「a love affair -3-」
後悔はいつも絶望の中。 取り残された場所で独り。 喪失のカウントダウンに怯えていた。
自分の願望のために、大事な仲間を傷つけた。 旅の頃から何一つ変わらない。 自分の在り方に嫌悪さえするが、今更言ってしまった言葉を、取り消す術はない。 本心だった。 レイアに向けて力の限り叫んだ声は、全て本音だった。 泣かせても、傷つけても、それでも譲れなくて。 俺の勝ちだと、つけ入る隙などないと宣言したものの、腹の中で蠢く不安が拭えない。 何故だ。 後味の悪さだけが這い回って、安心できるものなど何処にも見当たらない。 ふらふらと当てもなく彷徨うように足を運ぶが、どうにも重く感じてなかなか進まない。 区切りがよかったとはいえ途中放棄してきた仕事もあり、レイアの意思を挫くという目的も達成した今、すぐにシャン・ドゥへ戻るべきなのもわかっている。 だけど、この足がグレンの元へ向かうことはない。 ただ、まばらに過ぎ去る人の波を縫うように避けて、中心街を通り抜け、徐々にひと気のないほうへ進む。 慎ましやかな喧騒が遠のいても、ぐちゃぐちゃに乱れ、持て余すばかりの俺の心は騒がしく、いまだ落ち着きを取り戻せない。 そんな心を抱えたまま、視線を上げることなく歩き続けていれば、ある場所で足が止まった。 自然と辿ってきた道は慣れ親しんだもので。 見慣れたドアを緩慢な動きで開錠し、中へ入る。 「…………アルヴィン?」 ざわめく心音を押しのけて、耳に心地よい声が自分を呼ぶ。 その声に誘われるように視線を上げれば、ぱたぱたと足音を立てて私服姿のジュードが駆けてきた。 無意識に戻ってきてしまった家。 望んだ世界の中に望んだ人がいることに、不安ばかり渦巻く胸中で僅かな安堵が息を吹き返す。 不思議そうに見上げてくる蜜色の瞳に俺が映って。 温かな手のひらが冷たくなった俺の手に触れて。 溶けるような気遣いの優しさに、俺は過酷な長旅を終えた旅人のような気分になった。 俺の帰る場所。 俺のためだけに用意された場所。 「……ジュード……」 「帰ってくるのずいぶん早いね」 「ジュード」 「アルヴィン?」 俺の様子に戸惑いを見せるジュードを、そっと抱き寄せ腕の中に閉じ込める。 抱きしめたジュードの身体は温かくて、じんわりと胸に広がる安心感に満たされれば、どっと力が抜けた。 温かい。 ほっとする。 でも、まだ足りない。 何も心配要らないと、実感したい。 冷え切った心と身体に温かな熱を分けてもらいたくて、もっと、と貪欲な本能が訴える。 足りない。 全然足りない。 軽く触れたままの指先の温度差すら許せなくて、攫うように絡め取る。 熱い血の脈打つ白い首筋に唇を這わせて、溜まらず息を漏らせば、ジュードの身体がびくりと震えた。 「どうしたの?何かあった?」 「…………」 「言いたくない?」 「…………」 「そう」 明らかに様子のおかしいだろう俺を前にしながら、ジュードは無理に理由を訊ねはしない。 その慎ましやかな気遣いに、俺は心底感謝した。 今、下手に口を開けば、抑止力を失ったむき出しの本音がジュードを傷つけるのは間違いない。 ささくれ立ったボロボロの精神で、抑制をかけながら話すことは難しく、このとき俺は、沈黙こそが正解のように思えた。 恋敵であるレイアを傷つけることすら俺の精神にはひどく重く、『仕方のないこと』といくら言い訳を並べ立てても、後味の悪さと不安が拭えなかったのだ。 この対象がジュードになった瞬間、罪悪感や自己嫌悪がこんなものでは済まないことなど、火を見るより明らかだ。 今の俺の精神状態では耐えられない。 確実に何かがぶっ壊れる。 嫌な感覚に僅かに震えると、その所作を認めたジュードが宥めるようにぽんぽんと背中を優しく叩いてくれた。 「そうだ、ねぇアルヴィン。今日レイアがイル・ファンに来てくれるんだって。夕飯一緒に食べようって約束してたんだ。アルヴィンも来る?」 無理に跳ね上げられた明るい声に、一気に身体が凍りつく。 きっと気分転換にもなるし喜んでくれるだろう、そんな見当をつけたジュードの優しいお誘いに、俺はただ胸を抉られる。 ジュードのせいじゃない。 レイアのせいじゃない。 全部、全部……俺のせい。 わかってはいるが、こんなとき、俺はどんな顔をすればいい? ジュードの気遣いも、レイアの健気さも、自分の醜悪さも、何もかも知ったことかと喚き散らし、痛いんだと叫ぶことができれば、どれだけ楽だろう。 俺が壊した。 平穏で心地よい関係を、たったひとつを選んだがために全部壊した。 弱くて情けない俺のせいで、大好きだった世界がいとも容易く壊れていく。 「アルヴィン?」 「……ない」 「え、なに?」 「レイアは、たぶん……来ない」 ジュードの肩口に顔を埋めたまま、ぽつりとそう呟けば、はっと息を呑む音がした。 あぁ、そうだ。 確実に、レイアは来ないだろう。 だって、俺が完全に彼女の意思を挫いたのだから。 嘘だと言って、と泣く彼女に、欲にまみれた現実を突きつけて、嫌だと否定する声を絶望の淵へと叩き落した。 可愛い初恋をあれだけ滅多刺しにしてやったんだ、すぐにジュードと何食わぬ顔で食事などできるはずがない。 そんな芸当ができるなら、あそこまで俺に一方的に言われっぱなしなはずがないし。 今頃、無残に恋心を打ち砕かれた少女は、どこかで泣きはらしているんだろうか。 あーぁ、可哀想に。 「……どう、いうこと?」 他人事のようにぼんやりと考えていると、動揺に震えるジュードの声に、僅かな緊張が篭る。 さぁ、どういうことだと思う? 口を噤んだまま、心の内側で自嘲気味に問いかける。 「アルヴィン」 顔を上げずにひたすら沈黙していると、痺れを切らしたジュードが俺を呼ぶ。 背中に回されていたはずの手が俺の両肩を押し返し、温かな身体が引き離された。 遠のく体温に寂しさが襲い掛かって、離すまいと腰を引き寄せる。 だが、ジュードの方が強かったらしく、それもあまり効果がなかった。 腕の距離だけ、遠のいたぬくもり。 翳の差した蜜色の瞳が、俺のかすんだ視界にゆらゆらと揺らめく。 「ねぇ!何があったの!?レイアに何かあったの!?」 「…………」 「アルヴィン!」 必死な問いかけをひたすら黙殺するが、ジュードは諦めようとせず言い募る。 レイアはどうしたんだと。 心配げな表情で。 切羽詰ったような声で。 俺に向けられるはずの感情を、ここにはいない少女に向けて。 感情の方向違いにじわじわと苛立ちが湧き起こって、このままじゃダメだと怒りに染まりそうになる自分を諌める。 お前は俺のものなのに、どうして『レイア、レイア』とあの女の名ばかり……。 そんな理不尽な憤怒が口を滑れば、ジュードを力任せに壊しそうで怖くなった。 まずい、どうしよう、自分の制御が上手くいかない。 落ち着け、冷静になれ、このままじゃ…… 「もういい」 何とか落ち着きを取り戻そうと奮闘していると、不意に肩からジュードの手が滑り落ちる。 意図の読めない言動に、ぽかんと見守っている俺の横をすり抜けて、ジュードは玄関先のクローゼットから上着を取り出し羽織った。 すばやく身支度を整えている姿に、じわり、嫌な予感が湧き起こる。 「っ、何処行くんだよ!?」 「アルヴィンが話してくれないなら、自分で確かめに行く」 「待てよ!」 「待たない」 「ジュードっ!」 「離して!」 叫ぶような訴えに合わせて、掴んで引き止めた腕を乱暴に振り払われる。 完全な拒絶。 ジュードが、俺を、突き放す。 「アルヴィンが何を隠してるかは知らない。けど、レイアに何かあったってわかってて、僕は何もせずにじっとしていられる人間じゃない」 冷たい声音には、一切つけ入る隙がない。 「それに、その様子だと……アルヴィン、仕事終わってないんでしょう?」 「っ……!」 つい、と指で懐にある銃を指し示され、俺はぎくりと強張った。 仕事以外の時は、腰の位置に身につけているため、銃が胸の位置にあることに気づいたジュードは、俺が仕事中なのだと看破したらしい。 全く、よく見ている。 だが、今はそんな洞察力を手放しで歓迎できるほど、俺は悠長ではいられない。 仕事を投げ出して、理由もいわないまま家に帰って来た俺を、ジュードが許すはずがないのだ。 何かしら意味があるのだと理解しながら、それでも不明瞭な理由を言い訳に甘受してくれる奴じゃない。 今の俺は、間違いなく、ジュードの秩序から外れている。 「自分が一体何をしてるのか、よく考えて」 冷たく放たれた一瞥が、俺をどん底まで突き落とす。 あぁ、ダメだ……このままでは……。 沈黙のままでは、届かない。 「ダメだ!行かせない!」 「アルヴィン!」 「嫌だ!」 がむしゃらに腕を引き寄せ、力任せに取り押さえようとするが、引き寄せる俺の力を利用して、ジュードの腕がひらりと舞う。 しまった、と思ったときにはもう遅く、みぞおちに重い一撃を見舞われる。 「ぐっ……」 己の力の相乗効果を受けて返ってきた衝撃はひどく重く、俺の膝を容易く折った。 冷え切った床に力なく崩れ落ち、痛みに呻くしかできない。 呼吸すらやや乱れて、嫌な汗が滲み出る。 さすがはジュード、決めるときは容赦ねぇ。 場違いな賞賛すら思い浮かぶほど、俺はこんなにもジュードに囚われているのに。 どうして、お前は違うんだ。 俺を。 俺だけを、見ていてくれればいいのに。 どうして……。 「何を怖がってるのか知らないけど、僕はちゃんと戻ってくる。僕の反撃もまともに読めない今のアルヴィンじゃ、どれだけ時間を割いてもまともに話し合えないし、きっとレイアについて説明すらしてくれないんでしょう?だったら、僕が戻ってくるまで頭を冷やしてて」 躊躇いなく扉を開いて踵を返すジュードに、息が止まる。 おい、嘘だろ? 待てよ…… 待ってくれよ 頼むから、 待って 待って
まって
「っ……ジュードぉっ!」
――――いかないで
なけなしの叫び声は、無情な扉に閉ざされた。
* * * * 2012/04/24 (Tue) 事象へのアプローチは多数あるが、好転するものは少数で、それらはすべてタイミングによって変わる。 『沈黙』は広範囲で有効だが、時を浪費した上で最悪の結果を招くこともある。 アルヴィンのダメっぷりが眩しすぎてどうしようw *新月鏡* |