「I'll be your home -Don't forget-」

 

 

 

冷たい床の上で、我も忘れるような熱烈なキスの応酬。
もっと先を追うように、何度も、何度も、角度を変え、優しく強く求め続けて。
麻痺しかかった思考に揺れたまま、満たされる心が歓喜に震えていた。
そして、俺は愛しい想い人を抱き上げて寝室まで攫う。

 

 

……はずだった。

 

「有頂天になってるところ悪いけど、今から思い知らせようと思うんだ。アルヴィン、覚悟を決めてね」
「は?」
「僕が選んだことがどれほど重いことなのか、思い知ってもらいます。はい、そこへ正座」
「あ、はい」

いきなりの宣言に置き去りにされた俺は、指示されるがままにのそりと動いて正座した。
手放す気なんて欠片もなかったのだが、逆らうという考えすら吹き飛ぶほど驚いていたので仕方ない。
本当に、何故こんなことになっているのか、俺にはさっぱりわからない。
うっとりするほど熱いキスを交わしておきながら、吐き出された言葉があまりに不釣合いすぎる。
あの場面で何故こんな状況になった。
百戦錬磨の俺からしてみたら、ありえない状況と言っていい。
だって両想いで、キスして、あの雰囲気で、とくればやることは自然と決まってくるだろうに。
あれだけの雰囲気と告白を重ねても、ジュードには利かないということなのか。
え、何それ怖い。
俺どうしたらいいんだよ。
いきなり不安がこみ上げてくるんだけど。

「僕ね、本当はアルヴィンのこと好きになりたくなかったんだ」
「え?」

さらに衝撃的な一言が俺の胸を抉るように突き刺した。
今、とんでもないこと言われたよな、俺。
ぽかんと呆けたままジュードが放った言葉を吟味したあと、今度はあまりの衝撃に目頭がかっと熱くなった。
なんだよそれ。

「ちょ、ちょい待ち!今おたく、俺のこと受け入れて選んでくれたんじゃなかったのかよ?」
「うん、別に嫌いだとかそういった意味はないんだ。ちゃんとアルヴィンが求めてる感情で僕はアルヴィンが好きだよ」
「は?え……どういうこと」

ジュードの意図が読めずに、俺はただ翻弄されて揺れ続ける。
さっきの「好きになりたくなかった」発言で、俺の心はみしりと音を立てて折れそうになったのに、ジュードは気にもかけずに「んー、どうやって話したらわかるかな?」なんて小首を傾げている。
呼吸が止まるほど、指先の感覚を失うほど、俺は恐怖に襲われたというのに。
荒れて暴れまわるこの気持ちは、何処へ吐き出せばいい。

「ジュード」
「ごめん。だけど、言わなきゃいけないことだから」

見透かす瞳に不満すら封殺される。
ジュードが何を言い出すのか、何を示そうとしているのか、ひとつとして読めないことに酷く焦った。
感情を読むことは得意なはずで、何を差し出してやればいいのかも自然とわかるものなのに、どうして今は何も見えない。
たまに、ジュードはこうやって俺を置き去りにする。
先に目的を見つけて歩いていくジュードを、俺がどんな気持ちで追いかけているかなんて、こいつはきっと知らないだろう。
ミラを見つめ続けたジュードは、決して振り返らない。
そうと知っているから、俺はどんどん焦って怖くなる。
自分の歩みを止めたら最後、ジュードは俺の目の前から消えてしまうんじゃないかって。

振り返ることもなく。


気にすることもなく。

 

俺を置いて。

 

「アルヴィン……お願いだからちゃんと聴いて」
「…………」
「これだけは絶対に知っててほしいんだ」
「何を?」

沈んだ思考に合わせて声まで冷えて響いた。
先ほどの温かさと激情が凪いで、じわじわと這い寄る不安がまともな感情を食い散らかしていく。
そんな俺の態度に、ジュードは少し困ったような表情をして俺を見つめた。
俺が一番困っているのに、なんでお前がそんな顔をするんだろうか。

「この試行期間の間に、アルヴィンはやりたいこと見つけたんだよね」
「……あぁ、ユルゲンスが誘ってくれたし、悪くないと思ったからな。故郷とこの世界と繋げてやればミラの想いだって……」
「そうだね、両世界にミラの気持ちが伝われば、きっと素敵な未来になると思うよ。それに……アルヴィンは世界を旅する人だから、そうしている方が似合ってる」
「俺が、旅する?」

躊躇うように零された言葉を掬い上げれば、ジュードは一瞬眉根を寄せて小さく頭を振った。
自分の中の何かを否定するように行われた仕草が、やけに引っかかる。
何を、否定した。
俺の言葉か、お前の言葉か、それともお前の心の声か。
掬いきれず読めもしない奥底を必死に掴もうとするものの、伏せられた瞳には先ほどの翳りは見当たらない。
訝しげにしていれば、ジュードは俺の問いへ噛み砕きすぎた解を口にした。

「もともと根なし草で傭兵してたけど、その生活自体は苦にならなかったんだよね?」
「まぁ、そうだな」
「新しいものを知ったり見たりするの意外と好きでしょう?」
「好きだな」
「気づかない?」
「何が?」

これでもわからないのかと覗き込むように見上げられて、少したじろぐ。
気づかないとは何を指すのか。
傭兵をやってた頃は、一箇所に留まることの方が確かに少なかった。
場所ではなく人を伝って転々と渡り歩けば、さすがに「根なし草」とも言われるだろう。
アルクノアの仕事もあったし、足がつくことも考えれば留まる場所など必要なかった。
でも今は違う。

俺は『ジュード』という拠り所を得たい。

この心がジュードの心を欲している。

この身体がジュードの熱を求めている。

それはずっと伝えてきていたはずで、浴びせるほど注いできたはずで。
なのに何故、と言いかけた声は、寂しげな色を含んだ声音に掻き消えた。


「置き去りにするのは、僕じゃなくてアルヴィンの方だってこと」


その言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃に襲われた。
置き去りにする。
俺が?
ジュードを?
そんな馬鹿な話があるか、と吐き捨てようとした矢先、ふと数分前に言われたジュードの言葉を思い出す。


――――『アルヴィンは世界を旅する人だから』


あぁ……そういうことか。


「ジュード……」
「そんな顔しないで」

困ったようにジュードは微笑んで、頬を撫でる手が俺を慰める。
欲しがることを許された俺は、極端に求めすぎていたのかもしれない。
俺が、ジュードに置いていかれまいと足掻いたように、ジュードの中にもそんな葛藤があったのだ。
俺は物理的にジュードを置き去りにして、ジュードは精神的に俺を置き去りにする。
未来へ挑む手段が違うだけで、こんなにもすれ違うものなのか。

「後悔とかないんだよ。僕はアルヴィンを好きになれてよかったって思ってる」
「……でも」
「ただ、忘れないでいてくれればいいんだ。それだけで、僕はちゃんと『いってらっしゃい』って言えるから」
「っ……!」

あまりのことに、身体と意識が切り離されるような得体の知れない浮遊感に襲われる。
驚愕に揺らいで言葉を失っている俺に、優しく微笑みを湛えたまま、ジュードは好きだと肯定してくれた。
離れすぎた距離と時間に、寂しいと思わないはずがないのに。
必ず生じる未来に、心細さを感じてしまうとわかっているのに。
それでも、ジュードは俺を選んだことに悔いはないと笑ってくれる。
ジュードは自分を犠牲にしているわけじゃない。
それがわかるから、余計にその笑顔が俺の心を軋ませる。
熱くなる目頭に、思わず視線を下げれば、視界が歪んで滲んでいく。

「僕たちは、前を向いて自分のなすべきことを果たせばいいんだよ」

柔らかな芯のある声が、俯く俺に前を向けと囁きかける。

「歩いて、飛び回って、疲れたらいつでも帰ってくればいい」

俺の本質を知っているが故に、こいつは俺を引き止めない。
ただ、開け放たれた窓から飛び立てと背中を押すばかり。

「何処にいたって、僕がアルヴィンの帰る場所だってことに変わりないよ」

最後に落とされた声に、ついに堪え切れなかった涙が落ちた。
互いが互いの在り方を知るからこそ、ジュードの言葉は残酷なほど正しかった。
どうしようもない不運を嘆くなら、それはこの感情にこそあるのだろう。
想い合える幸福に満たされながら、こんなにも寂しさを伴うのだから。


「覚えておいてね。僕がどれだけの想いでアルヴィンに応えたのか」

撫でるように頬に添えられた指先が愛しい。

「覚悟してね。僕の気持ちを背負うんだって」

溶けるような声音に促されて面を上げたとき、そっと柔らかな感触が唇に降ってきた。
ジュードらしい、ただひたすらに優しい気配が俺を包み込む。
慰めのようなくちづけに酔いしれて、僅かに離れた唇を強請るように追いかければ、やんわりと応じてくれた。
まどろみに似た甘さを与えられながら、それでも零れ落ちる涙が止まらない。
この涙にすり替わる想いを、どうして止められるだろう。

「思い知った?」
「……あぁ」

示さんとしていたことはこれだったのか。
ジュードは最初から「思い知って」と言っていた。
疑心暗鬼に人間不信を重ねて生きている俺が、どうしたって不安がることをこいつは知っていたんだ。
想いを交わして何度も確認して、それでも雁字搦めにしなければ安心できない弱い心を、ジュードはこうして先回りして抱きしめてくれたのだ。
どれほど自分が俺のことを想っているのか。
歓喜のあまり有頂天になって我を忘れた俺に、冷水を浴びせるように気づかせてくれた。
「好きになりたくなかった」ことだって本当だろう。
どうしたって自分が傷つくとわかっている相手を選ぶことは、自殺行為に等しいのだから。
だけど、ジュードは俺を選んだ。
俺を傷つけまいとしただけの単純な選択ではなく、時間をかけてデメリット全て含めて俺を選んでくれた。


あぁ、あまりの深さに溺れてしまいそうだ。


俺はこんなにも愛されている。


呼吸さえ奪いかねないほど注がれる愛など俺は知らない。

魂に楔を打ち込むような愛も知らない。


なるほど、『思い知れ』とはよく言ったもんだ。

 

 

「ジュード」
「なに?」

そっと細い腰を抱き寄せて、唇が触れるか触れないかの距離で呼べば、蜜色の瞳が揺らめく。
甘やかな瞳を見つめたまま、言葉になりきらない気持ちを込めて、

「参った」

小さく零した敗北宣言に、愛しい瞳は柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/03/07 (Wed)

BGMは同タイトルの某スタイリッシュ反省会。
アル→→→←ジュと思わせといて、水面下では同じ強さでアル→←ジュ。
これが我が家の傾向。


*新月鏡*