「I'll be your home -reply-」

 

 

 

変革の日から大節が3つ過ぎ去った。
あと3節と待たずに1年になるのかと思えば、なんだか感慨深いものを感じる。
シンプルな窓から見えるのは、もうずいぶん見慣れてしまった夜景。
色んな窓景色を目にしてきたが、やっぱりこの街はどんな空の景色より静かな夜がよく似合う。
記憶にあったからというより、この景色に結びつく人物を思い出したせいだろう。
優しく包み込んでくれる夜の帳は、控えめな安心感を与えて。
きらきらと舞う光の華の神秘さは、想い人の纏う雰囲気を思い起こさせる。

「あー、やべ……ちょっと緊張してきた」

窓際で、そわそわと身体を揺らして緊張をほぐそうとしてみても、どうにも上手くいかない。
それも当然で、緊張しないわけがないのだ。
必要なこと以外自分からアクションを起こしてこない少年が、わざわざ自分に『お願い』と称して時間をくれと言ってきたのだから。

「今度の2連休、アルヴィン休めない?」

その可愛い問いかけに、ろくに考えず二つ返事で承諾してしまったのは記憶に新しい。
おかげで今日この日まで、馬車馬のごとくあちこちへ駆けずり回り、無理に無理を重ねた上で仕事を終わらせてきたのだ。
ユルゲンスの、にこやかな笑顔に不釣合いな厳しさを見たのは初めてかもしれない。
当然のことながら頭から叱られて、今度からはしっかり相談してから動きますと誓わされた。
でもまぁ、あの様子だと仕事が完璧に終わらなくても、ユルゲンスは俺をここへ帰してくれただろう。
部下を持つ人物だけに、建前上怒らざるをえなかっただけで、それさえなければさっさと行けと背中すら押してくれたに違いない。
ホント、いい奴に囲まれて、恵まれてるよ俺は。
遠いシャン・ドゥの街は、相変わらずにぎやかな喧騒に包まれているのだろうかと思いを馳せて、ただ一人の帰宅を待ちわびる。

「まだかなー」

零れ落ちた声が、思ったより頼りなく聞こえて苦笑した。
1旬ぶりの帰宅だからか、想い人を強く求めてしまう。
ただ自分でも驚くことに、寂しいだとかそういった感情は起こらなかった。
それはたぶん、この家の存在のおかげなんだろう。
この家には生活感が溢れていて、ちゃんとジュードがここにいたことを示している。
プライベートな空間に、何の制限もなく居続けることができる。
それだけでずいぶんと特別な気がして、心がじんわりと満たされていく。
我ながらひどく単純な考えだが、気心知れた人間すら許可なしに入って来れない空間なのだから、あながち間違いではないだろう。
『ジュードの特別』を考えるたび、心は浮き足立って仕方ない。
思わずにやけてしまうくらいには、俺は11歳も離れた少年に重症なほど恋焦がれているのだから。
にやにやと抑えきれない笑みを湛えたまま、脳裏にその姿を思い浮かべていると、玄関先から帰宅を告げる音がした。

「ごめん、遅くなっちゃって!」
「気にすんなよ」

すばやく振り返って立ち上がり、玄関へ向かう。
コートと鞄を所定の位置に置いて駆け寄ってくるジュードの姿を目に留めれば、自然と顔が綻ぶ。
急いで帰ってきたのだろう、少し朱を刷いた頬が愛らしい。
誘われるように頬に唇を寄せて軽いキスをすると、くすぐったそうな笑い声が耳に届いた。

「ただいま」
「おかえり、愛しの優等生」
「ご飯は?」
「まーだ」
「じゃぁ急いで作っちゃうね」

そう言ってするりと脇を通り抜けると、ジュードは手馴れた動作でエプロンをつけてキッチンに立つ。
てきぱきと動き回るジュードを追ってリビングへ戻ると、俺はソファにゆったりと座って眺めた。
俺の憧れていた景色は、世界の変革の日から何度も何度もくり返される。
普遍的で、不変的で、温かな世界。
そんな愛しい後ろ姿を見れば見るほど、俺はジュードを求めて離せなくなる。
俺が望んだ世界にこいつが絶対に必要なのだと、実感してしまうからだろう。
ジュードも厄介な男に捕まったものだ。
離してやる気などさらさらないが、一般論で言えば同情に値する。
そんなくだらないことを考えながら、ジュードを目で追いかけて時間をすごし、少し遅めの夕飯を食べた。
たった2人だけのディナーも、何故かユルゲンスたちと食卓を囲んだ時より美味しく感じるから不思議だ。
手料理だからか、ジュードがいるからか。
きっとどちらも重要な要因なのだろう。

「何か嬉しいことでもあった?」

食事を終えてくつろいでいるところへ、不意に柔らかな声が問いかける。
つられるように視線を上げれば、食器を片付け終わったジュードがアイスティーを片手に傍へ帰って来た。

「顔に出てる?」
「出てるよ。目元がすごく優しいし」
「それはおたくが目の前にいるからだって」
「相変わらず口が上手いね」
「お望みなら、いくらでも口説いてやるよ?」
「もう十分口説かれてるので結構です」
「遠慮しなくていいんだぜ?」

食後のデザートの代わりに、甘くて転がるような会話。
この包み込むような温かさが愛しくて、うっとり目を細めて見つめれば、絡んだ視線に穏やかな色が差す。
蜜色に溶ける光がゆらゆらと揺れて、優しく微笑まれたら息苦しくなった。
口説くための言葉が淡く浮かんで消えていけば、もう口先から何を言えばいいのかもわからなくなる。

「本当に、口説き文句はもういいよ」
「まだ慣れなくて恥ずかしい?」
「それもあるけど」

すっと一呼吸置いて整えると、ジュードはゆっくり口を開いた。

「僕はアルヴィンを選んだから、これ以上口説かれてもなびきようがないんだ」

ふわりと溶けるような柔らかさで鼓膜を揺さぶる声。
やや照れたように頬を染めて、ゆったりと向けられた微笑は深く甘い気配を纏う。
渡された言葉をとっさに受け取り切れなかった俺は、数回瞬いてまじまじとジュードを見つめた。
俺は何を言われた?
把握の追いつかない頭を必死に回転させて、与えられるまろみを帯びた雰囲気を掴み取る。
じわじわと駆け上がってくる熱が、言葉を端から喰らっていくから、また俺は何も言い出せない。

「……やっと、返せた」
「ジュード……」
「今まで待たせて、ごめんね」

うっすら涙を浮かべて微笑むジュードの手を取れば、微かな震えが自分の指先に連動する。
赤く染めた頬とは違って、冷たくなった小さい指先が、こんなにも愛しい。
口にすることが、どれほど勇気のいることで、どれほど怖いことか、誰より俺自身がよく知っている。
俺の場合は、ジュードが促してくれたおかげで口にできたが、こいつは自分から切り出してきた。
きっと、俺なんかよりずっと恐ろしかっただろうに。
言動に責任を負い、さらに俺の気持ちやその先すら背負うなら、それはどんなに重いことか。
駆られた激情に任せて、触れたままの指先を引き寄せる。
雪崩れ込んできた小柄な身体を受け止め、きつく掻き抱けば、おぼろげだった現実が途端、実感を与えてきた。

「……ジュード」
「アルヴィン」

この腕の中にある存在が、この世の何より愛しい。
こんな俺のために、こいつはどれほど苦しんだだろう。
一生懸命悩んでくれて。
傷つけまいとしてくれて。
そして、俺を選んでさえくれた。

「ジュード」

好きじゃ足りない。

愛してるじゃ足りない。

どんなに言葉を注いでも、この想いを表せない。
何度も口にしようとしても、紡がれる音がただ一人の名前にしかならない。
言い表せないことがもどかしくて、掻き抱いた身体を何度も確かめるように抱きしめる。
擦り寄るように首筋に顔を埋めれば、甘く誘うような香りに眩暈がしそうだ。

どうすれば、全て伝えられるだろう。

どうすれば、この想いを注げるだろう。

感極まって混乱に陥ったまま、何度も何度も名を呼べば、まだ少し冷たい手のひらがそっと頬に触れてきた。
促されるままジュードを見下ろせば、宥めるように見上げてくる瞳に視線を奪われる。

「アルヴィン、……」


――――あぁ……なんて愛しい


待ち望んだ甘い声は、重なる互いの唇に溶けて消えた。

 

 

 

音にすれば陳腐に聞こえ

文字にすればありきたりで

行動すれば単純なもの


だが、俺にはそれ以上示しようもない

 

 

無様で不恰好で情けないことこの上ないが

誰かを愛するということは

きっとこういうことなんだろう

 

 

 

 

 

 

* * * *

2012/03/07 (Wed)

返答編開始。
始終いちゃこらしてるだけです。


*新月鏡*