「love-in-a-mist -skyscape-」

 

 

 

人生史上初のエスコートされるデートは、どうやら一般的なデートではないらしい。
イル・ファンの港に船以外の交通手段を見つければ、それは容易に想像できた。
無機質な建造物と大きな船、打ち寄せる波と広がる海に、翼を休めて横たわるワイバーン。
未だかつて見たことのない景色だった。
もちろん、僕以外の人だってそうなのだろう、怖いもの見たさの見物客がワイバーンを遠巻きにして見つめている。
ちょっとした人集りをすいすい通り抜けたアルヴィンは、まっすぐワイバーンの元まで歩いていくと、そっと頭を撫でた。

「待たせたな」

その声に、ぐるぐると喉を鳴らしてワイバーンが僅かに頭をもたげれば、取り巻いていた観客が一斉に数歩後退った。
確かに、初めて見たらちょっと怖いだろう。
エリーゼなんて泣いてたし。

「来いよ、ジュード」
「あ、うん」

呼ばれて駆け出そうと一歩踏み出すと、民衆の目が一斉にこちらを向いて足が止まる。
ワイバーンが珍しければ、それに騎乗する人間もどんなものかと思うのも仕方のないことだ。
だが、こんな大人数に一斉に見つめられるとそれはそれでちょっと怖いものがある。
大量の視線に少しすくみ足になったのに気づいたのか、アルヴィンはすっと立ち上がると、こちらに向かって手を差し出した。
それを見た瞬間、また気持ちが軽くなって、気づけば誘われるようにふらふらとアルヴィンの元へ歩いていた。
僕、変だ……どうなってるの?
ぼんやりとした頭の隅でそんな疑問がぐるぐると渦巻くも、アルヴィンの手を取ってしまえば、それもまた霧散した。

「ジュード、こいつは俺の相棒でグレンって名前」
「え、アルヴィン、専用のワイバーン持ってたの?」
「まーね」

誇らしげな表情で言われた言葉に、驚いた僕はアルヴィンと紹介されたワイバーンを交互に見やる。
ユルゲンスさんたちが扱う獣隷術など一切使えない彼が、よくワイバーンの使役など出来るものだと感心してしまう。
基本的に、獣隷術を扱える人間を介してでしか、この世界の人達は高度な技術を要する騎獣には乗らない。
術に頼らずに乗るには、相当な時間と訓練が必要だからだ。
寝食を共にするくらいの密度で接しても、1年以上いるかもしれない。
まず術を使う人間が騎獣に命令し、騎乗する人間を徐々に慣れさせ、何度も何度も訓練した後、ようやく獣隷術の使役者から騎獣は手を離れるのだ。
あのガイアスすら、その訓練に1年は要したと言われている。
まぁ、空中で騎乗なんてことを1年でマスターできる一般人はいない、と追記もしておこう。
それほど扱いにくい騎獣のトップともいえるワイバーンを、アルヴィンは誰も介さず乗りこなすのだと思えば、驚愕しないわけもなくて。
僕は魅入られたようにアルヴィンを凝視してしまった。

「そんなに見つめられると、余計なこと考えちゃうんだけど?」
「あ、えっと、ごめん!」
「いやいや、謝らなくてもいいんだけどさ」

小さく笑う声がして、気恥ずかしさが一気に湧き起こる。
「だって、これはアルヴィンが思うよりずっとずっと凄いことなんだよ!」とでも言えばいいものを、アルヴィンから感じる視線が甘ったるかったり優しかったりするので、目が合わせられない。
あわあわと視線を下げれば、不思議そうに見上げてくるワイバーンと目が合った。

「あ、……」

見つめた瞳の美しさに、僕はふと我に返り、気恥ずかしさも忘れてワイバーンと視線を合わせる。

「こんにちは、グレン。僕はジュードっていうんだ。今日はよろしくね」

自然と微笑んでそう言うと、グレンは応えるように数回瞬いた後、ゆっくりと首をもたげて擦り寄ってきた。
当然、僕は心臓が飛び出るかと思うくらいびっくりしてしまって、身体が一瞬にして凍りついた。
だが、グレンからはそれ以上の動きがなかったので、次第に鼓動は落ち着きを取り戻し、肩に乗せられたままの頭を興味本位でそっと撫でてみる。
数回ゆっくり撫でれば、薄く目が細められ、ぐるぐると喉を鳴らして気持ちよさそうだ。
なんだか可愛いかもしれない。
前に乗ったときは、急ぎの用事も抱えていてこれほど近く触れることなどなかったが、こうして見ると知的な目をしている。
もうちょっとよく観察しようかと思った矢先、ふわりと体が宙に浮いた。

「うわっ!」
「はいはい、自己紹介もそこまでな」

両脇に手を差し込まれて持ち上げられ、そのままグレンの背に乗せられる。
まるでグレンから取り上げるような大人気なさに、僕は思わず噴き出してしまった。

「……なんだよ」
「別に?可愛いなーって思って」

ギャラリーの前なので、それ以上の追求はしてこなかったが、きっと『誰が?』というお決まりのセリフが返って来る場面だ。
甘い掛け合いになるはずの小さな言葉の応酬。
それを習慣化されるほど交わしているのだと思えば、それだけで微笑ましくて嬉しくなる。
本当に、この人はどうしてこんなに僕の心をくすぐるのだろうか。
そんな僕の気持ちなど知りもしないアルヴィンは、少しふてくされながら同じく騎乗すると、投げ出されていた手綱を掴んだ。

「んじゃ出発しますかね。しっかり掴まってろよ?」
「うん」
「いくぜ、グレン!」

ぎゅっと腰に回した手に力を込めてしがみつくと、気をよくしたのかグレンへの掛け声がずいぶん弾んだものに聞こえた。
ぐいっと手綱を引かれたグレンは、頭をもたげ、大きな翼を数回羽ばたかせると勢いよく空へ舞い上がる。
急速に空を駆け上り、見慣れた港町をぐんぐん遠ざけ、あっという間に雲の波間へ辿りついた。
その間ろくに息をつけなかったので、僕は安定した瞬間に大きく息を吐き出した。
ミラと一緒に乗ったときも、息が止まってたような気がする。
代わり映えしない自分に、少し苦笑してしまうが、それも周囲の景色に気づけば意識の彼方へ飛んでいった。
雲間から注ぐ陽光が、プリズムを通したように色を変えて降り注ぐ。
あの日見た、美しい景色が変わらずそこにあって、下を見下ろせば眩しいくらいの青が乱反射を繰り返す。

「わぁ……綺麗……」
「久しぶりだろ、この景色」

ずっと見せたかったんだ、と呟く背中に、僕は耳を寄せるようにもたれかかった。
通り過ぎる景色は、決して地上から見ることのできない美しさで、とても神聖なもののように感じる。
そして、彼がわざわざワイバーンを持ち出してきた理由がこれなのだと気づけば、記憶の懐かしさと景色の美しさに浮き立つ気持ちが、さらにざわざわと騒ぎ立てる。
ずっと見せたかった、と彼は言った。
こうして何度も空を駆けながら、どんなに離れていても僕のことを気にかけてくれていたのだと思うと、やっぱり嬉しくなる。
どうしよう、寒いはずなのに顔熱い。
思わず口元を手の甲で隠して冷たい風に熱を冷ましつつ、顔の見えない今の状況にこっそり感謝した。

「そういえばさ、グレンをどうやって使役できるようになったの?」
「んー?」
「獣隷術ないと、ワイバーンの騎乗って難しいんでしょう?」
「まぁ、そう言われてるな。でも俺とグレンの場合、ちょっとした事情があったんだ」

気恥ずかしさを紛らわそうと、はしゃいだ風を装って問いかけてみると、先ほどふてくされてたアルヴィンは上機嫌に答えてくれた。
どうやらいろんな意味で僕の思惑は上手くいったらしい。

「俺が初めてコイツに会ったのは、おたくらと旅したあの時だよ」
「あの時って……ガンダラ要塞を越える時の?」
「そうそう、それ。あの時にお世話になったワイバーンのうちの一匹なんだ。ちなみに、グレンはミラ様とおたくが乗ってた奴な」
「え!そうだったの!?」

僕は慌てて見下ろし、そっと背中を撫でてみる。
まさかこんな縁があるとは思わなかった。
どおりでイル・ファンの港で、慣れたように顔を寄せてきたわけだ。
だが、あの時のワイバーンは、魔物に襲われて結構大きな怪我を負わせてしまっていたはずだ。

「あのさ、アルヴィン……グレン、怪我の痕大丈夫……?」
「平気だって!コイツはそんな軟な奴じゃねーよ」

なー、グレン?とアルヴィンが気さくに話しかければ、それに返事するようにグレンがひと鳴きした。
そのやり取りに、またしても驚く。

「グレン、賢いね」
「ワイバーンは元から知能の高い種族だ。こちらの言葉や状況をちゃんと理解してくれる。こっちが正確な意思の把握ができなくても、一緒にいれば何となくわかってくるもんだし。それに慣れちまえば獣隷術なんて大層なもんなくたって、ちゃんと分かり合える」
「……すごいね、アルヴィン」
「いや、グレンとミラ様のおかげさ。コイツ、俺のことミラ様の仲間として覚えててくれてさ。ユルゲンスたちと話してる時に声かけてくれたんだ」
「グレンから?」
「そ。後ろからぐいぐい押されるから、何かと思って振り返ったらワイバーンの頭でよー。びっくりしたぜ、あの時は。んで、ユルゲンスに訊いたら、ミラ様が騎乗したワイバーンって発覚したわけ。いやー……ミラ様効果すげぇわ」

くくっと喉で笑いながら、そのときのことを思い出したのか、話す声がとても穏やかで嬉しげだった。
その声に、僕まで嬉しくなって笑顔がこぼれる。
確かに、きっかけはミラを知っていたグレンが、アルヴィンを見つけたことから始まった関係なのだろう。
でも、そこから獣隷術なしに仕事の相棒と呼べるまでの親密さを築くには、お互い相当な努力が必要だったに違いない。
アルヴィンの長所と、グレンの気性と知能の高さがそれを可能にしたのだと思えば、眩しいくらいにいいコンビだと思った。

「グレンとの出会いは、ミラからアルヴィンへの激励みたいだね」
「あぁ、俺もそんな気がしてる。俺のこと心配して、グレンを寄こしてくれたんじゃねーかって……夢みたいなこと思ったりしてさ」
「きっとそうだよ」
「ついでに、馬車馬のごとく働け!って言われてる気がした」
「ふふっ、被害妄想だよ、それ」

冗談めかしたアルヴィンの言葉に、小さく笑って背中にもう一度寄りかかる。
少し冷たい風に頬を撫でられて、誘われるように見つめる先には、ゆったりと流れる雲の軌跡。
なんでもない会話と、特別な景色に、心が弾むように明るくなる。
今でこんなに楽しいなら、この後はどんなことが待っているんだろうか。
久しく感じなかったわくわくする気持ちに、僕は強請るように口を開いた。

「ねぇ、どこに連れて行ってくれるの?」
「ついてからのお楽しみ」
「ちょっとだけヒント!」
「ダーメ。いい子だから、大人しく待ってな」

すごく気になって、教えてほしくて仕方なかったが、アルヴィンは一向に教えてくれる気はないらしい。
でも、楽しげなアルヴィンの声に、淡く期待は膨らんで胸が躍る。
どんな場所へ連れて行ってくれるんだろうか。
逸る心を押し込めながら、僕は夢のような雲海遊泳をしばしの間楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/01/25 (Wed)

グレンの名前はアルヴィンの我流紅蓮剣から。
格好いいよね名前も技も。
でもあの奥義、地面で剣擦って炎出すんだぜ……信じられるか?


*新月鏡*