「self-fulfiling prophecy -2-」
今日は、少し浮かれていた。 世界を駆け回る自分と、王都で缶詰状態の最愛の人・ジュード。 基本的にお互いの生活リズムが違いすぎて、休日すら一緒にいられる時間が少ないと常日頃から感じていた俺は、舞い込んできたジュードの護衛依頼に歓喜した。 どうやらカン・バルクまで直に赴く用事があるらしく、その道中の護衛と案内が依頼内容だった。 あの覇王が、もはや世界を揺るがす危うい立場(本人無自覚)にいるジュードを一人で来させるはずもなく、王室御用達になりかかっているユルゲンスのところへ内密に依頼が入ったのだ。 ガイアス、お前いい奴だったんだな、見直したぜ!くらいの気持ちでテンションが上がっていたのだが、残念なことに俺は担当することができなかった。 目の前で意味ありげに笑う女の依頼のおかげで、俺の予定が全部狂ったのだ。 本当なら、今頃ジュードと一緒にいられたはずなのに。 道中はそれとなくいちゃいちゃできるはずだったのに。 しなだれかかってくる柔らかな身体から、むせ返るような甘ったるい香りがしてぐったりする。 なんで寄り添う奴がジュードじゃないんだ。 ジュードなら、もっとこう自然に溶けるようなふんわりと優しい香りがして、むしろもっと抱き寄せて近くで感じていたいなとか思うくらいの控えめさで、これがまた愛しくて……。 やめよう、恋焦がれるばかりで空しくなる。 小さくため息をついて、引っ付いてくる女を肘ででそれとなく押し返すも、相手は俺の気持ちなどお構いなしに胸元を意味深な手つきでなぞってきた。 本当ならさっさと引っぺがしてとんずらしたいところだが、仕事内容のわりに積まれた金がでかく、お得意様どころか上得意様に匹敵するので無碍に扱うこともできない。 そもそも、わざわざ俺を指名してきた辺りからしてなんかもう……そういう目で見られてんだろうなとは思ってたけど、面倒くさい顧客がついたものだ。 女性に好かれやすいのはありがたいことだが、仕事は仕事と割り切れない相手は御免被りたいものである。 こうしている間にも、ジュードと過ごせる時間が減っているのだ。 一刻一秒すら惜しいと思っているのに、仕事完了の別れ際でしつこく引き止められれば、流石にいつまでも穏やかではいられない。 「いい加減にしてくれ。もう仕事は終わっただろ?」 「……ふぅん、……そんな態度取っちゃうの……」 僅かに苛立った声で役目は終わったと告げると、女は何かを思案した後、いきなり行動を起こした。 まずった、と思ったときにはもう遅く、目に痛いルージュの唇が自分のそれと重なり、がっちりと首に腕を回される。 なんて欲求不満な女なんだ……。 獲物を喰らう獣のような強引さに、より一層の嫌悪感が肌を駆ける。 粘着質な口づけはやけに長く、俺が数秒の硬直状態から脱出してもなお離す気配がない。 だが、毒々しい紅のネイルが背中を引っかいて、さらに距離を詰めてくれば、もう愛想を振りまいて付き合う気にもなれなかった。 むき出しの両肩を掴んで力任せに引き離し、乱暴に口元を拭う。 あーぁ、どんなけ塗りたくってんだよ。 げんなりと拭った手の甲を見れば、女の執拗さを示すような紅の跡。 恨みがましく唐突な行動を起こした女を睨みつけると、女は数歩たたらを踏んでひっくり返っていた。 突き飛ばすように引き剥がしたせいだろう。 ざまぁみろ、とせせら笑ってしまう俺は、やっぱり相当性根が悪い。 「ちょっと、何すんのよ!痛いじゃない!」 「何すんの、は俺のセリフだ。悪いけど、仕事以外であんたと付き合う気ないから」 「っ……も、もう仕事頼まないわよっ!?あははっ、ねぇ、いいの?わたし、とーってもいいお客様だと思うんだけど?」 「どうぞお好きに。あんたじゃなくても客はいる。それこそ、従業員目当ての客よりずっと上等な客がな」 吐き捨てるように鼻で笑い、追いすがる女を完全に無視してさっさと踵を返す。 たぶん、罵詈雑言浴びせた上に悪い噂を流して評判落とそうとしてくるだろうが、あんな女の戯言とうちの信用度を比べて欲しくはない。 上物の客だったんだろうが、ユルゲンスたちの商売相手として交渉するには品がなさすぎる。 早々に縁が切れてよかったことだ。 まぁ、それに付随するだろう多少の影響には、大人しくユルゲンスに怒られておこう。 「さてと、もう戻ってんだろうな」 苛立ちが治まらず、後味の悪い感覚を転がしながら、さっさと忘れてしまおうと楽しみにしていたことを思い出す。 ジュードの謁見は午前中だったはずなので、もうとっくにシャン・ドゥに到着しているはずだ。 今頃何をしてるんだろうか。 ジュードのことだから、いつものように仲間の話し相手になってやっているのか。 それとも、『先生』と愛称交じりに呼ばれる所以となってる、出張講義でも始まっているのか。 久しぶりに会う愛しい姿を思い描けば、腹立たしささえ綺麗さっぱり忘れていられる。 問題は、仕事仲間を出し抜いて、如何にいちゃつくかということだ。 大人数ひしめき合ってるユルゲンスの商店で、ジュードと2人っきりなんて甘い考えは持つまい。 せめてひたすら隣にいて肩を抱きよせるくらいのスキンシップはできるだろうか。 悶々と下心混じりの計画を練りながら、途中、ホテルへ寄って手の甲についた紅を洗い流しておくのも忘れない。 冷たい水で口をゆすぎ、鏡の前ですばやく身だしなみをチェックする。 よし、これで元通り。 気分も綺麗さっぱりしたところで、鼻歌混じりの陽気さに浮き足立ちながら再び商店へと帰路に着く。 道中、あらぬ算段と妄想で脳内お花畑状態だったため、思っていたより早く戻ってこれたような気がした。 考え事ってのは、時間を忘れるためにあるのかもしれない。 「たっだいまー!ジュードは!?」 「おいおいアルヴィン、帰って第一声がそれか。報告が先だろう?」 「はいはい、任務は万事滞りなく完了だ。ただ、あの客今後は頼んでこないかもしれないけどな。ま、何があったかは後で詳しく話すよ。それより、ジュードは?もう着いてるんだろ?」 どーんと扉を開いて戻ると、ユルゲンスはげんなりとした様子で俺を見た。 完全に浮かれモードの俺には、そんな視線など意味を成さず、きょろきょろと店内を見回し、お目当ての姿を探して右に左にと忙しない。 「二階だよ」 「二階か!」 「アルヴィン、さっき寝かせたところだから、起こすなよ」 「え、何だよそれ」 ユルゲンスの返答に、思わずトーンが一気に下がる。 あのジュードが、もてなしてくれる相手を放っておくなんてことは絶対にない。 しかも寝かせに行っただと? 「怪我か!?病気か!?」 「違うよ、疲労と睡眠不足だ」 「そんなに酷いのか?」 「眠れてなかったそうだよ。ずいぶん青い顔をしていた」 「ジュード……!」 「はい待ったー。二階は封鎖中よ」 すばやく階段へ駆け出すと、ルシアがするりと行く手を阻む。 何だ今日は、やけに女に邪魔される日だな。 女難の相でも出てるのか? 「どけよ」 「ダーメ。人の気配だけで起きちゃうって子に、あんたみたいな奴近づけたら、絶対目醒ましちゃうじゃない」 「言ってくれるじゃねーの。俺はジュードと旅した仲だぜ?起きるかよ」 「起きると思うわよ?そんな刺激的な香水、熟睡してる私だって起きちゃうわ」 「は?香水?」 器用に片眉を上げて睨みつけてくるルシアに、予想だにしないところを指摘されて呆然としてしまう。 自分が愛用する香水は、そこまで刺激的な香りだと言われたことはない。 どちらかというと、印象操作のために水に溶けるような爽やかさが勝つものを好んでつけているはずだ。 腑に落ちない疑問にやや首を傾げながら、確認のためにコートの裾を近づけてみる。 「う、わ」 「気づいてなかったの?」 ルシアに鼻で笑われてしまったが、それより強烈な香りの持ち主である依頼人の女の方に腹が立つ。 やたら引っ付かれていた間に、香りが移ってしまったようだ。 あまりに長時間傍にいすぎたせいで、それにすら気づかなかったのだが、なんたる失態。 よくよく匂いを嗅いでみれば、頭がくらくらするほど甘ったるい香水と、自分の香りが混ざって何がなんだかわからなくなりそうだ。 最悪な置き土産に項垂れたくなる頭を片手で支える。 ここまで強烈な香り、シャワーで簡単に洗い流せる気がしない。 お気に入りのコートすら、クリーニング行き決定だ。 コーディネートもいちからやり直しで、時間も金も飛ぶし、最悪極まりない。 着替えの中に格好のつく服はあったっけ?などと思い出していると、不意にユルゲンスがぽんと手を打った。 「そうそう、それで思い出した。アルヴィン、ちょっとは節度を持ってくれないか?」 「あ?一体何のことだよ?」 「さっき、船乗り場で」 「…………あれか」 またあの女絡みか。 どうやら本日最大の失態をユルゲンスにばっちり目撃されていたらしい。 香水だけでは飽き足らず、あの女は俺に不幸をもたらす悪魔なのか? 「女性問題をとやかく言うつもりはないが、あれだけ大胆にされるとさすがにね」 「アレは女の方から……って、言い訳にしかなんねーか」 「まぁそういうことだ。頼むから少しは人の目も気にしてくれ。ジュード君だって呆れてたぞ」 「はいはい、わ……」 わかった、と適当に流すはずの言葉がすっ飛んだ。 今、一番聞いちゃいけない名前が俺の耳に入ったんだけど。 瞬間冷凍されたようにカチコチに固まった身体を、みしみしと音がするほどゆっくり動かしてユルゲンスを振り返る。 一気に青ざめてきて、指先からも体温が消えていくようだ。 ぎこちない笑みを吐いて、恐る恐る藁にでも縋るような気持ちで問いかける。 「ちょっと待て、ユルゲンス。……ジュードも、見たのか……?その、アレを……?」 「あぁ、一緒に買い物に付き合ってくれた帰りに。『白昼堂々よくやるなぁ』って言ってたよ」 ――――……終わった…… あまりの衝撃に、ずしゃっと音を立てて膝から崩れ落ちる。 相当オーバーリアクションで愕然とする俺に、仕事仲間の奇異の視線が降り注ぐが、俺の心の中はそれどころではない。 やばい、やばい、これはマジでやばい。 怒ってる、絶対怒ってる、寝てるとか絶対嘘だろ、怒ってて俺に会いたくないっていう意思表示なんだろ。 むしろそれを通り越して俺愛想つかされた? いやいや、待て俺、落ち着け俺。 ジュードは、俺が別の誰かを抱いても問題ないって言ってなかったか、そうだ、確かに言ってただろ、俺に必要なことならやれって言ってたじゃないか、それにジュードだってもう分別のある青年に成長したし、何も問題ない、ほら全然平気、大丈夫。 ――――『全部見ないフリをする』 な、なにも……問題は…… ――――『期待しない。抗わない』 大丈…… ――――『きっと、少しずつ壊れていくね』
「うわぁぁぁジュードぉぉぉ!!違うんだ、コレは誤解なんだ!」 「ちょっ、アルヴィン!行かせないって言ってるでしょ!?」 錯乱したように二階へ向かう俺を、再びルシアが阻む。 「お前の言い分なんて知るか!こっちは生死がかかってんだよ!」 「はぁ?何よ、大げさな!」 「いいからどけよ!」 「どかない!あの子に最低って思われても、節操なしでだらしないあんたが全部悪いんじゃない!女の敵!」 「うっせぇお前に言われたくねぇよ!」 「あんたなんか、あの子に愛想つかされて当然よ!この屑野郎!」 「ぐはっ……!」 余裕をなくした俺の隙をついて、ルシアの素敵なおみ足がみぞおちに綺麗に突き刺さる。 ついでに、畳み掛けるように浴びせられた罵倒も、容赦なく俺の精神に突き刺さる。 身も心も滅多刺しだ。 「ジュードぉ……」 違うんだ、誤解なんだ、アレは事故で、断じて俺の意思じゃない。 そう切々と訴えたかったが、床に沈められながらなけなしの抵抗で伸ばした手が、求めるものを掴むことはなかった。
* * * * 2012/03/26 (Mon) すごく、ヘタレですwwww *新月鏡* |