「You are so sweet -relief-」

 

 

 

正しいことだと思っていた。

間違っているとわかっていたとしても、それを選ぶことが僕には正解だった。
だから、疑問を投げかける小さな『声』を押し込めた。

ほら、何も聞こえない。

だから、これは正しいこと。

そうやって、盲目に落ちて見失う。

 

 

洗いざらいというわけではないが、結局僕はアルヴィンにあらましの悩みを暴かれた。
悪意に満ちた世界は酷く冷たくて、心細いのだと。
権力や地位が起こす争いが、僕を過去の僕へつなげてしまうのだと。
ミラと出会って見つけた僕の在り方を、あの場所は許さないのだと。
ぽつり、ぽつりとじれったいほどゆっくりと話す言葉を、アルヴィンは決して遮らなかった。
後ろから包むように僕を抱きしめたまま、ただ静かに耳を傾けてくれるばかり。
酷く情けない顔をしてるだろうから、正直彼の配慮がありがたい。
そうして表面的にでも吐き出してしまえば、自分の変わりなさに嫌気が差す。
変わったはずだと信じていたのに、僕は結局僕でしかない。
縮こまるように足を引き寄せて、床をぼんやりと眺めていると、今まで黙っていたアルヴィンが口を開いた。

「……今のお前を見てると、ミラを思い出す」
「ミラ、を?」
「そ。まだ人間味のなかった出会った頃の、な」

予想外に零された名前に、僕は僅かに肩を揺らした。
アルヴィンが何を言おうとしているのか見当がつかなくて、先読みを試みるもうまくいかない。
人間味のなかった頃のミラが、僕と重なる?

「使命第一で、命すら平気で投げ出すあいつを見て、俺一回離れたろ?」
「……うん」
「裏事情もあったけど、正直このままミラに関わってたら俺まで死ぬ、って思った」
「そう、言ってたね」

あれは、ミラたちがガンダラ要塞に幽閉されていたときの話だ。
使命に駆り立てられたミラは、我が身省みずナハティガル王を追って負傷した。
足が吹き飛んでいてもおかしくない怪我を負った彼女は、一時危篤状態にまで陥ったのだ。
かろうじて一命を取り留めたものの、彼女は立つことすらできない身体になり、そんなミラを見て、アルヴィンは僕たちの前から姿を消した。
あの時の別れは少し受け入れがたく、未練に満ちたものだったのを覚えている。
あれほど傍にいた人達がいなくなって、たった2人になってしまった旅。
寂しくなかったといえば、嘘になる。
懐かしいと思える思い出を振り返り、憧れた彼女の姿を脳裏に描けば少し気持ちが浮上した。
だが、今の事柄と何の関わりがあるのだろうか。
小さな疑問に振り返ろうとしたとき、そのタイミングを待っていたかのように言葉が降る。

「ジュード……お前は、一人で死にそうだから心配だ」

首筋をなぞるように吐息が触れる。
後ろから抱え込まれているため、擦り寄る彼の表情は見えない。
だけど、揺れる声があまりにも不安げで、僕は極力明るく振舞って声を上げた。

「僕が?まさか。僕は死にたくなんてないよ?」
「…………死にたくない、ね」
「アルヴィン?」
「心が死ねば、身体だって死ぬ」

確証に満ちた声音は、小さな音のわりに重く心にのしかかった。
同時にぎゅうっと力を込めて抱きしめられて、彼の不安を身体で感じ取る。

「お前は自分が犠牲になることで多くが救われるなら死ねる奴だ」
「僕は利他主義じゃないよ?」
「利他主義よりずっと性質が悪いぜ。脊髄反射で自己犠牲の固まりなんだよ、お前は」

ぐいっと頬に手を添えられ、反るように上を向かされれば、真摯な瞳と視線が交じる。
少し怒ったように口調のわりに、アルヴィンの視線はひたすらに静かだ。

「日常に戻ったお前を見続けてきたからよくわかった。あの頃のミラとダブって見えるのも納得がいった。お前はミラの影を追って、目的のために心を殺してる」
「……」

鋭く胸を突くアルヴィンの言葉に、違う、とは言えなかった。
それは、どこか遠い場所で自覚していたこと。
だが、それは僕が選んだやり方で、正しいことだと今でも信じている。
ミラとガイアスがくれた時間は有限であり、僅かだ。
源霊匣の研究を短期間で発展させるには、僕一人では圧倒的に時間が足りない。
どうしても大勢の人達と接して、協力を仰がなければいけないのだ。
目的を円滑に遂行するために自己が邪魔だというなら、僕は『僕』をねじ伏せる。
今までだってそうだった。
それでうまくやれてきた。
過去と違うことといえば、それを強いるのが『他者の意思』か『自己の意思』かの違いだけだ。

自分は見失っていない。

何も、問題ない。

そう思うのに、見上げた瞳はそれを否定する。

「ミラが使命を果たせたのは、俺たちを通じて人の心を知り、想いの重要性を知ったからだろう?他者の気持ちを思いやることを知ったからだろう?」
「それは……」
「何のためにミラがお前に未来を託したと思ってるんだ」
「……ミラ……」
「お前が誰より人に心砕く奴だから……その心を信じて託してくれたんだろ?」
「……僕の、心……?」
「そのままのお前を信じて、この世界をくれたんじゃないのか」


――――『そのままの君でやってみるといい』


低く響く声音にシンクロする気高い声が、耳の奥で囁く。
記憶にも鮮やかな黄金色の髪がなびいて、高潔な微笑がフラッシュバックする。
この指に触れていた指先。
初めて見せた涙の影。
僕を導いてくれた誇り高い背中。


――――ミラ……


「お前の心なしに、ミラの望んだ世界はないんだ」

穏やかに降り注ぐ声は、心の柔らかい部分を撫でるよう。
彼女に触れることの叶わなくなった僕の身体に、アルヴィンの熱が寄り添う。
その熱が甘えを許してくれるような錯覚を与えるから、僕は弱った自分を追い出すように声を上げた。

「でもっ……!だったら、……僕はどうすればいいの……?」

わからない。

「反発したら悪化するし……」

他人と交わす丁度いい距離の測り方を知らない。

「あの人達が何がしたいのかわからないし」

訊きたくても、応えてくれない人にはどうすればいい?

「黙っていればあることないこと言われるし!」

相手の意図を読み取ることすらまだ不十分で、上手くかわす方法も知らない。

「どう振舞ってもダメなら、僕はっ……僕は、一体どうすればいいの!?」

反論して悪化して、それで研究が滞るなんてことしたくない。
一斉に湧き起こる苦悩に、自然と息苦しくなる。
もがくように頬に添えられたままのアルヴィンの腕を掴めば、ふっと視界が暗くなった。
瞳を覗き込むように影を作る彼の表情はどこまでも穏やかで、荒れる心を優しく包み込む。
困惑と悔しさに揺れながら、彼の答えを待ち望むものの、彼は一向に応えて返さない。
焦れて掴んだ袖を引っ張ってみても、しぃっと細く息を吐いてあやすばかり。

言えと言ったのはアルヴィンなのに。

寄こせと言ったのはアルヴィンなのに。

何のために、と強く視線に思いを込めて問いかけても、注がれる眼差しに柔らかさが交じるだけで声はない。
その視線に少しの失望を抱いた僕は、そっと肩の力を抜いて目蓋を伏せた。
何も返す気のない彼に、いくら詰め寄ったところで答えはない。
そう、諦めに項垂れたとき、ようやくアルヴィンは言葉を返した。

「それで全部か?」
「……え?」
「もう大丈夫そうだな」

ぱちぱちと目を瞬いて再び見上げれば、やっぱりそこには優しい微笑しかなくて、僕は把握が追いつかない。
とん、とん、と一定のリズムで宥められ、仕舞いにはやんわりと揺さぶられた。
なんだか、アルヴィンがゆりかごのようだ。
温かな熱に抱きしめられたまま黙っていると、

「ジュード、あのな……言いにくいんだが、外ではそれでいいと思うぜ」
「……?」
「今までどおり優等生して、当たり障りなく意見をうまく通せばいい。それが目標への最短距離で、お前が決めたやり方ならやればいい」
「……でも、アルヴィンさっき……」

心を殺すなと言ったはずだ。
演じることや押し込めることは、心を殺すことではないのだろうか?
ぼんやりと見上げていると、無骨な指先が優しく髪を梳く。

「あぁ。だから、俺には全部曝け出せ。苦しいって、嫌だって、愚痴だろうがなんだろうが、お前が少しでも感じたことは全部俺に言え」
「どう、いうこと?」
「抱え込むなって言ってんだよ。社会に生きるってことは、どう足掻いたって今お前がぶち当たってる壁に悩まされるもんなんだ」
「……アルヴィンも?」
「もちろん。それについては、どうすればいいなんて具体案は役に立ちゃしねぇ。自分で折り合いつける技術を身につけるしかない」

背中から響く低い声は、ゆっくり言葉を溶かすように紡がれる。

「ただな、押し殺し続けた心は徐々に死んでいく。これは確実だ。お前はいずれ自分を見失って、つまらないことでなすべきことを履き違える。だから、どんなことだっていい……俺によこせ」
「アルヴィン……」
「言ったろ?お前は一人で全部処理できる奴じゃないって」

旅のときを思い出せよ、と言われて誘われるように記憶を探る。
道中、常に誰かが傍にいた。
決して一人ではなかった。
必ず誰かが僕を導いてくれて、悩んでいれば先回りした言葉を与えられた。
一人になったとき、僕がどれほど他者の意思に頼り切っていたのか、思い知ったはずだ。
そしてミラの死を経て、『自分で決める』とこの身に刻んだ。
それが間違いだとは思わない。
だけど僕は、大事なものを見落としていないだろうか。
『自分で決めること』と『他者を頼らないこと』が、同じではないということを。

「アル、ヴィン……」
「知ってるよ、お前が自分に厳しい奴だってのは。だけど……ちゃんと頼るべき時には頼れ」

甘えだと、思っていた。
弱さだと、思っていた。
口にしてこなかった全てが、僕を弱い僕へ変えてしまいそうで。
怖くて、揺らぎそうで、ダメになるような気がして。
だから『声』を押し込めてきたというのに。

あぁ、どうして。


「俺を頼れよ、ジュード」


許しのような懇願に抗う術を、僕は持ち合わせていない。

 

「アルヴィン……」

 

 

――――『……たすけて』

 

 

絞り出すように零した4文字が、僕にどれほど重い決断を強いたのか。

安堵に満ちた嬉しげな笑顔を見せる彼は、きっと知らない。

 

 

 

 

 

 

* * * *

2011/12/28 (Wed)

人によって、簡単なことがとても難しかったりするものです。
旅の道中、ジュードの気持ちは、仲間が察して暴いてた印象が強かったんですよね。
だから、自分から表に出すこと苦手だろうなって。
終盤は目標見つけたせいで、んなことに気ぃ回してる余裕なかったし。
まさかのED後に解決話をするはめになるとは。


*新月鏡*