「Nightmare」
息苦しい。 逃げ出したい。 何かが迫ってくる。 何? あれはなに? 怖い。
「ジュード」 あれは、とても怖いものなんだ。 指先からじわじわと這い登ってきて、いつか飲み込まれてしまうんじゃないかって。 「……大丈夫だよ」 でも、身体の感覚がおかしくなるくらい、得体の知れない浮遊感に意識が溶けそうなんだ。 このまま身をゆだねちゃいけない。 僕の本能がそう告げてる。 だから必死に逃げてるのに、あれは全然引き離せないんだ。 距離が開くどころか、むしろ縮まってるんじゃないかって。 足を止めたら、きっと僕はアレに呑まれて帰って来れない。 だから、 「…………、……」 ――――こわ、い お願い、誰か僕をここから連れ出して。 もがいている。 足掻いている。 それでもずっと追いすがってきて、僕一人じゃ逃げ切れない。 「ジュード」 お願い、誰か夢だと言って。 逃げるしかない、時間感覚も失われたこの世界を。 どうか、嘘だと、夢を醒まして。
* * * *
いつからだろう、震えるような息苦しい寝息を聴くようになったのは。 うっすら浮上する意識の端で、誰かがすすり泣く。 その声があまりにも心細く切羽詰ったように聞こえるから、俺の意識は急速に覚醒へ導かれる。 のそりと起き上がり、垂れた前髪を鬱陶しげに掻き揚げて目を凝らした。 誰だと探さなくても、もう何度もくり返してきたから声の正体はわかっている。 「ジュード」 隣のベッドで身体を縮込めて震えているのは、不運な子供。 ひとりの女を助けるために、その身を危険に晒して生きる哀れな子。 俺がぼんやりと眺めている間も、ジュードは声にならない声で泣く。 最初は耳障りで眠れないと苛立ちもしたが、思えば俺にだってこんな頃があった。 もう遠すぎる記憶で、どんなことがあった時に起こったかなど覚えちゃいないが。 がしがしと頭を掻いて、ひんやりとした床へ足を下ろす。 面倒だし、鬱陶しいし、寝不足になるし、最悪なことオンパレードだが、過去の自分がこうして過ぎるから、どうにも見捨てられない。 「……大丈夫だよ」 寝起き早々の投げやりでかすれた声は、こいつに届いているだろうか。 そっと近づいて、ベッド脇に腰かけ、上掛けに埋もれる黒髪を撫でる。 何が大丈夫なのか、自分でもわからない。 だけど、そう言わしめるジュードの姿に、髪を撫でるこの手を離す気なんて欠片も起きなかった。 たった15の少年が、何にうなされているのか、何となくだが想像はつく。 温室育ちの将来有望な優等生。 その精神はどれほど脆く繊細なことだろう。 それが、こいつの弱点だった。 砕きやすそうな心を抱えたまま、命を救うはずの手でどれほど敵を葬っていけば、こいつは解放されるんだろうか。 そこまで考えて、俺は自嘲気味に小さく息を吐いた。 馬鹿らしい。 ミラに関わる意思を決めた時点で、解放などない。 この世界がそれを許さない。 不幸な身の上を多少は同情してやるが、それを選んだのはジュードだ。 苛む夢は、その対価。 無意識にでも自覚しているから、こうして頻繁に苦しむんだろうけどな。 「…………、……」 そろり、そろりと単調に撫でていると、か細い声が鼓膜を揺らす。 静寂に満ちた夜でなければ、聞き落とした声。 あぁ本当に……なんてこいつは不運なんだ。 ここにいるのがミラなら、きっとジュードを叩き起こしてくれただろうに。 残念なことに俺しかいない。 夢を醒まさせるのは簡単だが、俺はその夢の必要性を知っている。 「ジュード」 起こさないように気をつけて、ぎゅうっと握り締められていた右手を自分の手のひらで包む。 ジュード……耐えて、抗え。 その夢は、お前が自分で打破すべき夢だ。 逃げていては、いずれ呑まれる。 立ち向かえ、お前の手で打ち破れ。 強く念じるように指先に力を込めると、誘われるようにジュードの眦から雫が流れる。 まだ幼い表情に、早すぎる現実を恨めしく思った。 世界は、何故こうも殺しかねないほどの重さで残酷な現実を突きつけるのか。 ジュードが感じている責め苦は、他人に合わせて生きてきたこいつが一人で乗り切れるものではない。 ――――俺がいてやれるうちに、乗り越えてくれればいいんだが 柄にもなくそう思ってしまったのは、きっと過去が見せた幻のせい。
冷たくなった指先に温かさが戻るまで、俺はジュードの手を放せずにいた。
* * * * 2012/01/27 (Fri) SNoWの曲聴いてたら、突発的に書きたくなって。 こんな夜があってもいいなーと思う *新月鏡* |