「beside me」
深々と降る白い結晶が積もるカン・バルクは、今日も変わらず銀世界。 真っ白に染まる庭に一人、俺は何とはなしに佇み続けていた。 本当は、こんなところでぼうっと突っ立っているわけにはいかないのだが、おそらく今戻ったところで締め出しを食らうに決まっている。 休む暇なく舞い込む業務は後を絶たず、休憩も疎かにして片付けていると、鐘一つ前にローエンに無理やり執務室から追い出されたのだ。 そんな暇はない、とにらみを利かせても、あの喰えない好々爺は軽やかに笑って、俺をあっさり部屋から放り出した。 やはり年の功だけあって、まだ敵わない部分が多いらしい。 そういえば、ウィンガルがいた頃は、無理を通せはしたものの、ローエン以上のお小言が降りかかったのだったな。 懐かしい記憶にすっと過分な力が抜けていく。 きゅ、っと雪を鳴らしながら、ゆっくりと庭を歩けば、ところどろこ変化を表した景色に、もう季節は移り変わったのだと気づかされた。 年中雪に包まれたカン・バルクといえど、多少の季節は存在する。 植え込まれていた樹に密かやに咲いた白い花は、春の訪れを告げる花。 小さな花をつけた枝を、内心謝りつつ俺はそっと手折った。 無骨な手に収まるには可憐すぎる枝を丁寧に扱いながら、止めていた足を再び進めて縁側へと向かう。 気づいたのは、いつだったか。 もうずいぶん前のような気がするが、季節を振り返れば6節ほどしか経っていない。 あれは偶然のようなものだった。 目まぐるしいほど忙しない業務に、今日のようにローエンに促されて休息を取っていたときのことだ。 そのときは本当に身体を酷使していたようで、俺は縁側に座った途端、うたた寝をしてしまった。 気分転換にと外へ出たはずが、寒さの身に凍みるような場所でうたた寝など、今にして思えばうかつとしか言いようがない。 だが、それこそが、偶然のような転機だった。 現実と夢の狭間で、優しく労わるような気配を感じて、俺ははっと目が覚めたのだ。 目蓋を押し開いて収めた視界は何の変哲もなく、今日と同じように深々と雪が降り注いで。 誰もいないこの庭に、自分以外の気配などあるはずがない。 そう、わかっていながら、俺は何となく視線を振る。 ゆっくりと首をめぐらせながら、ないはずの気配を探していると、ふと縁側から続く回廊の角に目が止まった。 何もない。 気配もない。 だが…… 「…………ミュゼ?」 ぽつりと唇から無意識に零れ落ちる。 確信などひとつもなかった。 ただ何となく、その場に彼女がいるのではと、思った。 だが、やはり景色に変わりはなく、相変わらず身を刺す冷たい空気が漂うばかり。 彼女の名を口にしたがために、より一層空しさのようなものを感じてしまって。 しばらく変化のない回廊の角を眺めた後、俺は視線を庭へ戻し、再び眠りに落ちたのだ。 世界が大きく変わったあの日。 ミュゼは涙に濡れた顔を覆って、最後まで俺の傍を離れなかった。 住む世界が違い、またやるべきことも分かたれた俺とミュゼが、身の触れ合うほどの距離で共にあり続けることはできない。 ミュゼとてそれはわかっていたはずだ。 霊山で縋りついてきたミュゼの手を引き寄せはしたが、それは彼女の中に明確な方向性がなかったから指し示してやっただけのこと。 彼女が自らに方向を示したなら、もはやそこで俺の必要性はなくなった。 そういう関係だった。 それだけの、関係だった。 その、はずだ。 なのに、何故か別れ際のミュゼの表情が脳裏に浮かぶ。 強大な力を身に宿しながら、あまりに不釣合いな純粋さを持つ彼女は、何処までも幼かった。 笑えば無垢であどけなく、泣けば涙が意思すら押し流し、恐れればその身全てで拒絶する。 そして、信頼すれば、その対象は彼女にとってこの世の全てを覆すほどの『絶対的な存在』となった。 持てる全てを捧げる彼女の脆弱な精神が、最も強度を得る『信頼』は、何処までも揺るぎない。 それゆえに妄信し、服従し、安心するのだ。 俺は、そんな彼女の信頼を得た代わりに、必ず彼女を救わなければならなかった。 それを厭ったことはない。 何故なら、そうして差し出した自分の手の中こそ、彼女が美しく笑う場所だったからだ。 純粋なまでの使命感で、多くの人間を容易く屠ってきた彼女が、唯一何のしがらみもなく微笑む場所。 美しい笑顔と信頼を無償で向けられる、その得がたい感覚に、厭う気持ちなど感じるはずがなかったのだ。 そしてミュゼもまた、己の得た場所の意味を自覚していたからか、俺との別れを心から悲しんでくれていた。 ミラが差し出した居場所を得る代わりに、自らの手で初めて得た居場所を失うのだと、わかっていたのだろう。 生まれてずっと受身でい続けたミュゼが、唯一自分で選んだ場所だ。 そこまで想われていたのだと知れば、自然とこちらも離別がつらいもののように感じてしまって。 ――――あの時は、少し困ったな 思い出す優しい記憶に、僅かに口端を上げ、俺はたどり着いた縁側に、手にした枝花をそっと置く。 こうして花を添えるのは何度目になるか。 もう数えるのも億劫なほどくり返してきた行動に、自分らしからぬことだと苦笑する。 ミュゼの気配を感じて以来、俺は季節ごとに咲く花をこの場所へ持ってくるのが日課になっていた。 執務室に新しい花が生けられていれば、それを一輪抜き取り。 今日のように歩く先で見つければ、それを摘んでは持ち帰り。 献上されたものの中に珍しい花があれば、それも一輪添えにくる。 それは、たった一度の気まぐれから続いたことだった。 ミュゼの気配を感じたのは、何かしら彼女に想うところがあるのかもしれないと、俺は手向けのつもりで咲いた花を一輪摘んで、自分が座っていた場所へ添えたのだ。 それからすぐに政務に戻り、鐘5つほど経った頃、食事を摂るために再び自室へと続く回廊を歩く。 なんの代わり映えもしない回廊は、やはり冷たく、今日も冷えると考えていた頭の端に何かが引っかかった。 自然と気づいた違和感に、俺は思わず目を瞠ってしまって。 足早に近づいて周囲を調べてみるが、やはり何も変わらない回廊が続くばかりで。 忽然と姿を消した一輪の花は、何処へ行ったのか。 最初は鳥にでも持っていかれたかと思い、翌日、翌々日と同じくくり返してみたが、添えたはずの花はやはりなくなっていて。 さすがに花枝が消えたときには、自分の淡い期待を認めざるをえなかった。 そこに、いるのかと。 問いかけたい気持ちをぐっと堪え、俺は日々変わらず、特別になった場所へ花を添え続ける。 ミュゼが姿を見せないのなら、それはそれでいい。 あれほど想いを寄せてくれていた彼女が姿を見せないことには、何か理由があるのだろう。 ただ、季節の移り変わりを、この世界の変わり行く様を、こうして手渡しで知らせることができるなら、俺はそれだけで満たされるような気がしていた。 少しの願望を混ぜるなら、この花々を手にした彼女が、あどけない無垢な微笑を湛えていてくれればいい。 そして、…… 「ミュゼ」
いつか、お前の気まぐれで、再会を果たしたその日には もう一度、傍で……
* * * * 2012/04/27 (Fri) 『beside you』の続き。 ガイミュゼがおいしすぎてだな。 この後、耐え切れずに姿現したミュゼと「傍にいろ」と言ってのけるガイアスによって、カン・バルク最強のバカップルが誕生するんですね、わかります。 *新月鏡* |