「Decision」

 

 

 

会えば会うほどに、ミュゼという存在が歪んでいく。
初めて目にした時は、さして気にする存在でもなかった。
ジュードの傍らに立つ精霊、それのみの認識だった。
自分の野望に害がなく、現状一番最初にしなければならないことは、彼女を気にすることではなかったからだ。
むしろそのときは、ジュードの方がよほど気にかかったくらいだ。

それが今はどうだろう。
巨大戦艦をいとも容易く破壊し、散々人間を葬ってきたミュゼが、刺すように降る冷雨に打ちひしがれている。
ただただ身を振るわせる彼女の姿は、本当にあの脅威を引き起こした大精霊なのかと戸惑いすら与えかねない。
それほどまでに、ミュゼの中の何かが瓦解し、変質した。

 

「私は、何をすれば……」

弱々しい自問自答が口を突くが、その答えは持ち合わせていないらしい。
虚ろな瞳で、必死に自分の中の答えを探して考えているものの、口から出るのは『わからない』などという情けない言葉ばかりだ。
大精霊と謳われていながら、そんなこともわからないとは。
これほどの力を持っているのなら、その力の振るう方向を定めていてもおかしくないはずである。

「力を持つ身であるならば、……自ら考えることだ」
「それがわからないんでしょう!」

冷淡に吐き出した言葉に、ミュゼは癇癪を起こした子供のように声を荒げる。
投げやりにすら聞こえる声に、思わず半身を返して見下ろせば、彼女は再び俯いてしまった。
雨に濡れそぼった髪から、ぽたりぽたりと落ちる雫すら気にする様子もなく、ぎゅっと手のひらを握り締めて何かに耐えている。
まるで、親とはぐれた子供が泣いているようだ。
精霊が泣くのかどうかは知らないが、それでもミュゼの姿は人が思い描く大精霊とは程遠い存在にすら思えた。
力を持て余し、その力を振るう先を見出せず、ただ自分を導く意思を求めて彷徨う。
ミュゼにとって、マクスウェルの意思に添うことが、命を懸けてでもやり遂げるべき『使命』だったのだろう。
精霊にとって使命は絶対だと聞く。
ならば、使命の本当の理由を知ることもなく、与えられた使命を果たすためだけに動くミュゼは、まさに精霊なのだろう。
だからこそ、その拠り所であるマクスウェルの意思が消失して、ミュゼの中の意義が壊れた。
マクスウェルの意思を受け取れないがために、どう身を振っていいのかわからない。
おそらくそんなところだろう、と考えていると、

「お願い、あなたでいいの……」

風に掻き消えそうな弱々しい声が縋る。

「私に……」

私に?


疑問を抱いて見つめれば、返された視線に息を呑む。
切望するように見つめる苦しげな瞳は、もはや虚空を抱いて、これ以上の負荷には耐えられないと嘆いている。

「まさか、お前は……」

俺の意思を求めるのか。
失った絶対者の意思の代わりに、俺を選ぶというのか。
驚愕に目を見開くものの、こちらの想いなど知らぬミュゼは小さく問いかける。

「ねぇ……私は、どうすればいいの?」

ことりと小首を傾げて問う姿は、心身ともにボロボロでなければ、とても愛らしく映ることだろう。
それほどまでに悲惨な表情だった。
いや、表情と呼べるものがあっただろうか。
虚無を抱いたまま、ただ焦がれ、ただ求め、ただひたすらに自己の意義を守ろうとしている。
だからこそ、自分の返答ひとつに、ミュゼの存在がかかっていると自覚すれば、安易な返答はできなかった。
ミュゼは、子供が強大な力を持ったような存在なのだ。
ひとつ選択を間違うだけで、甚大な被害が起こる。
そしてその力を振るうミュゼは、ただ純粋に懸命に使命を果たすばかりなのだろう。
そこまで考えて、ふと、黄金色の髪が脳裏をよぎる。
ミュゼの妹であり、マクスウェルの傀儡であったミラの言葉が、今になって楔を穿つ。


『残されたものたちは過ぎたる力を持て余し、自らの身を滅ぼす選択をする』


今、この場でミュゼと俺を引き合わせた因果よ、これがその結果だというのか。
ミュゼこそがその最たる例だと、そう言いたいのか。
返答のない疑問を胸のうちに叫びながら、ぎりっと奥歯を噛み締める。
俺は、弱き者が強き者になるまで守り導く、とあの時謳った。
ならば、今ここでミュゼを救えず、導くことができなければ、その決意は偽りとなるのかもしれない。
どれほど力を持っていても、強き者と呼ぶには、今のミュゼはあまりにも弱すぎる。
己を見失い、自らの足で立つこともできないほどに。

「ミュゼ」

泣き縋るミュゼに膝を折って視線を合わせ、口を開く。

「お前がマクスウェルから与えられた使命とは何だ?」
「……アルクノアの殲滅、黒匣の破壊、断界殻を守り、断界殻の秘密を知る者を消し去ること」
「そうか。俺は、このリーゼ・マクシアを……我が民を守るために、クルスニクの槍を使い、エレンピオスへと侵略しようと考えている。黒匣やエレンピオスの脅威を取り除き、この世を平定にする。それが俺の民の平穏を守る術であり、王としてなすべきことだと思うからだ」
「脅威を、取り除く」

ぼんやりと言葉を繰り返すミュゼに、一言一言刻むようにゆっくりと語りかける。

「断界殻を知りはしたが、この世界を守ろうとする想いと行動は、お前とさして変わるまい。外界の脅威から、お前が人知れずリーゼ・マクシアを守ったように。俺も民のためにやらねばならないことがある。それはわかるか?」

問えば、ミュゼは僅かに小さく頷く。
極力穏やかに装ったことが功を奏したのか、徐々にミュゼの瞳に落ち着きの色が戻り始めた。
ミュゼが錯乱状態から回復したことを十分に確かめてから、ゆっくりと立ち上がりる。
つられるように視線を上げたミュゼが不安げに見つめてくるが、時間の惜しい状況である。
これ以上の身の上話は無駄だと判断し、自分がミュゼにできる最良であろう提案を差し出す。

「ならばミュゼ、俺と共に来い」
「え……?」
「お前の使命と俺の目的が同じであれば、俺と共に在ればいい」

把握が追いつかないのか忙しなく瞬きをくり返し、ミュゼは食い入るように俺を見つめる。
無理もない。
マクスウェルを捨てて俺を取れと迫っているに等しいのだから。
だが、先に俺を選んだのはミュゼだ。
たとえ一時の感情であろうとも、唯一絶対の主より、俺を求めたのは事実。
ならば……

「お前が惑うのならば、俺が導いてやる。居場所がないならくれてやる。お前が心から俺を望むなら、俺は俺の持てるすべてでお前に応えよう」

そう、リーゼ・マクシアを統べる王として、俺は応えなければならない。

「ガイアス……」
「決断しろ、ミュゼ。他の誰でもない……お前自身の意思で」

差し出した手を取るか、拒絶するか。
戸惑いに揺れる瞳を逃すまいと見つめれば、ミュゼはゆっくりと手を伸ばしてこの指に触れた。
焦れるほどの長いためらいは、自らの意思で動くことをしてこなかったミュゼが、初めて自ら決断をした苦悩の表れ。
触れた手のひらの冷たさが、ミュゼの孤独と不安を物語る。

「己の中に失えないものがあるならば、抗え」

それは、お前自身の願いであり、望みであり、生きる意味だと。
囁くようにそう告げれば、ミュゼはよほど安心したのか、

「わかったわ」

と柔らかな声で、あどけなく微笑んだ。
空恐ろしく感じるほどの純粋無垢な笑顔に、初めて自分の考え方に『欠点』があると思い知る。
ミラと話した言葉を、想いを、その指針を覆すほどの欠点が。
俺は確かに言った。
「弱き者が強くなるまで、強き者が守る」と。
だが、今目の前で起こっている状況はどうだ。
たった一人すらこの有様だ。
先ほどのミュゼがそうであったように、他の存在に頼らなければならないほどの弱き者に、強引に『強くなれ』と言ったところで、いずれその負荷に耐えられずに壊れてしまう。
それほどまでに、弱い存在がいることを考えずにいた。
だが現実には、自分が思うよりずっと、脆く儚くか弱い心もまたあったのだ。

 

「ガイアス?」
「……なんでもない。行くぞ」
「はい、御心のままに」

嬉しげに微笑むミュゼを前に、己が心を支えていた一部が悲鳴を上げる。
自分が言葉にしたことを撤回する気はない。
だが、このまま突き進むこともできない。

「俺も、決着をつけねばなるまい」

おそらく追ってくるであろうジュードに再び出会うのなら、この気持ちを整理し、抱えた問いに答えを持たなければいけないのだろう。
確固たる信念で選び取った道を持たねば、おそらく今のジュードに言葉は届かない。
できることなら、傷つけたくはない。
リーゼ・マクシアの民であり、また純粋な意思を持って挑んでくるあの青年に、同じ道を歩めたらと望みさえした。
故に、王として、民の憧憬の眼差しを曇らせるわけにはいくまい。

「待っていろ」

俺の野望の下に、必ずこの世界を平定してみせよう。
きつく握り締めた拳をそのままに、俺はミュゼを伴い歪んだ異界の道へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/10/28 (Fri)

『missing child』のガイアス視点。
これが、ガイアスに「弱い者に強くなれと強要することも、また酷だったのだ」と言わしめるきっかけになってらいいなとか思って。
そして、ミラ様が「ジュードが歩き出そうとするから、自分の道を迷いなく貫き通せる。君を見守ってたガイアスも同じように思ってたのかもしれない」的なこと言ってたから、こんな感じかな?となった。
15歳の医大生を青田買いしかかったガイアスなんでね、まぁありかなって。



*新月鏡*