「self-fulfiling prophecy -3-」

 

 

 

「まるで聞き分けのない子供ね」

ルシアの冷ややかな声が、俺の背中をちくちくと突き刺す。
さっきからぽつり、ぽつりと強調するようにゆっくり呟いてくるルシアは、俺の諦めの悪い行動を汚いものでも見るような眼差しで眺めていた。
そんなえげつない言葉と視線を投げつけられている俺はというと、にぎやかな音の絶えない厨房を、影からこっそり覗き見している。
視線の先にはもちろん愛しの優等生。
身体に合わないエプロンの肩紐をずれては直し、ずれては直し、している仕草が可愛らしい。
このエプロンが白フリルだったら、最高に可愛かっただろうに。
と、ややいかがわしい感想を抱きつつ、それより深刻な問題を思い出して柱に寄りかかるように項垂れた。
昼間起こった、ゴシップ記事が好んで書きそうな『浮気発覚!』並みのスキャンダルに対して、俺はあれから鐘6つ経った現在までずっと、愛する人に「誤解だ」と釈明できないでいる。
ジュードが目覚めて二階から降りてきたとき、俺は運の悪いことにクリーニング屋へ出かけていて、帰って来たときには既にジュードは厨房の中だった。
体調不良で休んでたくせになんで!?
そう思ってユルゲンスを問い詰めようとしたとき、背後からすかさず人参のヘタが飛んできた。
ぼたりと落ちたヘタを摘み上げ振り返ると、そこには愛しの優等生がいて、やや責めるような視線を寄こしてくる。
ちょいちょいと指で近寄るよう指示されたので、困惑に陥りながらも近づけば、ジュードは料理の片手間にあらましの経緯を教えてくれた。
どうやら、休ませてくれたお礼にと、ユルゲンスが止めるもの聴かずにお手伝いを申し出たらしい。
だが、その経緯を教えてくれた後のジュードは、俺が呼びかけても「後でね」の一点張りで付け入る隙など一切なかった。
愛する人のつれなさに、俺じゃなくても項垂れたくもなるだろう。
それで冒頭へと戻り、一人厨房の入り口にある柱にひっつきながら、恨めしげにぱたぱたと忙しなく食材の下準備をしているジュードを眺めているのである。

「ジュード」
「今は、ダメだって。あ、これ終わったんで、置いておきますね!」

てきぱきと包丁で野菜を切る手元に迷いはない。
大人数の食事準備ともなれば、食材ひとつにかかる時間も長くなるわけで。
下準備の終わった野菜がてんこ盛りになっている大きなボウルを奥のテーブルへ回し、次の食材処理へと速やかに移行する。
その間、こちらを見ることは一切ない。
泣きそう。

「……ジュード」
「アルヴィンが話したいことって、片手間で済ませていい話なの?」
「違う」
「じゃぁ、後で」
「…………ジュード」
「……はぁ」

トントンと大根をさいの目に切り刻みながら、肩を落とすように息を吐いたジュードに、俺はさぁっと顔が青くなる。

「ため息ついた……!」
「そりゃつくでしょうよ、鬱陶しいわねっ!」

驚愕に戦慄いている俺にげんなりと突っ込んできたのは、ジュードではなく背後にいるルシアだった。
ついでに、長い足で抉るように背中にぐりぐりと蹴ってくる。

「痛ってぇなぁ、足癖悪すぎだろおたく!」
「これだけ鬱陶しいもん見せられたら、誰だって蹴り上げるわよ。さっきからうじうじジュードくんの後ろ追いかけて、情けないったらありゃしないわ」
「おたくに関係ないだろ」
「関係あるわよ。あんたを何故か尊敬してる後輩連中に対して、なんとも思わないの?」
「まだあいつら帰ってきてねぇだろ」
「それも時間の問題でしょうが。いつ帰って来てもいいよう、イメージを壊さない振舞いとかできないわけ?」
「俺、今、死活問題の真っ只中だから、悪いけどそんなこと気にしてられない」
「じゃぁ、アルヴィン、その死活問題について話し合おうか」
「え?」

突然割り込んできた声にくるりと背後を振り返れば、ジュードがエプロンを外しながらこちらへ向かって歩いてくる。
ルシアと白熱したくだらない言い合いを繰り広げている間に、どうやら厨房から出てきたらしい。
きょとんとしていると、ジュードの背後で食事係に抜擢されてるサブリナが手を振ってきた。
なるほど、この俺の醜態に、見ていられなくなったのはルシアだけではなかったようだ。

「いいのか?」
「いいよ。むしろ、放っておく方が逆に迷惑みたいだし。その代わり、サブリナさんたちに後で謝ってね」
「わかった」

こくりと頷き、気を利かせてくれたサブリナに心から感謝しつつ、俺はようやく傍に帰って来たジュードにほっと胸をなでおろす。
さっきから避けられてるんじゃないかとか、変な不安がじわじわ心を侵食してきていて、正直、あのまま放置され続けていたら、気が触れてしまうんじゃないかと思うほどだった。
もともと、精神がそれほど強い人間ではないのだ。
不安に駆られれば、俺の心の針は容易く振り切れへし折れる。
そうなったら、ルシアがたしなめ続けた立場や場所なんてものは軽く吹っ飛んで、何が何でも自分の傍へジュードを引き寄せていただろう。
ジュードが傍に戻ったことで、徐々に冷静さや落ち着きを取り戻した思考回路は、極端すぎる自分の行動予測を弾き出す。
あまりにも短絡的で直情的だ。
情けないのも格好悪いのも見せたくないが、なかなかどうして、ジュードを相手にすると必死に作り上げた『俺』があっさりと崩壊する。
それほどまでに、俺にとってジュードが大きなものになっているということなんだろうが。

「とりあえず、2階で話そう。ここは人が多すぎる」
「そう?気にならないくらいだと思うんだけど?」
「マジで俺の死活問題なんだ、できれば2人っきりがいい」

ルシアに2階への人払いを頼んで、店内のいたるところから投げられる視線から逃げるように、俺はジュードと共に2階へ向かう。
人気のないところならどこでもよかったが、一度疲労で寝ていたジュードを外へ連れまわす気にはなれなかった。
ジュードが使っていただろう仮眠室へ連れ込んで、誰もいないことを確認する。
夕飯時ということで、仮眠を取る人間はおらず、俺の望みどおり2人っきりだ。
窓から外を眺めていたジュードを呼び、対峙すれば、さぁ、あとは釈明をはっきり述べて誤解を解くだけ。
ベッドに腰かけて見上げてくるジュードの瞳に、ごくりと喉を鳴らしながら、俺はぎゅっと拳を握り締めた。

「…………ジュード、あのな」
「うん」
「……えっと、な」
「うん」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「なさそうだから、戻るね」
「ち、ちょ、ちょっと待った、言うから!言うから行かないでくれ!」

あっさり腰を浮かせるジュードを肩を慌てて抑え、俺は再びベッドへ座らせた。
すとんとベッドへ逆戻りしたジュードは、訝しげな視線で俺を見つめてくるが、その視線が責めているように見えて、無意識に手が震える。
むしろ視線以上に、淡々としたジュードの対応に俺は恐怖を抱き始めてしまって、消え去ったと思っていた不安が戻ってくるのを肌で感じていた。
まずい、なんだか嫌な予感がする。
しかし、言わないわけにもいかなくて、俺は腹を括って口を開いた。

「えーっと、ほら、アレだ……昼間の、……やつ……」
「昼間?」
「……船乗り場で、その、……」
「あぁ、白昼堂々濃厚キスシーン?」
「うわぁぁぁぁ!!誤解だあれは女の方が無理やりしてきたのであって俺は清廉潔白無実そのものなんだ!依頼終わって別れようとしたのにあの女追い縋ってきて、いきなりがっつかれたんだ!だけどすぐ突き放したし、俺はそんな気全くないってちゃんと言ったし、もう金輪際会う気もないんだ!むしろこっちから願い下げで、二度とかかわりたくないって思ってる」

ベッドに乗り上げ、がばりとジュードの腹にタックルするように泣きつくと、途端、言葉を挟む隙がない勢いでまくし立てるように言い訳が口を突いた。
今までの沈黙が嘘のようだ。
誤解だ、無実だと喚きたて続け、俺はジュードの腰に回した腕に力を込めて抱きしめる。

「俺にはお前だけなんだ、信じてくれっ!」
「信じてるよ?」
「え……?」
「だから、そんなにたくさん言わなくても、信じてるよ?僕は元から疑ってない」

ぽかんと口を開けて見上げると、きょとんとした瞳と視線が絡んで、僅かな空白が漂う。
その間、恐怖に駆られて強張った俺の身体を、ジュードの優しい手のひらがなぞり、包み込むようにやんわりと抱きしめ返してくれた。
触れた手の温かさに、じんわりと力が抜けていく。

「あの女の人とのキスを、アルヴィンが違うって言うなら、違うんでしょう?それはわかったけど、アルヴィンは一体何を心配してるの?僕は最初から、どんなことでもアルヴィンが必要だと思うならやればいい、って言ったじゃない。だから、何の誤解もしてないし、疑ってもないよ?」

こてん、と首を傾げて見下ろしてくる瞳に翳りはない。
当たり前のことのように。
なんでもないように。
いつもの口調でそう返してきたジュードに、俺は戦慄した。

心通わせた相手が何処の誰とも知らぬ人間とキスをしている、なんてものを見れば、誰だって嫉妬や悲しさを感じるはずで。

さまざまな憶測に傷ついた心を抱えて、悲しみに暮れるか、酷いと批難してくるはずで。

なのに、ジュードは元から疑っていないと言う。
それも繕っての表情や行動などではなく、本当にごく自然のまま、心からそう思っているのだとわかるほどの穏やかさで。
髪を梳くように撫でる指先はひたすら優しく、見つめる瞳も甘くまろみを帯びているのに、何故こうも凍るような心地になる?
まさか、俺に関心がないということなのか?
それとも、そんな感情を向けることすら億劫なほど、俺に愛想をつかしているのか?
ぞわりと背中を駆ける悪寒に身震いし、どくどくと早鳴る心音に胸が張り裂けそうだ。

「……ジュ、ジュード……怒って、る……のか?」
「うーん……どう聞いたらそう行き着くのかなぁ。別に僕は怒ってないよ?じゃぁ逆に訊くけど、僕はアルヴィンのどこを怒ればいいのかな?」
「どこって……だって、俺は……」
「『無理やりだったにせよ、僕以外とキスなんて許せない』、とでも言えばいい?」
「っ!」

急激に落ちたジュードの声に、びくりと身体が強張る。
やばい、決定的な何かを失敗した。
地雷を踏んだ。
墓穴を掘ったような感じではなかったが、無様な俺の追求は、ジュードの中の何かを刺激した。
嘲笑うように吐き出された例えの批難がその証拠。
確かに、俺はその一言を望んでいたんだろう。
嫌だと言って、怒って、詰って、泣く人へ、ひたすら謝って許してくれと懇願するために。
そのために、ジュードの『批難』を求めていたのだろう。
そして、自分以外の誰かに触れて欲しくないと、そんな可愛い嫉妬をしてくれているのではないかと、心のどこかで期待していたのも否定できない。
浮かれすぎた頭の中で、俺はジュードへ罪悪感を感じると共に、薄暗い期待をしていたのだ。
そんな俺の思考を見透かすように、ジュードはひたと見つめてくる。

「馬鹿にしないで」

ぴしゃりと芯の通った声が頭上から降り注ぎ、柔らかさを失った視線に射抜かれる。
突き刺さる視線の鋭さは、心の奥まで切り込んでくるようだ。

「その程度で揺らぐ気持ちなら、僕は最初からアルヴィンなんて選んでない」


――――……あぁ……そうか……


その一言に、自分がどれほど愚かな問いかけをしていたのかを思い知った。

お前だけだと。

信じてくれと。

一方的に言葉を重ねたくせに、俺は、一番大事だと謳ったジュードの存在を軽んじていた。
好きな相手に、不可抗力とはいえ心裏切られるような行動を見せられれば、やはり誰だって胸が痛むのだ。

悲しまないはずがない。

傷つかないはずがない。

つらくないはずがない。

だが、そういった感情含めて、俺の全てを肯定する覚悟でジュードは俺を選んだ。
なのに、そうだとわかっているはずなのに、俺は保身のあまり、ジュードの覚悟を軽く見た。
呆れられて当然だ。
愛想をつかされて当然だ。
胸の奥を突き刺す痛みが響き渡って、指先からすっと体温を奪っていく。
肌に触れる温かさも、降り注ぐ眼差しも、ジュードを構成する何もかもが俺から離れているような気がして、絶望的な感覚に襲われる。
思考停止にまで追い込まれた頭で必死に何か言わなければと模索するが、返す言葉が見当たらない。
浅い呼吸に眩暈さえ起こしかけて、はくはくと動かす唇から懸命に音を紡ぐ。

「ご、ごめ」
「何か、謝るようなことしたの?」
「…………」
「アルヴィンは、悪くないんでしょう?」
「…………でも……お前に、嫌な思い……させたのは、確かだ……だから、悪かった」
「そう」

必死に絞り出した声は明らかに震えてかすれてしまうが、なんとか言葉を紡ぎだす。
だが、ジュードの短い返答に、ひっと喉が引き攣った。
我先にと競り登ってくる恐怖から逃げるように、俺はぎゅうっとしがみついた腰をより一層強く抱きしめる。

「ジュード、ごめん」
「……」
「ごめん……許してくれ」
「…………」

何度も何度も謝って、許してくれと懇願しても、ジュードは俺の頭を優しく撫でるばかりで何も答えてはくれない。
あまりの無反応にどんどん怖くなって、もう顔を上げることもできない。
縮こまるように身体を丸めて、触れる場所から感じる体温を逃がさないようにジュードにくっついて。
決して離すまいと縋りついている腕だけが、唯一の希望のようだ。

「頼むからっ……許して……くれよ」

声がかすれるほど恐怖に駆られた身体は強張って、手に汗握るほど指先が震える。

 

怖い。

この手の中にあるぬくもりを失うのが。

 

恐ろしい。

頭を撫でる優しさを失うのが。

 

「お願いだ…………離れて、いかないで……っ」


じんわりと目蓋が熱くなって、もう目も開けていられない。
見るのも、待つのも、もう嫌だ。
逃げるようにジュードの懐に顔を埋める俺は、相当滑稽なのだろう。
ルシアが批難した子供のような態度で、嫌だと駄々をこねているのだろう。
だけど、俺にとってジュードの存在は、取り返しがつかないほど大きくなりすぎた。
ほんの僅かでもジュードを失えば、俺はもう元には戻れない。
心から愛する人で、俺を形成する一部で、俺を誰より愛してくれる人なのだから。
冗談抜きで死活問題の崖っぷちに立たされているなら、なりふりなんて構ってられるか。
そんなことに気を取られていれば、俺は後悔と絶望の海に叩き落される。

「ジュード……っ!」
「……ホント……馬鹿だね、アルヴィン……」

そっと覆いかぶさるように抱きしめ返されて、やんわりと恐怖が遠のいていく。
切羽詰った呼び声に、ようやく求めていた声が返ってきて、安堵のあまり涙が出た。
ゆっくりと軌跡を残して落ちる雫は、ジュードの衣服に滲みこんで不恰好な水玉模様を作る。
這い登る恐怖から守るように俺を抱く腕の温かさに、浅く息苦しかった呼吸が落ち着いてきて、ふわふわとした意識の端で安心感に満たされた。

離れていかない。

ジュードはちゃんと傍にいる。

俺はまだ、失ってない。

どくどくと脈打つ心音が落ち着きを取り戻すまで、ずっとジュードは俺を宥めるように抱きしめてくれて。
望んだ感情を静かに注がれているような気がして、俺は静かに眼を閉じて触れた肌から貪るように感じ取っていた。

 

それから数分。
結局、ジュードは、俺に赦しを与える言葉など一言も言わなかった。
でも、思い返せば、旅をしていた時だって、一度として俺は許されていなかったのだ。

仲間を裏切り続けたこと。

レイアを傷つけたこと。

本気で剣を向けたこと。

ジュードの怒りに触れるほどの行為は、想い通じ合った今ですら赦しの言葉を与えられていない。
たぶん、今まで俺がしでかした全てを、ジュードは死んでも許さない。
ただ、こんなどうしようもない俺を、そのまま抱きしめてくれるばかりなのだ。
そして、何度でも俺を想い、愛してくれるのだろう。

 

「ジュード」
「うん」
「……好きだ」
「うん」
「愛してる」
「うん」
「ジュー……」

同じ睦言を求めて顔を上げた先、返された優しいキスに、追求の音は掻き消える。


――――『ちゃんと現実で捕まえておきなよ。どうしたって、泣きを見るのはアルヴィンなんだから』


あぁ、本当に……全部ジュードの言ったとおりだ。
あの日から、ジュードはこうなることがわかっていたんだ。
たとえこの先、どんなに年月が経とうとも、変わらない自分たちの在り方を。

どれだけジュードが俺の行動に傷つき、悲しみに沈んでも、涙を流すのは俺の方で。

どれほどジュードが心を殺し、壊れても、悲嘆に泣き暮れるのは俺なのだ。

 

良くも悪くも、揺らぐことのないジュードの意思。

 

ジュードが俺に応えたあの日から、最終的にそうなることは決まっていて。

俺はジュードを選んだ日から、予言に似た未来予想を、自ら成就しに向かっていたのだ。

 

 

「言ったでしょう?泣くのはアルヴィンだって」

 

甘いくらい穏やかな声は、どこまでも優しく耳に届いて。
寂しさに似た色を纏って綺麗に微笑むジュードに、俺は絶望的な愛情を感じていた。

 

あぁ、なんて……愛しい……愛しい、悪循環。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/03/30 (Fri)

相当雁字搦めなアルジュ。
返答編のジュードの忠告をそのまま自己成就してしまったアルヴィンの話。
選んだ時点で決まってた、幸せの代償。


*新月鏡*