「love-in-a-mist -a change of key-」

 

 

 

一夜にして、景色ががらりと変わる。
船旅の最中、室内から一切出ることなく過ごしたため、甲板から見える景色に目を見開く。
アルヴィンが教えてくれなかったので、自分が何処へ行くのかも知らなかったが、まさかこの場所までくることになるとは思わなかった。

「本当に世界旅行だね」
「疑ってたのか?」
「疑ってはいないけど、ここに来るとは思ってなかったかなぁ。1旬じゃ無理だって思ってたし」
「できただろ?」
「できちゃったね」
「すごい?」
「うん。感心しちゃうよ、アルヴィンの行動力には。あれだけ自由気ままなデートしといて、よくここまで予定組めたよね」

僕たちの目の前に広がる景色は、緑豊かな大地ではなく、発達しすぎた文明が生み出したビルの森。
アルヴィンの故郷、エレンピオスだった。
リーゼ・マクシアを巡るだけでも、1旬では足りないと思っていただけに、エレンピオスまで眼中になかった僕は、自分の立っている場所が夢なのではないかと思ってしまう。
確かめるように振り返った豪華客船には、ばっちり浮力装置がついていて、間違いなく空を飛んでここまで来たのだと実感した。
サマンガン海停では船底が隠れていたため、浮力装置部分が見えなかったらしい。

「はいはい、余所見は厳禁な」

呆然と豪華客船を見上げていると、ごく自然な動作で腕を取られ、そのままくるりと綺麗に半回転すると、真正面にアルヴィンの顔が戻ってきた。

「アルヴィン、昨日から視線にこだわるね」
「だっておたく、興味惹かれりゃ勝手にふらふらどっか行くし。これから俺は仕事片付けてこなきゃいけないけど、離れてる間におたくが迷子とかありえそうで」
「ないよ!子供じゃないんだから、ちゃんと大人しく待ってられるよ!」
「子供じゃない、ねぇ」
「そっかぁ、僕って子供なんだね。じゃぁアルヴィンは僕と違って大人だし、喰らうならやっぱり腕によりをかけたフルコースがいいよね」

にっこり微笑んで拳を打ち合わせれば、からかいすぎたと気づいたアルヴィンの顔が一気に青ざめる。
だが、それも遅い。
狙いを定めた僕の視線がきらりと閃けば、次の瞬間には長身が宙を舞っていた。
僕のコンプレックスを無作法に弄繰り回した罰だ。
数十秒後、拍手喝采の中、全武身技(秘奥義含む)を受けて地に沈んだボロボロの身体に治癒功を施し、僕はアルヴィンに清々しい笑顔を向けた。

「お仕事、いってらっしゃい」
「いってらっしゃいっておたく……いや、それより、容赦なくフルボッコしといて最後に治癒功とか、飴と鞭激しすぎない!?ってか飴少ねぇ!!」
「そう?」
「お仕事頑張るから、もっと飴ください」
「快気孔もしろって?しても意味ないと思うけど」
「そっちの飴じゃねぇ!!」

その場に絶叫しながら泣き崩れるアルヴィンに、さすがにギャラリーの前で恥ずかしいと告げると、しぶしぶ起き上がって港から中央広場まで移動してくれた。
さすがにあのままい続けると、どんな会話に発展してどんな行動を起こすか予測できない。
ただ、コンボ発動中にわらわらと集まった民衆は、この一連のやり取りをストリートパフォーマンスの一種として受け取ってくれたのか、去り際にチップをくれる人までいた。
ややこしいことにならなかっただけありがたかったが、まさかただの言い争いでお金をもらえるとは思わなかった。
受け取るつもりのなかったものだが、反射的に受け取ってしまったので返しにもいけないお金をしげしげと見ていると、アルヴィンが耳元に唇を寄せて囁く。

「なぁ、ジュード君……飴ちょうだい」
「飴?だから快気孔は」
「そっちじゃなくて、キスとかさぁ」
「キスって……アルフレド、君はいたいけな少年掴まえて何させる気なんだい?」
「は?」

突然現れた第三者の声に、目を見開く。
アルヴィンの肩越しに、にこにこと人好きのする笑顔で佇んでいる人に手を振られ、僕は一気に青ざめた。
嘘だ……ありえない、なんでよりにもよって、知ってる人がいるときにアルヴィン墓穴掘るのさ、信じられないっ!
途切れることなく心の内側に数々の罵倒が渦巻くが、残念なことに、驚愕に喉が引きつってしまって、どれひとつとして音にならない。
かちこちに瞬間冷凍されてしまった僕を隠すように抱き寄せたアルヴィンはというと、厄介なのに捕まった、とその表情にくっきり刻み込まれていた。

「バラン……なんでお前がここにいるんだよ。マンションにいるって言ってなかったか?」
「夜勤明けの買い物の帰りだよ。で、今帰宅途中」
「じゃぁ、なんで港の方から来るんだよ。夜勤明けなら逆方向だろ?」
「港で面白いことになってるって聴いて見物にね。騒いでた時には声かけられなかったから、帰宅ついでに追いかけてきたんだけど、いやぁ……まさかねぇ……」
「…………」

上から下までじっくり眺めるようなバランさんの視線に、アルヴィンは口を噤んで視線を逸らした。
この場にいることに耐えかねているのか、僕の肩を掴んだままの手に力が篭る。
だが、バランさんは、アルヴィンの態度を全く気にすることなく、こちらへと視線を流してにこりと笑った。

「そういえば、ジュード君の最後の大技、綺麗に決まってたね。思わず拍手しちゃったよ」
「え、ほ、ホントですか?僕もアレは気持ちいいくらい決まったなって思ってたんです」
「やっぱりアルフレドはよくわかってるよね」
「えぇ、アルヴィンって本当に優しいですよね」
「待て待てお前ら。いいこと言ってますみたいな会話してるけど褒めてねぇだろ。間違いなく褒めてねぇだろ!」
「やだなぁ、アルフレド。褒めてるじゃないか、サンドバッグに丁度いいって」
「褒めてねぇっ!」

ジュードまで酷い、と嘆かれて、僕は苦笑してしまう。
アルヴィンが優しいのは本当で、ちゃんと褒めてるのに、バランさんのからかいに交じったせいでなし崩しだ。
僕が港で彼に喰らわせた連撃は、バランさんの言うとおり、それはもう見事に決まった。
だが、傭兵稼業が身に染みついているアルヴィンが、無防備に攻撃を受け続けるなんてありえない話で。
僕が手加減してるのもわかってて、彼は綺麗に全て受けてくれたのだ。
変なところで気遣うから、僕も甘えてしまって、傍目には容赦のないコンボに見えたことだろう。
ぐずぐずと嘆く背中をやんわりと撫でて慰めるも、視線から恨めしさが消えない。
どうしたものかと思った矢先、バランさんが朗らかに口を開いた。

「さて、再会のお遊びもここまでにして」
「やっぱり遊んでたのかよっ!」
「アルフレド」
「なんだよ」
「言わなくても、わかってるんじゃないのかい?」
「…………はぁ……ジュード、ちょっと仕事終わらせてくる」
「え?うん、わかった。じゃぁ僕は手前の公園で待ってるね」

どうやら、アルヴィンがシャン・ドゥで請け負った仕事は、バランさんに関わることらしい。
確かに、仕事の仲間内でエレンピオスに一番順応できる人は誰かと訊かれれば、真っ先にアルヴィンの名前が挙がっても不思議ではない。
ユルゲンスさんたちは、エレンピオスに肯定的だとわかってはいるが、まだ未知の領域が多いとなれば、避けて通りたいのが人の本能だ。
だから、行き慣れたアルヴィンが行くと聴いて、『ついでに』と頼み込んできたのだろう。
彼もそれがわかるから、渋々とはいえ受けたのだ。
見えない壁は心の内側にこそ強固に築かれているもので、容易く取り除けるものではないとわかっていても、早く両世界のわだかまりがなくなればいいのに、と願わずにはいられない。
ぼんやりとそう思いながら、バランさんと会えたのはいい機会だと声をかける。

「バランさん、よかったら後でお話できませんか?色々お伺いしたいことがあるんです」
「あぁいいよ。今晩夕飯を食べながら、とかどうだい?」
「いいですね。料理、僕もお手伝いしますね」

二つ返事で了解を得た僕は、バランさんの住むマンションまで2人を見送って、その手前に広がる公園の散策を始めた。
公園といっても、そびえ立つビルに囲い込まれた小さなもので、子供の遊び場として機能しているものだ。
それでも、ところどころに設置されているベンチでくつろぐ人たちもいて、わりとにぎやかな印象を受ける。
日当たりのよい空きベンチを見つけて座りに行こうとしたとき、

「きゃぁ!」

小さな悲鳴に反射的に振り返ると、女の子が地面にうつ伏せに転がっていた。
どうやらつまずいて転んだらしい。
手を突いて起き上がったものの、その表情がじわりと歪む。

「ふ、ぇ」
「君、怪我はない?」
「うぅ……いたぁい、の」
「擦りむいちゃったんだね。大丈夫だよ、すぐに治るから」

ぐずぐずと目に涙をいっぱい溜めた瞳に微笑み返して、気を取られてる隙にそっと怪我の部分に治癒功をかける。
本当は自然治癒に任せたほうがいいのだが、痛みを取り除くくらいまでならたいした差異はない。
涙を止める薬みたいな、ささやかな治癒だ。
ふんわり舞い上がる温かなマナの片鱗が消えた後、いまだ僕を凝視してくる女の子の様子を窺う。

「まだ痛い?」
「……ううん、いたくない」
「そう、よかった。でも、すごいね、痛くても泣かなかったね」
「えらい?」
「うん、えらいよ」

綺麗に結われた髪型を崩さないように撫でてそう言えば、女の子は涙も忘れてにこりと笑って返してくれた。
エリーゼよりもずっと年下で、たぶん、いいところのお嬢さんなのだろう。
おめかしした服装が、周囲にいる一般の人たちよりいささか煌びやかだ。

「お兄ちゃんは、魔法使い?」
「うん?」
「さっきの、ふわーって!きらきらって!」

痛みが消えて持ち前の元気が戻ってきたのか、ぴょんぴょんと跳ねるように見上げてくる。
どうやら、まだ小さい彼女は、黒匣をよく知らないようだ。
黒匣を介さない精霊術は奇異の目で見られるのだが、まだ黒匣すら知らない少女には何の抵抗もないらしい。
無邪気に魔法だと喜ぶ姿が可愛くて、輝く瞳を翳らせないよう言葉を選ぶ。

「あれは、君へのおまじない」
「おまじない?魔法じゃないの?」
「うーん、似てるんだけど……なんて言ったらいいのかな」
「うーん?あ、ママっ!」

僕を真似て小首を傾げる少女は、ある一点を指差し歓声を上げる。
つられて後ろを振り返ると、あまりにも場違いな婦人が佇んでいて、僕はぽかんと呆気に取られてしまった。
僕と少女の前に現れたのは、清楚なドレスを身に纏った、いかにも貴族のご夫人といったオーラを放つ女性だった。
滑るようななめらかな足取りと、ドレスの裾裁きがあまりにも様になっていて、ごくごく普通の公園の背景がどこかの庭園に見えそうだ。
くるりと回す日傘すら、遠めにも細かな刺繍が施されているとはっきりわかる煌びやかさ。
周囲にいる人達が、それほど上流階級めいた服装でないだけに、違和感の塊のようだ。
イル・ファンですら、ここまで明らかな別格オーラを放つ人は、なかなかいない。

「あらあらどうしたの、アンジェリーナ。せっかくのお洋服を汚しちゃって」
「あのねママ、ここで、いたーいってしてたの。そしたらお兄ちゃんがふわーって!」

少女は興奮気味に母親だろう女性へ言い募るが、どう聴いたって抽象的な言葉ばかりでしっかり伝わっていないような気がする。
女性の方も、きょとんとした表情で娘の顔を見つめているので、僕は慌てて掻い摘んだ説明をした。

「えぇっと、お嬢さん転んじゃって、怪我してたのでちょっと治療を」
「きらきらって、魔法使い!」
「魔法使い?」
「お手てでアンのお膝、おまじないきらきらーって!」
「えぇー……と、それは……」

説明の最中に再び少女が声を上げてしまって、さらに説明しづらいことになった。
さすがにエレンピオスで黒匣なしの精霊術の説明は、色々問題がありそうで、思わず言葉に詰まる。
ここから逃げ出したくなったが、僕の気持ちなど知るはずのない女性はにっこり笑ってこちらを見つめてきた。

「貴方、もしかして異国の方?」
「え?」
「あら違ったかしら?最近見つかったという別の国の方ではないの?」
「……もしかして、リーゼ・マクシアのことですか?」
「そんな名前だったかしら?」
「もしそうなら、そうです」
「まぁ、やっぱり!知り合いに異国の方たちと仕事をしている人がいるの。まさかと思ったけれど、こんなところでお会いできるとは思わなかったわ」

やや冷や汗をかいていた僕の予想と異なり、ご婦人はころころと上品な笑い声を上げて嬉しそうに微笑んだ。
エレンピオスという場所を多少なりとも見てきたが、こうしてすんなり受け入れてくれるのは、非常に珍しい。
これも、彼女の知り合いだという人のおかげなのだろう。
誰だか知らないが、心の底から感謝したい。
もっと怖い視線で溢れかえってるんじゃないかと、勝手な偏見を抱えていたため、拍子抜けしてしまった僕を尻目に、女性は明るい微笑を湛えたままこちらへ一歩歩み寄ってきた。

「失礼、お礼がまだでしたね。娘を助けてくださって、ありがとう。ほらアンジェリーナ、この方に言う事があるでしょう?」

そっと背中を押された少女は、こてんと首を傾げて母親を見上げた後、僕の元へ駆け寄ってきた。

「えっと、このたびは、助けていただき、ありがとうございました」
「お役に立てて光栄です」

両裾をつまんでの可愛いお辞儀に合わせて、ローエンの見よう見まねで丁寧に腰を折れば、少女は気恥ずかしそうに笑った。
きっとこの子は、礼儀や作法の行き届いた素敵なお嬢様になるんだろう。
顔を見合わせてひとしきり笑い合うと、僕は少女と視線を合わせるように片膝を突き、ポケットからハンカチを取り出す。

「これをどうぞ」
「なぁに?」
「あそこの水のみ場で少し濡らして、汚れたところを軽くトントン、ってしておいで」
「トントン?」
「そう、優しくね。そしたら綺麗になるよ。できる?」
「できるっ!」

ぎゅっと渡したハンカチを握り締めて、小さな背中が水のみ場へと走っていく。
その後姿を眩しげに見つめると、隣に佇むご婦人が申し訳なさそうに話しかけてきた。

「ごめんなさいね」
「いえ、せっかくおめかししてきたんですから、綺麗にしてあげたいです」
「ふふっ、今から私の友人を訪ねる予定なのだけれど……あの子ったら、そこのご子息に一目惚れしてしまってね。大好きな彼に会えるものだから、朝から綺麗?可愛い?って騒ぎっぱなしだったのよ」
「可愛らしくていいじゃないですか。素直に好きだって言えるなんて、少し羨ましいです」
「あら、貴方も誰かに恋してるのかしら?」

僅かに弾む声色に、僕はぎくりとして慌ててご夫人を見上げた。
まずい、何か地雷を踏んだ気がする。

「え、いや……その……してませんよ?」
「あなた、嘘が下手ね。嘘は、もっと上手に使うことをオススメするわ」

切れ味抜群のさっぱりとした言葉が、容赦なく逃げ道を両断する。
確かに、自分でもそこまで嘘が上手いとは思ってなかったが、ついに初めて会った人からも、嘘が下手だと言い切られてしまった。
そんなにわかりやすいのだろうか。
いや、今のは明らかに動揺してしまった僕のミスだが。

「何か悩んでるのでしょう?通りすがりの相談でよければ、乗って差し上げますわ」
「え?」
「大丈夫、誰にも話したりなどしないわ。あなたの秘密は墓場まで持っていってあげる」
「いえ、あの、僕は相談することなん」
「恋の話はレディのたしなみ。さぁ、なんでもお話なさいな」
「えっと」
「遠慮はいりませんよ?」
「あの」
「さぁ、どうぞ?」
「うぅぅ……」

まばゆいほど目を輝かせて迫ってくるご婦人に圧倒されて、僕は逃げることもできず凍りついた。
女性は恋の話が好きだって聞いたことはあるけど、ここまで強烈に反応されたのは初めてだ。
よくある恋愛小説で、昔の貴族のスキャンダル好きとか、身分違いの恋だとかで騒ぐ女性とかよく見たけど、今僕が陥っている状況がまさにそれだ。
だが、本を読んで知ってただだけで、まさか上流階級のご婦人に恋愛相談を迫られる日が来るなんて、夢にも思わなかった。


アルヴィン、早く帰ってきて!


じりじりと日傘の似合うご婦人ににじり寄られながら、僕は心の内側で届かない助けを呼び続けた。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/02/19 (Sun)

レディが多いと、華があっていいね!
ジュードが小さな女の子といると、微笑ましくて仕方ないんだが、私だけか。
ほのぼのジュエリとか好きです。


*新月鏡*