「self-fulfiling prophecy -4-」

 

 

 

寂しさを拭い去れたのか、と訊かれたら、僕はきっとこう答えるだろう。

どんなに喜ばしいことを重ねても、感じた寂しさは残るのだと。

 

 

 

膝枕をするように、僕に抱きついたまま寝入ってしまったアルヴィンを見つめながら、僕はこの部屋でのやり取りを思い返していた。
何も悪いことなどしていないはずなのに、後ろめたさに釈明してきた彼は、酷く僕の態度に怯えていた。
アルヴィンを自分で選んだあの日から、僕は彼の全てを肯定して生きている。
彼の行動には彼なりの理由があって、それは彼の意思であり、何かしら意味がある。
そして、僕はそうある彼を好きになり、そうある彼を望んでいる。
だから、どんなことをしたとしても、アルヴィンは僕に対して後ろめたさなど感じなくてもよかったのだ。
けれど、優しいアルヴィンは、僕を思いやって謝ってきた。
嫌な思いをさせたと、悪かったと、泣きそうな声で途切れ途切れに言い募り、最後には言い訳を差し置いて僕自身を切に望んでさえくれて。

 

嬉しかった。

他に視線を逸らすことなく、僕だけを望み続ける眼差しが。

 

愛しかった。

離すまいと抱きしめる大きな手のひらが。

 

僕が抱えたまま沈めてきた寂しさを凌駕するほど、彼が必死に望んでくれることが嬉しかった。
あまりの歓喜に胸が震えて、たまらずしがみついたままの彼を抱きしめ返して、見上げてくる彼に想いを注ぐように口づけた。
涙さえ零して切望されるたびに、僕はどうしようもないほど彼が好きなのだと、改めて思い知る。
こんな僕を選んでしまった馬鹿なアルヴィン。


――――『僕なしじゃ生きられなくなればいい』


僕の望んだ言葉の意味を、彼は実感していなかった。
ちゃんと釘を刺しておいたのに、やはり彼は身を持って体験しないとわからなかったようだ。
アルヴィンが思うほど、僕は甘くも優しくもない。
彼が何を見てそう思っているかわからないが、僕はもっと酷い人間だ。
持てる全てを分け与える代わりに、得られるものは確実に手にしてきた僕が、唯一無二の存在をそう簡単に手放すはずがない。
ミラの時だってそうだった。
僕は我が身省みず、最後まで彼女を追って傍にい続けた。
結局最後は別々に生きることを選んだではないか、と言われるかもしれないが、それは違う。
僕は、彼女に、彼女らしく生きることを望んでいた。
そして彼女も、僕がそう願うことを自然とわかっていて、またそうあろうとした。
だからこそ、僕とミラは別の世界で生きる道を選んだのだ。
今でも、僕はミラを心の底から敬愛している。
アルヴィンに向ける感情とはまったく別の、遠く思いを馳せて慈しむような愛を抱いている。
それは、互いが触れることも叶わない遠い場所にいるからできることなのだ。
もし、自分に使命を見出せなければ、僕は今でもミラの傍にいたかもしれない。
そしてまた、ミラも僕が使命を見出すまで、傍にいてくれたと思う。
僕とミラは、そうやって互いのあり方を尊重し合って寄り添っていたのだ。

だが、アルヴィンはそうはいかない。
彼は今この場所に存在していて、多くの人と出会うのだから、ミラと同じ方法で心通わせられるはずがない。
自分よりいい人なんて世界中を探せばたくさんいて、いつ彼が離れていくともわからない現実に、僕が恐れないはずがないのだ。
ただ、僕はミラと同じようにアルヴィンに『彼らしく生きる』ことを求めていたから、彼を強引に引き止めることもできなかった。
だから、僕は一番手酷い楔を打ち込み、ここぞというときに絡めとった鎖を引き寄せる。
彼が一番恐れる『孤独』という楔に、『拒絶』という鎖を重ねて。
そして現に、彼は僕の元へ戻ってきた。


――――『離れて、いかないで……』


切々と願われた言葉がその証拠。
彼は、僕の態度に拒絶を見て、孤独を恐れて縋りついた。
そしてこれは、彼が僕以外の人に『特別』を見出さない限り、延々とくり返される甘い罠。

言ったはずだ。

僕を選んだ彼が悪いと。

それでもこの身を望んだのならば、その覚悟で持って、僕が与える恐怖に耐えてもらわなければならない。
対価として、僕は持てる全てを彼へ明け渡すのだから、それくらい可愛いものだと思ってほしい。
だけど、こんなにも歪んだ僕の愛し方に、彼はきっと気づかない。
僕が注ぐ優しい愛情ばかりに目を向けて、こんなにも残酷な束縛など見えないのだろう。

「ホント、アルヴィンは可愛いね」

さらりと柔らかく髪を撫でて、そっと囁く。
僕と彼の本質が似ているとわかっているなら、互いの愛し方が酷似するのもわかるだろうに。
子供だ年下だと思ってプラスイメージを抱きすぎだ。
そんなことを考えながら、ゆっくりと何度も膝上の頭を撫でていると、不意に扉から数回ノックが聞こえてきた。

「どうぞ」

ノックに応えてそう告げると、控えめな音を立てて開いた扉からユルゲンスさんが入ってきた。

「すまない、失礼するよ」
「どうしたんですか?」
「なかなか降りてこないから、夕飯どうしようか訊こうと思ったんだが……」

ちらり、と膝元へ視線を下げられて、僕はアルヴィンの頭を撫でていたままだったことに気づいた。
だが、慌てて隠すのもおかしな気がして、そのまま続行し続ける。

「アルヴィン、寝ちゃったんですよ」
「なるほど、なら夕食はこちらに運んでこよう」
「あ、でも」
「大丈夫、彼の名誉のため、間違っても後輩には運ばせないさ」

にっこり笑ってそう言ってくれるユルゲンスさんに、僕はつられて微笑み返す。
アルヴィンに憧れているという後輩たちが、こんな甘えた全開のアルヴィンを見て幻滅するのは、なんだか可哀想だ。
こんな姿のアルヴィンだって間違いなく彼なのだが、後輩たちが彼に見ている姿は、きっと僕がミラに見ていたものと同じなのだろうから、そう簡単にぶち壊すのも気が引ける。
もちろん、彼のイメージも、維持できるものなら維持してあげたい。
まぁ、厨房でのあのやり取りを見た仕事仲間の人達からは、彼が作り上げていたイメージなどとうに崩壊しているだろうが。
そんな予測に小さく苦笑を漏らしていると、ユルゲンスさんが不思議そうに首を傾げる。

「君の前では、アルヴィンはいつもこんな感じなのかい?」
「え……まぁ、そうですね。基本甘えたなんで、何かにつけてこんな感じです」

いい大人の男が、同じ男の腰をぎゅうっと抱きしめたまま寝ているのだから、ユルゲンスさんが視覚的に異常だと思うのもわかる。
だが、違うと弁解するのもおかしな気がして、僕は素直にそう述べた。
現に、さらさらと額にかかる前髪を梳けば、気持ちよさそうに擦り寄ってくるのだから、それはもう相当に甘えたがりだ。
否定しようがない。

「そうか、どうりでアレだけ必死になるはずだ。なんとなくわかったよ」
「……どういうことですか?」
「いやいや、私たちの前でこんな姿を見せることがないからね。下にいた時、『死活問題だ』って言ってのもわかる気がするよ。アルヴィンが一番安心できるのは、やっぱり君たちの傍なんだろうね」

にこにこと笑うユルゲンスさんの言葉に、僕はぱちりと目を瞬かせた。

「仕事だとやっぱり違いますか?」
「あぁ、ルシアがちょっと言ってたと思うけど、彼のスマートな仕事のこなし方に惚れ込んでいる奴は結構いるんだ。頭を抱えるほどの難題でも、ほとんど涼しげな顔で飄々とこなしてしまうからね。愚痴を零してる時だって、言うほど焦ってる顔しないし、駆け出しの後輩から見れば驚異的に見えるんだろう」
「そう、なんですか……」

家で見る姿しか知らない僕は、ユルゲンスさんの語るアルヴィンという男についてあまりいい印象を受けなかった。
それはたぶん、語られる彼のイメージが、旅をしていた頃のアルヴィンと重なって見えたからだろう。
出会って当初、僕が彼に抱いていた印象をおそらくそのまま後輩たちは抱いているのだ。
仕事をこなす彼は何処までも玄人で、気配りができて、抜け目がない。
『仕事のできる男の人』を体現して見えて、まだまだ駆け出しの人間からすれば、それはもう格好よく見えるものだ。
そしてまた、働く人間として彼が作り上げた『在り方』はとても正しく、それゆえに周囲の評価が高い。
格好よく見えて、周囲の評価が高くて、頼れば助けてくれる存在、とくれば妄信するほど尊敬してもおかしくはない。
そんな気持ちもわかるからこそ、僕はユルゲンスさんの語る印象に『作り物』を見て、傍にいる時の彼を心から愛しく思う。
膝の上で穏やかな寝息を立てて眠る彼こそが、飾ることのないありのままの彼なのだから。
自然と頬を緩めて幸せそうな寝顔を眺めていると、同じくユルゲンスさんもアルヴィンの様子を覗き込んできた。

「だけど、しばらく休ませてあげた方がよさそうだね。何でも軽々やってしまうから、ついつい頼みがちになる」
「え?」

しみじみとした声に視線を上げる。

「こんなに至近距離でこれだけ会話してるのに起きる気配がない。相当疲れが溜まってたんだろう」
「珍しいんですか?」
「ここまで寝入ってるアルヴィンを見たのは、私も初めてだよ。深く眠ってても、だいたい二言三言話していれば起きてしまうはずなんだ」

ユルゲンスさんの言葉に、アルヴィンが過去に『仕事と私事はちゃんと切り替えられる』と胸を張っていたことを思い出した。
なるほど、僕がいることで、職場で公私混同して気が弛んでしまったのか。
そして、切り替えが上手くできなくなるほど、アルヴィンは追い詰められ、必死に引きとめようとしてくれていたのだ。

(うわ……どうしよう……)

思い至れば嬉しさばかりがこみ上げて、彼の眠りを妨げるとわかっていてもきつく抱きしめて好きだと伝えたくなる。
あぁ本当に、この可愛い人をどうしてくれようか。
そわそわと持て余した感情に揺れていると、話を切り上げたユルゲンスさんがベッドサイドとこちらを交互に見て口を開いた。

「さて、アルヴィンをどけるか」
「あ、いえ、いいですよ、このままで」
「そこからベッドサイドまで結構距離があるし、食べづらくないかい?」

問われて視線を振ると、確かに手の届く範囲にベッドサイドテーブルはない。

「……じゃぁ叩き起こしましょう」
「え、それは可哀想じゃないかい?」
「平気ですよ。それに、疲れてるなら、ちゃんと寝る準備万端にして早く寝た方がいいです」

元から寝入る体勢が変なのだ。
きっとこのまま寝ていると、寝違えて痛いとか言い出しかねない。
言い訳をいくつも考えながら、すやすやと気持ちよさそうに眠る身体に手をかける。

「アルヴィン、起きて」

優しく声をかけて、肩をゆさゆさと揺さぶってみるも、アルヴィンはぴくりとも動かない。
相当深い眠りにいるようだ。

「ほら、起きる時間だよ、アルヴィン!」
「…………ん、……うぅ……」
「早く起きないと、アルヴィンのご飯なくなっちゃうよ?」
「んー……」
「アルヴィン?」
「…………あと、ちょっと……」
「ダメ、起きて」
「ぁー…………」
「え、こんなに寝起き悪いのかい!?」
「だいたいこんな感じですよ」

膝上から引き離されたアルヴィンの悲しげな声を聴いて、ユルゲンスさんが驚愕に目を見開く。
二言三言で起きるアルヴィンしか知らない人が見れば、こんなぐずぐずに眠気を引きずる彼など別人に見えることだろう。
かくいう僕だって、初めて見たときは、一瞬「あれ?」と思ったくらいだ。
今でこそずいぶん慣れてしまって、むしろ寝ぼけた彼の甘えたっぷりに可愛いとしか思わなくなってしまったのだけれど。
心くすぐるアルヴィンの仕草に耐えつつ、ふらふらと頭が揺らぐ身体を支え起こし、眠気に引きずられそうになっている顔を覗き込む。

「アルヴィン、いい加減に起きて」
「……、う…………むり……むちゃくちゃ……ねむ、ぃ……」
「そう、じゃぁ僕は先に食事済ませてくるから、アルヴィンそのまま寝てればいいよ」
「っダメ……やだ……ジュード」
「じゃぁ起きて」
「…………マジねむい……」
「はい、おはよう、アルヴィン」
「おはよう……」

もそもそと起床の挨拶を告げたアルヴィンだが、まだ半分くらいしか頭が起きてないようで、横になればすぐにでもまた眠りへ落ちそうだ。
こしこしと目を擦る指を制止して、やんわり目蓋を数回撫でてやる。
傷つきやすい部位だから、乱暴に擦ると痛いよって教えたはずなのに。
仕方ないなぁと思いながら、されるがままの彼に微笑んでいると、アルヴィンが撫でる指先を掴んできた。

「アルヴィン?」
「なぁ……キスは?」

ぽつりと落とされた頼りない声に、笑みが引きつる。
……うん?
な、何か聞こえたけど、幻聴だよね?
キスとか何とか聞こえたけど、空耳か何かだよね?
うん、そうだ、そうに違いない、あれ、おかしいな、最近耳掻きしたはずなんだけど。

「ジュード、キス」

硬直したままの僕を見て、アルヴィンが拗ねたように繰り返す。
うわぁ、幻聴じゃなかった……。

「……アルヴィン、ユルゲンスさんいるんだけど」
「ジュード」
「聞いてる?」
「……ジュード」
「アルヴィンのために、止めてた方がいいと思うんだけど」
「……………………ジュード……」

じわっと泣きそうな顔が僕をじっと見つめてくる。
不安げに瞳がゆらゆらと揺れて、切実な感情を一身に向けられてしまった僕は、突っぱねるべき言葉を失った。
わからなくはないのだ。
眠る間際に交わした会話を思えば、ここでキスを拒むわけにはいかないことを。
ほんの少し前まで拒絶と孤独を感じていたアルヴィンが、些細な拒絶にどれほど傷つくかを考えれば、どんな甘えも叶えてやりたくなるのは必然で。
ここにユルゲンスさんさえいなければ、それこそ彼が満たされたと感じるまで、望まれることはどんなことでもしてあげられるのだ。
そう、ユルゲンスさんさえいなければ。
僕が気恥ずかしいというのもあるけれど、何よりアルヴィンの今後を考えればここでキスをするわけにはいかない。
彼の作り上げてきたイメージ云々レベルの話ではなくなるからだ。
だが……。

「ジュード…………」

縋りつく指先。
傷ついたように潤む瞳。
この切ない声をどうすれば無碍に振り払えるだろう。
僕には無理だ。

「…………はぁ、どうなっても知らないからね」

そっと頬を撫でて輪郭をなぞるように指を滑らせ、見上げてくる瞳を苦笑交じりに見つめ返す。
ホント、どうなっても知らないから。
少し乱れた前髪を梳くように避けて、眉間よりやや上にゆっくりと唇を寄せる。
愛しさばかりを伝える優しい目覚めのキスを、もっとと促すように彼が目を閉じて甘受する姿が可愛くて離れがたい。
じわじわと溢れる小さな衝動に負けて、目元にちゅっと音を立てて一度だけキスを落とした。

「満足?」
「ん…………好き」
「はいはい、よしよし、僕もだよ」

肩に頭を寄せて首筋に擦り寄ってくるアルヴィンを撫でながら、突っ立ったままのユルゲンスさんの足元を見て少し後悔した。
だが、これは全てアルヴィンの自業自得なので、この処理は彼に何とかしてもらうしかない。

「……ジュード君」
「いつもこんな感じですよ」
「これは、絶対に見せられないなぁ」
「ですよね。是非後輩の方々を守ってあげてください」

苦い笑みを浮かべつつ応対していると、抱きついていた彼が不満げに頭をもたげて僕を見つめてきた。
どうやら、僕が彼以外に意識を向けていることが気に喰わないらしい。
ふてくされたような視線で背後を振り返って数秒、

「……あれ?ユルゲンス……なんでここに?」
「私がここにいるって、わかってなかったのかい?」
「みたいですね」
「え、ちょ、…………ジュード……?」
「僕はちゃんと言ったからね」

覚醒したアルヴィンの顔にさっと青い影が走る。
ようやく寝ぼけた意識がクリアになったらしく、きょろきょろと現状確認に勤しむ彼の挙動不審っぷりは見ていて少し可哀想なくらいだ。
きっと、うっすら記憶にある自分の行動とかを必死に巻き戻しているのだろうけれど、もう何を言ったところで帳消しになどできない過去だ。
だから止めといた方がいいって言ったのに。

「…………ユルゲンス」
「何だい?」
「お前……」
「私は何も見てないよ。まさかアルヴィンがジュード君におはようのキスを迫ってたなんて私は全く見てない。見てられないくらい甘えてたなんて私は知らないから安心するといい」
「ばっちり見てんじゃねぇか!忘れろ今すぐ!いやむしろ記憶を失えっ!」
「あ、ジュード君、夕飯できてるから降りておいでね!」
「ユルゲンスっ!話逸らしてんじゃねぇ!」

逃げるように部屋から出て行ったユルゲンスさんに、かっと顔を赤く染めたアルヴィンが吼える。
どたばたとユルゲンスさんを追いかけていったアルヴィンの怒鳴り散らす様子に、ほっとすると同時に少しだけ冷たい感覚が戻ってきた。
彼がいなくなった途端、これだ。
求められ、安心して心も身体も預けてくれることは、とても嬉しい。
甘えられることも、歓迎するばかりで、心地いい。
だけど、一度感じた寂しさをそれで拭い去ることができるのかといわれれば、僕は『NO』と答えるだろう。
寂しさは、残り続ける。
いや、寂しさだけでなく、どんな感情でも心にはっきり残るのだ。
言われた言葉や、起こった事象が時間の経過でぼやけてしまっても、その時感じた感情だけは、くっきりと彫り込むように残ってしまう。
だから……

「『離れて、いかないで』」

誰にも届かないシンクロする小さな願い。
そっと胸のうちで呟いて、僕は振り払うように立ち上がると仮眠室を後にした。

 

 

 

気づいてね。

気づかないでね。

 

どうか、忘れないでいて。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/04/04 (Wed)

互いに望むのは、とてもシンプルで難しいこと。
目の前でいちゃつかれたユルゲンスが一番可哀想wwww
派生編完結。

2012.4.6 修正


*新月鏡*