「a love affair -5-」
己の醜悪さを見なくていいように、優しく包み込む愛をください。 恐ろしいほど綺麗なものに、怯えてしまわないように、確固たる証をください。 憧れてやまない崇高な愛し方などできないこの身に、どうか夢ではないのだと刻んでください。 愛しい人よ。 弱く脆い心を許してください。 どれだけ愛され、どれだけその心に抱かれても。 己の愛し方が低俗である故に、この恐怖はいつまでも襲い掛かるのです。
好きの上限は何処にあるんだろうか。 目に見えて示せたなら、きっとこんなに苦しい思いをすることもないのかもしれない。 量りかねる感情。 どれも同じとはいえないくせに、形を与える言葉は同じで。 いくら自分のほうが好きだと主張しても、それを伝えることは難しくて。 同じなら、よかったのに。 ふと、そんなくだらないことを思ってしまう。 満たされる幸福と安堵に溺れながら頭の隅によぎるのは、俺のために傷ついた少女。 恋や愛というものが、色も形も同じであればよかったのに。 自分の持つ感情と全くの同種で、思いの丈だけを比べられるならよかったのに。 そうすれば、もっと冷徹で残忍にすらなれたのに。 綺麗な恋を、優しい彼女の愛し方を、こんなにも眩しく愛しむこともなかっただろうに。 奪われることを恐れてなお、俺は彼女の感情に憧憬の念が耐えない。 それはきっと、最愛の人と特別な人が見せた、想いの交し方に似てるせい。 わかってたんだ。 眩しく感じる理由も、恐れる理由も。 レイアの愛し方は、ジュードがミラに向ける気遣い方と、ミラがジュードに向ける眼差しによく似てる。 だから、怖かった。 俺は、ミラとジュードの関係を受け入れてしまっていたから。 俺を選ばなくても、2人が変わらず傍にいてくれさえすればいいと、寂しさを抱きながら遠く眺めていたのだから。 ミラと似た形でジュードを持っていかれるんじゃないかって。 恐怖に苛まれて錯乱したまま、立ち直れないほどレイアの心を滅多刺しにしたくせに、自分にはできない彼女の愛し方に憧れる。 壊してなお、彼女が羨ましい。 そんな利己的で自分勝手な思考回路を溶かすように、するりと白い指先が頬をなぞる。 「誰かを好きになるって、単純なことなのに、難しいね」 激情の荒波が治まり、俺に思考する幾許かの余裕ができた頃を見計らって、乱れた呼吸の合間を縫うように、かすれた声がぽつりと言った。 心地よい気だるさを感じたまま、そっと腕の中の瞳を見返せば、慰めるようにしなやかな腕が俺を抱く。 声と温かさにぱちりとひとつまばたきをすると、もやもやとした頭の中がクリアになるようだ。 すり、と頬を寄せて、鼻先が触れ合うほど近く見つめてみると、柔らかな笑みが返された。 「大丈夫だよ」 「…………ジュード」 「レイアも……ちゃんと、わかってるよ」 「……そう、かな」 「そうだよ」 何を、とは一言も言わないのに、未だ熱を宿したままの甘い蜜色は全てを見透かしているらしい。 自信満々で返された言葉に救われるような感覚を抱きつつ、それでも懸念が拭えない。 己のしでかしたことといくら納得させても、消え去らない罪悪感は腹の奥底に居座り続けて。 「やっぱり、『好き』って難しいね。大事にしたいのに、少しの違いで傷つけて……傷ついて……」 「ジュード」 「本当に相手を大切にしてるから、自分も傷つくんだよ」 「…………」 「それでいいと、僕は思うよ……アルヴィン。僕だって、きっとレイアを傷つけた」 「……え?」 思いを馳せるように、瞬き一つ分の間にジュードの視線が舞う。 その視線に垣間見る悲しげな色に、俺は僅かに眉根を寄せた。 「ジュード?」 「……同じじゃないけど、きっと似てる……ここに、あるものと」 吐息に混ざるように囁いて、白い指先が俺の胸のやや左側をゆっくりとなぞる。 さらに、擦り寄るように身を寄せてくると、ジュードはそっと頬を胸にくっつけて心音に聞き入るように目を閉じた。 どくり、と脈打つ心臓の拍動は、ジュードが触れたことによって少しずつ駆け足になっているようで、じわじわと頬が熱くなる。 「ジュード」 「どきどきいってる」 「……そりゃそうだろ、好きな奴に抱きつかれりゃ誰だってそうなる」 「僕は真剣に話してるのに、アルヴィンはいつもそうやって違うこと考えてるね」 「俺は真剣に聞きたいのに、ジュード君はいつもそうやって俺のこと煽ってくるな」 「なんでもそっち方面に受け取るのはどうかと思うよ」 「そっち方面ってどういうことかな、優等生?」 「いじめっこ」 「褒めるなよ」 くしゃりと髪を撫でて、見上げてくるジュードの唇に掠めるようにキスを落とす。 だが、少しむくれた表情の緩和には至らなかったらしい。 少しの批難を込めた勝気な瞳がまっすぐ俺を見つめる。 「いじめるの好き?」 「からかうのは好き」 「それで離れていかれたらしょげるくせにね」 「逆襲か?……あんまいじめてくれるなよ。俺、泣いちゃうぜ?」 「そうだったね。アルヴィンは、怖がりで、寂しがりやだから、いじめすぎるとすぐ弱っちゃうんだよね」 「……泣きそう」 「あぁ、あと泣き虫だよね」 「マジで泣くぞ」 思わぬ反撃に自尊心をつつかれて、俺は顔を隠すようにジュードを抱き込み、柔らかな髪に頬を埋める。 きっと、今の俺は情けない表情になってるに違いない。 こうしたジュードの確信めいた指摘は、自分が自覚したくない部分ばかりで、ひどく格好悪いように思うから余計に聞きたくなくなる。 隠したい格好悪さを全部見透かされてるのだから、今更繕うことなど無駄だと知りつつ、逃げてしまいたくなるのは何故だろう。 情けなくて、滑稽で、そんな自分の弱さは直視するにはつらいものがあるのかもしれない。 そしてまた、逃げ回る自分の格好悪さにも辟易しつつ、やはり見ないフリをしてしまう。 慣れてしまった逃避の容易さを自覚しつつ、ぼんやりとした頭のままで、さらさらと滑る心地よい髪に指を絡める。 何これ、指通りよすぎだろう。 意識が逸れて指の感覚だけを追い始めた頃、腕の中のジュードがもぞもぞと動いて視線を合わせてきた。 「ねぇ、アルヴィン」 「何だよ?」 「ちゃんとレイアにも伝わってるよ。アルヴィンが、レイアのこと大事に思ってて、大切で、大好きだって」 不意を突くように途切れた会話が舞い戻ってきて、俺はぎくりと硬直してしまうが、固まってしまった身体を解くように、すかさずジュードの指先が肌を滑る。 触れた先から元に戻る感覚は、魔法のようだ。 身体からすとんと力が抜けてしまうと、拘束力を失った腕から抜け出したジュードが、そっと上体を起こして見下ろしてくる。 戯れに頬を撫で、やんわりと微笑み、優しく宥めるように囁いた。 「そんなに怖がらなくても大丈夫……レイアを信じて」 「……ジュード」 「離れていかない。壊れない。僕らの絆はそんなに弱くない。時間はかかるかもしれないけど、今度は今までと少し違った形でレイアはアルヴィンの傍にいてくれるよ」 懸念のど真ん中を突かれて、俺は思わず目を見張った。 なんで、わかってしまうのだろう。 奪われるかもしれないと怯える心に隠れている、もう一つの不安を。 諦めを装いつつ、名残惜しく留めたいと願う関係を。 切り捨てた、犠牲にしたと謳いながら、彼女の存在を心の底から断ち切ることはできなかった。 散々傷つけたレイアもまた、俺の世界を構成するために必要な人だったから。 ――――『一番安定した関係で、なんでいてくれないんだよっ!』 彼女に切に願った本音を、彼女以外に話したことはない。 それでも、ジュードは当然のように俺の懸念を払拭しにかかる。 安心する甘い声で。 平静を呼び起こす穏やかな微笑で。 俺は魅入られたようにジュードを見つめていると、うわ言のようにふわふわとした声が無意識に零れ落ちた。 「…………本当に?」 「本当に。僕の知ってるレイアは、そういう女の子だよ」 「違ったらどうすんだよ」 「どうもしないよ?その時はその時。でも、僕がレイアを大事に思ってることに変わりないじゃない。アルヴィンも、そうでしょう?」 「そう思うか?」 「思うよ。ボロボロで弱々しい、捨てられた子犬みたいにしょげて帰ってきたくらい、レイアのこと大事じゃない」 「っ!」 かっと身体中を熱が一気に駆け巡る。 よりのよってそんな過去を引き出してくるかよ! 例に挙げられた頃の自分の余裕のなさを思えば、羞恥心のあまり消えたくなった。 あの時は、罪悪感とか後味の悪さとかで心がいっぱいいっぱいで、考えなどひとつもまとまらないほど身体の内側がぐちゃぐちゃだった。 ひたすら自分に嫌気が差して、それはもうへこみにへこんでいただろう。 あぁ、やばい、マジ消えたい。 あまりの気恥ずかしさに思わず顔を片手で覆って、ジュードから逃げるように身をよじれば、くすくすと小さな笑い声が鼓膜を揺さぶった。 「可愛いね」 「……可愛いとか言うな」 鈴のように転がり続ける笑い声に、恨めしげな視線で見上げれば、さらにおかしいといわんばかりの声が上がる。 「いつもアルヴィンは言ってるじゃない」 「俺はいいの」 「理不尽」 理不尽で結構。 本当に可愛いのは、実際ジュードの方なのだ。 こうして笑う顔も、切なげに歪む顔も、無意識に求める指先も。 飾らない分だけ、たまに見せるその魅惑の愛らしさがより鮮明に焼きついて、ついうっかり口から『可愛い』を筆頭に讃美の口説き文句が出るのだ。 それに引き換え、俺にそんな愛らしさなどあるはずもないのに、何故かジュードはたびたび反撃のように同じ謳い文句で俺を形容する。 いったい俺の何処にそんな感情を抱くのか。 わかりえないジュードの感覚に、俺は妙な気分になるばかりだ。 いたたまれなくなりそうな気分に陥る前に、雰囲気を切り替えてしまおうと、ジュードの腕を引いて身体を反転させる。 突然の行動に目を丸くしたジュードを組み敷いて、俺は甘えるように低く囁く。 「それよりさ、俺言ってほしいことあんだけど」 「なに?」 見上げてくる挑発的な視線に、眩暈を起こしそうだ。 ホント、俺を煽るにかけては天才的だな。 「好きって……言って」 耳元で掠めるように強請って、至近距離でうっすらと笑みを刷く。 熱を込めた視線を絡ませれば、蜜色の大きな瞳がぱちりと数回瞬いた。 「ちょっと考えたんだけどね」 「あれ!?……ジュード君、俺のお願い聞いてた?」 俺の過去至上、今ので甘い雰囲気に落ちなかった奴いないんだけど。 優等生のくせに、どこまで強敵なんだよ。 過去の落としどころテクニックすら上手く機能しないとは、恐ろしい限りだ。 そんなことを思い始めていると、 「アルヴィンのことどう思うのって聞かれたら、僕はたぶん、それ以上の言葉で答えるけど、『好き』でいいの?」 ことりと小首を傾げられて、思わず息が止まる。 恐ろしすぎる、何この可愛い生き物。 「……じゃぁ、最上級のをください」 「じゃぁって何さ」 「あ、やっぱ、たくさんほしいから両方くれ」 「……欲張り。まだ実感できてない?」 「いや、落ち着くぐらいには実感してる……ただ、足りないんだよ、全然。もっと……もっと、ほしい」 「あ、……」 剥き出しの肌に口づけて、白い身体を再び掻き抱く。 足りない。 まだ足りない。 もっと。 もっと。
「ジュード」 もっと、俺を愛して。
願うなら、その愛で俺を殺すくらいに。
* * * * 2012/05/15 (Tue) アルヴィンが抱える畏怖の実体。 『waltz on shadow』の流れも少々組んでみた。 綺麗なものって、怖いよね。 見たくないものも、くっきり鮮明に浮き彫りにしてくれるから。 でも、人は綺麗なものを好み、憧れる生き物でもある。 *新月鏡* |