「love-in-a-mist -a different view-」
アルヴィン発案のデートは、たぶん、誰も実行したことがないんじゃないかというほどアクティブでハードなものだった。 昨日朝から晩まであれだけ駆け回ったというのに、どうしてこうもアルヴィンは元気なのか。 眠気まなこを擦りながら早朝にシャン・ドゥを出立し、僕たちはカン・バルクへ訪れていた。 ここも久しぶりに訪れたが、降り積もる白い雪に指先が凍りそうだ。 はぁっと手のひらに息を吐いて擦り合わせていると、ふわりとマフラー代わりのストールが巻きつけられる。 見上げた先にはもちろんアルヴィンで、人好きのする笑顔を浮かべたまま僕をベンチへ座らせると、てきぱきとブーツを履かされた。 いつの間に、というより、用意がよすぎて驚いた。 しかも今後の予定も考えているのだろうか、ショートブーツをチョイスしてくるあたりが計画的な行動に見えてくる。 こういう気配りや抜かりのなさが女性の心を鷲掴みにするのだろうか。 ちょっと覚えておこう、と少し学習しつつ、アルヴィンと一緒に散策して回る。 昨日もそうだが、アルヴィン発案のデートは自由度の高いデートで、何時頃に指定の街にいればいい、くらいの気楽さだ。 時間の制約がないなんて、日頃の自分からは考えられない贅沢で、気の向くままにあちこち歩き回るのは、すごく楽しかった。 せっかくカン・バルクへ訪れたのだから、ついでにローエンとガイアスに会えたらなと思っていたが、残念なことにその願いは叶わなかった。 門番の表情や言動から察するに、激務に勤しんでいるようだったので、声をかけられなかったのだ。 声をかければ、きっと2人とも時間を割いてくれるだろうけれど、仕事の邪魔をする気にはなれない。 それに、カン・バルクの街を見れば、残念がる僕の気持ちなどとても小さなことだった。 穏やかな人々の表情や、ちらほら交じっているエレンピオスの商人たちへの対応を見れば一目瞭然だ。 たぶん、ガイアスによって完全に纏め上げられているこの街が、一番エレンピオスに友好的な場所なのだろう。 朗らかな雑談と商談に、目に見える嫌悪の色はない。 そのことだけでも、ガイアスたちの努力がしっかりと反映されているのがよくわかった。 「負けてられないね」 「だな。……けど、」 「うん、大丈夫。ちゃんと教えてもらったから、わかってる。自分のペースで、でしょう?」 「そういうこと。わかってるならいい」 「アルヴィンの過保護」 「ジュード君の甘え下手」 「そんなことないよ」 「そんなことあるさ」 「……じゃぁ、お互い様!」 「くくっ、そうだな」 胸が温かくなるような気持ちに、転がるような会話を交わして、イル・ファンも早くそうなればいいな、と淡く願う。 遠くない未来に、互いが互いを支え合う世界になればいい。 白く色づく街並みを眺めて、僕はそんなことを思った。
それから鐘ふたつ経った現在、僕らはカン・バルクを発ちカラハ・シャールへ向かっている。 正直、デートでここまで飛び回ることになるとは思ってもいなかった。 アルヴィンに連れられて訪れる先は、僕が想像する以上に多彩で、そこそこ体力づくりをしていると自負しているにも拘らず、僕は稀に感じる疲労に少し戸惑っていた。 ぐったりする疲労ではなく、爽やかな心地よさを与える疲労感なのが救いだ。 そんな僕を気遣いながら、アルヴィンは本当に有言実行するつもりなのか、リーゼ・マクシアのめぼしい場所を全て訪れるくらいの意気込みで空を駆ける。 グレンをこれほど長時間操縦しながら、たいした疲れを見せないアルヴィンに、僕は心底驚嘆してしまう。 まさか、これが彼の仕事の日常なんて言わないだろうな。 とんでもない体力勝負の仕事じゃないか。 確証の得ない予測だが、手馴れた彼の様子に否定もできない。 毎日こんなハードな移動を繰り返して、シャン・ドゥから遠く離れたイル・ファンまでわざわざ帰ってくるのかと思えば、それでまた彼のひたむきさを思い知らされる。 本当に、どうしてくれようこの気持ち。 嬉しい。 気恥ずかしい。 それから少し、心配。 無理しないでね、なんて言っても聴くはずがない彼だから、僕は口にしないけれど。 「お疲れさま」 「ん?何か言ったか?」 「ううん、何も?」 「そうか?」 「そうだよ……」 すりっ、と頬を背中に寄せて目を閉じる。 やっぱりアルヴィンだって、甘え下手じゃないか。
最初は驚きの連続だった雲海遊泳にも、少しずつ慣れてきた頃、ようやく次の目的地であるカラハ・シャールに着いた。 グレンから降りると、柔らかな風が頬を撫でて髪を弄ぶ。 相変わらずこの街は気持ちのいい風が吹いていて、穏やかさにひとつ深呼吸をすると、 「ジュードっ!」 「わっ!」 鈴のような可愛い声に呼ばれた、と思った次の瞬間、小さな衝撃と共に抱きつかれる。 慌てて振り返ると、視界の端にダークゴールドの柔らかな髪がふわりとなびいた。 「エリーゼ!?」 「お久しぶりです、ジュード」 きらきらした大きな瞳が嬉しげに僕を見上げていて、未だ離されることのない手が歓迎をめいっぱい示してくれていた。 手紙のやり取りのみになっていた少女は、旅をしていた頃のゴシックなドレスとは異なり、白と桃色の淡いドレスを身に纏っていて可憐な花のようだ。 まるで彼女の思い出の花のように、幾重にもひだを重ねた裾は、風にふわふわと揺れる。 「久しぶり、エリーゼ。でもどうしてここに?」 「…………アルヴィン!」 「……悪ぃ、言ってなかったわ」 ぎゅっと僕の服を掴んだまま、エリーゼは抗議の視線をアルヴィンへ投げる。 「え、何?」 「今日は、エリーゼ姫たっての希望でシャールの屋敷にお呼ばれしてんだ」 「そうなの?」 「そうなんですっ!ポカしたアルヴィンには、罰として、市場の門前までお迎えの刑、です!ジュードは、私と先に帰りましょうね」 にこっと見上げてくる笑顔は微笑み返してしまうほど愛らしいが、さりげなく投下されたアルヴィンへの刑罰が気になる。 何だろう、お迎えの刑って。 首を捻って疑問に思ってみるが、僕とは異なりアルヴィンにはエリーゼの意図が伝わっているのか、言い渡された厳罰にがっくりと肩を落とした。 「えー、そりゃないぜエリーゼ姫ー」 「女の子のお願いを、まともに叶えられない人には、これくらい当然です!じゃぁ先に行ってますね、アルヴィン。失礼のないよう、しっかりお出迎え、してきてくださいね」 「ジュードくーん」 「えーっと……じゃぁ後でね」 「おたくまでっ!?薄情者!」 めそめそと寂しいアピールで後ろ髪引いてくるが、どうせグレンを預けてこなければいけないので、一緒に行くにしてもアルヴィンは一度僕たちから離れる必要があるはずだ。 そのついでに用事ひとつ増えたところで、時間的にもたいしたことではないだろう。 それに、女の子のご要望を損なったとあれば、従わざるを得まい。 仲間の中でも気の強い女性陣であれば、特に。 これはもう、旅をしていた頃からの習慣だ。 ぶつぶつ文句を呟きながら、グレンを預けに行くために踵を返した背中を見送り、僕はエリーゼに促されてシャール家の屋敷を訪ねた。 手を引かれながら大きなエントランスホールへ足を踏み入れると、ドロッセルさんが出迎えてくれて、そのまま隣の客間へ通される。 ドロッセルさんはこの半年で当主の威厳めいたものが備わってきているようで、指示を飛ばす彼女の背中はしゃんと伸びていて、とても綺麗だった。 その後姿をぼんやり見ていると、ぐいぐいとエリーゼに袖を引かれて席へ促され、既に準備の整えられている茶席へと案内される。 早く早くと急かす彼女は、どうやら僕の来訪をずいぶん楽しみにしてくれていたようだ。 サプライズパーティーといった状況の僕からしてみれば、彼女の純粋な歓迎会はとても嬉しいものだった。 テーブルには、オリジナルブレンドの紅茶と焼きたてのマフィンやクッキー、いろんな種類のケーキが乗ったケーキスタンド。 所狭しと並んだスイーツの数々は、女の子にはとても魅力的なことだろう。 現に、隣に座っているエリーゼの瞳が爛々としている。 「これ、本当にいただいていいんですか?」 「えぇ、もちろん。エリーが、ジュード君のために一生懸命考えたお茶会ですもの。ね、エリー?」 「はい……がんばりました!」 「嬉しいよ、エリーゼ。ありがとう」 にこっと笑ってそう告げれば、ふわりと頬に朱を刷いて微笑み返された。 エリーゼは、笑うと本当に可愛い。 最初は泣いてたり、寂しそうな表情が目立っていたけど、こうして自然と微笑んでいる彼女を見ると、温かな気持ちを分けてもらえたような気がしてほっとする。 そんな優しい気持ちを抱いたままエリーゼ主催の歓迎会は開始され、あれやこれやと僕の皿へ盛り付けが始まった。 一斉にあらゆるスイーツが寄こされようとしていたので慌てて制止し、エリーゼにひとつずつチョイスしてもらうことで妥協してもらう。 さすがに僕は、ミラほどの勢いで食べられない。 ケーキスタンドからエリーゼが選んだ小ぶりなショートケーキをひとつ皿へ移すと、促されるままぱくりと一口食べた。 生クリームの上品な甘さと、果実の程よい酸味が口の中に広がる。 「……美味しい!」 「よかったぁ」 ぱちん、と手を合わせて喜ぶエリーゼにどうしたのかと首を傾げて問えば、このケーキだけはエリーゼのお手製なのだと教えてくれた。 手作りにしては、しつこくなく甘すぎることもないので、甘いものが苦手な人でも食べやすいかもしれない。 次から次へとフォークを往復させる僕に、大成功、とはしゃぎ合うエリーゼとドロッセルさんは、本当に仲のよい姉妹のようだ。 それからも、クッキーや果物を食べながら、淹れ立ての紅茶を飲み、お互いの近況報告に花が咲く。 エリーゼからは、学校のことや友達のこと、ドロッセルさんからはカラハ・シャールの現状やエリーゼの私生活の話をたくさん聞かせてもらった。 こちらも研究の成果や昨日見てきたハ・ミルの村のことを話し、尽きない会話を楽しんでいると、不意にエリーゼが声を上げた。 「そうだ!あの、ジュード、ひとつ質問があるんです」 「なに?」 「相談されたいときって、ジュードならどうしますか?」 「相談、されたいとき?」 突然寄こされた問いかけに、僕は瞬時に回答を出せなかった。 相談する、ではなく、『されたい』とは珍しい。 学校の友達について、何か悩み事でもあるのだろうか? 「そうだなぁ……僕なら、核心に触れない部分から少しずつ訊いてくかな?」 とりあえず、真剣な問いには真剣に答えなければ、と今思いつく僕なりの回答を返した。 すると、 「核心に触れない、ですか?」 そう問いを重ねたエリーゼは、身を乗り出さんばかりの勢いで顔を寄せてくる。 どうやらこの話は、エリーゼにとって相当深刻な話なのかもしれない。 『友達』に絶対の信頼を寄せる彼女にとって、その友達から相談されないというのは、なかなか心に堪えるものだろう。 これは大変だ、と意識を改め、僕はエリーゼの問いを首肯する。 「うん。本人が話さないってことは、話したくないことかもしれないし、逆に言いづらいだけなのかもしれないから、とりあえず当たり障りない質問をしてみるんだ。それで、相手が言い出しやすい雰囲気を作ってあげるといいかも」 「相談しやすく質問する、ということですか?」 「そう。そうすれば、最初は違ったことを話してても、その延長で大事なこと相談してくれるかもしれないでしょう?」 「なるほど、ジュードは促しつつ待つタイプ、なんですね」 「んー……そうだね、僕は待つんだろうな」 そう言われると、そうかもしれない。 基本的に受身で対人関係の調和を図ってきたから、自分から暴きに行くという考えは、僕の中には基本的にない。 だから、どうしても受身寄りの事なかれ主義みたいな回答になってしまうのだが、エリーゼは僕の回答に納得したようだ。 うんうんと小さく頷く姿は、ちょっと可愛い。 エリーゼが言葉を整理し終わる頃を見計らって、今度は僕が口を開く。 「ところでエリーゼ、友達に相談されたいの?」 「え……?」 さりげなく訊いたつもりだが、何故かエリーゼはぱちりと大きく瞬きして数秒固まった。 あれ?何か間違った? 「あっ……えっと、私じゃなくて」 「エリーゼじゃなくて?」 「…………あの、」 「うん」 「……アルヴィンが……」 「うん?」 「相談されたいって、前に手紙で、アルヴィン言ってた、です」 「…………アルヴィンが、そう、言ってたの?」 こくんと頷くエリーゼと予想外に出てきた名前に、僕の予測が音を立てて崩れていく。 どういうこと? 僕、そんな兆候、一切知らないけど。 仲間の中でおそらく一番アルヴィンの傍にいるだろうと、心のどこかで自負していただけに、僕にはなかなか衝撃的な言葉だった。 あれだけ一緒にいながら、彼が悩んでいたということに気づけなかった。 アルヴィンが自分から弱った部分を見せようとしないのはわかっていたが、まさか僕がそれを見抜けないとは。 ユルゲンスさんからお願いされたばかりなのに、なんたる失態。 動揺と愕然に苛まれたものの、はたと気づいて慌てて平静を装ったのが功を奏したのか、エリーゼは僕の変化に気づいていないようだ。 彼女は敏いから、少しでも気づかれれば、痛めなくていい心を痛めてしまう。 ほっと小さく息を吐く僕に、エリーゼは僕の疑問を解こうと言葉を尽くしてくれた。 「私、一生懸命考えてもわからなくて、だから、ローエンならいい方法知ってるかも、ってお返事書いたんです。でも、せっかくアルヴィンが相談してくれたのに、私……お手伝いできなくて……」 「それで、エリーゼなりに答えを探してるんだね」 「はい……。難しいですね、相談されたいって」 「そう、だね……」 懸命に自分なりの答えを探すエリーゼは、アルヴィンが頼ってくれたことが嬉しかったのだろう。 健気に友達の助けになりたいと願う彼女の姿に、自然と淡く微笑が浮かぶ。 本当に、彼女は心許した相手に絶対的に寄り添う優しい女の子だ。 ケーキを食べながらうんうんと悩む姿は、応援してやりたくなるほど愛らしい。 そのエリーゼの健気さを思う反面、自分の中にわだかまりが残ってしまうのは、己の不甲斐なさゆえ。 どうして僕は、気づけないんだろう。 僕が苦しいときは、アルヴィンは絶対気づいてくれるのに、どうして僕は気づいてあげられないんだろう。 きっと、僕が僕自身のことで手一杯なのだと、彼はわかっているから口にしてこないんだ。 情けなさに項垂れたくなる。 あれだけ一緒にいながら、言われなければ気づけない。 まだまだ視野が狭い子供なのだと突きつけられ、僕は彼にとって負担でしかないような気さえしてくる。 人の想いを背負うことは、軽いことではない。 彼はそれをよく知っているからこそ、自分で手一杯の僕を巻き込まないつもりなのだ。 自然と下がりかける視界に気づいて、慌てて顔を上げると、気を改めるように食べかけのケーキを口の中に放り込んだ。 甘いケーキが優しくて、なんだかケーキにまで慰められているようだ。 エリーゼの力作を味わいながら、ゆっくりと飲み込み目を伏せる。 ――――どうしよう、問題が増えちゃった きっと、僕が彼に『積極的に相談してほしい』と願えば、表面上は叶えてくれる。 でも、いずれ遠慮や配慮が出てくる。 そんな関係、僕は望んでなんかいないのに、どれほど言葉を重ねれば、彼の心に伝わるのだろう。 こんなにも近しい人ですら、どうしてうまくいかないのか。 恋だの愛だのの話以前に、この程度のことで躓くようでは、先が思いやられる。 傷つけ負担になるだけの僕は、彼をどこまで守れるのだろう。 把握もコントロールもしきれていない自分自身から、どこまで……。 変な負い目に晒されてしまっていたからだろうか。 いつの間に訪れたのか、開け放たれていた扉の奥で佇むアルヴィンの顔を、僕はまともに見ることができなかった。
* * * * 2012/02/5 (Sun) ジュードの見解、当たらずとも遠からず。 だが、ただの杞憂だと、誰か伝えてやってくれ。 *新月鏡* |