「l-i-a-m another -a sense of impending crisis-」

 

 

 

この手の届く範囲ってのは、思うよりずっと狭いもので。
守るという我儘は、いつか自分を絞め殺す。
わかってる、身に余る願いだと。
だけど、願わずにはいられない。
他の誰でもない、この手で、害する全てから守ってみせる。
そう、誓ったんだ。

 

 

 

先行く背中をのんびり眺めながら、口を開くこともなく後を追う。
まっすぐ自室へ向かう足音がどこか楽しげに聞こえて、すぐに踵を返してしまいたい気分になった。

「散らかってるけど気にしないでね」
「いつものことだろ」

促されて足を踏み入れた部屋は、本人が忠告するほど散らかってないことは知っている。
散らかってる部分は机周辺のみのため、そこさえ片してしまえば綺麗なものだ。
バランは、散らかった机の上にあるものを右手で流すように押しのけ、黒いケースをひとつ取り出した。
なんとも大雑把なお片づけだ。

「アルフレド、番号は?」

ぽんぽんと片手でケースを叩いてこちらを振り向くバランに、俺は6桁の数字を丁寧に告げた。
かちり、かちりと一桁ずつロールを動かし、ナンバーが全て揃ったケースが静かに開けば、中から丁寧に包装されたワインが出てきた。
ラベルを見れば、『フロレスタ』と刻印されている。
そういえば、過去に一度差し入れたことがあったのだが、どうやらまんまと嵌ったらしい。
サマンガン地方で作られるこのワインは、フルーティーな味わいが特徴で、一度飲めば定期的に飲みたくなる魅惑の効果を兼ね備えているのだ。
かくいう俺も、月に1度は飲みたくなってバーへ通っていたりする。

「ご苦労様、報酬はいつも通りでいいかな?」

ワインを手に取り、満足げに笑うバランに、俺は頷いて返す。
そう、これが俺の仕事内容。
渡されたメモに書かれてある番号を伝え、メモは手渡されたその場で廃棄処分する、ただそれだけ。
本来なら、人物だったり荷物だったりを運搬するのだが、バランに関連する仕事はいつも少し変わっている。

「チップ代わりに、今晩一緒に飲もうか」
「毎度ご贔屓にありがとうございます」
「心がこもってないねー」
「お前に心込めても一文の得にもならないだろ」
「ふぅん……職務怠慢を密告しようかなー」
「へっ、できるもんならやってみろ。ユルゲンスたちには、通用しないだろうぜ」
「ははは、甘いなぁアルフレド。誰もお前の仕事仲間に話すなんて言ってないだろう?」
「何だと?」
「今日の夕飯、何にしようかなぁ……ジュード君手伝ってくれるって言うし、タダで手伝わせるのも気が引けるんだよねぇ」
「あっ!?ちょ、ま、やめろバラン!卑怯だぞ!」

従兄の意味深な視線に、俺は慌ててバランの肩を掴んで揺さぶった。
きっとジュードは、俺のそんな態度を聴いたところで、ちょっと注意する程度で済ますだけだろう。
だが、そんな醜態を晒したくもなければ、当然聞かせたくもない。
だから、バランが面白おかしくからかう材料にしかならないとわかっていながら、俺はバランの言動に反応してしまう。
誰だって、好きな奴には好きになってくれるような姿や態度でいたいものだ。
そんな可愛い男心を逆手に取りやがって、バランの奴……。

「それはともかく、リーゼ・マクシアも少しずつ油断ならない状況になってるみたいだね」
「ん?何の話だ」
「あれ?ガイアス王御用達で懐刀みたいな動きしてるわりに、何も知らないのかい?」
「だから何が」
「じゃぁこれって内密なことなのかな?」

そう言って、バランはケースの中底を勢いよく引き剥がした。

「な……」
「覚えておくといい。これからお前には、こんな仕事が増えるんじゃないかな。世界の情勢はシビアだからね」

ワインの納まっていたケースの中底を取り外すと、そこには、かなり厚味のある封筒が2つ折で収められていた。
俺はとっさにバランを見たが、バランは特に驚くようなこともなく、手にした封筒から中身を引っ張り出し、さらっと目を通し始める。
こいつは一体、何に関わってるんだ?
ひやりと背筋をなぞる寒気に、慌ててワインケースの送り主を見れば、さらに凍りついた。

『A・アウトウェイ』

聞き覚えのありすぎるその字並びに、リーゼ・マクシアの覇王の顔が思い浮かぶ。
バランはいったい何に巻き込まれている?
覇王の捨て去った名まで使って、異世界の一研究者にワインの贈呈などありえない。
さらに、内部をわざわざ2重構造にしたダイヤル式ロックのケースで、品と鍵が別経由で届くように仕向けられているなんて、ただ事ではない。

「バラン……」
「大丈夫だよ、アルフレド。お前が心配するようなことは何もないさ、今はね」
「今はって、だってそれ」
「協力関係者へのねぎらいみたいなものさ」
「協力関係者?」
「断界殻が突然消えた数旬後かなぁ。ローエンさんが個人的な親書を持ってきてね。源霊匣の研究者として協力してほしいってお願いされちゃったんだよ。源霊匣の研究にリーゼ・マクシアの人達の協力は不可欠だったし、聞けばジュード君も研究に参加してくれるって言うし。もちろん歓迎したよ。で、今は色々懇意にさせてもらってるってわけ」
「おい、バラン。そんな話で誤魔化せるなんて思うなよ。一研究者宛てに、協力したねぎらいであのガイアスがワインを気前よく送ってくれた、で納得するはずねぇだろ」
「だよね。相変わらず、変なところは察しがいいなぁ」

封筒に入っていた紙束を揺らしながら笑うバランに、俺はじわじわと苛立ちがこみ上げてくる。
こっちがどれだけ心配してると思ってるんだ。
ガイアスの恐ろしさと用意周到さは、身を持ってよく知っている。
当時はウィンガルがいたために、その抜かりのなさはより強固で、敵としても拍手喝采してやりたいくらいだ。
アルクノアとして動いていた時だって、あいつらに取り入るのはなかなか骨の折れるものだった。
今はウィンガルの穴をローエンが埋めているのだろうが、あの爺さんの喰えなさ加減も、仲間として傍で見ていたのだ。
そんな2人からの接触に、何の意図もないなんて馬鹿な言い訳が通じるわけがない。

「その封筒の中身、何が関係してる」
「んー……そうだね、いずれ必要になるだろうしねぇ……」

バランは、紙束を弄びながら数秒思案するように視線を宙に投げると、意を決したように俺を見た。

「ところでアルフレド、お前はいつから少年趣味に走るようになったんだい?」
「はぁっ!?」

いきなり何言ってんだこいつ。

「何であの話からそっちに飛ぶんだよ!しかも少年趣味ってお前……」
「俺はてっきり、あのナイスバディなミラさんか、黒可愛いエリーゼちゃん狙いかと思ってたんだけど」
「黒可愛いってなんだ!?いや、それより、なんでレイアをすっ飛ばしてエリーゼを出してくる!?お前、俺に何か悪のレッテル貼りたいのかよ!」
「それはそれで面白いかもしれないなぁ」
「バラン」
「嘘うそ、冗談だよ。で、どうしてジュード君なんだい?」
「なんで今それを訊く」
「必要だからさ」

からかいの色を即消して、バランはけろりと言い返してきた。
そのギャップについていけなかった俺は、真意の読めない瞳を前にただ戸惑う。

「…………」
「悪い癖は治ってないね、アルフレド。誰も責めようって思ってるわけじゃない。ただ、彼を選ぶには生半可な意思じゃダメだって、わかっているんだろう?」
「……あぁ、わかってる」
「俺は、その確認のために訊いてるだけさ」

両手を広げて促すバランの視線に、嘘はない。
何を思っての問いかけなのかはわからないが、ガイアスたちの思惑を知るためには必要なことで確認しなければいけないことらしい。
俺がジュードを好きだということと、ガイアスたちが繋がらなくて、腑に落ちない感情ばかり渦巻く。
正直、気持ち悪いし居心地が悪い。
だが、この話を聞かないままにもしておけなくて、俺は躊躇いがちに口を開いた。

「ジュードは、俺を独りにしない。最初から、俺をちゃんと見ようとしてくれて、わかろうとしてくれてた。俺の本心を読み取って、間違ってたら俺が理解するまで教えてくれる。傍にいるとすごく居心地よくて、手放したくなかった……いや、手放せなかったんだ。別れが嫌で、追って、引き止めて、今も傍にいる」

ぽつり、ぽつりと落とす自分の声が、酷く不安定で情けない。
告げれば告げるだけ、自分の我儘さ加減に嫌気が差す。
俺を振り払えないとわかっているジュードの甘さと優しさにに縋って、この手に落ちろと願い続けて。
でも……。

「これが最後のチャンスなんだ。俺が探し続けてきた場所を手に入れるための、最後の」
「アルフレド……」
「周りからどんな目で見られようが、知ったことか。俺はジュードがほしい。あいつの『特別』がほしい」

手放せない時点で、これはもう誤魔化しようのない願望だった。
恋なんて可愛くて綺麗なもんじゃない。
たったひとつの願望を叶えるためだけに、ジュードの周囲すら破壊しかねないこの感情は、暗い欲だ。

「……どうやら、気の迷い、ってわけじゃなさそうだね」
「だからそう言ってるだろ」

気の迷いで済んでいれば、ジュードを力任せに押し倒すなんてことなかったはずだ。
カラハ・シャールでの一件で、己の忍耐力のなさにどれほど頭を抱えたことか。
あのときに見たジュードの僅かな怯えに、いくら後悔してもし足りない。
結局ジュードは許してくれたけれど、自分の意思を無視して行われる行動が恐ろしくないわけがないのだ。
あぁ、嫌なことを思い出してしまった。
己の情けなさと不甲斐なさに引きずられて、再び頭が重くなってくる。
もやもやとする過去を追い払うように頭を振って、思案に更けるバランを見やれば、何かを納得したのか小さく頷いていた。

「じゃぁ、茨の道を選んだ従弟に、ひとつ忠告しておいてあげよう」

視線に気づき、にっこり笑ってそう切り出すバランに、俺は言い知れぬ不安を抱く。
そもそも、バランが胡散臭い笑顔を向ける時に、いいことがあった例がない。
正体不明の胸騒ぎを押さえつけながら、継がれる言葉を待っていると、バランの視線から穏やかさが掻き消えた。

「アルフレド、自分以外の全てを敵と思うといい」
「…………は?」

何を、言い出すんだこいつは。
襲い掛かる困惑に翻弄されながら、俺は与えられた忠告を何度も頭の中で反芻する。

「もちろん、俺は味方でいるつもりだし、信頼の置ける人はたくさん作っておいて損はないと思うよ。助けてくれるだろうし、力にもなってくれる。そういった人たちは、たくさんいた方がいい。だけど、絶対に敵にならないって保証もないわけだから、疑える全ての可能性を疑い、対処法を考えて」
「ちょ、まて、バラン!お前何を」
「アルフレド」

ぴしゃりと遮断するように静かな声が俺を呼ぶ。
戸惑いや混乱など不必要だと言わんばかりの視線に、言葉を失って呆然とバランを見るしかない。
日ごろの穏やかさやふわふわとした掴めない雰囲気も吹き飛んだバランは、年相応に威厳に満ちていて、それに圧倒された俺は硬直してしまう。

「余所見している暇などないよ?追い求めることに一生懸命なのはわかるけど、自分がどれほど危険な場所に立っているのか、しっかり見るべきだ」
「危険な、場所……?」
「エレンピオスでの大半の権限は、スヴェントの人間によって掌握されている。それはわかっているかい?」
「あぁ。権力や地位なんざ、腐った血統を重んじる嫌な名門貴族の大好物だろ?」
「……まだわからないようだね。平穏に飼いならされて牙を抜かれたかい?」

皮肉ったように同意すれば、咎めるような声が茶化した空気を一刀両断する。
バランは俺がわかっていないと何度も告げるが、何をわかっていないというのか。
エレンピオスが黒匣に溢れ、スヴェント家筆頭に反リーゼ・マクシア思想の充満した世界であるなら、確かに危険な場所だろう。
だが、それを変えていくのが俺たちのなすべきことであって、逃げるわけにはいかないのは、バランもわかっているだろうに。
意図の読めない従兄を前に、眉根を寄せて探ってみるも、それ以上の理由が見当たらない。
そんな俺の様子に、バランは重くため息を吐くと、覚えの悪い教え子に教えるような口調で、一音一音はっきりと区切るように告げた。

「スヴェントは血統を重んじる。その通りだ。だから、アルフレド……お前は現当主とって脅威でしかないんだよ」

落とされた声に、思わずバランを凝視する。

「ようやく気づいたようだね。そう、お前はとても危険な道を歩いている。素性がバレれば、もはや他人事では済まない。もちろん、周囲にいる人間すら巻き込む大事だ。そして、お前がリーゼ・マクシアにいれば、最悪、両世界の抗争にまでなりかねないんだよ。それくらい、今のエレンピオスにおけるスヴェント家の力は大きい」
「…………俺は、もう」
「関係ないといくら言ったところで、スヴェントの血がそれを許さない。銃とガンベルトを手放す気がないなら、なおさらさ」

顎で懐を示されて、思わず左手で胸を押さえる。
肌身離さず持ち続けている銃とガンベルトは、忌み嫌うスヴェント家の当主の象徴であり、俺の両親の形見。
叔父を殺してまで取り返したそれは、俺に残された唯一の思い出だ。
手放す気なんて、絶対にない。
だが、それゆえに、バランの示す危機は実感を伴って俺に警鐘を告げる。
この身体に流れる血は、間違いなく直系のそれで、当主の象徴も同時に有しているなら、逃げようがない。
20年の抗争を経て地位を得た現当主からしてみれば、バランの言うとおり、邪魔以外の何ものでもないのだろう。
たとえ俺にその気がなくても、現当主の対立派からしてみれば、いい傀儡が現れた、と勝手に担ぎ上げられるかもしれない。
そうなれば、知らない、関係ないなんて言ってられなくなる。

「じゃぁ、見つかる前に」
「アルフレド、姿をくらましたって無意味だよ。むしろ姿をくらました後に、下手に生存を気づかれてしまえば、足跡を辿ってくる連中によって、巻き込むまいと思った人に害が及ぶ。そして、一番その脅威に晒される可能性があるのは、ジュード君だ」
「…………っ!」
「別に、お前の特別だからというだけじゃない。彼はリーゼ・マクシアにおける源霊匣研究の第一人者だ。選民思想に毒されたスヴェントの人間が放っておくはずないだろう?」

確かに、リーゼ・マクシアをマナ供給の植民地にしようと目論むような連中だ。
源霊匣に関してだけでなく、ジュードがエレンピオスに協力的なら、抱き込むに越したことはない。
それに、俺が関わっていてもいなくても、ジュードの存在は既に大きなものになっている。
ジュードの後ろ盾として動いているのは、リーゼ・マクシアの覇王ガイアスだ。
その存在を考えれば、異世界の人間から見てもジュードの立ち位置は重要な意味合いを持つ。
さらに、僅かな人間しか知らないとはいえ、精霊の主の加護が一番強い人間だ。
大げさに言えば、ジュード一人の行動が、リーゼ・マクシアという世界を簡単に揺るがしかねない存在になっている。
そこに加えて、エレンピオスで影響力のありすぎる起爆剤を抱えた俺の存在。
最悪極まりない組み合わせがセットで動いていれば、家名より研究者に徹しているバランすら危機感を抱いて然るべきだ。
ようやくたどり着いた現状の危うさに、さぁっと青ざめていると、バランはやれやれと首を振った。

「現に、もう物事は動いているんだよ」
「なんだと?」
「何のために、ガイアス王がわざわざこんな手間をかけて俺にワインを寄こすと思うんだい?王はとっくに見越して先手を打ってるのさ。近い未来に起こりうる最悪の事態のために、ね」

音を立てて机に広げられた紙束は、エレンピオスとの交易や商談の詳細と、リーゼ・マクシアでの動向が事細かに書かれていた。
その中から抜き出し、差し出された最後の一枚には、エレンピオスでのスヴェント家の動向をできる限り報告して欲しい、との要請が丁寧に直筆で記されていた。
力強く踊る文字はガイアスのものだろう。
覇王自らの要望に、バランへの敬意が表れている。

「アルフレド、もっと危機感を持つべきだ。ジュード君を選ぶのなら尚のこと。酷なことかもしれないが、全てを敵と思ってかかるくらいの気持ちでいないと、せっかく得た大事なものを失う羽目になる」
「バラン……」
「ようやく手にしたんだ。もうお前の悲劇は終わらせるべきだ」

広げた用紙を丁寧にまとめながら、バランは硬い声でそう言った。
俺の20年間を思いやっての言葉なのだろう。
現実を突きつける厳しさの中に変わらない親愛を垣間見て、俺は胸の奥が痛くなった。

あぁダメだ、俺は本当に弱い。

 

「バラン……ありがとな」
「なんだい、泣きそうな顔して。俺に感謝してる暇があるなら、さっさとやるべきことをするべきだよ。教えなくてもわかるかい?」
「あぁ……ジュードは、俺が守る」
「そうしてあげるといい。子供を守るのは大人の仕事だからね」

柔らかさの戻ったバラン笑みに、俺はそっと息を吐いて笑い返した。
思いがけず突きつけられた危機は尋常じゃないほど大きなもので、一朝一夕で対策を組めるものでもない。
これは骨が折れそうだ、と思いつつ、ジュードを守るのは俺でなければならない、という思いもあって拳に力が篭る。
ただの独占欲と格好つけたがりなのだが、それでもこれは譲れない。
ジュードの視線は俺に向けられていなければならないのだから。
ぎゅっと握り締めた拳を見つめて意志を固めていると、用紙を片付け終わったバランが声を上げた。

「おや?アルフレド、さっそくお仕事だよ」
「あ?なんだよいきなり」
「ほらほら、アレ」

ちょいちょいと手招きされて歩み寄る窓際。
見下ろす景色はのどかな公園の風景で、危機的状況からずいぶんかけ離れている。
何があるのかと指差す方向を辿れば、ジュードが日傘の婦人と並んで何か話し込んでいるようだった。
あいつ、またお人好し発揮して何かしたのか?
旅の間ずっと見てきて気づいていたが、あの少年は驚くことに、ほとんど独りになることがない。
しかも、別れて出会うたびに誰かしら女性を伴って帰ってくるのだから、男としては羨ましい限りである。
さすがに節操なしと罵られてる俺でも、そんな芸当なかなかできるものではない。

「アルフレド、何ぼうっと眺めてるんだい?守るって盛大に啖呵切っておいて情けない。さっさと迎えにいってあげなよ」
「は?何大層に言ってんだよ。近所のご婦人と話してるだけだろ?」
「あぁそうか、そういえばアルフレドは知らないんだったっけ。ジュード君の隣にいる女性は、クラウディア・リード・スヴェント。俺の叔母さんになった人だよ」
「はぁっ!?」
「だから、彼女、スヴェントの人間だって。血は繋がってないけど」
「…………は」
「うん?」
「早く言え馬鹿バランっ!」

大声で従兄を罵った後、すばやく身を翻し、ドアを叩き割る勢いで閉めて廊下を走る。
ありえない、ありえない、何考えてやがるバランの奴!
何が「もっと危機感を持つべきだ」だ、あの野郎、どの口が言ってやがる!
ちょっと感動した俺の可愛い感謝の気持ちを返せ!
途切れることのない罵倒を頭の中で目まぐるしく吐き出しながら、たどり着いたエレベーターのボタンを連打する。
こんなときに限ってエレベーターが1階に止まってるってのは何なんだ。
神様って馬鹿なのか?
じれったくなるような待ち時間に苛立ちを隠せない。
いっそのこと、廊下のガラスぶち破って飛び降りてやろうか。
我を忘れた思考を煮やしつつ、ようやく到着したエレベーターに慌てて乗り込み、すぐさま階層指定ボタンを押して1階へ向かう。
乗り合わせた人から白い目を向けられていたが、そんなもの気にしている余裕はない。
俺とジュードの立ち位置を知り、危うさを知った今、スヴェント家に連なる人間がジュードの傍にいるなんてこと、あってはならないのだ。
少しのきっかけで自分の愛するものに危害が及び、最悪、得がたいその存在を再び失ってしまうなんて、考えただけで身の毛がよだつ。
浮かれて平和ボケしていた自分と、のんきにとんでもないことを口走った従兄に腹を立てながら、エレベーターが開くと同時に走り出した。
曲がり角で誰かとぶつかりそうになりながら避けて、勢いそのままにエントランスを駆け抜ける。

「ジュードっ!」
「わっ!」

見慣れた背中を力いっぱい抱きしめる。
突然の出来事にジュードは目を見開いて慌てているが、それを気にかけてやれる余裕がなくて、逸る鼓動を宥めるために小柄な身体を抱きしめ続けた。

「え、ちょ、何、どうしたの?」
「どうしたのって、お前…………いや、なんでもない」
「うん?」

振り返って見上げてくるジュードの表情に、肩に手をかけたまま脱力する。
のんきというか、平和というか、穏やかというか……慌てて取り乱した自分が馬鹿らしくなってきた。
ジュードの後姿を見つけたとき、言い知れぬ歓喜と安堵にどれほど胸が震えたことか。
そんな俺の心情など露知らぬ少年に、少しの苛立ちが湧き起こったが、むしろこれが正解なのだと気づいて息を吐いた。
ジュードは、穏やかな表情でいてくれる方がいい。
ジュードがそれ以外の表情をするときは、こいつの周囲に何かしら問題が起こっているときばかりだ。
安堵に視線を下げたとき、掬うように合わせたジュードの両手に転がるブローチを見つけて首を傾げる。

「ん?なぁ……それ、何だ?」
「これ?」
「持ってなかったよな?」
「うん」
「何があった?」
「えっと……あのね、交換にってくれたんだ」

そう切り出して、ジュードはブローチを手にした経緯を話してくれた。
女の子が怪我したところを治療して助けて、その母親に感謝されたと、それはもうよくあるお人よしの世話焼き話だった。
スヴェント家の真っ黒な思惑なんて欠片もない。
ストールあげた代わりにブローチもらったとか、むしろ絵に描いたような善人のやり取りだ。
拍子抜けした事情に安堵しつつ、もらったというブローチを調べてみる。
骨董品まがいのブローチは相当古いものらしく、古代文字がこまごまと彫られていて、なかなか読みづらい。
どうにか文字を繋げて読めば、スヴェント家の人間だと証明するものらしい。
『クラウディア・L・S』と現代文字で彫られているので、先ほどの婦人が嫁入りのときにでも与えられたのだろう。

「エレンピオスに来るときはつけるといいよ、って言ってたんだけど、何かあるのかな?」

なんて、事の重大さを知らないジュードが考え込む。
何かあるどころか、このブローチの正当性が確認されれば、エレンピオスでは超重要人物として扱われるだろう。
バランの叔母にあたるということは、相当地位の高い人間なのだから、権力者に近づけば近づくだけ優遇され丁重に扱われ、代わりに利用価値を見出す奴らの目に晒される。
まったく、この優等生はどれだけ無自覚に権力集中させる気だよ。
この少年に繋がる権力は、これで3つ。

リーゼ・マクシアの覇王と精霊の主とエレンピオスを掌握する名門貴族。

どれも各世界最強レベルときた。
ジュードが恐ろしすぎる。

 

「アルヴィン?」

項垂れるように崩れ落ちた俺を心配そうに見つめる瞳はあどけなく、自分が世界の根幹を揺るがすような火種を抱えているなんて知りもしないのだろう。
ただ、ジュードの持つ『権力の加護』は、ジュードを守るためにそれ相応に働いてくれるのは間違いなく、各世界最強というだけのことはある。
エレンピオスでも、これはいい牽制にもなるかもしれない。
ただ、3つも集中してしまった権力は、使う場所を間違えれば一発で危機に陥る諸刃の剣。
これを上手く捌いて立ち回り、ジュードを一番近くで守れるのは俺だけだ。
奮い起こす意思と決意に、変革の日より眠り続けた牙を研ぐ。
愛するもののためなら、俺はいくらでも残酷になれる。
それは、既に立証済みだ。
あとはただ……

「おたくから目を離しちゃいけないってのは、よーっくわかった」

 

蝶のようにひらひらと舞う最愛の人を、見失わない。

それが一番の難題に思えた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/02/29 (Wed)

従兄弟の会話。
恋愛沙汰とかそんな可愛い話してる余裕ないんだぜっ!
現実はいつもシビアで、立ち止まる奴など置き去りさ。
世界情勢の思惑は、凡人にはわからんので頭ばーんってなるけどなwwww


*新月鏡*