「blessing to you」

 

 

 

けほん、けほん。
乾いた音が間を開けながら転がり落ちる。
小さな身体に不釣合いなほど大きなベッドで、エリーゼは身体をぎゅうっと丸めていた。
けほん、けほん。
止めたくても止まらない咳を押し込むように、両手で手を覆ってみるも、効果は今ひとつのようだった。
身体も一生懸命胸のつっかえを追い出そうとしているのか、油断すれば、ほら。
けほん、けほん。
止まらない。
それに、頭がぼんやりとしててふわふわする。

「うぅ……ティ、けほん……ぁ、う……」

うわ言のように大事な友人の名を呟こうとするが、か弱い呼び声も咳き込んで消えてしまった。
それでも、枕元に鎮座するぬいぐるみを探して小さな手が彷徨う。
目蓋が凄く熱くて、じわじわと目が潤んでしまって、さきほどから視界がぐにゃぐにゃと歪む。
熱いのに、身体がだるくて重くて動かせそうにない。

「ティ、ポ……」
『僕はここだよ、エリーゼ!しっかり!』

力ないエリーゼの呼び声に、ぱちりと目を醒ましたティポは、慌てたようにエリーゼに擦り寄る。
その心地よい感触に少しだけ満たされたエリーゼは、苦しげな表情を僅かに緩めて飛び込んできたティポを抱きしめた。
身体をシーツに押しつけると、滑らかな布地が火照った身体を優しく包んでくれて気持ちがいい。
だが、それでもエリーゼはなんだか不安だった。
広すぎる部屋、大きすぎるベッド。
誰もいないがらんとした部屋にひとりきり。
大好きなドロッセルも、優しいローエンも、今は大事なお仕事中。
何かあれば呼び鈴で呼んでくださいね、と言ってくれた仲のよいメイドさんも、片付けないといけないお仕事がたくさん。
頭の中では、ちゃんとわかっている。
お仕事は大事なことで、ちゃんとやらなきゃいけないことだって。
でも、

『エリーゼ……僕がついてる!寂しくないよ!エリーゼは強い子だもん!』
「うっ……は、い……ティポが、いてくれるから……けほん……寂しく、ない、です……」
『……エリーゼ』
「寂しく、なんて……」

ない、と言い募れば募るだけ、なんだか余計に寂しさを実感してしまって、エリーゼはじわじわと涙で歪む目を瞑って力なく頭を振った。
傍にいて欲しいなんて、考えちゃダメ。
風邪を引いた自分が悪いから、我儘言っちゃダメ。
迷惑や心配はかけちゃダメ。
一生懸命言い聞かせ、弱音を吐き出しそうな自分を叱咤する。

『エリーゼ、眠ったほうがいいよ!そうしたら、考えなくて済むよ!』
「うん……」
『僕はずっと傍にいるからね』
「……うん、ありがと……ティポ……」

すりすりと頭を擦りつけてくるティポに少しだけ微笑んで、エリーゼは促されるまま眠りを求めて目蓋を閉じた。
でも、意識が霞むほどの熱がありながら、まどろみらしいまどろみは一向に現れてくれなくて、ただひたすらにだるくてつらい。
どうやって寝てたんだっけ?
変なことまで考え出してしまって、うんうんと唸っていると、ふと窓のカーテンがふわりと揺れた。
あれ?窓なんて開いてたかな?
ぼんやりと開け放たれた窓の外を眺めてみると、相変わらずの晴天とエリーゼを優しく撫でるような心地のいい風が吹き込む。
火照った身体に涼しい風が気持ちよくて、寝苦しさが遠のいていくようだ。
そよそよと歌う風の声に誘われて、ようやくやんわりと眠りが手招く。
うとうととまどろみに落ち始めた頃、風が髪を撫でるのとは違う感触を感じた。
何だろう、と思うのに、どうにも眠りへ引きずられ始めた意識は浮上することを拒んでしまって。

だれ……?

優しい温かさに、触れる気配が物ではなく人のように思えて、エリーゼは浮き沈みを繰り返して落ちる意識で問いかける。
でも、やはり何も答えは返ってこなくて、エリーゼの眠りは誰にも妨げられることはない。
柔らかく抱きしめられているようだ。
ゆりかごのような心地よさに、促されるまま眠りへ沈む。

『「おやすみ、エリーゼ」』

ティポの声に交じって、懐かしい声が聞こえた気がした。

 

 

 

ぱちり、と目覚めたのは夕暮れの空。
あれからずいぶん経ったらしい。
身体も少しは楽になっていて、だるさは残るものの昼間に比べると軽いも同然だ。
眠気まなこでしばらくまばたきをくりかえし、抱きしめていたはずのティポがいなくなってることに気づいて、慌てて顔を振って探す。

「……あれ?」

こてん、と寝返りを打ってみると、探していたティポは、意思の途切れたただのぬいぐるみとして傍にいた。
そんなティポの姿とは別に、視界に見慣れぬものが転々と続く。
何だろう、と回らない頭で懸命に捉えると、それは植物のようだった。
緑の葉っぱと薄桃色の花びらが、エリーゼを包むように散らばっていたのだ。
だが、解放されたままの窓から入り込んだにしては量が多い。
それに、葉っぱはよくわからないが、薄桃色の花びらを持つ草木など、この近辺にはなかったはずだ。
重たい身体を起こして、ぼんやり不思議な光景を眺めていると、ふわっと温かな感触が頭に触れる。
途端、

「っ!」

突然吹いた風に髪を乱され、思わず力ない腕で顔を庇う。

「あ……」

覆った腕の隙間に見える面影。
鼓膜をくすぐる優しい笑い声。

「っ、ミ、ラ……!」

無意識に手を伸ばし、身を乗り出す。
だが、エリーゼの指先は何も触れることなくシーツに落ちて、部屋は静寂に戻ってしまった。
差し込む夕日と風の声が、身体の熱と交じって陽炎を見せたのか。
一瞬、あの優しくて格好いい、綺麗な人を思い出した。
もしかしたら、『寂しい』って声に応えて、『傍にいてほしい』ってささやかな甘えを叶えに来てくれたんじゃないかって。
眩しい笑顔を湛えて、抱きしめてくれてたんじゃないかって。

「…………ミラ……」

ほろり、ほろり、頬に雫が伝っていく。
悲しいわけじゃなくて、苦しいわけじゃなくて。
だけど無性に、わけもなく泣きたかった。

 

 

 

 

 

それから数日経った頃。
しばらく、夢のような出来事を求めてあれこれ試行錯誤してみたが、一度としてあの時の優しい気配は現れなかった。
ただ、あの日散らばっていた葉っぱと薄桃色の花びらは、今も布に包んで大事にしまい込んである。
夢みたいな出来事だから、こうして大事に取っておかないと、アレは全部幻だったんじゃないかって思ってしまいそうだった。
お気に入りのハンカチにくるまれて、ポプリのように机の中に眠る夢の欠片。
あの正体不明の緑の葉っぱは、解熱作用のあるハーブの一種だとローエンが教えてくれた。
好きな色の花と、あの時の熱を冷ましてくれたハーブ。
そのどちらも、カラハ・シャールの市場には存在しないらしい。

「エリー、お茶を淹れたわ。降りてきて!」

扉の向こうで大好きなドロッセルの声が呼ぶ。
これから一番楽しみにしているお茶の時間だ。
今日のケーキはなんだっけ?
そんなことを思い出しながら、そっと部屋を出る直前、くるりと裾を翻して振り返る。

「……いってきますね」

エリーゼはにっこりと微笑みを残すと、扉の向こうへ姿を消した。

 

 

誰もいなくなった部屋の中。

窓際のカーテンが、ふわりと風に揺らいだ。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/03/17 (Tue)

こういうの好きです。
きっといろんな場面で気にかけてくれてると思うんだ。
ミラジュでやれよ、と自分でも思ったので突っ込まないで頂きたい。


*新月鏡*