「self-fulfiling prophecy -1-」
「白昼堂々よくやるなぁ」 買い物の帰りに出くわした光景に、僕はため息交じりにそう呟いた。 隣で同じく買い物袋を持っているユルゲンスさんは、苦笑いを浮かべてそれとなく同意を重ねる。 あの万人に癒し効果をもたらすんじゃないか、と思うくらいできた人であるユルゲンスさんすら苦笑させるなんて相当呆れ果てる光景だ。 船乗り場の端の方で、一組の男女がさんさんと降り注ぐ陽光を無視した濃厚なキスシーンをかましてくれているのだから、それはもう呆れるというか胸焼けするというかよそでやってくれ、とお願いしたくなるわけで。 「あれ、よくあるんですか?」 げんなりしつつ素通りして、ユルゲンスさんが運営する商店へ向かいながら、隣へ問いかける。 「うーん、女性絡みの仕事だと結構見かけるかな」 「なるほど、節操なしの女泣かせは治ってなかったわけですね」 「帰ってきたら注意しておくよ、目の毒だし」 「いえ、ユルゲンスさんが、わざわざそんなことしなくていいですよ。ああいうのは、関わらずに放っておくに限ります」 「でも仕事のイメージもあるから、やっぱり注意しておくよ」 「じゃぁ、ユルゲンスさんに迷惑かけてるみたいなんで、僕からも叱っときますね」 「あぁ、よろしく頼むよ」 にこにこと朗らかに笑いあいながら、運営所まで戻ってくると、ユルゲンスさんの仕事仲間の人達が温かく迎え入れてくれた。 我先にと駆け寄ってきた人達に手に持っていた袋を取り上げられて、すぐさまテーブルへと誘われる。 やれ、先生は座ったままでいいとか、何か飲みたいものはないかとか、お腹はすいていないかとか、矢継ぎ早に質問攻めにあえば、やや目を回しそうだ。 わっと取り囲むように親しくなった人達が寄ってくるが、助け舟を出すどころか、色々話したいことや聞きたいことがあるんだと口を開く。 ここにいる人達は、武闘派な人達で体力有り余ってるから、仕事上がりだというのに元気いっぱいだ。 カン・バルクでの謁見を済ませたついでに寄っただけなのに、何がどうしてこうなったのか。 気づけば、あれよあれよという間に、ちょっとしたお客様扱いでちやほやされてしまっている。 それが申し訳なくて、買い物の手伝い申し出たというのに、逆に気を遣わせてしまったようだ。 ユルゲンスさんの知り合いというだけなのに、びっくりするくらい年上の人達が可愛がってくれて、戸惑いさえ感じてしまう。 「ほらみんな、ジュード君が困ってるから散った散った!」 「あ、すみません」 「こちらこそ、すまないね。顧客以外のお客人なんて滅多に来ないから、みんな構いたくて仕方ないみたいだ」 「いえ」 「大丈夫かい?ちょっと顔色が悪そうに見えるんだが」 心配そうに見下ろすユルゲンスさんに、じんわりと安心感を与えられて自然と微笑む。 この人の傍はとても穏やかで、つい気が弛んでしまうから、隠してきた疲労が表に出てしまったのかもしれない。 「大丈夫ですよ。根を詰めすぎたみたいで、ちょっと睡眠不足なだけなんです。たいしたことは」 「ジュード君、君みたいな若い子が睡眠時間を削るのは身体によくない。たとえ、立派な先生だろうがね。二階に仮眠室があるから休んでくるといい」 「ユルゲンスさん……」 「枕が変わると眠れないタイプかい?」 「いえ、人の気配で起きるタイプです」 「じゃぁ、しばらく二階への階段は封鎖しておこう。ルシア、案内してあげてくれ」 つい、と指で二階を示すユルゲンスさんに、一人の女性が僕の傍へ寄ってきた。 親しくさせてもらってる人達の中で、ルシアさんは特別僕を甘やかしてくる人だ。 ふわりと軽やかな足取りにあわせて、朝焼け色の髪をまとめている真っ赤なリボンが踊るように揺れる。 ついでに、タイトな服から零れんばかりの豊満な胸も盛大に揺れる。 どうしても目が行ってしまうのは男としての本能なので許して欲しい。 そもそも、傭兵あがりだからって、ルシアさんがプレザやミラばりに露出の多い服を好むのがいけない。 いまだ10代の思春期にあたる人間には、あまりにも目の毒過ぎるのだ。 目のやり場に困って視線を泳がせていると、エキゾチックな美貌は目の前まで迫っていた。 「ジュードくん、立てる?」 「あ……はい、ありがとうございます」 あまりの至近距離に、息を止めたまま数回瞬くと、なんとか返事を返すことに成功した。 左腕をとられて促されたので、それに合わせて立ち上がり、二階の仮眠室へ案内される。 その間、腕に柔らかな感触が触れて気が気でなかったが、隣で笑うルシアさんを見ていると、僕の反応を見たいがためにわざと胸を当ててきてるのではないだろうか。 そんな、やや拷問かもしれない道のりを経て案内された部屋は、本当に仮眠だけが目的の部屋らしく、ベッドが6つ並んでいる簡素なものだった。 一番日当たりのいいベッドへ放り込まれ、抵抗する間もなく上掛けを被せられる。 「鐘3つくらいは眠れると思うわ」 「すみません、迷惑かけちゃって」 「いいのよ、ユルゲンスの大事なお客様で、私にとっては弟みたいに可愛い友人だもの。でも、いくら偉ーい先生だからって、無理しちゃダメね」 「でも」 「お姉さんの言う事は、大人しく聞いておきなさい」 「……はい」 「よし、いい子!」 数回頭を撫でた後、ちゅっと頬にキスをくれて、そのくすぐったくなるような優しさに笑う。 こうしてごく自然に子ども扱いされるのも、ずいぶん久しぶりだ。 ルシアさんは、母さんみたいな優しい声音で、『おやすみ』と言い残して踵を返し、静かにドアを閉めて去っていった。 とん、とん、と単調な足音が遠のいていけば、その音に誘発されて自然と目蓋が重たくなってくる。 不思議なもので、寝床に横たわるだけで一気に疲れが噴出したようだ。 もぞもぞと窓を眺めるように重たい身体で寝返りを打って、見上げた先の空と、賑わう人の声に耳を澄ませば、なんだか、この部屋だけ隔絶されたような寂しさを感じた。 ゆらゆらとまどろみに揺れながら、包み込む寂しさの原因を手繰り寄せていくと、とても些細なことに行き着き、僕は小さく息を吐く。 原因は多々あれど、寂しさの引き金になった事象は至極簡単。 船乗り場で見た、白昼堂々の濃厚キスシーンのせいだ。 とても残念なことに、あの男女の片割れは、自分が好きになった人物で。 さらに残念なことは、その相手もまた、自分を好いているということだ。 両思いの人間がその場にいながら、片方は別の人間と人目もはばからずのキスをしていたのである。 見る人が見れば、浮気だ何だとヒステリックに罵り、破局騒動になってもおかしくない、ある種修羅場だった。 それこそ、よくある恋愛小説では激動の見せ場になっていることだろう。 そんなことを淡々と考えている自分はショックを受けなかったのか、と訊かれれば、たぶん、多少なりとも受けていると返すだろう。 だが、アルヴィンの仕事関連での女性癖の悪さは今に始まったことではないし、彼に言い寄る女性も後を絶たないし、彼もそれを無粋な方法で跳ね除けたりなどしない。 それをわかっているせいか、何故か心焼き尽くすほどの嫉妬に駆られることがない。 逆に、彼は嫉妬に狂うタイプらしいが、 「今はそんなことどうでもいいか」 ぽつりと零した声が頼りないのは、眠気のせいか、寂しさのせいか。 ぎゅっと目を瞑って、胸元へ手を抱え込むように寄せる。 さっきから、つきん、つきん、と針でちくちく刺すように胸が痛む。 たぶん、小さく響く痛みは、僕がショックを受けた証拠で、これが育てば嫉妬になるのだろう。 でも、アルヴィンやキスをしていた女性に対して、腹が立つとかイライラするなんて感覚が湧かなくて、ただひんやりと身体が冷えるような感覚に晒されているばかりなのだ。 嫉妬と呼ぶには弱すぎるその感覚に名前を与えるとすれば、間違いなく『寂しさ』が一番近いような気がする。 「寂しい、ね……」 寂しい、のだろう。 彼の瞳に自分が映らないことが。 子供が親の視線を気にするのと同じように、僕は彼の視線がこちらへ向かないことに寂しさを感じているのだ。 子供は、親の視線が自分に向けられていることを確認して安心する、と聞く。 見てて、逸らさないで、何をしてるか、ちゃんと見てて。 子供がいきなり泣き出したりするのはそれなのだ。 注意を向けて欲しくて、とっぴな行動にでて気を引く。 それがどんなに危ないことだろうと、子供にしてみれば精一杯の意思表示。 だけど、それが許されるのは、小さな、本当に小さな子供だけ。 年を重ねて成長すればするほど、他人の目に映る『相手の気を引く行動』は、どんどん滑稽になっていく。 そして、本当はとても純粋な行動だというのに、世間体やプライドがブレーキをかけるのだ。 僕だってそうなのだろう。 最初は両親に、次は学校の友人で、今はアルヴィンに。 何かしら行動を起こせば、彼は気づいてくれるだろうけれど、そうする必要性も見えなくて、僕は一人ちくちくと苛む寂しさに沈んでいく。 「言えばいいのに」なんて、レイアだったら何でもないように言ってのけてしまうのだろうけれど。 僕はそうまでして、アルヴィンを縛りたいとは思わないのだ。 僕が望んだ「彼らしさ」に、僕の寂しさは邪魔なのだから。 この寂しさと共存していかなければならないとわかった上で、彼を選んだのだから。 こうして沈めて蓄積された先が、自己破壊に繋がっているとわかっていても、それ以外の行動を取るつもりは欠片もない。 いっそ身を焦がすほどの嫉妬を抱くことができれば、違った行動も起こせただろうに。 「ざんねん」 小さくそう呟いて、僕はゆっくりと眠りへ落ちた。
* * * * 2012/03/23 (Fri) 返答派生編開始。 返答編の嫉妬話から発展、ジュードの忠告を具体的にやるとどうなるかを書く予定。 次、アルヴィン視点へ。 *新月鏡* |