「love-in-a-mist -test the water-」

 

 

 

うっすら窓から届く朝日に目を覚ますと、何故かアルヴィンが僕の腰に抱きつく形で寝入っていた。
あれ?なんでアルヴィンがいるの?
ぼんやり見やった隣のベッドは、まっさらなシーツに包まれたままで、乱れた様子がない。
おかしいな、と首を傾げて、若干飛んだ記憶を寝ぼけた頭で手繰り寄せる。
そういえば、昨日いきなり襲われたんだっけ?
どうやら、眠気に勝てず意識の飛んだ僕と同じく、アルヴィンもそのまま寝入ってしまったらしい。
だが、上掛けをしっかり被っていたということは、確信犯か。
やや胡乱な視線で見下ろしたものの、すぅすぅと寝息を立てている横顔に、昨日の切なげな表情を思い出す。

「あれから、半年だし……あやふやなままにしておくのも限界だよね」

詳細を話してはくれないんだろうけど、今まで耐えてきたものが一時的にとはいえ決壊したのだ。
かなり限界が近いに違いない。
最初から性急に返答を求めて口説かれていたのだから、今の今まで逃がしてもらえていただけ、僕はアルヴィンに大事に扱われているのだ。
そうでなければ、とっくにこの身は攫われていただろうし、昨日のようにわざわざ断ってくることもなければ、こんな穏やかな朝だって訪れることもなかったのだろう。
本当に、申し訳ないほど大切にされている。

「……ごめんね」

そっと乱れた髪を梳いて撫でる。
上辺ばかりの謝罪をくれてやるくらいなら、くだらない懸念など振り払って、互いに傷つきあえとばかりに本音を話せばいいものを、弱い僕はそれすらできない。
人を好きになるって、こんなに大変なことだったのか、とため息が漏れる。
我儘になって、自分本位に拍車がかかって、怖くて、傷つきたくなくて、それでも……離せない。
こんな感情、厄介以外の何物でもない。
ミラの時はこんな大変な目に遭ったことがなかっただけに、新たな感情を扱いあぐねているのも確かで。
彼女のときは、僕自身を振り返る必要などなかった。
いや、そんな悠長なことを言ってられるような恋じゃなかった。
何があろうと走って追いかけなければ、あの手を取ることなどできなかったのだから。

追いつきたい。

隣に立っていたい。

憧れと尊敬ばかりが先行して、憧憬に甘く付随するのが恋だと思っていた。
それが今はどうだ。
逃すまいと絡み続ける腕は、そんな可愛い感情など望みはしない。
どんなに薄暗い感情も、酷く滑稽な情けなさも、まとめて喰らい尽くすほど餓えている。
そんな貪欲さを秘めたアルヴィンが相手だからこそ、僕の決断は重いものだと実感させられて動けない。

「間違ってもいいなんて、嘘ばっかり……本当はそれすら怖がってるのにね」

自分の本心すら迷走して、早く早くと急かすアルヴィン。
健やかな寝顔からは想像もつかないほど、荒々しい激情をひた隠して待っていてくれる彼に、さすがに僕も覚悟を決めなくてはいけない。

「ねぇ……どれだけ傷ついても、突き放さないでね?」

もう、逃げはしないから。
僕が自覚している恐怖は、過去からずっと、それだけだ。
不在に感じる寂しさも、傷つけるかもという不安も、全部まやかし。
僕は拒絶されることに怯えてる。
だから、試した。


――――『いつまでなら耐えられる?』


告白されたあの日に言った言葉。
接触禁止や境界線など、全部本音を隠すための建前だ。
等身大の僕と接して、どこまで耐えられるのか、僕はそれを見続けてきた。
期待されれば速やかに打ち砕き、踏み込まれれば即突っぱねて、触れられる前にすり抜ける。

失望しない?

嫌いになったりしない?

誰にも踏み込ませたことのない領域で突き放されたら、僕はきっと耐えられないから、境界線上で散々彼の想いを踏みにじってきた。
怖かったんだ。
たぶん、他にも恐れる理由があるけれど、今自分が掴みきれる理由はそれだけだ。

 

「……ん、……」
「アルヴィン?」
「…………ジュー、ド……?」

もそもそと緩慢に動いて見上げてきた瞳は、まだ眠たいのか、ふらふらしている。
ぐしゃぐしゃになった前髪を整えるように撫でて、「おはよう」と声をかければ、こくんとひとつ頷いて、かすれた声で「おはよう」と応えてくれた。
寝ぼけてる、寝ぼけてる。
本当にどうしてくれよう、この人。
寝起きのアルヴィンは、僕の心をくすぐるベスト3のうちのひとつだ。
覚醒するのにまだちょっと時間がかかるので、それまで僕にひっついてきて、心ゆくまで甘えてくる。
大人相手に可愛いとかありえないんだけど、と思いながら彼の頭を撫でていると、それがよほど気持ちいいのか、アルヴィンはふにゃっと笑った。

…………ダメだ、起こそう。


「ほら、しゃんとして!」
「あ〜……」

ぐいっと額を押しやって引き離せば、突然なくなったぬくもりに、やや悲しげな声が上がる。
届くか届かないかあたりで、ひらひら彷徨う手のひらに苦笑が漏れた。
寝ぼけていても、彼は僕を求めてくれるのか。

「『あー』じゃない。ほら、起きて」
「……んー…………うぅ……」
「アルヴィン?このまま僕に情けない姿晒して好感度下げたいなら、別に構わないけど、それでいいの?」
「………………おきる……」

ものすごい葛藤があったのか、眉間の皺がすごいことになっている。
こんなに寝起きが悪くて、よく傭兵とかやってられたものだ。
以前それとなく訊いたとき、「そこは仕事と私事。ちゃんと切り替えのできる大人ですから!」とか鼻高々に言ってきたので、速やかにその天狗になった鼻をへし折った。
起きれるならいつも決まったサイクルで起きておけば、健康的な生活習慣になるのだ。
誇らしげに言うことでもない。
起き出したアルヴィンを見届けてから同じくベッドから抜け出し、腕を掲げて大きく伸びをする。

「ジュード」

不意に呼ばれて振り返ると、何故か視線を右往左往させて居心地悪そうにしているアルヴィンがいた。
何事かと首を傾げて問えば、やたら歯切れの悪い音ばかり返って来る。

「……その……あれだ、……悪かったな」
「何が?」
「……何って、そりゃぁ……昨日の」
「『許してくれ』?」
「……っ、わかってんなら言わせんな!」

かっと顔を赤くしてしゃがみこむアルヴィンに、僕はたまらず噴き出した。
何この人、今更、自分の行動を恥ずかしがってるの?
格好悪いのは、今に始まったことではないだろうに。
あぁもう、どうしようか。
この情けなくて、格好悪くて、どうしようもなく不器用な可愛い人を。

「アルヴィン、心配しなくても、僕は怒ってないよ」
「……ホントか?」
「もちろん。許してなきゃ最初から床に沈めてたよ」
「…………可愛い笑顔でどえらいこと言うね、おたく」

よしよしと項垂れたままの頭を撫でて、疎かになっていた身支度を整え始める。
しゃがんだままそわそわしているアルヴィンは、許されていたことと撫でられたことで、ちょっとご機嫌らしく、花を飛ばして余韻に浸っている。
単純で扱いやすいから僕としてはありがたいんだけど、アルヴィンはそれでいいのだろうか。
そんな余韻から復活したアルヴィンは、昨日の不安定な精神状態など嘘のように元通りだった。
てきぱきと身支度を整え、念入りに髪をセットする頃には、格好悪さを完璧に追い出した彼が立っていて、その背中には自信が満ち溢れていた。
印象ががらりと変わる人は結構いるだろうが、ここまで豹変するのも珍しい。
その豹変ぶりは過程を見てきた僕以外にもわかるほどのものらしく、ダイニングテーブルで顔を合わせたエリーゼの第一声が「アルヴィン、なんだかすっきりした顔してますね」だった。
うん、なんか背中に花でも背負ってるんじゃないかってくらい、きらきらして見えて、逆に怖い。
そろっと見上げて様子を窺うと、アルヴィンもこちらを見ていたのか、ばっちり視線が絡んでしまって。
心底嬉しそうな笑顔を向けられてしまえば、もはや何も言えない。

「アルヴィン、何か嬉しいこと、あったんですか?」
「んー?あぁ、あったぜー。なぁ、ジュード君?」
「……知らないよ。僕に振らないで」

話から離脱しようと、まだ起きてこないレイアの部屋へ行こうとするが、さりげなく肩を抱かれて引き寄せられれば、それもできなくなってしまった。
抗議も含めて見上げても、隠そうともしない笑顔を向けるばかりで話にならない。

「何があったんですか?」
「大人のひ・み・つ」
「えぇーっ!そこは普通、話すところですよ?」
「だけど残念、さすがにこればっかりは、エリーゼ姫でも教えらんねぇわ。もったいなくて、誰かに話すと減っちまう気がするし。俺の口からは、とてもじゃないが言えないなぁ」
「むぅ……ジュード……」
「そ、そんな目で見ないでよっ!僕は知らないって言ってるじゃないか!」

声を上げた僕にエリーゼの視線がアルヴィンへ向けば、僕を楯代わりにさっとアルヴィンが背中に隠れてしまって、また視線が僕へ戻ってくる。
なんという悪循環。
何とか逃げ出したいのに逃げられないまま、僕を挟んだ攻防戦は続き、最終的に後ろからアルヴィンに、前からエリーゼにぎゅうっと抱きつかれてもみくちゃにされる。
途中から、完全に僕へのいたずらにシフトしているのはわかっていたが、寝坊したレイアがやってくるまで、解放されることはなかった。
さらにその日一日、テンションの高かったアルヴィンに、僕はアルヴィン限定で自分の影響力の恐ろしさを思い知る羽目になった。

 

 

 

僕とアルヴィンに一陣の嵐を巻き起こした、カラハ・シャールでの2日間。
残り一日はとても和やかに過ぎ去り、あっという間に別れの時刻になってしまった。
名残惜しさを隠そうとしないエリーゼとレイアは、海停までわざわざ見送りに来てくれて、僕はなんだかしんみりとしてしまう。
会おうと思えば会いにいけるのに、どうして人の別れは愁いを伴うのか。

「もうお別れだね、エリーゼ」
「ジュード……絶対、ぜーったい、また来てくださいね!」

約束です、と指切りを可愛くねだられて、余計に別れがたくなる。
二つ返事で頷いて小指を絡めて約束をすると、隣でレイアと挨拶を交わしていたアルヴィンが乗船を促してきた。
どうやらここからは船で行くようで、乗船予定の豪華客船が、出航を待ちわびている。

「お手紙、たくさん書きますっ!」
「うん、僕も書くよ」
「ジュード、わたしのも書いてよね!忘れたら許さないんだから!」
「あはは、わかってるよ、レイア」

めいっぱい別れを惜しんでくれる彼女たちを眩しげに見ていると、そっと肩にアルヴィンの手が触れる。

「ジュード」
「うん。2人とも、楽しかったよ。ありがとう」
「私も、楽しかった、ですっ!」
「またね、ジュード!アルヴィンも」
「俺はついでかよっ!」

きゃらきゃらと笑うレイアとエリーゼを残して、僕たちはサマンガン海停を後にする。
乗船後、船尾へ出て大きく手を振れば、姿が見えなくなるまで、彼女たちは手を振り返してくれた。

「レイア、エリーゼ……またね」

伝え切れなかった別れの挨拶を、ぽつりと呟く。
どうしても、こういった別れには弱いらしい。
それでも、心優しい彼女たちに温かな気持ちを分けてもらえたようで、頬を撫でる潮風を心地よく感じられる。

「ジュード」

追い風に気を取られていると、突然耳元で囁かれて身体が跳ねる。
完全に気が弛みきっていたので、傍目にもわかるほど肩が揺れ動いた。
だが、声をかけた本人は特に気にした様子もなく、僕を囲うように背後から手すりに伸びる手は、抱きしめるように狭まって、どうにも動けない。

「……アルヴィン?」
「名残惜しいのもわかるけど、そろそろ客室行こうぜ。ここにいたら身体が冷える」
「…………うん……」
「これっきりってわけじゃない。また来ればいいさ、何度でも。お前が望むなら、すぐにグレンで飛んでいってやるよ」
「アルヴィン…………ありがとう」
「どういたしまして」

ちゅっと軽く耳元にキスされて、別れの淡い余韻が吹き飛んだ。
慌てて耳を押さえて振り返れば、いたずらの成功した子供のような笑顔があって、僕はさらに熱が上がる。
ここには僕たち以外にも乗客もいて、当然公の場だというのに、何をしてくるんだこの人は。

「なっ、なに、す……!」
「やっと、俺を見たな」

喜色に満ちた柔らかな視線にどきりとする。
あぁダメだ、僕は心底この瞳に弱い。

愛しげに。

慈しむように。

包み込むような優しさばかりを集めた眼差しは、僕の視線を甘く絡め取る。
瞳の奥に激しい願望を抱きながら、それでも、囲う腕は僕に無理強いすることはない。
昨日、あれだけ追い詰められてなお、彼は僕の感情が伴うまで待とうとしてくれているのだ。
これほど丁寧に愛されて、自覚した恋心が騒がないはずがない。
熱く見つめられて身を委ねそうになる自分を必死に押し留めて、流されるまいと目を瞑る。
そして、とっさに視線を逸らした先の景色に、我に返った。
そういえば、ここは乗船者多数の船上だ。
ちょっと待って、僕はどれくらいアルヴィンを見てた?
戻ってきた現実にやや顔を青ざめ、目まぐるしく状況確認に勤しむ。
幸いなことに、まばらに散っている乗客は、僕たちのいる最後尾よりずっと船首に近いところにいるので、アルヴィンの背中で見えていないかもしれない。
だが、目撃者がいた可能性が、捨てきれるはずもない。
互いに甘く絡んでいた眼差しは、どう見たって恋に盲目な人たちのそれだ。
それに加えてこの体勢とくれば、何かもう、色々まずい。

「……………アルヴィン」
「どうした?」
「……客室に戻ろう、今すぐ」
「うん?あぁ、そうだな。もうずいぶん身体が冷えてる」

そっと抱きしめられてしまえば、さらに羞恥と困惑で熱が駆ける。
確かに、アルヴィンの体温の方が高くて、包まれた瞬間にふわりと溶けるような安心感に満たされたけど。

さすがにこれはない。


「打ち抜けっ!」
「ぐはっ!」

抱きしめられたままの状態で小さく構え、手刀をすばやく突き上げて上空に吹き飛ばす。
超近距離武身技、烈破掌の第一段階をまともに喰らったアルヴィンは、真上へ吹き飛び、受身を取ることなく床に落ちた。
甘い空気に呑まれて油断していたせいか、うめき声すら上げられないほど綺麗に決まったらしい。
負傷した顎を押さえてのろのろと上体を起こすアルヴィンを、僕は両腕を組んで見下ろした。
追撃の第二段階まで打ち込まなかっただけ、ありがたいと思って欲しいところである。

「場をわきまえない人を、僕が許すと思う?」
「…………思い、ません」
「だよね。言うことは?」
「ごめんなさい、嬉しくて調子に乗りました」

素直に謝ってきたアルヴィンは、これでもかというほど悲しげな表情で見上げ、僕の顔色を窺ってくる。
そのあまりの情けなさに、僕は怒る気も失せていくのだが、これが計算されて行われているのだとしたら、彼は相当な策士だろう。
しゅん、と耳の垂れ下がった子犬のようなしょげ方をされて、僕が折れないはずがない。
それに、容赦なく武身技を放ったものの、彼のとった行動自体には確かに心躍ったのだから。

「アルヴィン」
「はい……」
「客室のドアに小窓ってあるの?」
「へ?……いや、なかった気がするけど?」
「そう、じゃぁ外から中は見えないんだね」
「…………はっ!!おい、ジュード、早く部屋行こうぜ!」

ミラの次に僕が恋した人は、とんでもなく欲望に忠実で現金だった。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/02/13 (Mon)

通常運転でも格好悪いな、アルヴィンwwww


*新月鏡*