「A*J×ICO -2-」
つかの間の休息を取っている間に、長い石橋には霧が立ちこめていた。 肌に触れる空気は、霧のせいで少し冷たく、先の景色しか見えない状況と合わせて不気味さを倍増させる。 アルヴィンはこくりと唾を飲み込んで、遠くうっすらと見える塔へ向かって歩みを進めた。 初めて見たときから長い石橋だと思っていたが、実際に歩いてみるのとでは感じ方も全く違っていた。 霧のせいで景色が変わらないため、余計に遠く感じるのだ。 単調なリズムで2人分の足音が石橋を叩く以外は、鳥の羽ばたきと鳴き声、あとは風と海の音くらいだろう。 人の生み出す音が、自分たち以外にないということに、これほど気味悪いと思ったこともあるまい。 先頭切りながら進むアルヴィンが、だんだん視界の変わりなさに飽きてきたとき、それを見越したかのように突如変化は訪れた。 石飾りのなくなった場所をアルヴィンが通過した次の瞬間、 「おわぁっ!」 「yh……!」 がくん、と腕を下に引っ張られて、ぽっかりと開いた空中へ投げ出されそうになる。 慌てて体勢を整えて振り返り、足で踏ん張りバランスを取るも、がらがらと崩れていく石畳の先、視界の下方に白い服がふわりと揺れているのを見て身体が強張った。 足場をなくした少年が、自分の腕一本でどうにか落下を免れていたのだ。 手を繋いでいなければ、今頃後ろをついて歩いていた少年はどうなっていたのか。 ぞっとする想像を体現するように、崩れ落ちた巨大な瓦礫は、地面に到着すると同時に微塵に砕け散る。 「くっ……」 少年を引っ張り上げようとするたびに、みしみしときしむ腕が痛いが、歯を食いしばって引き上げる。 這い蹲るようにして掴まえている白い手は、絶対に離せない。 アルヴィンは、必死に登ってこようとする少年のタイミングに合わせて、上体を一気に起こして引っ張り上げた。 雪崩れ込むように覆いかぶさってくる身体を受け止めて、反射的にきつく抱きしめる。 ぎゅうっと腕の中に捕らえた身体からじんわりと広がる温かさに、思考停止していた感覚がゆっくりと目覚めていくようだ。 ばくばくと早鐘を打ち続ける心音は、しばらくの間駆け足のまま、互いの呼吸が落ち着くまで、アルヴィンは少年を抱きしめ続けていた。 本当なら、塔の元まで駆けていかなければならないのだが、恐怖に襲われた2人はその意識すら持てないほどパニック状態に陥っていたのだ。 その中で、アルヴィンが強く感じていたことといえば、少年から離れてはいけない、ということだけだった。 小刻みに震える少年を、今離してはいけないと。 そればかりが頭の中を占めて、手を取り走る、などと考え付かなかった。 それからどれくらい経っただろうか。 数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。 時間感覚の失われた場所で、じっとしていると、不意に耳元で声がした。 「……Alvin?」 「ん……悪ぃ、大丈夫か?」 アルヴィンの胸に手を当てて僅かに距離を開くと、少年は小さく頷いて返した。 まだ指先は僅かに震えているが、表情を深く読み取ると、だいぶ落ち着いてきたようだ。 ゆっくりと立ち上がり、少年に怪我がないかを確認するが、幸い目立った外傷もない。 粗方確認を済ましてしまうと、アルヴィンは何よりまず先に少年の手をとった。 先ほどのような崩落で命取りになる可能性を考慮すれば、すばやい移動が難しくなるものの、極力手は繋いでおいた方がいいだろう。 促すように軽く手を引くと、はっきりとした動作でしっかりと握り返され、アルヴィンはぱちりと瞬きをした。 これが、少年からの初めての明確な意思表示だった。 離れたくないと、思ってくれているのだろうか。 それとも、頼りにされているのだろうか。 どちらにせよ、アルヴィンにとって、少年の小さな意思表示は喜ばしいことだった。 「行こう」 短くそう告げると、アルヴィンはぎゅっと唇を引き締めて歩き出す。 それ以降は、脆くなった場所を避けながら慎重に歩みを進めていたおかげか、塔の入り口まですんなりとたどり着いた。 正面に1対の石像が並んでいるばかりで、他に出入りできそうな場所もなく、これまた唯一の扉のようだ。 そっと手を引くと、後ろについて歩いていた少年が再び前に出て、3度目となる開門の光が始まった。 何度見てもアルヴィンには不思議な光景で、この少年が余計にミステリアスに見えてくる。 同じように生贄として連れてこられたのかもしれない、と思っていたが、この特別な力は一体何なのか。 生贄になる人間は、いずれこんな芸当ができるようになるのだろうか。 アルヴィンの頭の中で、確証の得ない推測だけがぷかりと浮かんでは消えていく。 少年が無事に扉を開き終わると、今度はその奥からさらに仕掛け扉が現れた。 今までにないパターンだ。 だが、仕掛けられていたギミックは、スイッチを押せば開くような子供だましだったため、アルヴィンは簡単に解いて中へ入る。 塔の中は、外観とは裏腹に、陽光を取り入れる窓が多く設けられていた。 そのおかげで、塔内は陽だまりに満ち溢れていて温かい。 久しぶりに感じる陽の光は穏やかで、その光があるだけで引きずっていた恐怖が消えていく気がする。 明るくなった気分に後押しされるように、手前の段差を数歩進むと、突然少年がアルヴィンを引き止めた。 「yi, Alvin!」 切羽詰ったような声に振り返り、必死に指し示す方へ目を向けると、前方の明るいレンガの床に真っ黒な染みがじわりじわりと広がっていた。 不気味な染みに、アルヴィンが何となく黒い檻のところで出た影を思い出せば、その予想は的中し、黒い円の中からずるりと影が現れる。 「y……a, ……」 弱々しい声に背後へ視線をやれば、影を指し示すことも止めてしまった少年ががたがたと震えていた。 ぎゅっと手を握りしめてアルヴィンの背中に隠れる少年は、明らかにその影を恐れており、必死に影から距離を取ろうと後退る。 その姿に、アルヴィンはキッと迫り来る影を睨みつけた。 「すぐ片付ける、下がってろ!」 振り向きもせず言い放ち、すばやくベルトに挟んでいた木の棒を抜くと、向かってくる影を檻の時と同じように薙ぎ倒す。 反撃してくる影の腕をかいくぐり、影の背後を取ると、畳み掛けるように一気に間合いを詰める。 アルヴィンを見失ってうろたえる影に突っ込んで行き、容赦のない連打をお見舞いすれば、一番厄介そうな影は5発程打撃を受けて消滅した。 まだ残る有害そうな大きい影を殲滅し、次いで逃げ回る少年を追いかける小さい影数匹を切るように振り払う。 全ての影が霧状になって消滅すると、影を生み出していた黒い染みも、いつの間にか消えていた。 それを確認してから、アルヴィンは少年へ向かって手を伸ばす。 「もう平気だ、おいで」 アルヴィンの呼び声に、少年は弾かれたように顔を上げて駆け寄ってくる。 そっと重ねる手の温かさを感じると、不思議なことにアルヴィンにも穏やかな気持ちが戻ってきた。 この子が何からも怯えず自分の傍にいる。 それは平穏の象徴かのように感じられて、自然と安堵してしまうのかもしれない。 出口の見えない迷宮のような城の中で、唯一自分が感じられる安心できる場所。 それを象徴している白い少年は、やはり今のアルヴィンにとって守るべきものなのだろう。 自分の中に芽生えた使命感を再確認しつつ、アルヴィンは手を繋いだまま塔の階段を登っていく。 城の中は、自然に合わせ複雑怪奇な構造をしており、入り組んだ部屋の接合に、何処へ向かえばいいのかもわからない。 救いと言っていいのかわからないが、唯一休憩できる場所になりつつある白い長椅子が、ぽつぽつと設置されているおかげで、休み休み進むことができるのは助かっていた。 そうやって少しずつ出口を探して進んでいくと、途切れた道に出くわした。 崖崩れでも起こったのか、ごっそり抜け落ちてしまっている道の下は遥か遠い地上まで何もなく、嫌な汗すら呼び起こす。 途切れた部分は、アルヴィンにとって跳び越えられなくはない距離だが、これまた隣に佇む少年が跳び越えられるかどうかは未知数だ。 試しにちらっと横目で見れば、きょろきょろと彷徨う不安そうな眼差しが返された。 どうやら、これを一人で跳び越えるのは無理なようだ。 「ちょっと待ってな」 そう言って、優しく手を離すと、アルヴィンは助走をつけて途切れた道を飛び越えた。 橋渡しするようなものも見当たらない今、アルヴィンにできることといえばこれだけだ。 向かい合う形で途切れた道のぎりぎりのところで立つと、アルヴィンは少年に向かって手を差し出し叫んだ。 「来い!」 言葉を理解できないとはいえ、声と動作で何をやれと言われているのか理解したのだろう。 少年はさっと青ざめた表情で、頭を振って拒否を示した。 「yi!」 「ヤダじゃねぇ!来い!ちゃんと受け止めてやるから!」 「…………」 ぎゅっと胸元に手を抱えて悩む少年の気持ちも、わからなくはない。 少年にはアルヴィンが軽く跳び越えたように見えただろうが、跳んだ本人は心臓破裂するかと思うほどの恐怖と戦っての行動なのだ。 道のない場所を見下ろせば、断崖絶壁。 落ちれば即死は間違いないのだから、誰だって怖くないはずがないのだ。 それでも、ここから生きて出るためには、この場所を飛び越えなければならない。 それも、アルヴィン一人ではなく、目の前で葛藤し続ける少年と共に。 「絶対離さない!だから、来い!」 めいっぱい伸ばした手のひらを向けて、願うように叫ぶと、戸惑いに揺れ動いていた少年の瞳が僅かに変わった。 突っ立ったままだった少年は、アルヴィンと同じく道のぎりぎりまで歩き、勢いをつけるために体勢を低くとる。 とん、と自分めがけて勢いよく跳んできた少年の白い裾が宙を舞う。 だが、やはり跳躍距離が足らず、重力に従って落下し始めた少年の腕を、アルヴィンはしっかりと掴み引き止めた。 自分より軽いとはいえ、人間一人を引き上げるのは少々骨が折れる。 何もない空中でふらふらと華奢な身体が揺れ、その度に白い裾が風にはためけば、どんどん自分の鼓動が加速する。 石橋が崩落したとき、少年を危険に晒すのは最終手段だと思っていたが、まさかこんなに早く最終手段を使う羽目になるとは。 落ちそうになる身体をしっかり引き上げて座り込めば、はぁ、と止めていた息の塊が吐き出る。 危なっかしい方法ではあったが、2人でやればちゃんと届くことを立証できたことに、アルヴィンはほっと息をついた。 「……Alvin……」 「な、ちゃんと受け止めてやるって……離さないって、言ったろ?」 やや放心状態の少年に向かってにっこりと笑ってやれば、少年は数秒凝視した後に繋いだままの手をぎゅっと握って寄り添ってきた。 その行動に、安心感を求めてられているような気がして、アルヴィンは今更罪悪感に駆られてしまう。 よくよく考えれば、少年は、出会って間もない人間に命を賭けろと言われたのだ。 自分なら、同じ状況下で己の命を相手に委ねることができただろうか。 ためしに数秒考えてみたものの、寄り添う少年ほど潔く跳べたとは思えない。 自分は何が何でも助けるつもりだったから、まったく気にしていなかったが、この少年が下した決断は、アルヴィンが思う以上に、とても重いものだったのだ。 自分への強い信頼によって下された決意に気づき、アルヴィンは少年を軽く扱った自分を恥じた。 「そう、だよな……悪ぃ、怖い思いさせたな……」 ぽつりと零す声のトーンは低く響き、その変化に気づいた少年がアルヴィンを見上げる。 心配げな表情で首を傾げた後、白い指先が慰めるように頬をなぞってきた。 どうやら罪悪感に駆られた心が、表情にまで出ていたらしい。 情けなさに苦笑まで漏れてしまって、優しく撫でてくれる手のひらを好きにさせたまま、アルヴィンはしばらく少年に寄り添っていた。 穏やかに身を寄せる少年は、特殊な扉を開く以外、基本的にはアルヴィン以上に非力だ。 アルヴィンが手を伸ばしても届かないような段差は絶対に上れないし、壁の出っ張りを利用して移動するのも僅か数秒も持たない。 色々協力的に奮闘してはくれるものの、いつもアルヴィンと同じ方法で障害を乗り越えることができないのだ。 それを、やや足手まといのように感じることもあるが、それでもきっと、アルヴィンは自分よりずっとか弱い少年の存在に支えられているのだと思った。 一人で行動していれば、現在よりもっと行動範囲が広く、とっくに出口を見つけているのかもしれない。 だが、孤独のまま出口まで辿りつく意思が保てるのかどうか、自信はなかった。 アルヴィンは所詮子供なのだ。 見知らぬ場所で得体の知れない影と一人で戦いながら出口を探せるほど、強い精神は持ち合わせていない。 先ほど2人で乗り越えた途切れ道とて、アルヴィン一人なら恐怖に足がすくんでなかなか跳べなかったかもしれない。 少年がいたからこそ、あれほどすんなり跳び越えることができたのだ。 自分がやらなければならないと、爆発的に心を奮い起こす原動力は、少年にとって自分が唯一頼るべき存在だという自覚。 厄介なようで、一番恐怖を追い出す促進力だ。 落ち着いてきた感情に、ゆっくりと目を一度閉じて、撫でていてくれた少年の手を掴まえる。 「Alvin?」 「ん、平気……ありがとな、元気出たよ」 応えるように頭を撫でて笑いかけると、少年の纏う気配がふわりと和らいだ。 ずいぶん心配をかけてしまったようだ。 もうこの子の前で弱った姿は見せるまいと自分に誓い、アルヴィンは気を取り直して、再び出口を探すために立ち上がる。 出口らしきものがないかどうかしらみつぶしに周りを探索し、片っ端から部屋へ入り、念入りに調べていったが、何処もかしこも出口らしい扉はなかった。 残り一箇所となった部屋へ入ると、そこはボロボロになったシャンデリアの飾られてある広間で、部屋の中央を両断するように深い溝のような亀裂が走っている。 対岸には、あの特殊な扉である石像が2対並んでおり、そこまでたどり着けば、八方塞の閉ざされた場所からの脱出は出来そうだ。 さすがに跳び越えることができない距離だったが、幸いなことに2階の渡り廊下がこちらと向こう岸を橋渡しするように崩れ落ちていて、2階からなら崩れた道を下って対岸へ渡れそうだった。 脱出ルートのめぼしをつけて、アルヴィンは少年の手を引き2階へと上る。 しばらく休憩もなく歩き回っていたせいか、少年の呼吸が僅かに乱れているのが気にかかったが、休ませる場所も見当たらない。 「あともう少しだけ、頑張ってくれ」 励ますように声をかけて手を引くと、少年はぎゅっと柔らかく握り返してきた。 あの石像の扉を開いたら、まず先に休ませる場所を探さなくては。 アルヴィンが少しの思案に沈んでいると、ふっと視界に何かが過ぎる。 はっとして面を上げると、目の前には塔で襲い掛かってきた黒い影が形を変えてそこにいた。 今まで撃退してきた人型に禍々しい翼らしきものを生やしたそれは、悠々と羽ばきこちらへ向かってくる。 「くそっ!空中戦とか卑怯だぞっ!」 飛べもしない我が身にとって圧倒的に不利な状況に持ち込まれ、アルヴィンは思わず喚いた。 背後から襲い掛かる黒い手から、少年を抱き込むように庇い、体勢を低くして走り出す。 次から次へと人型の影が湧いてくる黒い染みは2つあり、広間を見渡す限り影、影、影。 あまりの多さにぶわっと冷たい汗が吹き出そうだ。 さすがにこんな数を自分ひとりで相手になどしていられない。 とりあえず石像の扉までたどり着き、少年が開門している間に自分がこの子を守りきって逃げるしかない。 早々に見切りをつけ、はやし立てる危機感に目まぐるしく逃走ルートを割り出すと、アルヴィンは迫る影を木の棒で叩き落としながら走り抜ける。 ようやく対岸までたどり着き、代わる代わる襲ってくる影をかわし続けるものの、多勢に無勢。 「yh!」 「わっ、あっぶね」 かわせばすかさず次を狙われて、振り回すばかりになってしまっている木の棒も役に立っているかどうか怪しい。 さすがに少年を連れて撃退するのも限界があると、アルヴィンは石像の扉へ向かって少年を押し出す。 「ぐっ、わぁっ!」 「Alvin!」 へたり、と石像にぶつかるように倒れた少年は、背後で上がるアルヴィンの叫びに悲痛な声を上げた。 影にもみくちゃにされ、石像の元へ吹き飛ぶように倒れこんできたアルヴィンに、少年が慌てて駆け寄ってくる。 思いっきり背中を打ちつけたせいか酷く痛むが、泣きそうな表情で覗き込んでくる蜜色の瞳を見れば、泣き言も言ってられない。 「Alvin……!」 「大、丈夫だ……それより、その、うおっと危ねぇ……扉!それ!開けてくれ!」 何とか起き上がり、近寄ってくる影を振り払いながら、隙を見て少年と石像を指し示す。 影の猛攻を必死に捌きながら、伝わってくれと念じて数回くり返すと、少年はアルヴィンの意図に気づいたのか、くるりとこちらに背を向けた。 ふわり、あの時と同じ白い輝きが少年から立ち上る。 すると、 「うわっ!」 突如、少年と呼応した石像から稲妻のような眩しい閃光が辺りを突き刺し、一気に視界を焼く。 反射的にぎゅっと目を瞑って腕を掲げるが、今までにない現象は、ばりばりと激しい音を立てながら石像の轟音も重ね、聴覚をも奪い去るようだ。 ばしん、ばしん、と炸裂する音が不規則に交じって、足元の振動が小さくなる。 どれくらいそうしていたかわからないが、光が失せ、音も静まった頃、そろりと腕を下ろせば、広間は一番最初に足を踏み入れたときと同じ静寂に包まれていた。 群がるようにして襲い掛かってきた大量の影が、綺麗さっぱり跡形もなく消滅していたのだ。 影を生み出していた黒い染みもなく、静寂ばかりが支配する広い部屋だけが残されていて、アルヴィンは呆然としてしまう。 一体何が起こったのか。 把握の追いつかないまま目を丸くしていると、小さな衣擦れの音がして振り返る。 「お、おい、大丈夫か?」 ぽっかり開いた扉の前で、へたり込むように床へしゃがみこんでしまっている姿を見つけて、アルヴィンは思い出したように駆け寄った。 肩を抱くように支え、そっと頬を撫でてみる。 ぱちりと窺うように見つめてくる蜜色の瞳は相変わらずだが、この子の白い顔がさらに青白く見えるのは、錯覚ではないだろう。 休むことなく歩き回った挙句、あの大量の影に襲われたのである、心身ともに疲弊してしまうのも無理はない。 開いた扉から先の様子を窺うが、ぱっと見休めそうな場所もなさそうで、アルヴィンは少年を抱えるようにして腰を下ろした。 このまま疲弊している少年を連れ歩くより、一度ここで足を休めた方がいいような気がしたのだ。 襲われた恐怖も冷めやらず、身体も弱っているのなら、無理に移動しない方がいいだろう。 この場所が安全だと確証を得ているわけではないが、先ほど部屋中を満たした閃光の鮮烈さに、今しばらくはあの影も寄ってこないのではないか、とアルヴィンは短絡的に考えた。 少年を腕の中に抱え込んだままじっと座り込んでいると、動こうとしないアルヴィンに不思議に思ったのか、少年は開いた扉とアルヴィンを交互に見る。 「少し休憩だ」 頭を撫でて笑いかけるものの、やはり言葉が伝わらないため、少年は首を傾げて見つめてくる。 最初は特に気にならなかったが、こう何度も見ていると、なんだかこの仕草が可愛らしく見えてくるから不思議だ。 自分と同じ性別のわりに、体力面や見た目にも発育の兆しがあまり見れないせいか、同じ男なのかと未だに疑わしく思えるときもある。 その分、この子が見せる仕草や行動に、神秘性が生じているのかもしれない。 アルヴィンは、そんな場違いなことを考えながら、抱き寄せた頭を撫で続けた。 さらさらと指から零れる黒髪は絹のように触り心地がよく、止め時を見失った手は離れるたびに元の位置へ戻る。 大人しくされるがままになっている少年は、行動しようとしないアルヴィンに戸惑いを見せていたものの、視線で問うこともせず、次第にアルヴィンに身体を預けてきた。 安心してくれているのだろうか。 目を閉じて肩に頬を寄せている少年の表情が、とても穏やかに見えて、アルヴィンはほんのりと温められた心に薄く笑った。 自分の存在が、この子にとって安心できるものになっているなら、それはとても嬉しいことだ。 家にいた頃は、親族の中で一番幼かったアルヴィンが、誰かから頼られることなどなかった。 むしろ、自分以外の誰かを頼ることしかなく、与えられるばかりだったように思う。 両親からは、いずれは家を継ぐのだと言い聞かされ、そのための教育ばかりを受けてきた。 たまに家を訪れる従兄は、何かにつけてアルヴィンをからかってきたが、恐ろしいことがあれば、真っ先に背中に隠してどんなことからも庇ってくれた。 どんな場所を歩こうと、いつも自分は庇護される側の人間だった。 それを当然と思ったことは一度もなかったが、同時に嬉しいと思ったこともない。 むしろ、同じ場所に立っていたいと思っているのに安全な場所へと押し込められ、少しの寂しささえ感じていたように思う。 「お前は、温かいな……」 「……?」 同じ場所にいて、こうして寄り添っていられることに、アルヴィンはじんわりと心が満たされていく。 平穏な場所ではなく、危険と隣り合わせな場所で、自分が一番求めていた距離を手に入れることになるとは思わなかった。 肩を抱くだけでは足りなくて、自然と自分の胸に閉じ込めるように抱きしめる。 アルヴィンの意図を読めない少年は、少しだけ身じろぎをしたものの、突き飛ばすでもなく大人しく腕の中に納まってくれていた。 そのことに、酷く歓喜が湧き起こってしまって、すりっと頬を寄せる。 見知らぬ場所でめぐり会った存在に、アルヴィンは生まれて初めて、ありのままを求められる喜びを知った。
* * * * 2012/03/20 (Tue) 正門イベントまで行かなかった、だと!? だから、長すぎる、っていう……ね……。 次こそ正門イベント! *新月鏡* |