく頭を振る。
何を血迷ったことを考えていたのか。
簡単なことじゃないか。

「俺が、守ればいいんだ」

どんな場所であろうとも、自分がジュードを守ればいいのだ。
もし故郷にジュードの居場所がないならば、ジュードが穏やかに笑っていられる場所を、自分が作ればいい。
互いに世界から捨てられた身なのだから、きっとどんな場所だって互いが互いの居場所になるのだ。
だったら、ずっと離れず傍にいて、変わらずその手を繋いでいればいい。
そう思えば、自分の手が空いていることに納得がいかなくなってきた。
水門を閉じるという役目も終えた今、アルヴィンがこの場ですることは一つもない。
飛ぶように水門の上から草花の生い茂る地面へ飛び降り、すぐに振り返ってジュードの手を攫う。

「Alvin?」
「いこう、さっさとここを出るんだ」

もやもやとした疑問を払拭しきった笑顔を向けて手を引けば、ぱちりと大きくまばたきしたジュードがきょとんと見上げてくる。
だが、そんな戸惑いも一瞬で、ジュードはすぐに陽だまりのような温かな微笑を返してくれた。
繋いだ手が離れることはない。
そう、振り返らなければ意識にも上らない問題など、難しく考えることなどないのだ。
いつだって根幹はシンプル。
今の自分への答えは、傍らに立つ存在が示してくれる。

「Alvin」

嬉しげに微笑むジュードが傍にいる。
優しく歌うようにアルヴィンの名前を呼ぶ。
そうだ。
それだけで、自分はずっと強く戦える。
ぎゅっと唇を引き締めて、アルヴィンは馴染み始めた剣の柄をそっと撫でた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/06/02 (Sat)

アルヴィンが悩むお話。
この葛藤というか、疑問みたいなのは入れておかなければと思って。
次は、皆様お待ちかねのあの名シーンまで書く予定!


*新月鏡*