「I'll be your home -desire-」

 

 

 

かつて俺は、これほど丁寧に誰かを暴いたことがあるだろうか。
怖いと訴える身体をゆっくり馴染ませ、じれったいほど時間をかけて解く。
雰囲気と声と身体で意識を絡めとって、徐々に理性を沈めていけば、次第に応えてくれるようになって。
求めるそのままを与えられ、同じ強さで求められる幸福。

それだけでいい。

望まれれば捧げ、与えられれば貪って。
恋焦がれ続けたものをようやく手にしたと、何度も何度も確かめて。
俺はひたすらジュードに溺れた。

肌に溶ける体温が愛しい。

耳朶に触れる吐息が愛しい。

熱に浮かされ呼ぶ名が、自分のものであることに、歓喜が絶え間なく襲い来る。


「ジュード……」

甘く名を呼べば、揺らいだ瞳が俺を見止める。
それだけで、心が満たされる。
ただ、少し忌々しいと思うのは、この身体。
どれだけ互いを求め分け合っても、どうしたって触れる以上に溶け合えない。
それが腹立たしく、また恋しい。
最悪なまでに幸福な悪循環から抜け出せず、俺は制限のない許しに甘え続けた。

 

 

 

夢を見ているような気がしていた。


ひどく幸福な夢を。

叶えばそれ以上の幸せなどないと思いながら、夢であってくれるなと焦燥感が騒ぎ立てる。
そのせいか、うっすら浮上する意識に反して、目蓋がやたら重く感じた。
まるで目覚めたくないとでもいうように、なかなか開くことのできない視界を諦め身体を反転させると、少しずつ他の感覚へ意識をわけていく。
聞こえる音は自分の呼吸。
手に触れるのはシーツの温かさ。
だけど、何か足りない気がして、俺は慌てて目をこじ開ける。
視界に映し出される見慣れた風景。
何一つ変わり映えのしない光景に、まどろみの温かさなど吹っ飛んだ。
とっさに手を突いて上体を起こし、必死に見渡すが何もない。
一気に背筋が凍りつく。

ない。

足りない。

俺の、大事な……


「……っ、ジュー」
「ここだよ、アルヴィン」

背後から伸びてきたしなやかな腕が、優しく俺を包む。
背中に触れる温かさに、凍りついた身体がじんわりと感覚を取り戻し始めて、安堵に後押しされて息を吐き出せば、呼吸すら止めていたのかと驚いた。

「おはよう」
「おは……え?……ジュード……?」
「寝ぼけてるね?」

よくわからない。
なんで背後からジュードに抱きしめられてるんだ?
眠りにつく前、俺は腕にしっかりと抱きしめて寝たはずであって、だから俺の前にジュードがいなければならなくて……なのに、

「なんで後ろ?」
「アルヴィン、さっき寝返り打ったでしょ?」
「……寝返り……した?」
「もう、人を起こしておいて覚えてないとか……」
「えーっと……なんだ、その、悪かったな」
「わかんないなら、謝らないで」
「ごめんなさい」

ぼんやりとした頭で振り返ってみるものの、よくわからなかった。
ただ、この身を刺すほどの恐怖が、ゆっくりと身体から抜けていくことだけははっきり感じていて、抱きしめてくれているジュードに少し寄りかかる。

「よかった……」
「何が?」
「んー……おたくがいてくれてよかったなーって」
「切羽詰った声だったもんね」
「あ、あれは……」

くすくすと笑う声に、いたたまれなくなって少し俯く。
思い出してみると、相当恥ずかしい。
しかも、ジュードを見失った原因が自分にあるっぽいのが一番恥ずかしい。
馬鹿じゃねーの、俺。
そんな俺の赤くなった耳元に、ジュードは唇を寄せてそっと囁く。

「嫌な夢でも見たの?」
「いや、夢自体はすこぶるよかった。そうだな……今が夢じゃなくてよかったってのが正解だな」
「僕が見当たらなくて怖かった?」
「……怖かった」
「今は?」
「平気。だってここにいる」
「そう、よかった」

ほっとしたような気配に、あぁ心配させた、と思った。
たぶん、目覚めて最初に見たのが必死に何かを探す俺の背中で、ジュードも相当不安になったに違いない。
ジュードは、本人が思ってる以上に他者の負の感情に敏感だ。
一番傍にいる俺が揺れれば、その分だけジュードも不安定になる。
わかっていたはずなのに、目覚めた俺は自分しか見えてなかった。
それで、無様な姿を晒して、一番気をつけてやらなければならない奴に心配されるのだから世話がない。
格好悪すぎる自分に頭を抱えて項垂れたくなる。
自然と視線の下がる俺の髪を撫でながら、柔らかな声が優しく宥める。

「しょんぼりしてるアルヴィンの気持ちを切り替えてあげようか」
「んー?」
「実は一生アルヴィンとするつもりなかったんだよ、って言ったらびっくりする?」
「は……?」

微笑む気配に不釣合いな言動に、俺は落ち込んでいた視線を慌てて上げて、顔だけ振り返った。
またとんでもないこと言ってきたよ、この小悪魔。
昨日、あれだけ熱い情事に溺れておきながら、するつもりなかったって、何それ。
告白から今日まで翻弄され続けてきたけど、もうジュードが何言い出すかわからなくて怖い。
でも、昨日みたいに身体の芯が凍えるような恐怖は感じない。
ジュードの否定する全てが、俺を守るものに直結していると知ったからだろう。
俺の急な告白への返答然り、昨日の返事然り、そしておそらく今のも。

「ごめん、先に謝っとくね。たぶん、アルヴィンもう他の人抱けないと思う」
「抱け……え?」
「あ、ちょっと語弊があったかな。抱けるけど、物足りないというか……満足でき」
「わー!ストップ!ストーップ!何言い出すんだおたく!」

慌てて身体を向けて振り返り、饒舌に喋る口を手で塞ぐ。
怖い、怖すぎる、なんで淡々とそんなこと言っちゃうかな、この子は。
昨日あれだけ恥ずかしがって怖がってた可愛い優等生何処行ったの!?
きょとんとした仕草や大きな瞳は相変わらず愛らしいが、中身がミラ様譲りに男前すぎて涙出そう。

「あー……なんだ、俺がジュード君以外じゃ満足できない身体になったとでも?」
「ぷはっ、……うん、まぁそんなところ。本当はそうならないように、一生するつもりなかったんだけど」
「なかったけど?」
「そうするとアルヴィンは不安になるでしょう?」

こてんと首を傾げて見上げられ、俺はその愛らしい仕草にぐっと息を呑んだ。
ジュードの口元を塞いでいた手のひらが引き剥がされ、なぞるように意味深な動きで指先が滑る。
むちゃくちゃ煽られてる気がするけど、絶対これ無意識なんだろうな、と思うと手が出せない。
俺の理性が必死に葛藤していることなんて何も知らずに、ジュードは真剣に話しているに違いない。
ジュードの無意識って、無防備だから余計に困る。
怪しく動きそうになる身体を必死に押し留めて、念じるように意識を切り替えた後、もう一度ジュードの問いを繰り返す。

「不安、ね……」

たぶん、ジュードの指摘はあってる。
告白した当初から俺は性急に手を出しまくっていて、その都度ジュードに撃退されていたのだから、否定のしようがない。
性急さは裏を返せば焦りだ。
俺は孤独を恐れ、不安から逃げるために焦って求めた。
だから、想いが通い合うだけではダメなのだと、有頂天のあまり箍の外れた俺を見てジュードは気づいたのだろう。
どれだけ楔を打ち込み、思い知らせ、わからせたとしても、決定的なものを与えられないと安心できない人間なのだと。

「でも……僕も思うところがあったし、結局流されちゃったんだけどね」

ぽそっと零された一言は聞き捨てならず、俺はすぐさま視線を合わせる。

「思うところって?」
「……黙秘権を行使します」
「却下」
「…………言ったら、きっと幻滅するよ?」
「しない」
「……絶対?」
「絶対」

もごもごと言いづらそうな表情に、何を言われるんだろうかとこっちがどきどきしてくる。
さらに、縋るようにぎゅっと手を握られて、危うく声が出そうになった。
やばい、このジュード君マジ可愛い。
思わず片手でにやける口元を覆い隠すと、さらなる爆撃が襲い掛かる。

「僕以外じゃ、満たされないようになればいいって思ったから」

ちょっと待て。
何言ってるのかな、この小さな生き物は。
これ策略?実は「計画通り」みたいな黒い笑顔とかあったりしない?
踊らされていいの?
今すぐ襲えって遠まわしに言われてんのか、俺?

「……なぁ、もしかして煽ってる?」
「もう、まじめに聞いて」
「俺もまじめに訊いてんだけど」

どうやら違ったようで安心した。
これが腹黒い計算の上で行われてたら、ド嵌りな俺は間違いなく瞬殺されてる。
あらぬ方向へ思考が目まぐるしく回転する俺とは違い、ジュードは本当にまじめな話をしているようで、蜜色の大きな瞳からは真摯な感情しか感じ取れない。
重なっていた手をまた少し力を込めて握られて、やっと意識が正常に機能し始める。
そんな俺を他所に、ジュードは俺の肩へ頭を寄せてきた。

「アルヴィンの仕事を思えば、どんなことでも自由度が高い方がいいのはわかってる。それはもちろん生理的なことも。できるだけ不自由な思いなんてさせたくなかったから、一生一線を越える気はなかったんだ」

ぽそぽそといじけるような声とは裏腹に、吐露される本心はどこまでも甘ったるい。

「でも、無理だった。欲が出た。アルヴィンのためなんて都合のいい建前だ。僕のせいで、アルヴィンはどれだけ割り切って他の人を抱こうとしても、絶対に足りないものを感じて虚しくなる。僕以外の誰かを抱くたびに足りない何かを求めて苦しむ」
「ジュード……お前……」
「ごめんね。そんな虚しさ、味わわせたくなかったけど無理みたい……僕なしじゃ生きられなくなればいいって、酷いこと思っちゃった」

至近距離の儚い微笑に、心臓を鷲掴みにされたような痛みが走る。


――――『俺なしじゃ生きられなくなればいいのに』


過去、俺がジュードに注いだ呪いのような願望。
一方的に与え続けて、優しく絞め殺すように追い詰めて、やんわりと逃げ道を塞ぐ甘い罠。
ようやくこの手に落ちてきたジュードもまた、暗い欲のちらつくそれを俺に望むという。
互いが互いに雁字搦めであれと願う。

あぁ、なんて……甘美な響きだろうか。


「ジュード」
「足りないものは、僕の中にしかない」

それが何かは、わかってるでしょう?と、問われた答えを、もちろん俺はわかっている。
この半年余り、ジュードからそれを得るためだけに必死に口説き続けてきた。
重くて深すぎるそれが、何よりこの身と心を満たすのだと、昨夜何度も刻んだはずだ。

「夢の中の僕を追いかけて怖がってる暇があるなら、ちゃんと現実で捕まえておきなよ。どうしたって泣きを見るのはアルヴィンなんだから」
「惚れた弱みってか?」
「そういうこと。僕を選んだアルヴィンが悪い」
「悪いどころか、最高すぎて笑っちまうんだけど」
「いい性格してるね」
「よく言われる」

抑えきれない笑みを刷いて熱く見つめれば、ジュードも柔らかく微笑んでくれる。
俺のためにこんなに心砕いて捧げてくれる奴は、この世の何処を探しても見つかりはしないだろう。
恐ろしいくらいに、俺はジュードに愛されている。
幸せすぎておかしくなりそうだ。

「じゃぁさっそく、捕まえるとしますかね」
「お手柔らかに」
「お望みとあらば」

穏やかな笑みを残したまま、再びシーツの波に身体を沈める。


さぁ、異常な愛に溺れてみようか。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/01/12 (Mon)

雰囲気だけ残して全力回避。
イメージしろ!(キリッ


*新月鏡*