「a love affair -6-」

 

 

 

柔らかく降り注ぐ日差しに、夢の中の意識がゆっくりと目覚めていく。
温かなぬくもりを求めてシーツに顔をすり寄せるも、何か足りない気がして違和感が行き交う。
でも、自分を包み込むものはとても優しくて安心できてしまって。
感じた違和感の正体を確かめるように、寝ぼけた頭で周囲を確認しようと身じろぎしたとき、するりと上掛けが滑り落ちる。
露になった肌に少しの寒さを感じて、落ちた上掛けに手をかけたとき、その違和感の正体がわかった。

「……あ」

ぬくもりを追いかけて掴んだものは、上掛けでもシーツでもなく、大好きな人のコート。
ぼんやりとした頭で、何故ここにアルヴィンのコートがあるのかと首を傾げるが、隣に本人の姿がないことに自然と納得できてしまった。
彼はいつも、僕が眠っている間に傍を一時的に離れるとき、よくそうする。
目覚めたときに少しでも寂しさを和らげるためだと、初めてされた時に彼は笑ってそう答えた。
少し離れただけで、すぐに戻ってくるという意思表示。
さりげない気遣いが嬉しくて、掴んだコートを引っ張り上げて上掛けごと包まってしまえば、優しいまどろみが僕を包む。
とろとろと落ちる重たい目蓋を押し上げながら、サイドテーブルに用意された水を手に取り喉に流し込めば、少しは頭がクリアになるようだ。
からんと鳴る氷の音が、耳に心地よく響く。
ふぅっとひと心地つくように息を吐き出し、再びサイドテーブルにグラスを戻そうとしたところで、コースターの隣に置かれた一枚のカードに気づいた。
少し角ばった字が踊るそのカードを手に取る。

『レイアと、ちゃんと話してくる』

まるで果たし状のような緊張した文字の歪みに、自然と笑みがこぼれてしまった。
昨日の今日で、お互い向き合うのは大変なことだ。
今頃、どんな会話をしているだろう。
また喧嘩なんてしてないといいんだけど。
思いを馳せれば心配事は後を尽きず、そわそわと身体を揺らしてしまう。
アルヴィンが安定してる間は、彼の長所である洞察力や話術によって何とか上手くことが運ぶだろうけれど、レイアが聞く耳を持ってくれるだろうか。
これと決めたら頑なになってしまう幼馴染に、自分もそこへ向かった方がいいのではないか、という思いに駆られるも、すぐさま頭を振って甘っちょろい考えを追い払う。
これは、レイアとアルヴィンの問題だ。
2人の喧嘩に関わる立場であるが、自分の意思は昨日示し終わっている。
そうなれば、2人が決着をつけるために僕は必要ない。
これ以上は余計なお世話というものだ。
心配だし、不安だし、どうにも動けない自分にやきもきするが、ここで自分が出て行ってはいけない。
僕はただ、待っていればいい。
どんな結果であろうとも、受け入れることだけを考えて、帰ってきたアルヴィンを迎え入れてあげればいい。
ぎゅっと深く瞬きをして、グラスに残った水を飲み干し、小さく頷く。
まずは身支度を整えることから始めなければ。
痛みを訴える重たい身体を叱咤して、カードを持ったまま僕はベッドから抜け出した。
昨晩脱ぎ散らかされた衣服は全て片付けられており、枕元に新しい服が一式用意されているので、すぐにその場で着替えに取り掛かる。
それにしても、ベッドサイドにあった水やこの衣服の用意周到さを見るたびに、アルヴィンの抜け目のなさを思い知る。
そして、そこまで丁寧に扱われているのだと思えば、さんざん囁かれた好意の名残もあって、じわじわと頬が熱くなった。
気恥ずかしいというか、嬉しいというか、幸せというか、むずがゆい感じがする。
いや、やっぱり気恥ずかしいので、深く考えないようにしよう。
小さく頭を振って手早く着替えた後、ベッド上に横たわるコートを所定の位置にかけ、洗面所で身支度を整え終われば、もうお昼も近しい時間だ。
今日の昼食は何にしようか。
献立に悩みながら視線が宙に舞った端で、見慣れた人影が視界に入った。
窓の向こう、少し上り坂になっている道を歩いてくる姿は見間違いようがない。
ポケットに無意識に入れていた伝言カードを引っ張り出し、その文字をもう一度見つめてから玄関へ足を運ぶ。
アルヴィンが到着するより先に外へ出て待ち構えていれば、僕の姿に気づいた彼は驚いたように目を見開いた。
一歩一歩彼が向かってくるたびに、どきん、どきんとうるさく鳴る心音。
僕は、いつものように自然に振舞えているだろうか。
5歩ほどの距離を残すだけとなったとき、僕はおもむろにカードを見せて、その端に軽く口づけた。
さくっと地を踏みしめて距離を詰める足音に、視線を上げて微笑む。

「頑張ったんだね」
「……ジュード……」

たった一言。
それだけで、アルヴィンの仮面は崩れ去り、くしゃりと顔が歪んで目じりが下がる。
変化を確認した次の瞬間には、もう自分の肩にアルヴィンの頭が乗っかっていて、めいっぱい甘えるように抱きしめられた。
僅かに震えた指先が、彼の見栄っ張りな心情を指し示す。

怖かった。

恐ろしかった。

それでも、失いたくない絆のために向き合ってきた。

頭をすり寄せるアルヴィンの耳元に、おかえりと囁いて、空いている左手でそっと頭を撫でる。
さらに強まる腕に合わせて頬を寄せ、何度も何度も髪を梳けば、アルヴィンの身体から徐々に震えが消えていった。
そうして数秒、彼の望むままに宥めていると、

「ジュード」

不意に第三者の声が自分を呼んだ。
声につられて顔を上げると、坂の途中、ゆっくりと時間をかけて歩いてくる幼馴染の姿が目に映り、僕は事の顛末をすぐに理解した。

「レイア」

やはり、彼女はアルヴィンを許したのか。
まだ多少のすれ違いやわだかまりはあるのだろうが、根本的な部分で彼女はアルヴィンを切り離さず、傍にいることを選んだのだろう。
そうでなければ、一緒に帰ってくるなんてことがあるはずがない。
レイアはとても素直な女の子だ。
嫌な人の傍には極力近づかず、許せない相手には何が何でも声を上げるはずなのだから。
未だひっついて離れないものの、アルヴィンの甘えがこの程度で済んでいることだって、彼女のおかげだろう。
レイアが許したからこそ、アルヴィンは泣かずに済んでいるのだ。
頭の中で空白の間の変化を整理しながら、神妙な面持ちで近づいてくるレイアを見つめ返す。
すると、10歩ほど離れた距離でぴたりと足を止めたレイアは、大きく息を吸い込んで一拍置くと、快晴を思わせるような笑顔を向けてきた。

「わたしね、ジュードが大好き!」
「!?」

よく通る声が心地よく鼓膜を震わせると、覆いかぶさるようにくっついていたアルヴィンの身体がびくりと揺れる。
がばりと顔を上げてレイアを振り返る彼は、今ものすごく青ざめた表情をしてるに違いない。
だが、それをあっさり無視して、僕もとびきりの笑顔をレイアに向けると、腹に力を込めた。

「僕もだよ」
「え、ちょ!?」

今度は僕に穴が開くんじゃないかってほど凝視し、両肩をがっしりと掴んでくるが、そんなアルヴィンの様子も我関せず、僕とレイアの会話は大音量の明るいトーンで飛び交い続ける。

「絶対、何があっても、わたしはジュードの味方だからね!」
「僕だって、レイアの味方だよ」
「わたしたち、変わらないよね」
「うん、絶対に、変わらない」

幼い頃からずっと、僕たちは互いの味方だった。
喧嘩をしたり言い争ったことはあっても、いざ互いの身に何かあれば真っ先に駆けつるような仲だった。
変わるはずがない。
いつだって、素直に声にできない一言を耳にすれば、それだけでこの身体は動くのだ。
『助けて』と、そのたった一言で、僕たちは互いを救うために戦える。
それを味方だと言わずして何というのか。


――――『レイアに何かあったってわかってて、僕は何もせずにじっとしていられる人間じゃない』


脊髄反射でそう言ってしまえるくらい、僕はレイアの味方だ。
何があろうとも、僕とレイアはそういう関係で、これからもずっとそうなのだ。
たとえ、彼女の恋を無碍に切り捨て、僕が彼女に失望されたとしても。
それだけは、変わらない。
恋でなくとも、僕はレイアが好きで、レイアの傍に変わらずいる。
レイアもそういう僕の心情をわかっているのだろう。
僅かに潤んだ大きな瞳が光に揺れる。

「っ……ありがと、ジュード!」
「うん、レイアも、ありがとう」

傷つけてごめん、なんて、的外れで無粋な言葉は、僕たちに必要ない。
本当に必要な場面以外での謝罪が卑屈になるばかりだと学んだならば、今この場では最も「ありがとう」が相応しい。

変わらずにいてくれて。

味方でいてくれて。


好きでいてくれて、ありがとう。

 

大好きだとめいっぱい笑みに込めて、笑顔を湛えたまま見つめ合っていると、

「……な、なぁ」

視界からログアウトしていたアルヴィンが、おそるおそるタイミングを見計らうように声をかけてきた。
そういえば完全に蚊帳の外だったと思い出すが、すかさずレイアの声が飛ぶ。

「アルヴィンに何か酷いことされたらすぐ言ってね!女遊びとか浮気とか不倫とかっ!」
「ジュードがいるのに誰がするか、んなことっ!」
「あと無理強いとか暴力とかセクハラとか浮気とか浮気とか浮気とか」
「だからしねぇって!」
「ちょっとでも女の影があったら容赦しないから」
「…………」

声を落として、ぱしん、と小気味よく手のひらに拳を打ち合わせるレイアに、アルヴィンが大げさに身震いした。
その反応に僕の眉もぴくりと動く。
何、もしかして心当たりあったりするの?
想像ゆえの恐怖心からか、それとも事実ゆえの危機感からか、それは判りかねるところだが面白くない。
やるなら僕に気づかれないようにやってくれ、と思いつつ、ソニア師匠譲りの覇気を醸し出すレイアに向き直る。

「いいの?」

ぽつりと零すように問うた意味を、レイアはきちんと受け取ってくれたのか、合わせていた手をそっと下ろした。

「まだ、わかんない……でも、大丈夫」
「レイア」
「ぜんぜん平気。まだ少し、時間がかかるかも知れないけど……ジュードが味方だって言ってくれたから、平気っ!」

無理の見て取れる笑顔に、僕はアルヴィンの手を解いてレイアに歩み寄る。
いつだって、僕のために無理をするレイア。
受け入れがたいはずの関係を知ってなお、混乱した心を抱えたまま受け入れようとしてくれる。
味方だと、その関係を守るために笑ってくれる。
ならば、僕もレイアのためにできることをしなければならない。
彼女の笑顔を守るため、微笑んで。

「レイア、お昼食べた?」
「え、……ま、まだだよ?」
「一緒にご飯食べようか。昨日、夕食一緒に食べれなかったし。約束のやり直しで」
「っ、うん!」

僕のとっぴな提案に、レイアは数秒ぽかんとしていたが、首から頭が転がり落ちるんじゃないかと思うくらい勢いよく頷いた。
レイアの好きなもの、好きなこと。
それをよく知っていればこそ、重く苦しい決断をしてくれた彼女に自然と笑える場所をあげたかった。
その結果が食事を一緒に摂ることか、と思うかもしれないが、食事は一番感情を豊かにしてくれる。
約束を違えたことを心苦しく思うレイアの性格も加味すれば、それも清算できる一石二鳥の計画だ。
そっと手を差し出して、行こうと促せば、レイアは嬉しそうに笑って手をとってくれる。
レイアと手を繋ぐなんていつ振りだろう。
ぎゅぅっと力を込めてしがみつくように手を握られ、自然と同じように握り返してしまった。
彼女の行動の陰に潜む複雑な感情は、現実への少しの抵抗に見えて苦笑する。
きっと、無意識なんだろうけれど。

「何が食べたい?」
「何でもっ!ジュードのご飯って美味しいから好き!」
「褒めても大したもの作れないからね」
「え、おいちょっと待って、俺抜きで話を進めるなよ!」

呆然と突っ立っているアルヴィンを通り過ぎ、2人仲良く家の中へ入っていけば、大の大人の癇癪が聞こえてきた。
だけど、今日ばっかりはアルヴィンの我儘も通すまい。
今日の僕はレイアのために。
そう、僕たちのために心を削ってくれた優しい女の子を、盛大にもてなさなければならないのだから。

「ジュード、オレンジスープにイチゴっておいしそうじゃない?あ、でもフルーツ焼きそばに生クリームもおいしそうだよね。あとねー、私最近考えたんだけど、サイダー飯のご飯をチャーハンに替えてみるの!絶対美味しいと思うんだー!それから、デザートはね〜、クリームコロッケパフェの後にピーチパイ希望!」
「はいはい、何でも作ってあげるよ」
「まてまてまてぇい!マジでちょっと待て、何だよそのメニュー!俺の昼飯でもあるんだぞ!なのに悲惨な予感しかしない!」
「アルヴィンには拒否権も選択権もないんだから!べーっ、だ!」
「頼むからマジでやめてくれ!よくわかんねぇ組み合わせされると、飯喰った気にならねぇんだって!」
「あれ?アルヴィン、お昼ごはんあると思ってるの?」
「……え?……ジュード君?嘘、だよな?嘘だよな!?なぁ!?なぁっ!?」
「ジュードのごはん楽しみー!」
「嘘だって言ってくれぇぇぇ!」

そうして騒がしくなった早めのお昼。

 

ほら、アルヴィン。
今日はレイアをお姫様だと思って、心から尽くさないと。
少しでもぞんざいに扱ったら、僕とレイアの共鳴術技をその身で味わってもらうからね。


意味がわからない?


そう、わからないなら、よく聞いて。

 

 

今日のデザートは、誰のためのものだった?

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/05/28 (Mon)

口直しに、ありったけの甘受の証。

最後の最後でジュード視点w
一応これで区切りがついたので、恋敵決闘編完結。


*新月鏡*