「love-in-a-mist -miss seeing-」
人を傷つけるのは簡単だ。 時として、意識せずとも相手を追い詰める。 最悪、自分に原因があるのだと、わかっていながら。
シャール家を一人の少女が訪れたことによって、穏やかな時間が慌しく華やかなもの変貌する。 エリーゼの厳命によって迎えにいったアルヴィンが、連れて帰ってきた人物に、僕は沈み込んでいた思考が吹き飛んだ。 エリーゼと同じく、変革の日に別れて以来の再会に呆然としてしまって。 「久っしぶりー!」 「レイ、うわぁっ!」 「きゃぁ!ジュード!?」 挨拶代わりに思いっきり突き飛ばされるように肩を叩かれて、僕はそのままひっくり返って背中を打った。 盛大な乱入を決めてくれたのは、世界を旅した仲間でもある僕の幼馴染だった。 元気溌剌なレイアは、軽く叩いたつもりなのだろうが、その力は彼女の予想以上に強かったようだ。 彼女の喜びと歓迎の意思表示とはいえ、不意をつかれて大打撃とくれば、さすがに痛い。 頭を打たなかっただけ幸いだ。 「ジュードっ!お前、平気か?頭打ってねぇよな?どっか痛いところはっ!?」 「っ……アルヴィン、大丈夫だよ。ちょっと背中打っただけ」 すぐさま駆け寄って抱き起こしてくれたアルヴィンが、顔面蒼白になって心配してくれたが、レイアのパワフルな行動は今に始まったことじゃないので、僕は笑って答える。 小さい頃から何度も、容赦も手加減もない技を喰らい続けてきたのだ、これくらいどうってことない。 だが、僕の過去を知るはずもないアルヴィンは、『打った』の一言で眉を跳ね上げる。 「背中!?」 「あわわっ、大丈夫!平気!そんなに酷い怪我してないよっ!心配しないで」 「けど」 「僕は医学生だったんだよ?これくらい平気。信じて」 「…………何かあったら言え」 「うん、わかった」 渋々といった感じで手放されるも、纏わりつく視線は離れない。 そのことに、多少の違和感を感じるものの、彼が心配するのも仕方ないほど、僕は盛大な音を立てて綺麗にひっくり返ったので、なんだか彼の気持ちを無碍にしたような後ろめたさを抱く。 だが、アルヴィンの過保護さを今まで全く見てこなかったレイアは、さすがに驚きを隠せないのか、呆然と立ち尽くしたままアルヴィンを凝視する。 一方、気にかけられ慣れているエリーゼは、過剰反応したアルヴィンの手を、宥めるようにそっと引いた。 「ジュードが、大丈夫って言ってるんですから、大丈夫ですよ、アルヴィン」 「……エリーゼ……」 にこりと愛らしく微笑めば、ふわふわとした柔らかい雰囲気で、あっという間にアルヴィンは元通りだ。 エリーゼの癒し効果は絶大で、入ってきたときのややギスギスしたオーラはまったくなくなっていた。 そういえば、よく見てなかったからわからなかったが、扉をくぐってきた彼の雰囲気は、大風車前で別れたときとは違ったように思う。 レイアを迎えに行ってる最中に何かあったのだろうか。 ふと湧き起こった疑問に首を傾げていると、ちょこちょことした足取りでレイアが近寄ってきた。 「ねぇねぇ、ジュード、アルヴィンと何かあったの?」 「別に……これといってないと思うんだけど」 片手を耳元に掲げて、ひそひそと秘密話をするレイアに、僕は少し苦笑する。 本人を目の前にこの至近距離とくれば、ばっちり聞こえてるし無意味だろうに。 「なんだかね、みんなと別れて以来すっごく心配性になっちゃってるんだよ」 「そうなの?うーん……だからかなぁ?」 「何が?」 「んとね、さっきちょっとした相談というか悩み事というか、聞いてもらってたの」 「レイア、何か悩んでるの?」 「え、あ、ううん!解決したから大丈夫!」 「そう?」 「そうそう!ジュードは気にしなくていいんだよっ!」 力いっぱい大丈夫をくり返すレイアに、訝しげな視線を送るものの、言う気のない彼女から聞き出すのは難しい。 仕方ないと、ひとつため息をついて、一時中断してしまっていたお茶会を再開するべく、立ちっぱなしの面々を席へ促す。 「エリーゼ、2人を席に案内してもらえるかな?せっかくの紅茶が冷め切ってしまう前に、みんなで一緒に飲もう」 「はい、です!」 少し屈んでにっこりと笑えば、アルヴィンの手を握ったままのエリーゼは、ぱぁっと目を輝かせて元気よく頷いてくれた。 各々の席へ案内され、ドロッセルさんの計らいで淹れなおされた紅茶を、みんなで仲良くいただく。 華やぐ会話に甘いお菓子、温かな紅茶と心落ち着く人達に囲まれて、僕の笑みは絶えることがなかった。
それからずいぶんと時間が経ち、10の鐘が鳴る頃。 もうそろそろ就寝時間も間近だというのに、レイアとエリーゼは、僕たちに宛がわれた客室に入り浸っていた。 時折うつらうつらと落ちかかるエリーゼの瞼に、今日はお開きに、の言葉を何度繰り返したことだろう。 離れたくない、話していたいと思ってくれているのは嬉しいが、さすがに夜中に女の子を連れ込んでいるのはどうかと思う。 旅の頃だって、こんな夜更けまで彼女たちが部屋にいたことはなかった。 それは、ローエンの厳しい言いつけの名残でもあって、僕はどうにか彼女たちを部屋へ返さなければと焦る。 どうやらあの頃のローエンは、自分が子供たちを預かっている、という責任を率先して背負っていたようで、年少組である僕たちは、最低限のマナーを叩き込まれていた。 就寝に関しては、最終的に『宿に泊まれるときは、全員10の鐘までに寝る』という暗黙の了解すらできてしまっていた程だ。 そのおかげで、過酷な状況の中、ほとんど体調を崩すことなく旅を続けることができたのだが。 その習慣が身についているエリーゼは、既に意識が半分、眠りの森へ誘われている。 「ねぇ、もうエリーゼもこんなだし、明日もあるんだから、今日は部屋に帰りなよ」 「えぇー、喋り足りないよぉー」 「むぅ……眠く、ない……です」 「エリーゼ、ばっちり寝てるよ、今完全に目閉じてるでしょ?」 元気の有り余るレイアとは異なり、ふにゃふにゃと言い訳をするエリーゼの唇から零れるのは、言葉になりきらない音ばかりで苦笑する。 僕の指摘を聞き取って、違うと言えないほど、彼女は眠たいのだ。 無理やり部屋につれていくのもありだが、さて、どうしたものか、と考えていると、ふとエリーゼに影がかかる。 「レイア、いい加減にしとけ。言っただろ?」 そっとエリーゼを抱き上げたアルヴィンが、レイアを見下ろしてそう言った。 何の抵抗もなく腕の中に納まってしまったエリーゼは、突然起こった浮遊感に僅かに身じろぎしたものの、そのまま小さな寝息を立て始める。 ずいぶんはしゃいでいたのだから、疲れているのも無理はない。 その一方で、注意を受けたレイアは、少しの抗議を込めた視線でアルヴィンを見上げた後、はぁ、と大きくため息をついた。 何か2人で約束事でもしていたのだろうか? 「仕方ない、言っちゃったもんね」 「そういうこと。今日だけで済む話でもないんだろ?」 あのまま喋ってたら、いくら時間があっても足りない、と茶化すアルヴィンに、僕は微笑む。 レイアのおしゃべりは長いからなぁ。 「んー……そうだね、じゃぁ……ジュード、また明日ね?」 「わかった、また明日。おやすみ、レイア」 「おやすみ、ジュード」 名残惜しげに部屋を出て行くレイアを見送って、交わした言葉を心の内側で反芻する。 『また明日』、この言葉を仲間と交わしたのは、いつぶりだろうか。 懐かしさに幾分しんみりとしていると、レイアを追って部屋を出て行こうとしたアルヴィンが振り返る。 「ジュード」 「ん?」 「エリーゼ姫部屋に運んでくるわ、ちょっと待ってろ」 「うん、いってらっしゃい」 ひらひらと片手を上げてそう言うと、何故かアルヴィンは嬉しそうに笑って部屋を出て行った。 ぽつんと取り残された客室で一人、僕は向けられた笑顔に少し呆然とする。 あれ?そういえば、アルヴィンの笑った顔って久しぶりに見たかもしれない。 いつから?と回想すると、どうも大風車の前で別れて以来な気がする。 一緒にいて、これほど長い時間、彼の笑顔を見なかったのも珍しく、僕はなんだか妙な気分になった。 「アルヴィン……何かあったのかな?」 どうにも腑に落ちないものがあって、僕は腕を組んでちょっと考え込む。 大風車の前で別れてレイアを迎えにいってから、そういえばまともにアルヴィンの顔を見てないかもしれない。 彼の悩みに気づけなかったことに、不甲斐ないと落ち込んだばかりだというのに、僕は早々に、彼の動向への気配りをなおざりにしていたようだ。 「ホント……僕って自分のことばっかりなんだね」 ため息混じりに呟いた言葉に、少し胸が痛む。 自分で自分に傷ついていれば世話がないのに、言わずにはいられない。 情けなさを、不甲斐なさを、そして、自分の残酷さを。 エリーゼの方が、よほど彼を気にかけている。 その気遣いを、少しでも見習えばいいものを、どうして僕はまた同じ間違いを繰り返す。 たまらず吐き出す息は重く、心の憂いを体現しているようだ。 彼を傷つける最大の原因は、結局のところ僕なのだ。 このまま傍にいていいのだろうか、とくだらない疑問まで出てくれば、消極的すぎる思考回路に嫌気が差した。 独りにしないと、僕は誓ったはずだ。 どんな結果になろうとも、離れたりはしないと。 「ただいま」 ぼんやりと考え込んでいると、いつの間に帰ってきたのか、アルヴィンがドアノブに手をかけて扉を閉めていた。 どうやら僕はまた、入ってきた音すら気づかなかったようだ。 いとも容易く現実が吹き飛ぶなんて、いつから僕はアルヴィン絡みの悩みに、ここまでのめり込んでしまうようになったのか。 「……ジュード?」 「あ……ううん、ごめん……おかえり」 「どうした?」 「何も」 「またか。おたく、嘘下手すぎ。どうせ暴くんだ、手酷くなる前に言っちまえよ」 「……手酷くするの?」 「場合によれば、な」 少し肩をすくめたアルヴィンは、自然に傍に寄ってきて、するりと腰へ腕を回してくる。 逃げる僕を囲う腕は、僕が白状するまで解かれることはないのだろう。 いつもながら、このときのアルヴィンは獲物を前にした狩人のように嬉々としていて、逆に白状したくなくなる。 だが、話さなかった場合に待ち受けている物事を考えると、白状した方が身のためだ。 擦り寄るアルヴィンを見上げ、小さくため息を吐いて、僕はおもむろに口を開いた。 「……もっと、アルヴィンのこと、ちゃんと見てればよかったなぁって」 「…………」 「ここに来てからずっと、まともに話してなかったし、見てもいなかったんだなって、さっき気づいて。……僕って自分のことばっかりだね。アルヴィンが楽しみにしてたデートなのに……ごめん」 徐々に落ちる視線を止められない。 アルヴィンが僕を連れ出してくれたのは、僕との時間を楽しむためのはずだ。 なのに、浮かれすぎた僕は、肝心の彼を置き去りにした。 誰より寂しがりな彼が、その距離にどう感じるかなど、考えずともわかりきっているのに。 後ろめたさに顔を上げられずにいると、長い沈黙を守っていたアルヴィンが動いた。 「……俺の方が酷いから、謝んなくていいぜ」 「え?」 「代わりに、ちょっとだけ許してくれ」 何を、という前にベッドへ押し倒される。 逃がすまいと肩を抱くように掻き抱かれ、額に、頬に、首筋に、次から次へとキスの雨が降り注いで、突然のことに把握が追いつかない。 驚きに硬直していたが、それも過ぎればこの状況のまずさに気づいて、とっさにアルヴィンの胸を突っぱねる。 だが、何かを必死で耐える苦しげな瞳とかち合ってしまえば、突っぱねた腕から力が抜けた。 アルヴィンは、僕を傷つけない。 それは絶対だ。 だからこの行動には何かしら意味がある。 加えて、今まで安定していた彼が、切迫するほど追い込まれているという事実を思えば、これ以上酷なことなどできるはずもない。 「ジュード……」 僕の名を呼ぶ声が、何故かその時、『助けて』と聞こえてしまって、僕の僅かな抵抗は完全に掻き消えた。 アルヴィンは言ったはずだ。 『許してくれ』と。 僕の感情を無視して行動を起こすことを、少しだけ許してほしいと。 自覚した上での懇願ならば、僕はもう抗えない。 「ジュード」 「……少しだけ、ね」 びくりと反応するアルヴィンの頭を、そっと抱きこむ。 これほど弱った彼を見るのは、告白されたあの日以来かもしれない。 きっと、僕が彼を見ていなかった間に、何かがあったのだ。 それがきっかけで、穏やかだった心が荒れてしまったのだろう。 そのきっかけが何かはわからないが、アルヴィンを元の安定した状態まで戻すのに、このキスと抱擁は必要なことなのだ。 それを自覚しているからこそ、アルヴィンは先に許しを乞うた。 ならば、僕は可能な限り、それを与えるだけだ。 アルヴィンに望むことを促したのが僕であるなら、なおさら。 「……アルヴィン」 首筋に顔を埋めて大人しくしているアルヴィンの髪を、ゆっくり宥めるように梳いて名前を呼べば、強張っていた身体から力が抜ける。 臆病なアルヴィン、いったい何を恐れているの? 追い詰めただろう僕がそう問うのもおかしなことだが、彼が危惧するものが一体何なのかを知りたい。 でなければ、きっと僕は同じ過ちを繰り返す。 だが、怯えて揺らぐ瞳を見てしまえば、口にすることも叶わなくて。 「悪ぃ、ジュード……」 「アルヴィン?」 「俺は、最低な奴だ……でも、無理なんだ……」 「どう」 どうしたの?と告げる前に、薄い唇がそっと言葉を封じてくる。 優しさに満ち溢れているのに、どこか執拗に求めてくるキスは、それだけでアルヴィンの激情を示しているようだ。 「愛、して……俺を……俺、だけを……」 泣いているのかと思うほど、弱々しい願いが降り注ぐ。 「こ……いん、だ……んに、させ、……いでくれ」 キスに溶けて掻き消える本音。 「……れ、の……ジュード」 合間に漏れる低い声が、朦朧とし始めた意識を掠めるが、把握にまでは至らない。 何?何て言ったの? ねぇ、と問いかけようとしても、すぐさま唇を塞がれる。 言葉どころか呼吸さえ奪う長いキスと、包み込む温かな熱に、僕の意識は次第に身体から引き離されて。 絶え間ないキスを受けながら、僕はアルヴィンの腕の中で、緩やかに眠りへ滑り落ちる。 「お願いだ……早く、俺を選んでくれ……」 最後に届いた、耳朶を噛むように囁く求愛は、どこまでも甘く切なかった。
* * * * 2012/02/08 (Wed) 確証がなければ、余裕なんてあるはずない。 いつだって、恐れてる。 *新月鏡* |