「love-in-a-mist -coordinate-」
僕は、少し困っていた。 如何せん、僕はデートらしいデートというものをしたことがない。 もちろん、エスコートされる側のデートなど人生史上初である。 相手にお任せしてしまっているので、どんな場所へ行くのかすら知らない僕は、ドレスコードという地味なハードルを前に、自室の鏡の前で右往左往していた。 相手があのアルヴィンであれば、敷居の高い場所なんてあっさり案内されそうで、不似合いな格好などできはしない。 かといって、そんな場所を意識したコーディネートだと、何処へ行くにも堅苦しい。 さて、どうしたものか。 「ジュードくーん?もうそろそろ出かけるぞー?」 「あ、アルヴィン!丁度いいところに!」 アルヴィンが様子を窺いに顔を出したので、僕はその腕を取って部屋の中へ引きずり込む。 慌てて足を捌いて入ってきた彼は、僕と違って準備万端なのだろう、ぴしりと糊の利いた白いカッターシャツに薄紫のVネックセーター、黒のジャケットを着込んでいる。 カジュアルさも忘れず、かといってだらしなくない、どこにでも出かけられるスマートな着こなしだ。 そんな姿をあまり見ることのない僕は、少し新鮮な印象を受けた。 「ねぇ、どんな服装で行けばいいの?」 「おたく、それで今まで悩んでたのかよ?」 「だって行き先知らないし、ドレスコードとかファッションって難しくてって、うわぁっ!」 「何処の女子だよ、おたく。可愛いにもほどがあるだろ!」 つんと拗ねたように口をすぼめたとき、いきなりがばりと抱きつかれてひっくり返るかと思った。 え、何、何処に可愛さなんてあったの今の会話? 目を白黒させている間も、僕は困惑に囚われてアルヴィンにされるがままで、可愛いを連発されたかと思えばキスの雨が降り注ぐ。 それでも足りないのか頬擦りまでされながら、アルヴィンの思考回路はときどきよくわからなくなるな、とぼんやり思った。 「ちょっと、アルヴィン!出かけなきゃいけないんだから、早くアドバイス!」 「はいはい、仰せのままに」 少し弛んだ腕の中で叱るように声を上げるも、見上げた先のにやけた笑顔はしばらく消えそうにない。 さっきドアから入ってきたときは、ちょっと羨ましいと思うくらい格好よかったのに、自分からぶち壊しに来るとは。 そんな残念さも彼の魅力なんだろうけど、と呆れ果ててため息が出る。 誰に対する呆れなのかは、目を伏せておくが。 それから数分間、アルヴィンは僕のクローゼットの中を調べ回り、何かをチェックし終わった後、おもむろに数点引っ張り出して僕に着てみろと指示してきた。 指示された僕は、ちょっとびっくりしてしまって、一瞬戸惑う。 何が起こったんだろう、今。 そう思いながらも、とりあえず着替えなければと意識を切り替え、いそいそとアルヴィンを追い出す。 僕からしてみれば、それはもう魔法のように迷いのない選び方だった。 手品?いや、でも出された衣服は全部僕の持ち物で間違いない。 新たな彼の特技の発見に感服しつつ、上から下まできっちり着替えた僕は、アルヴィンを呼び戻し、鏡の前でくるりとターンをして窺う。 満足げな表情で頷く彼に、僕もようやく落ち着いた。 黒を基調とした大人しめの柄入りズボンと、うっすら青紫のラインの入った白いシャツ。 それにズボンと合わせた黒のウェストコートを着れば、なるほど僕も納得の年相応なファッションになる。 フォーマルでも通用するし、カジュアルな場面でも違和感はない。 ひとり鏡に向かって感心していると、するりと指が伸びてきて、ワインレッドの細いリボンタイをゆるく結んでくれた。 「はいよ、完成ー!さすが俺、可愛い優等生をさらに可愛く仕上げてしまうとは……自分が恐ろしいぜ」 「可愛い……?」 ものすごく不審な目で見上げれば、返答の代わりに再び鏡の方へ強制的に向かされた。 それと同時に、顔を寄せて後ろから覗き込んでいるアルヴィンも映る。 「ほら、どう見たって可愛いだろ。いやー、どんどん俺好みになってくねー。マジで誰にも見せたくなくなるわ」 「じゃぁデートやめる?」 「まさか!いっぱいデートして見せびらかすに決まってるだろ」 「言ってること矛盾してるよ?」 「複雑な男心なんだよ」 察してくれよ、と優しく後ろから抱きしめられて、少しどきりとする。 慌てて平静を装うものの、鏡を前に逃げ場のない現状では、赤くなった頬を隠すのは難しい。 当然のことながら、アルヴィンに即バレてしまい、散々からかわれてさらに頬が熱くなる。 劇的な心の変化が起こらないとはいえ、僕だって恋する人間の端くれだ。 好きな相手だと自覚した今、不意に見せる仕草や言動に揺らいでしまうのは仕方のないことで。 自分の憧れと好意に、相手からの熱烈な求愛が混じれってくれば容易く惹かれる。 「やっぱおたくは可愛いな」 「格好いいって言われた方が嬉しいんだけど」 「ダーメ。それは俺の役目だから、譲ってやんない」 「いじわる」 「いじめたくなんだよ、ジュード君が可愛すぎるから」 くくっと喉の奥で笑いながら、この上ないほど優しい瞳で見つめられれば、それ以上の掛け合いもできなくて弱る。 本当に、アルヴィンは卑怯でずるい。 外見とか口説き方とかそんな飾りみたいな部分じゃなくて、僕に対する態度や指先から感じるもの全てが僕の気を惹こうとしてくる。 これが無自覚な行動だというのだから恐ろしい。 そう、この男、一番僕に影響を与える行動が全て無自覚なのだ。 好きな相手には無条件に優しくなったり、気を遣ったりするのは理解できるが、まさかここまで自然と組み込んでくるパターンが存在するとは思わなかった。 無自覚と無意識って怖い。 「ほら、コート」 「ありがとう」 ひとりで悶々と考え込んでいると、アルヴィンは壁にかけてあったコートを取って広げてくれた。 当然のように着易くしてくれたので、僕はそれに甘えて袖を通す。 無自覚な優しさを考えた矢先にこの行動だ。 アルヴィンって、本当に好きな人には尽くす人なんだよね。 ――――『俺に愛されてるって自覚してくれ』 与えられる優しさを断ろうとした僕に、彼が切々と願ったこと。 紆余曲折あって現在、彼が望むとおり自覚したが、したらしたで今度はずるずる嵌るばかりの状態に気づく。 そんな自分に、少しの怯えが顔を出して、また気持ちにブレーキがかかった。 好きだとはっきりしているのに、踏み込めない。 こうして何度も襲いかかる恐怖は、自分しか見えない僕のせい。 それもわかっている。 でも、傷つくかもしれない。 それを思うとたまらなく怖い。 アルヴィンは、その恐怖を振り切って僕を好きだと言ってくれたのに、求められた僕はこんな有様だ。 彼の場合とは違って、もう返される言葉は決まっているのに、どうして僕はこんなに怖がっているんだろうか。 どうにも、『アルヴィンを傷つけたくない』『寂しさを感じたくない』ということだけが要因ではないような気がしてきた。 漠然と、僕は自分が傷つくことを知っている。 でも、いったい何に? 「ジュード、ほら」 「あ……」 周囲の音さえ消えかかった思考の海で、不意にアルヴィンの声がした。 呼ばれて視線を上げた先に、アルヴィンの優しい微笑みと差し向けられる手のひらを見つけてしまえば、もやもやとした恐怖心が嘘のように霧散する。 そのことに少し呆気に取られていたものの、我に返ればおかしくなって小さく笑ってしまった。 「どうしたんだよ?」 「ううん、なんでもない」 「気になるじゃねーか」 差し出されたままの手を取って隣を見上げると、少し拗ねたようなアルヴィンがいて、その仕草にまた微笑んでしまう。 「アルヴィンがね、おとぎ話に出てくる魔法使いみたいだなーって思ったんだ」 「魔法……なぁ、それ褒めてる?」 「褒めてるよ。僕にできないことを、簡単に叶えてくれる凄い人だって」 「俺としては、王子様がいいんだけど」 「んー……王子様かどうかは、デートが終わってから教えてあげる」 「なるほど、今回のデートは審査もされるわけか。なかなかハードル上げてくれるじゃないの」 「もしかしたら、僕が王子様かもしれないし」 「それはない!絶対ない!おたくは絶対お姫様だって!」 断固譲らん!と断言してくるアルヴィンに、僕は少し複雑な気持ちになった。 いいじゃないか、僕が王子様だって。 魔法使いに支えてもらって戦う王子様とか、自分では合っていると思うのだけれど。 ちなみに、僕のお姫様はもちろんミラで、たぶん、僕が辿りつく頃にはラスボス倒してるタイプの武闘派なお姫様なんだろうな。 「ふふっ、面白いかも」 「お姫様で納得した?」 「残念、僕が王子様で、お姫様はミラだよ」 「……それ、間違いなく役チェンジだわ」 額に手をやって頭を振るアルヴィンに促されながら、僕は玄関へ足を進めた。
* * * * 2012/01/21 (Sat) まだ玄関先かよ!早く家出やがれwwww *新月鏡* |