「love-in-a-mist -brand new world-」
婦人と別れて鐘1つ経った頃。 「しばらく、目を閉じててくれないか?」 夕方までに行きたい場所があると、アルヴィンに連れられトリグラフの出入り口まで来たとき、彼はおもむろにそう願った。 いったい何があるのかと思ったものの、彼が意味のないことを僕に願うはずがないので、素直に目を閉じる。 それからすぐに身体の浮くような感覚がして、何かに乗せられると、隣にアルヴィンも乗り込んできた。 状況のよくわからないまま、誰かと一言二言話すアルヴィンの声に耳を傾けていると、僕たちを乗せた何かが単調に揺れはじめた。 どうやら馬車のようなもので運ばれてるらしい。 何処へ連れて行かれるのだろうかと僅かに不安になるものの、抱えるように肩を抱く腕の確かさを感じれば、それも徐々に消えていった。 「何処に行くの?」 「まだ秘密」 「目は開けちゃダメなんだよね?」 「あぁ、まだダメだな」 「何かびっくりさせたいことでもあるの?」 「あるな。くくっ、そんな心構えんなよ。たぶん、いくら構えたって驚くぜ」 「自信ありげだね」 「あぁ、ある。絶対って言ってやろうか」 「なんだかそれはそれで対抗心が出ちゃうなぁ」 「まぁ、楽しみにしてろって」 ぐらぐらと揺られながら、しばらく目を閉じたままなんでもない会話を話し続ける。 真っ暗な視界に時折ちらつく光が何なのか、僕はよくわからなかったけど、隣の気配を窺うたびに「あと少しだけ」と可愛い我儘を聞かされて、次第に訊くことすらしなくなった。 それから十数分ほど経った頃、ゆっくりと振動が止まって再び身体が宙に浮く。 丁寧に地面に降ろされ、手を引かれるまま歩き出せば、そこは外の世界だと、閉じた視界の代わりに残りの五感が訴えかけてくる。 頬を撫で去り、鼓膜を揺さぶる風の声。 懐かしい土のにおい。 僕を導く手のひらと、指先から感じる温かさ。 砂埃を踏みしめながら、一際風が唸る場所まで来ると、アルヴィンは僕の背後に回ってそっと耳元に唇を寄せた。 「ジュード、もういいぜ。目を開けてみな」 アルヴィンに言われるまま、降り注ぐ光に抗いながら目蓋を押し上げれば、鮮烈な景色が視界を圧倒する。 あまりの光景に、僕は声ひとつとして上げることもできなかった。 澱んだように荒廃していたはずの大地は、細やかな彩り鮮やかな色をまとって華やぎ、過去の記憶を塗り替える。 リーゼ・マクシアと比べてしまえば、あまりにも儚い色合いだが、それでもエレンピオスの荒廃した姿を知る故に、激変した光景が、今の持てる全てで歓喜を叫んでいるように見えた。 幻でも見ているのかと肩に添えられた手に自分の手を重ねてみるが、指先が伝える感触はまぎれもなく本物で、肯定するように握り返されれば、今度はじんわりと胸が熱くなる。 僅かに聞こえる葉擦れの音が、現実だと囁きかけてくるから、涙さえ呼び起こして。 「……すごい、ね……見違えちゃった」 「だろ?」 何とか精一杯押し出して告げた声すら、喉の奥に引っかかって、まともに音にならない。 けれど、そんな声すら掬い上げて同意してくれたアルヴィンがとても嬉しげで、引きずられて湧き起こる歓喜に胸が震える。 「これが、ミラと俺たちが切り開いた世界なんだぜ」 そう言って、アルヴィンは呆然と眺め続ける僕の手を誘うように引いて、さらに先を歩き始めた。 小高い丘をなぞるように歩きながら見下ろす景色は、さらに美しく視界を楽しませてくれて。 ミラと僕たちが命懸けで選び取った先の未来が、この優しい景色なのだと思えば、さらに嬉しさがこみ上げてきて、もはや感無量に近かった。 今、ミラが守って支えてくれている世界は、こんなにも温かく、人々に感動をもたらす。 この景色を、もう二度と失わせてはいけないと、改めて感じながら、見晴らしのよい一番高い場所まで来ると、先を行くアルヴィンの歩みがぴたりと止まった。 それに合わせて立ち止まり、佇む背中をそっと見上げると、そのタイミングを待っていたかのように彼は言った。 「ここに来たら、絶対に見せようって決めてたんだ」 振り返った彼は、眩しいくらいに優しい顔をしていて。 見つめられたまま、僕は目に映る光景に見惚れていた。 芽吹く緑の鮮やかさと、光り輝く花の色は騒いで。 風に髪を遊ばせたまま、遠く眺める眼差しに、僕は無性に泣きたくなった。 幸せだった。 この時間の温かさと、彼が僕に向ける感情の優しさが。 悲しかった。 避けようのない未来があることが。 嬉しくて、愛しくて、こんなにも心は満たされているのに、どうしても寂しくて。 それすら含めて、僕はアルヴィンが好きなのだと実感すれば、さらに切なくなった。 彼の生き方と僕の生き方を合わせれば、この感情の在り方もきっと正しくて。 複雑な想いが、今と未来を交錯して彩る。 生まれ変わった景色の中で、僕たちの前に広がる回避不能の未来に、彼が悲しまないでくれればいいと、強く願った。 きっと、彼はまだ気づいていない未来予想。 どうしたって、優しい彼のことだから、心痛めてしまうのだろうけれど。 僕らが互いを選ぶなら、受け入れて、分け合って、乗り越えていかなければならない未来。 我儘だと言われてもいい、僕と一緒に泣いてほしい。 ぎゅっと手を握り締めて、目のくらむような景色からアルヴィンへ視線を移す。 「……アルヴィンは、鳥のような人だね」 「何だよ、いきなり?」 僅かに声が震えてしまったが、どうやらアルヴィンには気づかれなかったようだ。 なんて弱い僕の心。 堪えきれない感情に容易く翻弄されて、何度も彼を困らせて。 「何となくね、アルヴィンは鳥みたいに世界中を飛び回って、僕に綺麗な景色を見せてくれるんだなって思って」 「おたくがイル・ファンに缶詰状態だからな。俺が代わりに色んなもの見つけて、おたくに見せてやるよ」 「うん、楽しみにしてる」 「あぁ、任せとけ」 晴れやかな笑顔を向けられて、息が詰まりそうになる。 嬉しげに輝く瞳が好き。 違う景色に出会うたびに見せる表情が好き。 どこまでも自由なその心と眼差しが、何より彼たらしめていて。 その姿を見ていられることが、こんなにも嬉しい。 そして、遠くに感じてしまうことが、こんなにも寂しい。 「……ジュード」 「なに?」 「…………」 「どうしたの?」 「抱きしめていいか?」 窺うように訊ねられて、僅かに目を見開く。 突然求められた許可に、思わずアルヴィンを見つめれば、真摯な眼差しが僕を射抜いて。 その視線に捕らわれたまま、少しの空白を置いて小さく頷くと、アルヴィンは躊躇いがちに腕を伸ばしてきた。 いつもなら、僕の意思確認などすることなくその腕の中に閉じ込めるのに、今日に限って一体どうしたというのだろう。 不思議に思いながら彼の腕の中でもぞもぞと見上げれば、複雑そうな表情をしたアルヴィンがいて、さらに困惑する。 「アルヴィン?」 「……いや、なんか……抱きしめなきゃいけない気がした」 「そう?」 「悪い、何となくなんだ」 「いいよ。僕も何となく、そうしてほしかったような気がするから」 やんわりと伝わるぬくもりが心地よくて、アルヴィンの胸に頬をすり寄せる。 目を閉じて心地よさに酔いしれていると、そっと頬に大きな手のひらが滑って、目覚めるように視線が絡まった。 光を得ると僅かに赤みの差す瞳を見つめて、ゆっくりと下りてくるキスに自然と目蓋を閉じる。 優しく触れてくる唇を受け入れて、熱い吐息に眩暈を起こしそうになる。 甘ったるい気配が意識を絡めとって、徐々に霞をかけていけば、もう風の声すら忘れた。 「今日はやけに素直に受け入れてくれるんだな」 「何となくだよ」 「そうか」 「そうだよ」 甘い言葉など交わしもせず、くり返すくちづけに身を委ねた。
不幸だなんて思わない。 ただ、どうしようもない現実が、ほんの少し悲しいだけ。 僕が望み、彼が得た生き方を歓迎すると同時に、悲嘆を感じることになるなんて。 僕も彼も、そんな現実望みはしなかった。 たとえば最初からわかっていれば、何か変わったのかな。 そんなくだらないことを考えてみても、結局行き着く答えはひとつしかなくて。
戸惑いながらも育まれた愛しさは、ただ深く。
それを消し去る術など、ありはしないのだと笑った。
* * * * 2012/02/27 (Mon) 迷いを振り切れば、すべてにおいて俊敏さを誇るジュード。 今までのぐだぐだっぷりが嘘のようだ。 *新月鏡* |