「A*J×ICO -3-」

 

 

 

「冗談じゃねぇよ!マジありえねぇっ!」

ばたばたと忙しない足音を立てながら、アルヴィンは力の限り叫んだ。
しばしの休憩を終えた2人が、開かれた扉へ踏み出した先に待っていたのは、左右対称に設置された2つの跳ね橋と、これまた大量に湧いた影の群れだった。
今度はシャンデリアがあった広間よりずっと広大な外の敷地で、ぽつりぽつりと影を生み出す巣のような染みが点在している。
軽く数えて3つあって、さきほど2つだけでも死に物狂いだったことを思えば、僅かに絶望すらした。

「yh!」
「あ、ちくしょう!離せこの野郎!」

手を繋いで必死に逃げるものの、後ろにいた少年が影に腕を取られて声を上げた。
すぐさま振り返り、振り払うように木の棒で叩き落し、怯んだ隙に再び少年の手を取り逃げる。
先ほどからこの行動を幾度となくくり返しているが、群がる影に諦める気配はない。
唯一の救いとしては、影を追い払った特殊な石像の扉を発見できたことだが、如何せん、かなりの距離がある。
そこまで必死に駆けているものの、逃げ惑いながらではなかなか目的地にたどり着かない。
少年も、何処へ向かうかわかっているため、全速力で駆けてくれているだろうが、空飛ぶ影にはなんら効果はないらしく、すぐに回り込まれて襲われる。
やや蛇行気味に避け続け、逃げ回り、何とか石像の場所までたどり着くと、少年はすぐに扉を開けにかかった。
白い輝きに石像が呼応し始めると、シャンデリアの広間で見たときと同じように、鋭い閃光が辺りを突き刺し、光に触れた影が霧散する。
やはり、先ほどの時同様、影の消滅はこの石像の効果であるようだ。
ようやくひと心地ついたと荒い息を整えていると、背後でぱたぱたと小さな足音が遠のいていく。

「え?あ、ちょ、待てよ!」

はっとして振り返れば、扉を開け終わった少年が我先にと駆け出してしまっていて、アルヴィンは慌ててその背を追いかけた。
休憩した途端、あの元気である。
この少年の不思議さに拍車をかけながら、アルヴィンは白い背中を追いかけて、広々とした庭へ足を踏み入れた。
穏やかな日差しを受けてさやさやと囁く草花。
等間隔で並ぶ大きな燭台。
そして導くように伸びた道の先には、大きな門が開け放たれており、孤立した城から伸びる架け橋が、遠い向こう岸の島へ繋がっていた。

「門が開いてる……出口だ……」

少年の隣に立ちながら呆然と呟けば、アルヴィンの胸のうちに、じわじわと実感が湧き起こる。
出口だ。
探し続けた出口が目の前にある。

「外に出られる!」

歓喜に声を跳ね上げ、思わず門を指差せば、少年はこくりと頷いて見上げてくる。
僅かに弧を描く口元と、柔らかな気配に、同じく喜んでくれているのだと知って、アルヴィンはさらに胸の踊る思いだった。
だが、そんなアルヴィンの気持ちを嘲笑うかのように、突如、がこんと大きな音が鳴る。
何事かと周囲を見渡せば、先ほどまで全開だった扉が、ゆっくりとそれでも確実に閉じ始めていた。
やはりこの城にいる生贄を要求した奴らが、そうやすやすと逃がすはずがなかったのだ。

「行こう!」

攫うように少年の手を取り、駆け出す。
じわじわと閉じていく門へ、真っ直ぐ矢のように駆け抜ければ、何とか脱出できる。
そう、思った瞬間。

「a,……!」

ずしゃり、と崩れ落ちる音と共に、急に繋いでいた手からしなやかな指先が滑り落ちる。
失った感触にとっさに振り返ってみれば、少年は冷たい道の上へ倒れ伏していた。
どうやら急に手を引いて走ってしまったせいで、もつれた足を捌ききれずに転倒してしまったようだ。
少年に気を取られているうちに、ごおん、と重たい音が響き渡り、門は完全に閉じきってしまったのだと、アルヴィンは思った。
試しに振り返ってみたものの、外へ繋がる景色すら見えなくなっており、完全に封鎖されてしまったことを実感する。
もうこうなっては、別の出口を探すしかない。
仕方ないと頭を振り、アルヴィンが少年の元へ戻ろうとしたとき、

「as, iysxritxtek, jude……」

不意に、何処からともなく甘い女の声が囁いた。
自分と少年以外の声音に、びくりと身体を強張らせ、注意深く周囲を観察していると、倒れこんだままの少年の背後に突如切れ目が現れた。
袈裟切りのように斜めに走る亀裂は、まるで空間を切り裂いたように広がり、ぽっかりと異空間じみた穴を広げていく。
そしてさらに驚くことに、じわりじわりと開いた異空間から、一人の女が姿を現した。
長くたなびく髪を風に遊ばせ、上品な笑みを湛えた美人。
だが、その背中から生えた羽と宙に浮く様は、明らかに人外のそれである。
女の全貌が明らかになったとき、突然現れた異空間の裂け目もいつの間にか消えていた。
把握の追いつかない展開に、アルヴィンは困惑したまま降って湧いた美女を凝視する。
少年の下へ駆け寄ろうにも、少年のすぐ後ろに佇む女が異常すぎて、不用意に近づけない。
どうするべきかを目まぐるしく考えながら、ぴりぴりと緊張感を高めていると、悠々と佇む人外の女が口を開いた。

「あなたね、私の大事なジュードを連れまわしているのは」

物腰丁寧な動作で口元へ手をやり、女は優雅に微笑む。
だが、淡々と告げるわりに、吟味するようにアルヴィンを眺める視線に隙はない。
初めて言葉の通じる存在に出会ったことに、アルヴィンは強く衝撃を受けたが、相手が自分に対して好意的でないことくらいすぐにわかった。
話は通じるだろうが、敵でないわけではない。
慎重に判断しなければならないと、聞き逃さないように集中力を高めていく。
どうやら、先ほどの女の言動を掬い取れば、『ジュード』というのは少年の名前らしい。
未だ項垂れるように俯いている少年は、今どんな表情でいるのだろうか。
動きの見せない姿に、僅かな不安が這い登る。

「この子が誰なのか、わかっているのかしら?」

ちらちらとアルヴィンが少年を気にしていることを見て取ったのか、女はすっと笑みを潜めて問いかけてきた。
だが、アルヴィンには、その問いを肯定することなど何一つできなかった。
問われずともわかっているのだ。
自分がジュードという少年について、何一つ知らないことくらい、言葉が通じない時点で承知の上だ。
だが、あの子が、自分に対して好意的な感情を持ってくれていることだけは確かに感じていて、それだけはどんなものより真実だとアルヴィンは思った。
だが、そんなアルヴィンの心情を嘲り笑うように、女は聞き捨てならないことを話し出した。

「あなたと一緒にいるのは、精霊の愛し子。いずれはマクスウェルを継ぐものよ」


マクスウェル。

夢物語の伝説。

誰もが縋る偶像の対象。

つくり話の中だけの存在だと思っていた名前を告げられて、アルヴィンは目を見開く。
自分より圧倒的に非力な少年が、マクスウェルを継ぐもの?
何を言っているんだ、とうろたえたまま女を見れば、冷淡な眼差しがアルヴィンを射抜いた。
女の言葉に嘘はない。
そう確信できてしまうほど、女の態度は揺るぎなかった。

「黒匣に溺れ、精霊を殺し、同族すら犠牲にすることを厭わない……世界を死に向かわせる人間とは、住む世界が違うのよ」

侮蔑を含んだ物言いに、女が自分ではなく人間自体に憎悪を抱いているのだと、アルヴィンは肌で感じていた。
女は腐った世界の構造を知った上で、少年とアルヴィンは全く別の世界の住人なのだと言い切った。
黒匣の普及した死にゆく世界、エレンピオス。
彼女はそれを言及し、なおかつ初めて聞く情報をアルヴィンに与えてきた。
『精霊を殺す』、という言葉は、アルヴィンには耳に慣れない言葉だ。
彼女の言い分では、人々の生活を支える黒匣が悪いもので、人が世界を滅ぼそうとしている、ということになっている。
しかも、マクスウェル同様、物語の中によく出てくる『精霊』すら、人は殺しているのだという。
謎の女から与えられる侮蔑の言葉は、怒りこそ感じ取れるものの、アルヴィンがその意味を理解するためには、あまりにも情報が欠けていた。
一方的な悪印象を叩きつけられたアルヴィンが、そんな理解不能な言い分で納得すはずがない。
怒りの剣幕に多少気圧されはしたものの、ぎゅっと唇を引き締めて宙に浮かんだままの女を見上げる。

「さぁ、身の程がわかったなら、転生の棺へ戻るか、速やかにここを立ち去りなさい」

言う事は全て言い終えた、と言わんばかりに、不可解な女は踵を返し、再び開いた異空間の中へ姿を消した。
自分に対して何もしてこなかったということは、あの女は自分に選ぶ権利を与えたのだろう。
言葉どおり、真っ暗な棺の中へ戻るか、城を出て行くか。
もちろん、棺へ戻る気などなかったが、おそらく城を出る絶対条件は、アルヴィン一人ということになるのだろう。
そろりと俯いたまま上体を起こした少年――ジュードを連れて出ることは、おそらく許されていない。

贄となるか。

一人城を出るか。


ぎゅっと手のひらを握り締めて、アルヴィンは駆け出す。

「大丈夫か?」

地面に手を突いたまま動かないジュードの傍に駆け寄り、そっと白い肩を掴んで様子を窺ってみるが、大きな外傷はなさそうだ。
転んだ拍子に膝を擦りむいたくらいで、血が出ているわけではなかった。
そのことに、ほっと息を吐いていると、ジュードは俯いたまま、空気に溶けるような声音で呟く。

「wthna txmistsrko……」

何を言っているのかはわからない。
だけど、その声があまりにもか細く震えていたため、この子が何かを危惧しているのだということだけは感じて取れる。
だが、いつもならすぐに視線を合わせてくるはずの少年が、一向に顔を上げないことに、アルヴィンは彼なりの葛藤があるのだと思った。
自分にだって、それなりに葛藤はあったため、無理に視線を合わせる気にもなれなかった。
どうしたって、先ほど女から聞かされた情報を考えれば、アルヴィンにとってこの子は忌避すべき存在なのだろう。
自分を生贄にと望んだのがマクスウェルで、ジュードがそのマクスウェルの後継者だというのなら、今すぐ離れて然るべきなのだ。
自分の命がかかっており、脱出する術があるなら、迷わず一人で城門から飛び出せばいい。
わかっている。
そうすることが、自分のためにも、母のためにもなるのだと。
だが、そっと立ち上がったアルヴィンは、未だ俯くジュードに向かって手を差し伸べる。

手放せるはずがない。

暗い城の中で、この子だけがアルヴィンの救いだったのだ。
それに加えて、囚われていた檻やジュードを狙い続ける黒い影を思えば、このまま置き去りになんてできるはずがない。
ジュード自身がそれを望んでいれば、考えなくもなかったが、この子は常にアルヴィンの背に隠れ怯えていた。
望んでいないのなら、なおさらこんな場所に捨て置けるはずがないのだ。
じっと手を差し出したまま待っていると、ずっと俯いていた顔が僅かに上がり、ようやく蜜色の綺麗な瞳にアルヴィンが映る。
何かを躊躇うように、問いかけるように、視線と視線が絡み合い、沈黙だけが風を歌って。
数秒そのまま待っていれば、ジュードは戸惑いがちに手を伸ばし、差し出したままのアルヴィンの手に、そっと自分の手を重ねた。
柔らかな指先からじんわりと感じる温かさを確かめるように握り返して、いつものようにその手を引き寄せ立ち上がらせる。
すると、

「ninrkwzn……htna htdrkrsnk nnuitinkitki」

突然名残惜しげに響き渡る女の声に、ぎくりと身体を強張る。
だが、女が出てくる気配も、何かが襲ってくる様子もない。
一体なんだったのかとアルヴィンが辺りを見回していると、手を繋いでいたジュードがぎゅっと腕を抱くように寄り添ってきた。
不安げに見上げてくる眼差しに、やはり自分の選択は間違ってなかったのだと確信する。

「大丈夫。お前は俺が守るよ、ジュード」

そっと抱き寄せて腕の中に閉じ込める。
たとえどんなことがあったって、アルヴィンはこの手を離すつもりなどなかった。
ジュードは最初から自分を信じてついてきてくれたのだから、それに応えなければ自分が自分でなくなる。
そんな気持ちさえ感じ始めていて、高ぶる感情に任せて細い身体を離すまいと抱きしめ続けた。
謎の女の出現と、たった数分手を離していただけで、これほどまでに孤独を感じてしまう自分に苦笑する。
やはり、自分にはこの子が必要なのだと、そればかりがはっきりしてゆくのみだ。

「Alvin」

抱きしめられたままのジュードが、小さな声でアルヴィンを呼ぶ。
ただそれだけで、ようやく落ち着くところへ帰って来たのだとアルヴィンは思った。
たった数時間の出会いの中、もうこの少年が傍にいることが当然になってしまったのだ。
今更、手放せはしない。

「必ず2人でここを出るんだ」

力強く耳元へ囁けば、わからないはずのジュードが小さく頷く。
ジュードにだって、アルヴィンが何を思って手を差し出したのかくらいわかっているのだろう。
ぎゅっと隙間がないほどしがみつかれて、アルヴィンはもう一度抱きしめなおした。
心が温かくなるこの感情を、何と呼べばいいのだろう。
ふわふわと漂う感情の根源が、ジュードの中にあるような気がして、アルヴィンは答えを求めるように白い肩に頬をすり寄せた。

 

それからしばらく、互いの存在を十分に確かめ合った後、2人はそっと身体を離し、自然と手を取り合った。
さて、これからどうするべきか。
出口が閉ざされた今、アルヴィンにできる可能性は二つ。

ひとつは、ここ以外の脱出経路を見出し、新たな出口を見つけること。

もうひとつは、閉じた城門を開くこと。

おそらく、孤立した時忘れの城のつくりを考えれば、後者の方法が一番確実性が高い。
あとは、何処に城門を開く操作装置があるかだ。
じっと考え込みながら城門を観察していると、隣で佇んでいたジュードが不意に城門の上の方を指差した。

「icxk」
「ん?どうした?」
「icxk!」

何度もくり返し指差す方向を見上げると、城門の両サイドに対称的な構造で地球儀のようなオーナメントが飾られていた。
あれだと示さんばかりに何度も何度も示してくるので、おそらくあの飾りに何かしら意味があるのだろう。
同じく飾り石を指差し、確認を問うように首を傾げれば、ジュードはこくこくと頷いてもう一度指を差した。

「わかった、アレを目指せばいいんだな」

意を得たと頷き、見上げてくるジュードの髪を優しく撫でる。
おそらく、ジュードはどうすれば城門が開くのかを知っているのだろう。
ジュードがどこまで詳細に知っているかはわからないが、それでも閉ざされた城門の前で右往左往しているよりずっといい。
大まかな指標が決まれば、あとは動くだけだ。

「行こう、ジュード」


――――ここを出るときは、必ずジュードと2人で出る。


密かに強く決意を固め、しっかりと繋いだ手を引いて、アルヴィンは再び城門に背を向けた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/03/28 (Wed)

正門イベント、やっぱりいいですね、大好きです。
そして、霧の女王がいったい誰なのか、お分かりいただけただろうか。


*新月鏡*